突撃!隣の百獣の国
さて、そうと決まれば善は急げ。
感傷に浸る暇もなく、私たちは早々に失踪すべく動き出した。
……いや、まあ、厳密に言えば、この国の人間にとって私の逃亡ないし亡命は『悪』にあたるのだとわかっているけれど。
自分が生まれ育った国に対して愛国心もなければ愛着もない私からすれば、そんなの知ったことか、というのが正直なところで。
世界にたったひとり、私が生きることを望んでくれる唯一無二の友人のために生きることが、今の私にとっては唯一絶対の『善』。
そんなわけで、親愛なる(笑)魔術の国の皆々様におかれましては、せいぜい私の失踪にてんやわんやになってくれよな!
「着の身着のまま逃げた方が失踪っぽい?」
「確かに……いや、やめとこか。フィーがさっき教えてくれた黒魔術? の足掛かりになりそうなモンはなるたけ残したない」
「じゃあ、荷物の回収と部屋の整理だけしておこうか。二手に分かれて――」
「俺はもう馬車に乗るだけやから、寮の傍まで一緒に行くわ」
「そうなの?」
「卒業パーティのあと、そのまま帰国の予定やったからな」
マ、ボディガードみたいなもんやと思ってくれればええから。
そう言ってルーはにこりと綺麗に笑うけれど、……親友の私にはわかるぞ。
その笑顔は警戒心マックスの時の、いわゆる臨戦態勢みたいなものだろ? そうなんだろ?
だって君、この国に来たばかりの頃はずっとそんな顔してたし、私の推測はあながち間違いでもないはずだ。
実際、ルーのまとう雰囲気が普段よりもピリッとしているし、どんな小さな物音さえ聞き逃しまいとするように狐耳がピンと伸びていて、周囲にかなり気を配っているのがよくわかる。
ボディガードみたいなものだと先ほど言っていたけれど、決して方便なんかではなく、ルーは本気でそのつもりでいてくれるらしい。
……うーん、魔術的なあれやこれやなら私も自分で対処できるけれど、物理で来られたらさすがに不安だったので、ルーがボディガードをしてくれるなら正直めちゃくちゃありがたい。
この国の人間が魔術に特化しているように、彼の国のひとたちは皆、身体能力が非常に優れている。
だから万が一、人間の暗殺者が私に差し向けられたとしても、きっとルーなら簡単に一捻りしてしまえるだろう。
いやはや、本当に頼もしい友人だなぁ……。
「……ボディガードなら、ルーも寮の中も入れた方がいいか」
「いや、それはさすがにアカンやろ? というかそもそも無理やし」
いざ女子寮の近くまで来たところで、ふと思いついたことを口に出せば、すぐさまルーからツッコミが入った。
ルーの反応は至極真っ当なもので、こんな時でもなければ、私だってその通りだと赤べこのように頷いていたと思う。
(でもほら、今は緊急事態だし?)
私の身の安全の確保的な意味でも、精神的な安定を図る意味でも、あまりルーと離れない方がいいんじゃないかと考えるわけですよ。
――というわけで、
「やろうと思えばできるよ」
「え」
「隠匿の魔術がある」
ここで登場したるは過去の魔術書を参考に私が編み出した隠匿の魔術。
いわゆる透明化の効果を持つ魔術であり、これさえあれば王城の図書室にある禁書の棚だって読み放題の優れもの。
とはいえ、とびきり勘の鋭い人とか、魔術師としての力量が私を凌ぐ人が相手だと誤魔化しきれないので、完全な透明化とまではいかないんだけど。
ソースは革新派筆頭の公爵閣下である。
「いかにも犯罪者向けの魔術やん」
「大丈夫、今はもう私しか使えない魔術だから(たぶん)」
絶句するルーにグッとサムズアップして、悪用の心配がないことを告げておく。
