正月番外編ss2:少女と神々、餅をつく
1月ももう終わりますが、お正月ネタ番外編その2です。
新年が明けたばかりの昼下がり、小夜はいつも通り洗濯物を干していた。
雪こそ降っていないものの、息を吐けば白くなるような寒さに半纏から伸びる己の指を擦り合わせる。
全ての洗濯物を干し終わった頃、寒さをものともしないような陽気な声が響いた。
「小夜ちゃん、遊びに来たわよぉ!」
「蜜!」
いつもの調子で暁の神域に侵入、もとい遊びにきた蜜は大きな鍬のような木製の道具を肩に背負っていた。
鍬というと二年前、暁の祠を近くに落ちていた鍬で壊した己の愚行を思い出す。蘇った黒歴史に額に汗を滲ませた小夜には気づかず、女神はご機嫌な様子だった。
「そ、それ。何?」
「これはねぇ、杵って言うのよぉ! ほら暁ちゃん、そのへんにいるんでしょぉ? 出てきてちょうだいな」
杵を空中で振り回し始めた蜜を見て、不満そうな顔の暁がのそのそと現れる。
「貴方に指図される謂れはないのですが……私の神域をその凶器で壊しにでも来たのですか? これから小夜とめくるめく甘い一日を過ごす予定だったのに。さっさとお帰りいただけますか」
腕を組んで指先をとんとんと打ち苛立ちを露わにする暁に、女神は大きなため息を吐く。
「……暁ちゃん貴方、気づいてないみたいだけど相当色惚けしてるわよぉ」
じとりと目を細めている蜜の言葉を無視した彼に、小夜は背後から抱きしめられる。
「ねぇ小夜、今日はどうしようか? 街にでも降りて、何か美味しいものでも――」
「美味しいものなら! まっかせなさぁい!」
最後まで言わせまいと、蜜が声を張り上げる。そして彼女は暁の腕の中にいる小夜へびしっと指を向けた。
「小夜ちゃん、新年といえばぁ?」
「え?」
「餅つきよぉっ!」
蜜が指を一振りすると、大きな木の器が現れる。その中にはぐにゃぐにゃした白いものが入っていた。振り向いて暁にあれは何かと聞けば、臼というのだと教えてくれた。
「小夜ちゃん、お餅って作ったことあるぅ?」
小夜はふるふると横に首を振る。
村長邸にいた頃は、新年に乙羽たちが餅を食べているのを見たことこそあったものの、決してその輪の中には入れてもらえなかった。どこかで買ってきたのか、それともその場で作っていたのか。それさえ分からないし、作り方の見当がつくはずもない。
「お餅用のお米をついてねぇ、捏ねるのよぉ! 見せようにも一人じゃ出来ないから……暁ちゃん、手伝ってくれるぅ?」
「……じゃあ、杵を寄越してください」
珍しく素直に蜜に従う暁。天変地異の前兆だろうか。
しかし、蜜がしゃがんでぐにゃっとした白いもの――もち米に手を伸ばした瞬間、一陣の風が鋭く空を裂いた。
――ドゴンッ!
まるで地鳴りのような激しい音が耳をつんざき、小夜は思わず目を瞑る。瞼を開け視界に映ったのは、臼へと思いっきり杵を振り下ろした暁と、引っ込めた両手を胸に抱え、彼をぎろりと睨みつける蜜の姿だった。
あわよくば餅をつく手のひらごと打ち壊してやろう、という目論見に晒された女神の口元はピクピクと動いていた。蜂蜜色の瞳がゆっくりと細められる。
「暁ちゃぁん?」
木製の臼の側面を見やると、細く亀裂が入っていた。むしろ多少の亀裂程度でよく神の攻撃に耐えたものだとも言える。
流石は暁と同じく神である蜜が、神力によって創り出した臼だ。
「失礼、手が滑りました」
抜け抜けと言い放って杵を担ぎ直した暁とは対照的に、女神のこめかみには青筋がいくつも浮いていた。
「お、面白いじゃないのぉ! ふん、やれるもんならやってみなさいよぉ……!」
「また手元が狂ったらすみませんが……!」
蜜が鼻を鳴らすと、二柱の間には大きな火花が散る。
直後再び、杵が暁によって臼に打ち付けられ始める。そして彼による暴力的なまでの一撃一撃の合間を縫い、もち米の塊もまた蜜によって素早くひっくり返されていた。
目にも止まらぬ速さで繰り広げられるそれは、まさに神技。
「良い年なんですから、はしゃぐのも大概になさっては? そもそも神力を使えば、餅なんて一瞬で出せるでしょう」
「今までろくに遊び相手のいなかった暁ちゃんにも楽しみを教えてあげようってお姉さんの親切は、素直に受け取っておくものよぉ?」
神同士の醜い争いは、餅をひとつきするごとに熾烈さを増していった。
「なんと言おうとその引き攣った表情では、虚勢を張ってるのが見え見えです。怪我しないうちにその手を引っ込めては?」
「手といえば、暁ちゃんはいつになったら小夜ちゃんに手を出すつもりなのぉ?」
「余計なお世話です! こちらとしては今すぐ貴女をここから締め出してやっても良いのですがね!」
「そんなに怒っちゃって、まさか暁ちゃんが本命には中々手の出せない意気地なしだなん――」
――バシッ!
