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レディ・チェロフォビア

「ごめんねぇ、すっかり早とちりしてもうて」

「い、いえ。とんでもございません」

「ルースが誰かを連れてくるのは初めてで、すっかり浮かれてもうたわ。堪忍な」



 頬に手を当て、しょんぼりと私に謝ったのはルーのお母さん――もとい、ニーナ・カークランドさまだ。


 息子とお揃いのオレンジがかったブロンドに、こっくりとした深みのある琥珀色の瞳。

 一児の母とは思えないほど若々しい美貌は馴染みのあるアジア系の面立ちで、まなじりのあたりを赤く化粧したつり目は、どことなく私に開眼した時のルーと同じ雰囲気を感じさせるものがあった。


 皇帝(兄貴)に話してくるからあとはよろしく、と早々に逃げて行ったルーに代わり、ニーナさまをどうにかこうにか落ち着かせるまでにかかった時間はおよそ十分。

 すさまじい勢いで「うちに連れてくるなんて番ってことやろ? そうなんやろ!?」と大はしゃぎして詰め寄ってくるニーナさまの勢いに、ひたすら『違います自分たちはただのお友達ですむしろ親友です!』と言い回しを変えて主張するしかなかった私は今や、長旅の疲れと相まってすっかり精神的な疲労困憊である。



(私に誤解を解くことを丸投げしたルーは絶対に許さない……!)



 しかしながら、親友のお母さん、それも初対面の人相手に疲労を見せるのはプライドが許さないし、そもそもニーナさまは前の皇帝の側室であらせられるわけで。

 実家から勘当されて平民になった私が『ニーナさまとおしゃべりして疲れた!』なんてクソ生意気なことは絶対に言えないのだ(そもそも本来なら謁見して言葉を交わすことすらままならない)。


 それにほら、私はルーのためにももうちょっと頑張って長生きしなくちゃいけないのでね、危機管理(リスクマネジメント)はしっかりしておかなくちゃいけないよねっていう。つまりはそういうこと。



「でも、それならフィオナちゃんはどうしてこの国に? いくらルースの友達や言うても魔術の国の王女殿下に続く青い血のお姫様、しかも王太子殿下の婚約者ともあろう子をこっちに連れてくるなんて、そう簡単な話とちゃうやろ?」



 ルースからうちらと同じような境遇やって言ってたから、それだけは知っとるんやけど……。


 そう言って眉尻を下げたニーナさまに、恐れながら、と私はルーからどこまで話を聞いているのか尋ねた。

 ニーナさまの知っている情報量いかんで説明内容が増えたり減ったり、とにかくこれから出す情報の取捨選択をしなければいけないので、過不足なく説明するためにもこの質問は必須なのだ。



「うーん……言うて、うちが知っとることなんてほんのちょっとやで? フィオナちゃんの名前もさっき自己紹介されて知ったくらいやもん」

「そうなんですか?」

「そもそもお友達が女の子やったってことすら初めて知ったわ」

(そんな有様で、ルーは逆に何をニーナさまに教えたんだろう……)



 ニーナさまは何やらころころと楽しげに笑っているけれど、対する私はといえば絶句である。

 ねぇルー、もうちょっとニーナさまとちゃんと情報共有しよう? なにごとも報連相は大事よ……?



「せやから、フィオナちゃんの名前を聞いた時からずっと不思議に思っててん」

「……と、いいますと?」

「ルースがどうしてフィオナちゃんと仲良うなったのか――は、うちらとフィオナちゃんが似たような境遇にあったからやと仮定して。王太子殿下の婚約者、それも王家直系の血が流れとるお姫様がどないしてそんな扱いを受けなアカンのかもわからんし、百獣の国(こっち)に逃げて来なアカン事態に陥るのかもわからんし、……魔術の国(あっち)でフィオナちゃんに何があったん?」



