バレンタイン番外編ss:少女、火傷する
大遅刻ですが、バレンタイン番外編です。
「甘い物を?」
「そうよぉ! と〜っても楽しそうでしょぉ?」
蜜はよく、各地から仕入れてきた情報を小夜に教えにやって来る。
今回は西方から伝わったという十四日、つまり明日の行事についての話だった。
曰く、甘味を渡すことで好意を相手に伝える日なのだとか。
「蜜って、本当に物知りだよね」
「うふふ! 集まりによく参加しているとねぇ、他の神々から噂が入ってくるのよぉ。ほら、みんな暇してるから」
彼女はそう言って肩をすくめた。
噂話はきっと、永久を生きる神々の娯楽の一つなのだろう。こういった話を蜜から聞くたび、案外神様たちも人間とそう変わらない感性を持っているんじゃないかと勘違いしそうになる。しかし、それが全くの誤りだということは小夜が一番知っていた。
「そうそう、明日の話だったわねぇ。用意してあげたら暁ちゃん、きっと大喜びするわぁ!」
「甘味はあんまり作ったことがないし、やってみようかな? ねぇ、蜜も誰かに作るの?」
「え、わたくし?」
訊ねると、彼女は不思議そうに首を傾けた。桃色の髪がゆらり、空に漂う。
「ほら、蜜の神域にも人間の子たちがいるって言ってたから、その子たちにあげるのかなって」
「しないわよぉ? だってわたくし、お料理なんて出来ないものぉ!」
ふふん、と何故か彼女は堂々と胸を張った。楽しそうに話す様子から、てっきり彼女もこの行事を満喫するつもりなのかと思っていたものの、ただ小夜に教えたいだけだったらしい。
よく考えてみれば、神の身体は食事を必要としない。故に、蜜が料理を習慣にする理由は無く、全く出来ないというのもおかしな話ではない。毎日暁と食事を取っているからか、ついついこの事実を忘れかけてしまう。
小夜がそれを知った当時は、炊事をするなどと言い出した過去の自分を、今すぐ消し去りたくなったことを思い出す。
そして真っ青になった小夜を見て、暁は少し愉快そうに「確かに必要は無いけど、私は楽しんでいるからね? これからも小夜に作ってほしいな」と笑って頭を撫でてくれたのだった。
彼のあたたかな笑みが脳裏に甦り、自然と小夜の口角も上がる。
「好意って、好きって気持ちのことだよね。恋とか愛とか」
「それだけじゃないわよぉ。恋人はもちろんだけど、お友達とか身近な人に感謝を伝えるって意味で渡す人もいるらしいわぁ」
「身近な人……」
暁だけではない。自分は今まで、誰かに常に支えられながらここまで生きてきた。弓彦、蜜、そして惣一郎。
しかしかつて背中を押してくれた人間の友は、他領で修行するためしばらくこの神社には来ないという。
いつかまた顔を見せてくれるようになったら、その時は修繕した着物とともに甘味でも贈ろうか。そんなことを小夜は考えた。
そして翌日、つまり十四日当日。
彼女が呼び出したのは、この東雲神社の宮司である弓彦だった。
「甘味の料理本が欲しい、とのことで持って参りましたが……こちらでよろしいでしょうか?」
「うん! ありがとう、弓彦」
かくかくしかじか、彼に蜜から教えてもらった十四日の話をする。規模の大きい神社で働いている彼も、その行事については初耳だったらしい。
他の神社の神である蜜は信仰の対象ではないとはいえ、「遠方の情報まで手にするとは、流石は女神殿……」とその見識に感嘆しているようだった。
小夜は冊子をぱらぱらと捲る。書かれているのは文字のみだが、いずれも美味しそうな記述ばかりで目移りしてしまう。
「迷っちゃうな、どれにしよう……」
「饅頭などはいかがでしょうか」
「お饅頭? うん、いいかも」
饅頭の作り方の頁を開く。材料も弓彦が持ってきてくれた中にある定番のものでこと足りそうだった。
「お手伝いいたしましょうか?」