なお、『私しか使えない魔術=私が悪用しない限り無害な魔術』というなんともガバガバな等式なのだが、「それならええか」とアッサリ納得するあたりルーの判定もかなりガバガバである。
(……あるいはもしかしたら、私に甘いだけかもしれないけれど)
こういう自分たちさえよければそれでいい、みたいな考え、国を背負う立場に近しい私たちが本来するべきじゃないことはわかっている。
でもほら、人は自分を映す鏡と言うし、先に私を蔑ろにしたのが悪かったと思って、この国の人たちには潔く諦めていただきたいところ。
ノーリターンで身を粉にして、それこそ齢一桁の頃から過労死レベルで働けと言われたら、そりゃあ誰だって愛想を尽かすに決まっているのだ。
むしろこれまで、十年以上にも渡る長い間、耐え忍んで従ってきたことを感謝してくれてもいいんですよ? みたいな。
……。
……、……。
……なんかもう色々と吹っ切れすぎて性格クズが隠せなくなってるな。
もうちょっと猫を被る努力をしようね私さん。
「で、俺はどうすればええ?」
「少し手を貸して欲しい」
「手?」
「うん。手のひらに、こう、えいって」
「魔術かけるってことか」
「そう!」
「魔術かけた方の手が不自由になるとかあるか?」
「少なくとも私は感じたことがないけど……念のため、利き手はやめておこうか」
「せやな」
というわけで、ルーの右手をさっそく拝借。
私の左手の人差し指に身体の中で循環する魔力を集め、彼の手のひらにいそいそと魔術の行使に必要な文字を書き込んだ。
……『こういうのって普通は魔法陣じゃないの?』と訊かれそうだし、実際、この世界では魔法陣の方が主流だけど。前世にはルーン文字なんてものがあったくらいなので、文字じゃいけないってことはないはずだと、私はもっぱら文字を使っている。
今のところはまったく不便はしていないし、むしろ私はこちらの方がよっぽど魔術を使いやすいので問題はない。
ちなみに今しがた書いたのはくずし字で『隠』の一文字。
『そのまんまじゃん!』なんてツッコミが聞こえてきそうだけど、こういうのは文字自体にきちんと意味があることが大切なので、むしろそのまんまなのがいいのである。
魔法陣だって、結局のところ魔術と紐づけられた固有の図形なのだし。
……あ、でも、くずし字にしているのは単なる文系の趣味で、その点に関して深い意味はありません。悪しからず。
「これでホンマにバレずに入れるん?」
「学園レベルなら余裕。ほら、早く行こう」
これから失踪する予定なので、もちろん自分にも隠匿の魔術をかけてから、私は堂々と寮内に足を踏み入れた。
一方、ルーは半信半疑の様子でたたらを踏んでいたけれど、私が目の前を通ったことに気付かない管理人の姿を見て安心したらしく、その長いコンパスを存分に使って私のあとをついてくる。
……ただ、それでもやっぱり女子寮に侵入するのは気が引けたのか、普段よりも距離が近かったのは(なんか可愛いから)指摘しないでおこう。
私は殿下たちと違って気遣いのできる女なのだ、ふふん。
「私の部屋はここ。個人部屋だから中に入っても良いけど、どうする?」
「フィーは俺を信じすぎとちゃう?」
「だってルーだし」
「なんやねんその理屈!」
私の即答に対し、思わず、といったようにルーは失笑した。
……その直前、何やら恨めしげな視線を向けられたような気もするが、そちらに関しては特にこれといった心当たりもないので華麗にスルーをキメておく。
こういう図太さも時には大事だよね、ウン。
大体、ルーだってなりふり構わず『フィーに生きてて欲しい』なんて言ってくるくらいなんだから、私が『ルーになら何をされても許せる』と思っていたって何もおかしくないはずだ。
というかむしろ、お互い様まであるんじゃない?