 私がルーに心の中で激しい抗議を飛ばしている間に、ニーナさまは話題の舵を切った。

 ――情報がないからわからない、と言うわりに、私が今ここにいる状況に不穏なものは感じているようで、ニーナさまの狐耳は少し伏せ気味になっている。


 そしてその憂いを帯びた表情は、きっと、私の厄介ごとに大事な一人息子が巻き込まれることを危惧しているからなんだろうなと漠然と思った。

 ルーとおしゃべりする時はそこそこの頻度でニーナさまが登場するから、なんとなく察していたことだけど、やっぱりニーナさまは愛情深くルーのことを大切にしているみたい。



(それがわかってホッとする、なんて、私はいったい何様のつもりなのか)



 突き詰めれば私は『どうせただの友達だろう?』と、いつでも切り捨てられてしまうような、吹けば飛ぶような立場なのにね。

 そうやって思考に冷や水を浴びせかけられ、私は心の中で自嘲の笑みを漏らす。


 ……国も、親も、婚約者も、みんなあなたを捨ててしまったのに。

 ルーだけは絶対にそんなことしない、なんて、一縷の希望を未だに捨てられないでいるあなたの姿は心の底から見苦しくて仕方ないわ。


 私を指さし、くすくす笑いながらそう言ったのは、いったい誰だったのだろう。



「フィオナちゃん?」

「っ、いえ。申し訳ございません、ニーナさま。……少し長い話になってしまうのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろん。ルースも陛下のところからすぐには戻って来られんやろし、いくらでも付き合うで」

「ありがとう存じます」



 私が心ここに在らずで考え込んでいたことにも、長話になってしまうことの断りにも、どちらも気にせず『構わない』と言ってニーナさまはにっこり笑った。


 ――綺麗なその笑みからほのかに感じ取れた警戒心に、他人から警戒されることに、好感情を向けられることよりももっとずっと安心できてしまう私は、きっと人として終わっているに違いない。











 ニーナさまの疑問に答えるには、まず、魔術の国における国王夫妻の結婚事情を説明するところから始めなければいけなかった。

 なにしろ、あの国での私の扱いに関するあれこれには国王夫妻の恋愛結婚というレアケースが大きく関わっており、この情報が知識としてあるかないか今後の話の飲み込み速度がずいぶん変わるのである。



(だってルーに説明した時がそうだったし)



 国王夫妻は恋愛結婚をしていたこと。

 王太子殿下は両親に憧れており、恋愛結婚にも強い憧れを抱いていたこと。

 だからこそ政略結婚の象徴とも言える婚約者、つまりは私のことを心底毛嫌いしており、ぞんざいに扱うのが常だったこと。


 ……順序だてて説明していくごとに、理解不能といった様子で首を傾げていたニーナさまの表情も真剣味を帯びてきたので、どうやらちゃんと話には着いてきてもらえているご様子。



(この様子なら、話を続けても大丈夫そう)



 心の中でそっと胸を撫で下ろし、説明を続ける。


 蛇蝎のごとく私を嫌う殿下の露骨な態度がやがて周囲に伝播し、使用人たちや、同年代の貴族の子息子女も私をぞんざいに扱うのが常になったこと。

 挙句、どうやら内心では息子の政略結婚を快く思っていなかったらしい国王夫妻までもが、私を雑に扱い始めたものだからさあ大変。敵対している革新派の貴族どころか、同じ保守派に属する貴族たちまでもが私を蔑ろにし始め、敵味方の括りが私の中で完全になくなってしまったこと――



「ご家族は? 娘がそんな仕打ちを受けとるんに、何も抗議せんかったん……?」

「母は物心つく前に死んでいましたし、父はわたくしに興味のない人でしたので」



 娘のことより仕事の方が大切なんです、と笑って言葉を続ければ、ニーナさまはしかめっ面で口をつぐんでしまった。

 何かを考え込んでいるようにも見えるけれど、はてさて実際はどうなのやら。


 とにもかくにも、そういった経緯と事情の積み重ねがあって『一国の王太子の婚約者でありながら扱いはクソほど雑』という私の立ち位置は確立された。


 そして、そこへ更なる追い打ちをかけるように、殿下と愉快な仲間たちがこぞって男爵令嬢の美少女ちゃんを寵愛する……という異例中の異例な事態が発生。

 ここぞとばかりに『これぞ真実の愛!』と主張する殿下が私との婚約破棄を国王夫妻へ上奏し、それがアッサリ受理されてしまったことで、実家からは勘当される羽目に。


 おまけに政治上の理由やらなんやらで『フィオナ・ボールドウィンに生きていられると都合が悪い』と考える人たちがごまんといるため、暗殺まで秒読みの事態に陥ってしまったのだと説明を続けた。