料理を一通り覚えて以来、弓彦と炊事場に並んで立つことは久しく無かった。込み上げて懐かしさから手伝いの申し出に一瞬頷きそうになったが、我に帰る。
「ううん、自分で作ってみたいの」
本人には伝えていないが、弓彦にも感謝の気持ちとともに渡すつもりがあるからには、自分一人の手で作りたかった。
初めての試みであること、そして練習無しでいきなり当日に作ることから緊張はあったが、この二年ほとんど毎日料理を行ってきたのだ。本の手順通りに出来る自信はあった。
しかし弓彦は何か言いたげに視線をうろうろさせている。不思議に思っていると、彼は意を決したように息をつき、咳払いをした。
「もしやとは思いますが小夜さん、私にもくださろうとしていませんか?」
「えっ。そうだけど、何で分かったの?」
弓彦はハの字に眉を下げる。
「年の功、といったところでしょうか……確かに土地神様は、小夜さんお一人で作ったものの方が喜ぶでしょう。ただ、私の分まではお気遣いいただかなくて大丈夫ですからね」
婉曲な彼の遠慮の言葉は、僅かに語尾が震えていた。
「どうして? 弓彦、お饅頭苦手だった?」
「いえ、そういうわけではないのですが……神に仕える僕が、土地神様と同じ物をいただくわけにはいかないので」
敬虔な信徒である弓彦の、暁への信仰心の高さに感心する。己の立場を弁える謙虚さは弓彦の美徳であるが、小夜からしてみれば、弁えすぎではないかと思うほどだった。
「別にそこは、気にしなくていいと思うけどな」
拾われた当初に食卓を分けようとしていた時にだって、暁は気にした様子がなかったどころか、共に食事をとるようにまで言ってくれたのだ。そんな暁が僕である宮司と同じ物を出されたくらいで、気にすることはないだろう。そう考えた小夜は、弓彦の頑なな姿勢に首を傾げる。
「いえ……とにかく、本当に私の分はお気になさらず」
目の前の彼が滝のような汗を流していることにも、普段の穏やかな笑みが引き攣っていることにも、小夜は気づかない。弓彦はその後そそくさと礼をして、足早に去っていったのだった。
(ああは言ってたけど、作ってしまえばこちらのものだし。きっと最後には弓彦も受け取ってくれるよね)
小夜は早速材料を確認し、料理に取り掛かる。
気合いを入れ直した彼女には、弓彦の内心の焦燥は一欠片も伝わっていなかったのだった。
粉を酒と湯を用いてよく捏ね、塩を少々練り込みながら固形にする。生地をある程度の大きさに揃え置いておけば、数刻後には本の記述通りに膨張した。神力もなしに形が変わる菓子の原理は分からないものの、興味深いなと思った。
それを寝かせている間に、豆をすりつぶして濾す。この工程によって舌触りの良い餡が出来るらしい。砂糖を加えて混ぜ、餡が用意できた。
そして薄く延ばした皮に餡を包み、蒸す。これにて饅頭の出来上がりだ。
確認するために一つを手に取り、割ってみる。中からは湯気がもくもくと立ち昇った。冷ますために息を吹きかけ、湯気が落ち着いたころを見計らって慎重に口に含むと、優しい甘さが口に広がる。塩気のある皮と甘い餡の相性は抜群、特に餡の舌触りは絶妙だった。
想定していたより少しだけ皮が固くなってしまったのは悔しかったものの、飲みやすい茶を選んで合わせれば更にいくらか食べやすくなるだろう。
(よし、これなら暁にも出せる)
せっかくなら熱いうちに食べてもらいたい。そう考えた小夜は、彼を呼ぶ。
「暁、渡したいものがあるの」
すると離れたところから足音が聞こえ始め、炊事場の戸が開かれた。ゆるく結ばれ肩に流している銀髪が、さらりと揺れる。
「何かな?」
そう尋ねる暁の薄い唇は、嬉しそうに緩んでいた。
きっと彼は小夜が何か用意していることには気づいていた上で、あえて周辺を見ないようにしてくれていたのだろう。
「お饅頭を作ったから食べて欲しいの。お茶も淹れてくるから、あっちで待っててね」