私だって、もし今の私のような立場にルーがいたとしたら、何が何でも……それこそ黒魔術に頼ってでも、ルーを守ろうと躍起になるに違いない。
「まあ、入り口で待つならそれでもいいけどね。すぐに終わるから」
「少しくらいゆっくりでもええよ? 早いとこ逃げなあかんのは確かやけど、淑女の仕度には時間がかかるもんなんやろ?」
「ううん、平気。……見ての通り、私もそんなに荷物があるわけじゃないんだ」
へらりと笑いながら寮室のドアを開ければ、そこに広がっているのは年頃の少女らしく小物や雑貨で飾られた部屋……ではなく、閑散としたなんとも味気ない部屋だった。
調度品は必要最低限、最初から備え付けのものしかないし、実家から持ち込んだ私物もごくわずか。
それすらも学業に必要なものばかりなので、室内を明るく彩るほど華やかなはずもなく。せいぜい、『この寮室を誰かが使用しているらしい』と察することができるレベルのシロモノだ。
――もっとも、それさえなければ『誰も使っていないはずなのに異様に整理整頓され、掃除の行き届いている妙な部屋』として訪問者に気味悪がられることになるのだろうが。
ちなみに衣類やアクセサリーについては、果たして侯爵令嬢としてこれでいいのか? と疑問に思うくらい申し訳程度の持ち合わせしかなく、トランクひとつに簡単におさまってしまう量である。
どうせ持っていても箪笥の肥やしにしかならないから別に構わないけど(出かける余裕はどこぞの元婚約者のせいで皆無であり、必然的に必要なかった)、ここまでくると本当に父は私に興味がないのだなとしか思えない。
よそのご令嬢が記念日や学内行事にかこつけてドレスを仕立ててもらった、と話しているのを聞くと、いっそうその考えが深くなる一方で――あの人はきっと、私個人のことはもとより、王太子の婚約者という立場にさえ興味関心がないのだろう、なんて。そんな風に思ったりもする。
(だってあの人、王太子の婚約者として必要最低限の見栄すら、私に張らせる気がなかったんだもんなぁ……)
仕事ばかりでちっとも帰ってこないからと、困った挙句に手紙を通じて談判した時の返事を思い出して内心『へっ』とやさぐれる。
……あー、ええと、あの時の手紙にはなんて書いてあったんだっけ?
確か、『身なりに気を遣う暇があるなら黙って王太子に尽くせ』、『身を粉にして働け』、『そのために必要なものならやむを得ないから買いそろえてやる』――とかなんとか?
礼儀として一応、返って来た手紙は最後まで読んだけど(だからこそフワッとでもこうして内容を思い出せたわけだし)、それが親の言うことか? と失望して、父親への愛情が更に擦り切れたのは言うまでもない。
……まあ、元々家に寄り付かないで仕事ばかりしていて、ごくごくたまに帰って来たかと思えば、あーだこーだと口出しばかりしてくるあの人に愛情も愛着もないんだけどな!
そもそも、親子としての信頼関係がマトモに構築されていない相手に愛情も何もないよねっていう話である。
正直、『君の父親が亡くなったよ』といきなり連絡が来ても、ふーんの一言で済みそうなくらい、私には今生の父親に対する情の持ち合わせがないのだった。
そして、その点に関しては、王太子に対しても同じようなものだなぁと思う。
蛇蝎のように嫌がられ、嫌われているのなら、いっそ最初から何も感じないでいる方がずっと楽なのだから。
恋だの愛だの、そんな不確かで曖昧なものに縋って期待するより、ビジネスパートナーとして事務的で無難な付き合いをするくらいがちょうどいい。
……いや、肝心の王太子はビジネスパートナーとしても遠慮したいくらい、悲しいほどに頭の中がとびきりのお花畑の御仁なのだが。
……まったく、本当に私の人間関係ガチャはどうなっているんだ! と仕組んだヤツに小一時間くらい問いただしたい所存。
本当、ルーというレア度SSRな友人と出会えていなかったら、私は既にお城の塔からアイキャンフライしていただろうなーと思うくらいの酷い引きである。
そして、それだけにルーの存在が非常に輝いて見えるのは言うまでもない。
ガチャを数百回まわして、ほとんど低レア(しかも性能はゴミ)ばかりの中、ようやく引けた最高レア(それも神性能の最推し!)くらいには輝いて見えるので、いかに私にとってルーの存在が大きいかよくわかってもらえるはず……。
……え? 『俗っぽいたとえすぎて逆によくわからない』?