 ……ちなみに、そのまま婚約破棄もろもろのイベントが発生したのが学園(カレッジ)の卒業式の日であり、みすみす私が殺されるのは寝覚めが悪いとルーが亡命を勧めてくれたことまで伝えたところ。

 ずっと黙り込んで話を聞いていたニーナさまが何やらスススッと私に近づいてきたかと思えば、いきなりがはちょと抱きつかれ、ぎゅうぎゅう抱きしめられるという異常事態が発生した。は???



「……はっ?」

「……」

「あ、あの、ニーナさま……?」

「……る」

「はい?」

「フィオナちゃんはうちが守ったるから……ッ!!」

(なんて???)



 いやね、ずび、と鼻をすすりながら涙声で宣言するニーナさまに、思わず私が宇宙を背負ったのも仕方がない話だと思うの。

 何がどうしてそうなった??



「うっうっ、フィオナちゃんがいったい何をしたって言うんや……」

「強いて言うなら殿下に愛されなかったことでしょうか」

「そんなん向こうがお子様すぎるのが悪いんやろ!? そもそも結婚の自由がないって駄々こねるとかただのアホやん、王太子としての自覚なさすぎんねん! ちゅーか、そんなこと言うたらフィオナちゃんやって好きでお前と婚約したわけやないねんシバいたろか!!」

(ヒエ……)



 ワッと泣きながら、同時にギャンッと殿下への悪態を吐くニーナさま、控えめに言っても情緒不安定である。

 いや本当、さっきまでの警戒はいったいどこに行ったのか、というレベルで情緒のジェットコースターが激しい。


 手のひらクルックルというか、あの、さっきまでの警戒はいったいどこへ?

 いったいどういう心境の変化があったら、ほんの数分前までめちゃくちゃ警戒していた相手に抱き着いて、泣きながら『私が守る!』宣言することになるの?

 誰か5W1Hを用いてぜひ私に解説して欲しい。



(お、お、お願いだから助けて……)



 早く戻って来て、ルー。

 貴方のお母さん、さっきから様子がおかしいの。


 どうにか落ち着かせてくれと言われたけれど、やっぱり私の手には負えなかったわ。

 前世以上にコミュ障と陰キャを極めた私じゃ力不足だったの、おねがいたすけて。タスケテ……。



(――ああ、でも)



 彼女が発した言葉は、怒りは、どれも私の身にもおぼえがあるものだなと、すすり泣くニーナさまをおっかなびっくり宥めながらふと思った。


 どうして私がこんな扱いを受けなければいけないのかと、まだ、諦めることを知らずにいた頃。

 自分の身に降りかかる物事を理不尽だと考え、捉えて、周囲に自分の正当性を訴えていた頃に、そんなことを考えたこともあったっけ。


 私と殿下の婚約は、王位継承権の拡大を求める革新派に対し、現状維持を貫き通したい王家と保守派によって決められたもの。

 だから私は何も悪いことなんてしていなくて、政略結婚に関して責められるべきは私ではなく、私の父や国王夫妻であるべきだと考えて――殿下にもそう訴えたことが、昔は確かにあったのだ。



(まあ、結局『父上と母上がそんなことをなさるはずがない!』って殿下に逆ギレされるのがオチだったわけだけど)



 あの人、マジで自分の両親に対して夢を見過ぎじゃない?


 息子とはいえ一国の王太子の婚約だ、きちんと国王の承認がなければ決まるはずのない契約なんだから、陛下だって当然婚約の裏に隠された意義を理解した上での決定に決まっている。

 だというのに、私だけが悪しざまに言われるのはやはり納得がいかないというか。誰が好き好んで王太子との婚約をしたがるものかよと思うし、たいして交流もない父親にそんなくだらない我儘を言うわけねーだろと、こちらの方がキレ散らかしたい気分である。


 ……実際にはしないけどね? ほら、だって私は大人ですから?