食卓のある方向を指さすと、彼は心得たというように席に向かっていく。盆に急須と湯呑み、そして皿に盛り付けた饅頭をのせ、小夜もそれに続いた。
「あのね、蜜が教えてくれたんだけど、今日は好きな相手に甘いものを渡す日らしいの」
「へぇ?」
てっきり「またあの女神は……」とか呆れたような顔をするのかと思っていたが、暁の満面の笑みを崩さない。その理由はすぐに分かった。
「好きな相手、ね? 小夜は誰のことが好きなのか、教えて欲しいな」
朝焼け色の彼の瞳が、悪戯っぽく輝く。間違いなく相手は自分だと知っているにも関わらず、彼はそんなことを聞いてきた。
どうやら小夜の口から言わせたいらしい。想いが通じ合ってから、たまに彼はこういった戯れを仕掛けてくるのだ。
「好きだよ、暁。……もう、分かってるくせに!」
小さく文句を付け加えると、彼は笑った。頬を緩ませても彼の造形美は崩れるどころか、神々しさを増すばかりだ。嬉しそうなその笑みに、自分は心底愛されてるんだなと改めて実感する。
「これ、受け取ってくれる?」
「もちろん」
饅頭が一つ載った皿を差し出す。長い指先でそれを摘んだ彼は、そのまま大きく饅頭にかぶりついた。
「うん、とても美味しいよ。流石は小夜だね」
「ほんと? ちょっと皮が固くなっちゃったかもなんだけど」
「そう? 気にならないよ、美味しい。ほら、小夜も食べてみて」
暁は、彼自身が先程一口食べた饅頭を差し出してくる。しかし、小夜の感覚としては口をつけたものを共有するのはまだ恥ずかしかった。
「ううん、私はさっき味見で食べたから。暁が食べなよ」
「良いから。もう一口試してみれば、皮も餡も本当に美味しいって分かるはずだよ」
なるほど、先程皮の固さに言及した小夜の不安を、暁は払拭してくれようとしているのだ。
そう納得した小夜は饅頭を受け取ろうとしたが、暁はそれを掴む己の手を離そうとしない。
仕方なく、目の前に差し出された彼の手首に両手を添え、小夜は食べかけの饅頭にかぶりつく。
「熱っ!」
途端、餡にこもった熱が舌を焼いた。
「小夜? 大丈夫?」
しかし口に入れてしまった食べ物を吐き出すわけにも行かず、どうにか咀嚼し無理に飲み込んだのだった。溢れこそしないものの、生理的な涙が視界を滲ませる。
もう何も乗っていないはずの舌先が空気に触れ、ひりひりと痛んだ。小夜の口内は、完全に火傷してしまっていた。
いつのまにか用意してくれたらしい水を暁から受け取り、少量口に含む。
もう今は神力の混じったものを摂取してももう問題ないとはいえ、身体はまだ人間に近い。神の眷属でも火傷をするということを、小夜は今初めて知ることとなった。
暁は心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「痛いの? 熱いんだから、気をつけないと危ないよ」
「だって、暁はそのまま食べてたから! まだ中がこんなに熱いなんて思わなかったの……!」
神の身体であれば、この程度の熱は何ともないらしい。彼は饅頭をそのまま触って齧り、涼しい顔をしていた。だからこそ小夜も熱さを警戒するのを忘れてしまっていたのだ。暁のせいではないと分かってはいても、恨めしい視線を送ってしまった。
徐に、彼の手により顎が持ち上げられる。
「火傷したところ、見せて」
「えぇ?」
こんな時にふざけているのかと思ったが、彼はいたって真剣な目つきをしている。端正な顔から放たれる視線の圧に負けた小夜は、羞恥を堪えながらちらりと舌を出した。すると暁は、火傷で赤くなった先端に人差し指でそっと触れたのだった。
「可哀想に」
彼の指先は普段と異なりひんやりとしていて、まるで氷のよう。過ぎた熱は痛みをもたらすが、急激な冷却もまた痛みに似た感覚をもたらす。小夜は舌をろくに動かせないまま、困惑で眉を垂らした。
「んん……あかつ、き?」