うーん、私としてはこれ以上ないくらいの例だったんだけどなぁ。残念……。
「……フィー、この部屋は」
「私物がないのは元々だし、整理整頓と掃除を徹底してるのは黒魔術対策の結果」
おそらくは、物のなさに絶句していたのだろう。
部屋の中を見た瞬間、黙り込んでしまったルーがおもむろに問いを投げかけて来たので、淡々と事実を並べて答える。
「さっきも少し話したけど、黒魔術の基本はさ、黒魔術をかけたい相手に紐づく痕跡を使うことなんだよ。それは例えば血や髪の毛だったり、ベッドに残った皴の跡であったり、土に残る足跡だったり、候補になるものは色々あるけど――中でも、身体の一部であったものを使えば黒魔術は特に強い効果を発揮する」
「……黒魔術に人体の一部を使えば、人を殺すことだってできる?」
「うん。だからこそ、この国の貴族の子息子女は大抵、黒魔術対策に身の回りの整理整頓や清掃の術を叩きこまれて育つんだ。そして、対策を徹底している人ほど、私室に使用人を立ち入らせずに自分で掃除をする。当然だよね? 使用人が実は敵対勢力に送り込まれた密偵で、黒魔術をかけるために抜け落ちた髪の毛を持って行かれました……なんてことになったら、最悪死んでしまうわけだし」
「なるほどな。フィーも、いくら不仲とはいえ王太子の婚約者やったわけやし、その辺は徹底せなアカンかったっちゅーわけか」
「それもあるけど……」
「それだけやないんか?」
「うちは母様が黒魔術で呪い殺されてるから、余計にね」
母は王家から降嫁されたお姫様だったというのに、首謀者はよーやるわ。
そんな風に他人事の反応しかできないのは、母が殺されたのは私が生まれた直後の話で、この身体に物心がつく前の出来事だったからだ。
私の意識がハッキリしたのも物心ついた頃だったので、当然、母に関する記憶なんてものは存在せず。何故か乳母に育てられているし、肝心の両親の姿が一向に見えないしで、あの頃は自分を取り巻く環境がてんでわからず混乱したものだ。
いやぁ懐かしい、そんなこともあったわ。
(まあ、父親はその頃から一ミリも変わってないわけですが)
ルーとあれこれおしゃべりしているが、もちろん部屋を出て行く準備は並行して進めている。
卒業パーティは規則で制服での参加と定められているので、特に着替える必要はなし。
私もルーと同じく、パーティのあとはすぐに寮を出るつもりでいたため、荷物はトランクの中に片付けてあるから追加で片付けるものもない。
(ああでも、部屋を出る前にかけた魔術だけは解いておかなくちゃ)
わざわざ次にこの部屋を使う住人のために残す必要もなかろう、と考えて、室内にかけていた魔術を解除していく。
人払いの魔術に、侵入者や害あるものを弾くための魔術、それから常に清掃が行き届いたまっさらな状態を維持するための魔術。
どれもこれも、必要とあらば次の住人が自分でかけるだろうし、魔術の痕跡もできれば残したくないからね。後処理もしっかりしておこう。
「おまたせ」
「……」
「……ルー?」
「なんでもあらへんよ?」
魔術関連の片付けまで終わらせ、トランク片手にルーに声をかければ、彼は難しい顔をして何かを考えこんでいる。
もし気がかりなことがあるようなら、国を出る前に後顧の憂いを断っておくべきなのではとも思ったのだけれど、結局、彼は何も言わずにニコリと笑った。
……明らかに『なんでもない』顔じゃないんだよなぁと心の中では思うものの、ルーが『なんでもない』と言うなら追究はしないでおこう。
彼のまとう雰囲気的に、これは無理に聞き出さなくてもなんら問題のない話のような気もするし。
(ちょっぴり笑顔に謎の圧も感じるし……)
「準備できたんやろ? ほな、見つかる前にとっとと逃げよか」
「……荷物くらい自分で持てるのに」
「アホ。こういう時は素直に甘えるもんやで」
抱えていたトランクをさらっと取り上げられ、思わずジトッとした目を向けてしまう。
そんな私にルーは悪戯が成功した子どものように笑って、寮の外へと足を向けたのだった。
+ + +
さて、そんなこんなで馬車に揺られること数日。
ルーの故郷である百獣の国へ、とうとう私は足を踏み入れた。
……え、何、いかんせん省略しすぎじゃないかって?