 自分の結婚ひとつでギャーギャー言うようなお子ちゃまじゃありませんので?


 と、いうか――この件に関する諸悪の根源は国王陛下なのでは、というのが私の意見である。


 本来、そのあたりの説明は殿下の親であり、一国の王でもある国王陛下がキチンとしておくべきところ。

 なのに当の国王陛下はテキトーに説明を済ませていたようで、結果として殿下も私たちの婚約の意味をちゃんと理解していなかったのだと思う。


 まったく、後継者にはきちんと政治的事情を叩き込んで理解させておいてくれよと、陛下に対する失望ポイントが加算されたのは言うまでもない。



(王位継承権が拡大された時、一番困ることになるのは殿下だろうに)



 魔術の国において、王位継承権が認められるのは『直系卑属の男子』のみで、加えて慣例的に『長子相続制』が取られている。


 だから現在、王位継承権があるのは頭の中がお花畑な殿下しかいなくて、どれほど気乗りしなくても殿下を担ぎ上げるしかないわけだけど――革新派が求める『直系卑属の子』に継承権が拡大され、なおかつ『長子相続制』も廃止されることになれば?


 いくら王妃の子と言えどもポンコツ王子をいつまでも王太子に据えておく理由もなし、あっという間に魔術の国において初の王太女(・・・)が誕生することになるだろうね。

 側室の子なんて馬鹿にできないくらい、妹姫の優秀さは折り紙付きだし?



(……元気にしてるかなぁ、ドロシーさま)



 疎遠になって久しいお姫様を思い出して、私はそっと目を伏せた。











「………………なにしてるん?」

「た、たすけて……」



 お兄さんと話を終えて戻ってきたルーは、私とニーナさまの姿を視界にいれた瞬間、いかにもドン引き……といった様子で声を絞り出していた。


 それもそのはず、今の私とニーナさまの距離感はおかしいのだ。

 それはもう、大事なことなので二回言ってしまうくらい、とても、たいへん、おかしいのである。


 なにしろ私たちは今、同じソファにぴったり並んで腰かけているだけに飽き足らず、私はニーナさまによってひたすら頭をよしよしされているのだから……!


 しかもその上、私の態勢にちょっと問題があるというか、あの、……ニーナさまに頭をよしよしされるにあたり、こう、ぎゅっとね……?


 ……このままだと説明にらちが明かないので、今にも顔から火が出そうなくらいの恥を忍んで現状を言語化しますけれども、その、ニーナさまの胸元に私の頭? 顔? を引き寄せられておりまして、……豊満でたわわなニーナさまのお胸に私の顔がくっついてしまっているんですよね、ハイ。


 いくら同性同士だからってこれはアリなんですか?

 アリよりのナシ? キマシタワー?? いつの間に私はニーナさまルートを攻略していた???


 ……お察しの通り、私の頭の中は大混乱である。



「たすけて、るー……これいじょうはとけちゃう……ふやける……おねがいたすけて……」

「既にでろんでろんに溶けとるように見えるんやけど、間に合うか?」

「いまならまだもどれる、はず、……たぶん」

「たぶんて」

「もー。ルースばっかりフィオナちゃんと仲良うするのずるいわ~。うちとももっと仲良くしたって? お母さんって呼んでもええんやで?」

「ひぇ……」



 ニーナさまのお胸の柔らかくてふわっふわな感触だとか、ひたすら頭をよしよしされていることとか、こんな風に誰かに抱きしめてもらうのは記憶にある限りフィオナになって初めてなこととか、なんかもう色々情報と感情がせめぎ合ってぐっちゃぐちゃの酷い有様なので我が親友に置かれましては早急に私を助けてくださいお願いしますなんでもしますからぁ!


