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中国夜話 毛沢東異界漫遊記  作者: 藤原 てるてる
9/22

田中角栄と再会の巻(九話)

まず、ここで田中角栄の兵役について語らねばならない。

故郷の新潟で徴兵検査を受け甲種合格となり、本当は海軍志望だったが陸軍へと。

昭和14年4月、盛岡騎兵第3旅団第24連隊第1中隊に配属された。

これは実家が牛馬商をやっていて、乗馬が得意だったからである。

すぐさま、満洲は黒竜江省、ソ満国境の松花江のほとりに駐屯した。

春とは名ばかり、零下30度まで下がる原野である、どこまでも続く。

初年兵は、内務班の下士官からしこたま殴られる、田中は特にそうだった。


早々に、5月11日にノモンハン事件が勃発した。

殴り役の古参兵から出兵して行き、訃報が続々と入り中隊は壊滅へと。

演習をし、順番待ちであったが、事務などの腕を買われて中隊本部付きでいた。

それが、9月にソ連との停戦成立、日本陸軍初の負け戦は極秘に伏せられた。

田中は最前線で戦わずにすんだ、だが翌年11月肺炎で倒れ悪化の一途。

年明け2月内地送還となるが、さらに悪化、高熱で死線をさ迷う事に。

結局は10月、上等兵で除隊処分、その後は召集されずに済んだ。

生き残ったのである。あの中隊は昭和20年8月9日、ソ連侵攻で全滅した。

私の言いたい事は、田中角栄は実戦では弾を打っていないのである。

現地の娘子達にも、悪さはしてないのでは、そう思いたい。

……「戦争なんかで、死んでたまるか」、これが気概だった。

さあ、毛沢東相手に誤解を解いてくだされ、まずはそこから。



毛沢東 「おお、これは田中先生、お久しぶりです。毛沢東です」

    「中南海以来ですな。あの時は大平先生、二階堂先生も御一緒でした」

    「田中先生は汗を拭きながら現れましたな、カチコチでしたぞ」

田中角栄「中華人民共和国の主席とお会い出来るなんて、足が地に着きませぬ」

毛沢東 「私は、そこで冗談を言ったのです。大平先生と天下太平を掛けてね」

田中角栄「はい、あの笑いで気が楽になりましたです。当意即妙、さすがの人心把握ですな」

    「あのー、私が差し上げた色紙、七言絶句の漢詩は如何でしたか?」

毛沢東 「はっきりと申して、よう意味がわかりせませんでしたが、ありがたく」

    「漢詩は難しいもんです。政治や戦争よりもかもですな、ははっ」

    「田中先生、戦争の話いいですかな、お互いの喉の骨から取りませぬか」

田中角栄「はあ、ええ、そうしましょう」

毛沢東 「日本は欧米列強の真似をしたんですか、亜細亜同胞ではないですか」

    「昔、隋や唐のころから仲良くしてたではないですか、元は二千年の歴史ですぞ」

    「そんなに、土地が欲しいですか、南方への侵攻と訳が違うでしょう」

田中角栄「まぁそのー、当時の軍部は大陸問題を解決さるためにも、南方へと」

毛沢東 「中国を負かす為ですな。満洲だけでなく、北支、中支が得たいですかな」

    「話を移します。田中先生は戦争中は、中国で何をしてましたか?」

田中角栄「あのー、そのー、まぁそのー、ソ満国境の中隊で後方支援をしとりました」

    「ノモンハン事件の時だけであります、2年ほどで肺炎になり内地送還」

    「帰国後さらに悪化し除隊。終戦までは、土建業をやっておりましたです」

    「誓って申します、私は銃口を誰にも向けたことはありませぬ」

    「中隊本部での明け暮れだけでした、幸い4か月で停戦成立したのでありまする」

毛沢東 「そう、それは良かった。話を田中先生訪中の時に戻しましょうか」

    「周恩来が怒っていましたぞ、数千万に被害を出しといて、御迷惑はないだろうと」

    「先生の真意を、この場でお聞かせ願いたい」

田中角栄「あれはですな、大平外務が言ったように、中国の意にそう形に訂正しとります」

毛沢東 「それは、私も聞きました。あなたは、どう思うのですか?」

田中角栄「まぁそのー、日中は一衣帯水の関係であり、仲良くしなければなりませぬ」

    「まぁそのー、明治以来の国策の誤りを恥じ、連なる者として褌の緒を締め、えー」

毛沢東 「では、娘子達に悪さしましたか?」

田中角栄「はっ、それもございませぬ。私は内地でもて過ぎまして、充分でありました」

    「それに女は砥石です。あっ、いやいや何でもありませぬ」

毛沢東 「ん、砥石? 何やら深い意味がありそうですな、お聞かせくだされ」

田中角栄「はっ、固い話で疲れましたわ、やわらかい話といきますかな」

    「それはその、私の持論なんであります、研がれ方が肝心だと」

    「男は研がれねばならないが、研がれ過ぎもどうかと」

    「まして研ぎ方によっては、名刀正宗にも錆び刀にもなりよる」

    「下手に研がれまくられると、今度は脇差みたいになりかねませぬ」

毛沢東 「あの、では先生の刀は、年々歳々と小さくなっていったのですかな?」

田中角栄「いや、ご心配には及びませぬ。日本には、ええ芸者がたんとおりまする」

    「ゆくゆくは、小生、名刀正宗を目指しておりました」

    「中国こそ、秘技の国ではありませぬか、そんな国と戦をするなんて」

    「私が、ここで深く陳謝申し上げます。今後は、一路平安で」

毛沢東 「田中先生、その一路平安は中国語ですぞ」

    「では日本語で、温故知新で行きましょう、ああ、これも中国語だわ」

    「ともかく、我々は元は同じ穴のむじなですぞ、日本語でね」

    「本当は日本人の祖先は、中国人ではないですかな、はははははっ」

田中先生「仰せの通り、元は大陸ですな、ははっ」

毛沢東 「まことにどうも、お出で頂き、ありがとうございました」

田中先生「こちらこそ、天界でも会えて嬉しかったです。ありがとうございました」

    「毛先生、色では負けませぬぞ、はははっ……」



昭和47年9月の初会談の時に、毛沢東は田中角栄に手みやげを渡した。

中国の古詩集、楚辞集注である。これは紀元前後、漢の時代の物である。

毛沢東は詩人でもある。この矛盾を孕んだ人物像は、いかなるものか。

詩人がわかりにくい様に、この人物もそうなのか。大いなる詩、そのものか。

私は反省を知らない毛沢東に、せめて天界では反省をしてほしいと。

もちろん、いい意味での反省を。

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