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【11/14書籍発売】気まぐれな神の罰当たりな寵愛  作者: 汐屋キトリ


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書籍発売記念ss①女神、果実を食む

書籍発売記念ssです!

「坊や〜? そろそろ起きたかしらぁ?」


 静謐な空気に似合わぬ伸びやかな声が、神域に響き渡る。


 一柱の女神はずかずかと、旧知の神の神域に侵入していた。しかし彼女が“坊や“と呼ぶ彼の男神は、数百年前に眠りについたきり、今も目覚めぬままだった。


「ほぉんと、いつまで不貞寝するつもりなのかしらぁ」


 女神はいまだ起きぬ年少の友に思いを馳せながら、ごつごつとした巨大な岩の上に座り込む。

 『起こさないでください』とだけ言い残し、眠ってしまった友の様子を確認するのは、およそ数十年ごとの習慣になっていた。

 

 彼は神にしては珍しく、非常に行儀の良い性質を有していた。

 信仰を集めることにも、人間で遊ぶことにも、争いに首をつっこむことにも、他の神と交流を持つことにも。さほど興味がないらしいのだ。


 彼が唯一自らの懐に入れていたのは、女神から見てもたった一柱だけ。


(あの子の消滅で、坊やがここまで参っちゃうなんてねぇ)


 頭に浮かぶのは、“坊や“がいっとう親しくしていた戦神のことだった。


 女神の長い睫毛が、物憂げに伏せられる。


(あの子はあの子で……難儀な神だったわぁ)


 その神はひときわ豪快なだけでなく、悪食の趣味まで持っていた。神々の中においても、良くも悪くも目立つ存在だったことは間違いなかった。


 かたや無気力で生に退屈した神、かたや戦と宴と女を好む好戦的な神。二柱は明らかに、正反対の性格をしていた。だからこそ仲良くなったのかもしれないと、女神はぼんやり思う。


 その戦神はというと、娶った元人間を喰らってしまったことから気を病み、結局は自ら消滅を選んでしまったのだという。

 

 消滅を見届けたらしい”坊や”もまた『退屈だ』とだけ言い残し、自らも眠りについてしまったのだった。


 『退屈』。

 享楽を浴びて生きるこの女神には、縁遠い言葉だった。


(ねぇ坊や。この世界は貴方が思うほど……退屈なんかじゃあ、ないのよぉ)


 女神はふと頭上に視線を遣る。目に入ったのは、近くの木にぶら下がった薄紅色の果実。そのうちの一つに手を伸ばし、ぷちりともぎ取った。


(坊やは眠っていることだし……一つ貰ったって、怒られるわけもないものねぇ)


 手の中の薄紅色のその果実を眺め、女神はひとくちふたくちと、齧ってみることにした。

 しゃく、と小君気味良い音が神域に響く。


「やだぁ、とんでもなく美味しいじゃないのぉ……!?」

 

 女神は思わず溢れんばかりに目を見開き、驚愕の声を漏らした。

 

 咀嚼のたびに果汁が溢れ、瑞々しい甘味が口内いっぱいに広がる。美食家を自称する女神が唸るほどに、それは美味だった。心なしか神力の巡りがよくなり、肌が潤ってきた気すらしてくる。


(とっても美味しいわぁ。だけれど……)

 

 何かが物足りなかった。何が物足りないのだろう。


 しゃく、しゃく。

 考えながら齧っていれば、あっという間にその果実は、跡形もなく体内に消えてしまう。


 もう一つ貰って帰ろうかと思案した女神は、果実のなる樹へと白い手を伸ばし――止めた。


(持って帰っても……わたくししか、食べられないものねぇ)


 神力が含まれる果実を、自らの社で待つ人間たちに分け与えるわけにはいかない。

 命を歪められた人間たちを保護することはあれど、自分まで歪みに加担するつもりはないのだから。


 腕を下ろす。手持ち無沙汰になって、女神はただぼんやりと空を見上げてみた。

 夜明けの神の神域らしく、空は茜色のまま時を止めているようだった。


(……わたくしはね、この世が退屈だなんて思わないわぁ。だけれど……寂しくなることは、あるのよ)

 

 昨夜のこと。

 女神は保護していた人間の一人を――その手で消していた。

 