 未知の感覚に恐々としつつ、むしろ若干半泣きになりつつ、ニーナさまの腕の中でぴるぴる震えながら私はルーに助けを求めて手を伸ばす。

 けれどもルーが私の手を取るより早く、ニーナさまがむぎゅっと私の顔を更にたわわに押し付けるものだから、ぽよんと柔らかな弾力に……あの……わたし、溺れ、ぶくぶく……。



(はわ……)



 ――とまあ、そんな現実逃避(おふざけ)はさておくとして。


 ニーナさまの腕の中は本当にあったかくて、やわらかくて、とても良い匂いがする。

 ここにいたら怖いものなんて何もないんじゃないかって、そんな錯覚すら覚えるくらい、言いようのない底なしの心地よさがあった。


 それくらいニーナさまの腕の中は居心地が良くて、冗談抜きに離れがたいものがあったのだ。

 この腕の中にずっといられたら、それはなんて幸せなことなんだろうって、私は本気で思ってしまっている。


 でも……ずっとここにいられたらと、そんな甘い誘惑に駆られる理性をぎりぎりのところで引き留めているのは、本能にも似た情動だった。

 もしここで身を委ねて甘えてしまったら、本当に、私は二度と立ち上がれなくなってしまうんじゃないかって、そんな恐怖心がぎりぎりの瀬戸際で私を繋ぎとめている。


 今まで培ってきたものも、積み重ねてきたものも、この腕に抱かれ続けることを選んだ瞬間に何もかも全部壊れてしまって。フィオナ・ボールドウィンとして生きてきた人生そのものがなくなってしまうんじゃないかって、そんな根拠のない不安と恐怖でいっぱいになってたまらない。



(こわい)



 あたたかいのが、やわらかいのが、心地いいのがこわくて仕方ない。


 だから一刻も早くここから抜け出したくて、私はもう一度、ルーに向けて手を伸ばし――



「あんま俺の友達を虐めるの、やめてくれん?」

「ルー」



 ぐい、と少し乱暴に腕を引かれて、ニーナさまの腕の中からわたしはやっと抜け出せた。


 そのままぽすりとルーに受け止められた私は、彼の背中にすすすっと避難すると、再び捕獲されないようルーのジャケットを掴んでぴったりとくっついた。

 ……もちろんお行儀が悪いのは百も承知だけど、それ以上にニーナさまにまた捕獲されることの方が恐ろしく、とにかく私は今にも崩れそうな自分を繋ぎとめることに必死だったのだ。


 ぐちゃぐちゃの思考を、感情を、一刻も早く落ち着かせなければと、いつも通りの私に早く戻らなくちゃと、その一心で。



「もう。いじめるだなんて、母親相手に人聞き悪すぎとちゃう?」

「文句が言いたいならフィーの様子を見てから言ってくれん?」

「……え、うそ。なんでうち、こんなに怖がられとるん?」

「知らん」

「おかしいなぁ……。うちはただ、フィオナちゃんをぎゅってして頭撫でただけなんやけど」



 困り顔で会話する母子(おやこ)のことなんて、ちっとも意識に入らなかった。






   × × ×






「なぁ、ルース。……フィオナちゃん、どう過ごしたらあんな風になるんやろ」



 明らかに取り乱していたフィーをソファで休ませる間に、俺たちは夕飯の支度にとりかかることにした。


 母さんと台所で肩を並べるのは魔術の国へ留学へ行って以来、初めてのことで、なんとも懐かしい感覚がする。

 そんなことを考えながら、料理に使う野菜の皮をするすると包丁で剥いていれば、思い悩んだような顔で母さんがポツリと呟いた。



「……うちな、ホンマにあの子のこと、抱きしめて頭を撫でただけなんよ」

「そもそもなんでそんなことしとったん?」

「フィオナちゃんがこの国に来るまでの経緯とか、あっちの国でどんな風に過ごしてたかとか、そういう話を聞いとった」

「ああ……」



 母さんの言葉に、それならまあ、ああなっても仕方がないんやろうなと納得した。


 なんせフィーはかつての、あるいは今の俺と母さんが二人で耐えて乗り越えてきたことを、ずっと独りで踏ん張って耐えてきたんやから。

 それを知った母さんが、震えることしか知らなかった小さな頃の俺にしたように、大丈夫やからと――よう耐えたと褒めてフィーを抱きしめる様子は、簡単に瞼の裏に思い描ける。