指で邪魔されているせいで、発声が舌ったらずになってしまう。暁の手を退けようとするが、小夜の力ではぴくりとも動かない。小夜の抵抗も意に介さない彼は、次に中指も使い二本で小夜の舌を挟み始めた。
「ほら、もっと冷やさなくてはね」
「んむ、ん〜っ!」
舌を固定され軽く引っ張られた小夜は、ついにまともに言葉を発することが出来なくなってしまった。
「小夜、冷たい?」
暁は耳元で囁く。常であれば落ち着くはずの彼の声が今は脳内に響き、彼女の背を震わせる。
「んっ、んむむ!」
腕を動かすのは諦めて暁の胸を叩く。彼は二本の指を引っ込めたかと思うと、今度は親指で口内を撫で始める。好き勝手に触れるその動きが止まるころには、すっかり暁の指は唾液でべとべとになっていた。
「もう、暁……あのねぇ……!」
やっと自由の身になった小夜は、丸い目を怒りで釣り上げながら肩で何度も息をつく。漆黒の瞳は潤み、頬は林檎のように紅潮している。
しかしその元凶の神はというと、悪びれた様子もなかった。
「ちょっと苦しかった? ごめんね。でも私は火傷を治しただけだよ」
そこで小夜はやっと、舌先の痛みが消えていたことに気がつく。しかし暁の方は、何だか楽しそうだった気がする。治療だとしても、そのやり方に納得がいったわけではなかった。
「うぅ、治してくれたのはありがとう。でも、もっと普通に……」
「ねぇ小夜、まだあといくつか饅頭があったみたいだけど」
「え?」
小夜の言葉を遮って、暁は炊事場の方を指差した。
「全部、私の?」
「あれは蜜と、弓彦の分だよ。まだ食べたかったら、ここにある私の分を――」
「ふぅん。私の分は、他の者の分と一緒なんだ?」
それはまるで、拗ねているかのような声色だった。彼は気に食わないと言うように鼻を鳴らす。
「言ってくれれば材料なんて一瞬で出してあげるのにと思ったけど……弓彦にも食べさせるから、わざわざ人間の食材を揃えたんだね?」
「暁?」
解放されたはずの頬を再び掴まれ、己の唾液で湿った指で撫でられる。
「好きな相手に甘味を渡す日、だったね。他の者たちへの愛情と私への愛情は、同じなの?」
小夜はやっと、暁が不服そうにしている理由に気がついた。そして、弓彦の懸念があながち大袈裟では無かったということにも。
「そんなわけない! 蜜が言うには、お世話になってる相手に感謝を伝える日でもあるって……怒ってる?」
「怒ってないよ。でも、『お世話になった人』と『夫』が小夜の中でどう違うのか、ちゃんと伝えてほしかったなって」
「どういう意味?」
「分からない?」
問いに問いで返した彼はただうっすらと微笑むだけだ。もう殆ど乾いた彼の指が頬の上で、すりすりと滑る。
「ねぇ小夜、まだ痛そうだね」
「え? 何が……」
「火傷」
見せつけるかのように、暁の赤い舌がちろりと覗いた。急に空気が色気を帯び始め、思わず視線を逸らしてしまう。
彼のそれが己のものより薄くて長いことを、小夜はすでに知っている。
「それは、さっき暁が治してくれたから、もう全然……」
言い終わらぬうちに彼の親指が、再び口内に突っ込まれる。小夜の肩がぴくりと跳ねた。
「可哀想に。治してあげようね」
その言葉の響きに含まれていたのは憐憫や同情などではない。目の前の少女に懲罰を課そうとする、仄暗い愉悦だった。
紫色が強まった朝焼けの瞳が、眼前に迫る。
互いの唇が触れる瞬間ら拗ねた彼が何を求めていたのか、小夜はようやく察した。
『お世話になった人』と『夫』がどう違うのか。恋仲にしか許されない方法で示せと、そういう意味だ。
「んっ……」
二人きりの静かな部屋に、甘い吐息が漏れる。
そして小夜は、もう何処にも存在しない火傷を絡めとろうとするかのような暁の深い口付けに、しばらく翻弄されることとなったのだった。
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