 人間として生かし、人間として死なせる。

 

 それは、お節介とも言うべき勝手な信条だ。

 この信条を貫くことに後悔したことはなかったが、失うその度、どうしようもない喪失感が女神の胸中を占める。何度経験しても、決して慣れるものではなかった。

 

 人の生が短すぎるのか。

 それとも、神の生が長すぎるのか。


(......なぁんて、坊やに話したって、『そうですか』ってすげなくされるだけなんでしょうねぇ)

 

 この神域で育つ薄紅の果実がどれほど美味しかろうと、それを共有できる相手は今どこにも存在しない。


 社の愛しい人間たちは、己と同じ神ではないのだから。

 

 とはいえ同じ神たる”坊や”が起きていたとて、一緒に果実を食べてくれるとも、思えなかったが。


(いつか、この味を誰かと共有できたなら……)


 ──それはどんなに、幸せなことでしょうね。

 

 女神は瞼を閉じ、ふうっと息を吐いた。

 

 社で待つ人間たちの顔を順に思い浮かべてみる。一人居なくなったことは、とても悲しい。しかしこの悲しみは、一刻も早く飲み干してしまわなければ。


 それが、人を拾った神としての責任だ。


(人と神が、本当の意味で交わることはない。それでも、わたくしは……)


 女神はゆっくりと瞼を開く。


 蜂蜜色の瞳は既に、星のような煌めきを取り戻していた。


 彼女は蝶のように、岩からひらりと飛び降りる。桃色の髪がふわりと揺れた。


「ご馳走さま。また遊びに来るわねぇ」


 女神は友の眠る本殿に背を向けると、土産代わりの酒を地面に置き、闇に消えたのだった。



***



 それから数十年、数百年が経過した。

 女神は――"蜜"と言う名を手にした彼女は、にこにことしながら四阿に腰掛けていた。

 

「お待たせ、蜜」


 盆を持って歩いてきたのは、小夜――蜜の友である少女だった。彼女は少し前まで眠っていた友に拾われ、先日婚姻をあげてその眷属になった娘だった。


「ありがとうねぇ、小夜ちゃぁん」


 盆の上の器には、一口大に切り揃えられた薄紅色の果実が、綺麗に盛られていた。四阿に置かれている簡易的な卓では、小夜によって茶が注がれている真っ最中だった。


「暁ちゃんはぁ?」

「誘ったんだけど、来ないって」


 小夜は苦笑いをする。とはいえ想定通りではあった。彼は女神が遊びに来ると大抵、苦虫を噛み潰したような顔をして姿を消すのだ。


「あらぁ、それじゃあわたくしたち、ふたりきりでお茶しましょうねぇ」

「うん!」


 そして女神と少女は、いつものようにとりとめのない会話を始める。時折、果実をつまみながら。


 (『いつか、この味を誰かと共有できたなら』って......わたくしはあの日、そう願った)


 三千歳近く若い女の子の友達を、蜜は親愛をこめて見つめる。じっと眼差しを向けられていることに気づいた小夜は、不思議そうに首を傾げた。


「蜜? どうしたの?」


 はにかみ混じりのその表情があまりにも可愛らしくて、女神の口元が綻ぶ。


「うふふ。わたくしねぇ、小夜ちゃんとお友達になれて……幸せだわぁって」


 ぱちぱちと瞬きをしたあと、小夜もまた花が咲くように笑顔を浮かべた。


「私もだよ、蜜」

「うふふ、嬉しいわぁ」


 穏やかに笑いながら、女神はかつての自らの思考を内心で訂正する。


(人と神が、本当の意味で交わることがないなんて……ふふ。そんなこと、無かったのねぇ)


 人と神のちょうど中間に位置する少女に、女神は慈愛の微笑みを向けたのだった。

【お知らせ】

2025年11月14日、ビーズログ文庫より書籍が発売される運びとなりました......!

書影と特典情報を活動報告に載せましたので、ぜひ見ていただけると嬉しいです。

(小夜が本当に可愛くて、暁がもうあまりにかっこよすぎるので......!!!サブキャラも!泣)


発売前日にもう一本記念番外編を載せる予定です。

じっとりもだもだ胸キュン、全てがパワーアップした書籍版もお手に取っていただけると最高に嬉しいです!

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