 ……実際、俺が兄貴のところから戻ってくるまでの間、行動に移していたようでもあるし。


 そしてそれは、恐らく同情が理由と言うよりも、在りし日の自分たちを見ているようで放って置けなかった……というのが、母さんの行動の理由として正しい気がした。



「悲しいし、可哀想や」



 フィーに聞こえないように気遣ってか、ことさら小さな声で母さんは言う。

 包丁を握る手に落とした視線は、痛々しく、苦みを孕んだものだった。



「誰かに優しくされることに慣れてない、とか、フィオナちゃんの反応はそういうレベルの話やないんよ」

「……」

「なんであの子、あんなにうちに怯えとったんやろ……」



 しょぼ、と母さんの耳が垂れ、力なく尾が揺れている。

 それだけフィーに怯えられたのがショックで仕方ないらしいが、まさか、自分の母親ながらこうも早くフィーに気を許すことになるとは予想外やった。


 人間と獣人、種族は超えても同族意識と言うのはきちんと芽生えるらしい。……なんて言うたら『そんな血も涙もない息子に育てたおぼえはあらへん!』と耳か頬を引っ張られそうなので、そこは黙っておくことにして。



「たぶんやけど、別にフィーは母さん相手に怯えてるわけとちゃうで」

「ほんまに?」

「おん。……フィーはずっとひとりっきりやったから、そもそも誰のことも信じとらんし、誰に対しても気が許せへんヤツやねん。せやから別に、母さん相手やなくとも、いきなり優しくされたらあの反応になると思う」

「……ルースの時もそうやった?」

「……いや、俺はちょっと特殊やったから」

「ずるい……」



 母さんの胡乱な視線からそっと目を逸らすと、途端にそれは恨みがましい目になった。


 でも、仕方ないもんは仕方ないやろ?

 俺らはそもそも愚痴で意気投合したところからのスタートで、ゆっくりじっくり距離を詰めていったから、母さんとは出会い方からして大違い。


 しかも今、フィーには既に俺という友達がいるわけやから、二番煎じをしたところで俺と同じくらい親しい間柄にはなれっこないのだ。



「とにかく――フィーはそういうヤツやから、あのまま放っておいたら、俺の知らんところで勝手に自爆して死にかねんところがあんねん」

「は? 自爆?」

「俺もまだ完全に理解が追い付いとるわけやないから、フワッとした説明になるけど……なんでも、あっちの国では死体が残っとると色々ヤバいんやって。その関係で、自分の死体を好き勝手されんように、身体が木っ端みじんになるように死ななアカンってフィーのヤツ、本気で考えててん」

「……魔術の国って闇深すぎとちゃう?」

「貴族なんて大概そんなもんやろ、っちゅーのがフィーの主張やけど」



 そんなわけないやん、とドン引きしながら絶句する母さんには素直に頷いた。


 ……フィーはよく、俺の感覚が色々おかしいとかなんとか言ってくるけど、俺からすればフィーの感覚の方がよっぽどおかしいと思うわ。

 そりゃあ、まあ、俺も普通の王侯貴族の感覚からだいぶズレとる方やとは思うけど、『暗殺? ええで、そんなら先に自爆したろ!』って思考に走るフィーほどおかしくはない、はず。


 ……たぶんな、たぶん。

 フィーみたいに、俺にも自覚しとらん部分がある可能性のなきにしもあらずやから、そのあたり断言はせぇへんよ。



「つまりルースは、フィオナちゃんを死なせんために連れて来たんやね」

「……フィーはそう説明せんかった?」

「ニュアンスがちょっと違ったけど、おおむね同じ内容やったと思う」



 その、『ニュアンスが違う』という部分が俺からすれば不穏でしゃーないんやけど、どうやら母さんはあんま気にしとらんらしい。


 そういう『結果が良ければ細部は少しくらい目をつぶる』みたいな、大雑把なところは母さんのええとこでもあり悪いとこでもある。

 そのせいで、過去の俺が何度、生死の境をさまよう母さんの姿に肝を潰される心地になったことか。


 はぁ、と俺が深いため息をつきながら菜っ葉を刻んでいると、不意に母さんはニコリと機嫌よさげに笑って。



「でも、うん、ルースの口から直接聞いてようわかったわ。……ルースはあの子のこと、ほんまに大事に思っとるんやね」

「……そら、フィーは俺の友達やし」



 にこにこ笑う母さんにボソリと返せば、ますますその笑みは深まって、楽しそうに――あるいはどこか、嬉しそうにくすくす笑っている。

 その笑みに俺はなんだかいたたまれない気持ちになり、あんまり子どもを揶揄ってんとちゃうぞ、と無言で抗議の圧をかけた。


 ……いや、まあ、男が女に口で勝とうって考えるんがそもそも間違いなんやけどな?