いやでも、たいして話せるようなこともないので仕方がないかなと。
しいて言うなら、馬車に乗る時にルーに対する態度が悪い御者さんとちょーっとオハナシさせていただいたくらいのものだし。
魔術の国までわざわざお使いに来る以上、御者さんもさすがに王太子の婚約者の顔は知っていたようで、笑顔で圧をかけたら冷や汗だらだら流してたよね。
まあ、それもこれも私と王太子の婚約が白紙になった件や、貴族籍から除籍されて国外追放の処分を受けた話を知らないからこその反応だったわけなのだけど。
いやはや、殿下のポンコツっぷりが巡り巡って私の利になるのは大変気分がよろしい。
私に向けた悪意が全部裏目に出てるあたり、最高に愉悦としか言いようがない。
悪役令嬢(仮)は受けた仕打ちを根に持つのである、……なんちゃって。
とにかく、そういった経緯があったので道中はかなり快適に過ごしていた。
嫌われ者の第二皇子が友好国の王太子の(元)婚約者を友人として引き連れてやってきた、というのは御者さんからすれば目が飛び出るほどの異常事態。
とにかく私相手に粗相しないようにと過剰なまでに気を遣ってくるし、私とルーの仲の良さは最初にきちんと教えておいたので、ルーに対する応対もちゃんと王侯貴族に対するものだったかなと思う。
ちなみに、肝心のルーはというと、御者さんの丁寧な応対に『ナニコレ気持ち悪ッ』という雰囲気が全開だった。
……いや、うん、本当はこれが普通なんだけどね?
君の感覚が麻痺してるのと、御者の態度がおかしいだけなんだからね?
そんな話を懇々と私はしたわけだけど、
「? フィーがあの国の城の使用人たちから受けとった扱いとそう変わらんやろ」
……そんなルーの一言に閉口したのは言うまでもない。
なんせ私にも盛大なブーメランだってこと、指摘されるまですっかり忘れていたので。
まあ、自分のことなんて別にどうでもいいし、ルーの方がよっぽど大事だから仕方がないよねってことで、ここはひとつ。
(それにしても――)
なんというか、つくづく私たちって祖国での扱いが酷いんだなって。
噛みしめるように何度目かの自覚をして、私は思わずしょっぱい顔になってしまった。
私もまあまあロクな扱いを受けていないと思っているけど、ルーもルーでなかなかというか、言葉を選ばなければかなり酷い。
私はほら、私一人だけで済む話だから別にいいよ?
でも、ルーの場合はルーのお母さんもそういう扱いを受けているみたいだし。
もっと言うなら、狐の獣人……百獣の国では狐の氏族と呼ぶらしいけど、狐の氏族全体の扱いがあまりよろしくない、らしい。
その中でも、ルーとルーのお母さんは王家に連なるからこそ、余計に辛く当たられているとかなんとか。以前、ルーがそう話していたことをふと思い出した。
ちなみに、どうして私がそんな会話を思い出したかと言えば。
「さ、着いたで。フィーの家に比べたら小さい・ボロい・みすぼらしいの三拍子かもしれんけど、許したってな」
「建築様式が違う建物を簡単には比べられないし、そもそも一国家の宮殿の離れと一介の貴族の屋敷を比べようなんておこがましいと思うんだけど……?」
ルーの実家――もとい、百獣の国の宮殿の離れへ到着したからだったりする。
魔術の国はザ・ヨーロッパという趣の国なので西洋風のお城、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城のようないで立ちをしているけれど、百獣の国の宮殿は違う。
こちらの国はいわゆる東南アジアに似た風土や文化を持つ国なので、宮殿の造りも『高い』と言うより『広い』構造をしている。
建物の塗装もカラフルというかビビットな感じで、ちょっとした意匠から感じられる懐郷と異国情緒が混在する建物だ。
……しかしまあ、そんな宮殿の中でもこの離れは色味が落ち着いているし、少しこぢんまりとした印象を受けるのは確かだ。
離れだからなのかもしれないけれど、うん、前世日本人の私としてはこれくらいくすみんだ色合いの方がホッとするものがあるな。
ルーも『小さい』なんて言うけど、それでも地方の田舎にある旧家のお屋敷くらいの広さはありそう。
かつての私が好きだった映画をぼんやりと思い出しながらそんなことを考える。
――本来であれば。ルーもルーのお母さんも、王族の一員として宮殿の方で暮らしているのが普通である。
