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さてここで殺人について考えたい。「何故人を殺してはいけないのか?」。道徳上、人を殺すなんて許されない、とか、法律で禁じられているから、とか、自分が殺されることを許容できないから、などの答えがベーシックである。どれも正解で、どれも不正解だ。一見みな筋の通った正しい回答であるが、反論は可能である。道徳とは人が決めたものであるが、定義が曖昧である。道徳ってそもそも何?とか確かに法律で殺人はしちゃいけない、って決まってるけど、それでもやる人はやるよね。抑止力になってなくない?とか自分が殺されてもいい、って心に決めていたら、殺人は許されるの?とかいったように。そして反論に対する反論も出てくる。堂々めぐりだ。唯一無二の答えなどいつまでたっても示されやしない。
つまり「何故人を殺してはいけないのか?」この質問がどこかの人類の脳裏に浮かび、発言してしまった時点で人間はこの質問に対する正解を未来永劫出せなくなってしまったのである。もっと言うならば、この質問がこれだけ社会にまかり通っている時点で、人間には確かに暗い部分が存在する、という証左にもなっている。いくら考えたところで全く一遍の価値もない質問なのである。
質問するならこうするべきなのだ。「何故人は人を殺さないの?」と。この質問には明確な答えが存在する。それは「人間だから」。
社会に暮らしている人の中で、殺人を行う人は極めてまれである。日本における殺人の件数は年々減少し、殺人事件の検挙率は8割を軽く超える。どんどん良い社会になっているのだ。殺人事件に関わらずに済む、という観点で見た場合は。何故こんなにも社会は平和なのだろう。それは人間が人間だからである。
誰だって一度くらいかっとして、「こいつを殺したらどんなにすっきりするだろう」と思ったことがあるはずだ。それでも殺人を犯さないのは、自分が社会に生きていることをほんの数秒で再認識し、それはいくらなんでも割に合わないし、実際こいつが死んだら家族が泣く、それはなんだかかわいそうだしなぁ。といったような判断を下せるからである。損得勘定とか同情とか、実に人間らしい思考である。
今まで述べてきたように、大抵人は人を殺さない。
だって人間だから。
じゃあ人間ではなかったら。
鬼、だったら。
生まれつき、人なんて、殺す対象にしか見てないとしたら。
食事するみたいに、人を殺すが存在がこの世にいたら。
見た目は人と、同一の形状に包まれていたら。
そんな存在は、もう―――
神様にだって、救えやしない。