 ましてや腹痛めて、命懸けで産んでもろた子どもが母親相手に勝つこと自体、めちゃくちゃ難しいんやけどな?

 それはそれとして抗議のひとつやふたつ、子どもやからしたくなることもあると思うんやわ。



「うちらでめいっぱい、大事にしてあげんとね」

「……おん」



 母さんの言葉に当然だ、と頷く。


 フィーはもう、あっちの国で頑張りすぎた。

 俺と母さんが二人でなんとか凌いできたレベルのことを、フィーはずっと独りで耐えて来て。自分をすり減らして、辛いことも苦しいことも、当然のものだと思うことでしか自分を守れんかった。


 ……父親も、婚約者も、誰もフィーのことを守ってくれないから、そうするしかなかったともいうんやろうけど。

 どっちにしても結果は同じやし――それらが降り積もって、積み重なって、結果的としてフィーは他人に優しくされると怯えてしまうほどに、俺以外のことを信じられんようになっとることにはなんも変わりあらへん。


 ……フィーに俺だけが心を許されて、俺だけが頼られとるって現状は、正直、手放しがたく思う気持ちも少なからずある。


 だってフィーは俺のはじめてのともだちで、ゆいいつのともだちなんやから。


 とにかく彼女を死なせたくない一心で、俺にとことん甘いフィーの優しさに付け込んで丸め込んで攫ってくるくらいには、俺がフィーに抱く友情が歪んで捻じ曲がっている自覚はある。

 だから、そう、フィーと俺の二人っきりで生きていけるならそれも十分ありやなと思うし、むしろ本当にそうなったらええのになと夢見るくらいには、俺の友情は行き過ぎたものだ。


 けど――ずっとこのままでいて、俺の目が届かんところでフィーに何かあったらと思うと、そっちの方が辛抱ならんかった。

 せやから、万が一、億が一にもそうならんように、せめて母さんのことだけでも信じて頼れるくらいにはなって欲しいと思う。


 俺がフィーの悩みを全部わかってやれて、取っ払ってやれたらいいけど、女特有の悩みとか言われたらどだい無理な話や。

 その辺、母さんならきっと理解して寄り添ってくれるはずやと思うし……そもそもどこぞの知らん女が、フィーに俺よりも優先されるようになるかもしれんとか、想像しただけで怖気が走る。


 というかいっそ縊り殺したなるから、そんな可能性が実現する前に、打てる手はチャキチャキ打ってかんとな。うん。



(……お)



 ふと視線を上げれば、ソファの上で小さくなりながら、俺たちの様子をフィーはじっと観察していた。

 ひらりと手を振れば彼女はたちまち破顔し、同じように小さく手を振って返してくれる――が、母さんに見られていることに気付いた途端、ガチッと引きつった笑みを浮かべて硬直してしまった。


 まるで小さな子どもが人見知りしている時にも似たその行動は、普段のフィーを知る俺からすれば、ひどくちぐはぐに目に映る。


 ……けれど、そんなフィーに俺が感じるのは見苦しさではなく、無性なまでのかなしさで。

 今のフィーを見ていると、俺は、不思議と胸が痛くて仕方がなかった。

Tips! 【チェロフォビア】

幸せ恐怖症のことで、チェロフォビアの人は過去のトラウマ等の経験から、自身が幸福になることを意識的・無意識的に避けたがる(避けようとしてしまう)。ちなみに綴りは「Cherophobia」。

現在のフィオナの行動理念は「ルースが幸せになること」なので、自分がどうこう、というのはあまり考えていない。もし自分を主体に置いて物事を考えた場合、(今の精神状態だと)自爆まっしぐらになってしまうため、現状維持が最善手。






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