けれども二人がこうして宮殿の離れで、使用人も雇い入れずに自立した生活を送っているのは、ひとえに狐の氏族への迫害が原因であるという。
ルーがまだ小さかった頃……ルーの父親である前の皇帝が崩御し、ルーのお兄さんが皇帝として即位したばかりの頃、彼らへの風当たりは特に酷かったらしい。
使用人たちや王宮に出入りする他の氏族の重鎮たちからの加害行為が激しく、未遂に終わったとはいえ暗殺されかけたことも一度や二度の話ではなかった。
そういった経緯からルーとルーのお母さんは離れでの自主隔離生活を奏上し、ルーのお兄さんはそれを受諾。
二人の生活が脅かされないよう、心穏やかに暮らせるよう、腹違いの弟たちを守るためにあれこれ手をまわしてくるているんだとか。
(その話だけ聞けば、お兄さんはルーたちを大切にしているとも取れるけど――)
聞く側の捉えようによっては、お兄さんはルーたちが逃げ出さないよう徹底して監視しているだけとか、いくらでも悪い風に解釈することもできるわけで。
兄弟二人が揃っているところをきちんと見たことがない以上、お兄さんに関するあれこれはいったん保留にしておこうと思う。
なにしろルーはお兄さんのことをあまり話したがらないから、情報が少なすぎて本当にルーの味方なのか、それとも本当はルーをほかの氏族たちのように疎んでいるのか、判断するための材料があまりにも少なすぎるのだ。
……悲しいかな、私たちのような人種は他人からの好意を警戒してしまい、素直に受け取ることができないのがデフォルトなので。
小さい頃からたくさんの悪意に晒されているばかりに、ルーがお兄さんからの掛け値なしの好感情を受け取ることができていないだけ、という可能性も十二分に有り得るのだった。
「ねぇ、ルー」
「?」
「すごく今更なこと言ってもいい?」
「何が?」
「私が突然お邪魔したら、ルーのお母さまにものすごく迷惑だよね……」
「……まあ、別に大丈夫やろ?」
「反応が軽い」
「いやだって、留学中に手紙に向こうで友達できたって書いて母さんに送ったら、次の返事の文面がえらいことになってん……」
「え」
「テンション上がりすぎてて、文章なんかもう支離滅裂もええとこでなぁ。フィーの都合さえ合えばこの国に招待せぇって、手紙の返事が来るたびに催促されとったんやわ」
「えええ」
だから大丈夫やろ、とのんきに構えるルーに困惑。
……いや、うん、そんなことを言い出すくらいなら、最初から亡命なんて考えてんじゃねーよって話になるんだけど。それでもこうして、変なところで開き直れずにあれこれ気にしてしまうのは前世からの性なのでやむを得ない、というか。
三つ子の魂百までって言うからね、前世の記憶を引き継いでニューゲームしてる以上は諦めるしかないのだ。
なお、魔術の国にいた頃もこの性分はもちろん発揮されており、王太子の代わりに執務をこなし始めた頃に『せめて筆跡だけでも殿下に寄せておけば誤魔化しが効くかも……』なんて考えたことがあったのだが。殿下の筆跡があまりにも汚すぎて、この筆跡を真似したら業務に支障が出る! と早々に断念した過去がある。
……そりゃあね? 読むのが自分だけなら、自分だけが読めればいいんだからどれだけ汚い字でも癖のある字でもいいけどさ。
仕事の書類って他人に読ませるものなんだから、自分にも他人にも読みやすい字で、読解しやすい文章じゃなきゃ駄目でしょって話よ。
特に魔術の国にはタイプライターすら存在しないから綺麗な字を書けなきゃ仕事が滞るだけだし、二つも三つも解釈のわかれる文章を書いたら政敵に悪用されかねないので、その辺は意識しなくても実行できるようになるまで徹底した。
(結果的に、婚約者の越権行為として婚約破棄の理由に使えたんだから、世のなか何があるかわからないなぁ)
要は殿下の筆跡は今でも汚いし、文章の構成もド下手くそってことなんだけど!
仮にも一国の王太子がそれで本当に大丈夫なのかよ……。
閑話休題。
そんなことより肝心なのは、どうやらルーのお母さんが私と会うのを心待ちにしていたらしい、ということ。
ルーが一体どんな風に手紙に書いていたのかはわからないけど、息子にとってのはじめての友達ということは、ルーのお母さんの中でのハードルもぐんぐん上がっているんじゃないか? と私は内心、冷や汗がだらだらである。
しかもルーのことだから、私のことを悪しざまになんて書いてないんでしょ?