言い終わる前に、暁の振りかぶった杵が最短距離で蜜の桃色の頭頂部に落とされる。
ぎりりという音を立てながら素手で受け止めた蜜と、なおも杵を押し付ける暁。このままでは本殿周りが破壊されてしまいかねない。
流石に見かねた小夜は、仲裁に入ることにした。
「もう、ふたりとも喧嘩しないの!」
自分たちよりも千歳以上若い少女の声に、二柱は顔を見合わせ、すっと互いに距離を取る。
いつの間にか神々の戦いへと発展しかけていたが、元々は餅つきを知らない小夜のためのお手本だったのだったことを思い出したのだった。
「ねぇそれ、私もやってみていい?」
小夜が指をさしたのは、暁が肩に乗せている杵。
「勿論。はい、小夜」
「うん!……っとと」
彼から杵の柄を受け取ったはいいものの、その重さに思わずよろけてしまう。すかさず小夜の肩を暁が支えたのだった。
「大丈夫? 小夜にはちょっと重すぎたね」
「う、うん……」
先程もの凄い速さでこの杵を上げ下げしていた神と、最後にはそれを素手で受け止めていた女神を思い出した小夜の背には、冷たい汗が流れた。
彼らは人間ではないのだ、改めてそう実感する。――それは、神の眷属となった己もそうなのだけれど。
しかし小夜はまだ、彼らのような人智を超越した腕力など持ってはいない。
さてどうしたものかと思っていると、暁が指を一振りする。途端に手の中にある杵が軽くなったような気がした。
持ち上げてみると、それは農作業用の鍬より少し軽い程度の重量へと変わっていた。
「これなら持てそうかな?」
「うん! ありがとう、暁」
肩に触れていた彼の手が、するりと腰に回る。再び背後から抱きしめられるような形になってしまった。
「本当はこんな危ないものなんて、持たせたく無いんだけどね……」
耳元で低く囁かれ、反射的にびくりと身体が震える。甘い刺激が小夜の全身に走りかけたところで、呆れたような声が響く。
「ねぇ、わたくしもいるって忘れてなぁい?」
「あぁ。まだいたんですか?」
「あ、暁っ!」
しれっとしている暁の腕を叩き、どうにか解放してもらう。危なかった。蜜の声がなければ、ふたりきりの恋人気分に没入してしまうところだった。
もう餅はほとんど固まっているように見えたが、気を取り直してついてみることにした。ひっくり返す係は暁が請け負ってくれるようだ。
持ち上げた杵を、思い切り振り下ろす。
「ふんっ!」
「上手だね」
「はっ!」
「その調子だよ」
「んっ!」
「可愛いよ、小夜」
「もう、暁っ!」
にこにこ笑いながら甘やかしてくる彼の掛け声を叱るものの、悪びれた様子もない。
しゃがみ込んで頰に手を当て、こちらを見ていた蜜の表情は、なんだかげんなりしてきているようだった。
「そういえば貴方たち、新婚だったわねぇ……」
「はぁ、ようやく思い出してくれましたか?」
「えぇ……まぁ……小夜ちゃんが幸せならわたくしも、それで良いんだけど」
近くに寄ってきた蜜に、つん、と頬を軽くつつかれる。
「蜜?」
「ほんと、小夜ちゃんは可愛いわねぇ」
尚もつんつんと頬に触り続ける蜜を、暁が睨みつける。
「私の小夜に、許可なく触らないでいただけますか?」
「あのねぇ、許可を求めたとして許しを出すつもりはあるのかしらぁ?」
「お察しの通り、答えは否です」
女神は立ち上がり、そしてまた指を一振りした。すると辺りに、器に盛られた色とりどりの粉やら餡、さらに小瓶に入った醤油が台とともに現れる。
「きなこ餅、餡子餅、磯部餅。もうお餅をつくのは十分でしょうから、好きなように食べるといいわぁ」
「わぁ……! ありがとう、でも蜜は?」
「わたくしはいいわぁ。何だか、見てるだけでお腹いっぱいになっちゃったものぉ」
桃色の髪をふわりと揺らし、彼女は首を横に振った。
「それにこれ以上此処にいて、そこの甲斐性無し男に焼きもち妬かれても、ねぇ?」
「かいしょ……?」
甲斐性、の意味が分からず首を捻った小夜に、女神は妖艶な笑みを向ける。
「まぁ暁ちゃんを散々おちょくっ……じゃない、ふたりとお喋りできて楽しかったわぁ。今日はこの辺りで退散してあげる」
「蜜、今度は一緒に食べようね!」
そう言うと蜜は、ふわりと可憐に微笑む。そして豪奢な着物の裾を揺らしながら、どこかへ消えていったのだった。
「やっとふたりきりになれた」、とほくほく顔の暁は、まだ知らない。
台上のきな粉(小夜が特に気に入って沢山食べることになる)に、遅効性の媚薬成分が混ぜられていることを。
そして数刻後、目をとろんとさせた小夜にすり寄られ、夜の女神による悪戯のせいでとんでもない忍耐を強いられる夜が訪れることを。
本編の続きになる新章(番外編?)構想はあるのですが、年度末までに出したい公募が2つほどあるので、しばらく先になるかなと思います。
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