私たちがお互いにクソデカ感情を持ち合っていることは、卒業パーティの日によくよく理解している。
つまり、私がルーの全肯定bot=ルーも私の全肯定botなのはほとんど確定事項みたいなもので、むしろ変に美化して伝えられているんじゃ……? という焦りが、こう、ひしひしとあってね……?
(あばばばば……)
「おーい、フィー?」
「な、なに?」
「日も落ち取るし、早よ中に入らんと。身体が冷えてまうで」
「……う、うん。えと、お邪魔します」
「……おー」
それぞれに自分の荷物が入ったトランクを抱え、先を歩くルーの背中をひょこひょこ追いかける。
心の中は依然として大荒れだけど、さすがにそれを表に出すのはプライドが許さなかったので、表面上はちゃんと取り繕っている。
だけどたぶん、ルーにはそのあたりの心情がまるっとお見通しなんだろう。
そんな緊張せんでも大丈夫やからと励まされ、ウン、とカタコト気味に頷いた。
……あのね、ルーも初めて友人を自分の家に招くからって、さっきからずっと緊張しっぱなしのは私もちゃんとわかってるんだよ?
私もルーみたいに気の利くセリフのひとつでも吐いて落ち着かせてあげるべきなんだってわかってるよ?
でもごめん、私だって友人の家にお邪魔するのは今生ではこれが初めてだから緊張しないとかホント無理なんで! ゆるして!
(いきなり親御さんにご挨拶する私の身にもなって??)
……どっちも内心ガチガチに緊張してるとか、第三者として見るぶんにはきっとゲラゲラ笑えるんだろうけど、残念ながら当事者たちはマジでそれどころじゃないのである。
やばいやばいやばい、緊張で手が震えて握力が、トランクが……っ!
(これだから人間関係ガチャがドブな人生はよォ……!)
許容量を超えた緊張で、あわや心臓が破裂するのではと、そんな予感がした時。
「ただいま、母さん」
「――あらぁ! おかえりルース、やっと帰ってきたんやね。……?」
「前に手紙で『向こうで友達できた』って書いたやろ。その友達がちょっと、あー、色々あってすぐにでも殺されるかもしれんって事態になったんで、急やけど連れてきてん」
ルーの背中越しに、女の人の声が聞こえた。
少し低めで、落ち着きのある感じと言えばいいのか、はんなりした感じというか……しっとりとした柔らかさのある声。
きっとルーのお母さんだ、と確信したのは、彼が外向けの話し方をしていないことと、彼女がルーと同じ氏族の言葉で話しているからだ。
どきどきしながら、会話の切れ目のタイミングで、ルーの隣にそっと並んだ。
伏せていた視線を上げれば、ぱちりと琥珀色の瞳と目が合う。
ルーは糸目だけどルーのお母さんは違うんだなぁ、などとそんな場違いなことを考えながら、私はどうにか微笑みを浮かべて震える唇を開き……。
「お、お初にお目にかかります。わたくし、ルース殿下の友人の――」
「――ルースが、」
「「?」」
「ルースが番を連れてきた!!?!?!?!」
「エッッッ!?!?!?!!?」
「フィーは友達やってさっきから言っとるやろが!!!!!!!!!!!!」
……ルーのお母さんの落とした爆弾で大騒ぎになったのは、ご覧の通りである。
Tips! 【くずし字】
日本古典の原文を見ると時折登場するぐにゃっとした文字のこと。
点や画などを省略して書いているため、慣れてない人だと何を書いているのか本当にわからないこともしばしば。「これなんの図形?」となるレベルの文字なので、興味があればぜひ調べてみてください。見てるだけでけっこうおもしろいですよ!
本作は毎日更新ではなく、週1ペースでの更新を予定しております。
ブクマしている作品は更新通知が来ますので、もし「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひブクマをポチッとお願いします。
ポイント評価(☆→★)やいいねでの応援も常時受付中です|´꒳`)チラッ
遅筆ではありますが頑張りますので、応援どうぞよろしくお願いいたします!