3章24話:救い
脳に響く少女の声。坂の向こう、闇の奥に彼女は立っている。白い着物、鮮やかな翠の髪の瞳、愛くるしいアホ毛。凍りついたような無表情。
少女ーー翠雨さまの姿を見て、僕はチラリと頚城先生の方に目線を向ける。父娘の再会を望まずにはいられないだろう。頚城先生の苦しみが僕にはよく分かるから。
だが頚城先生は表情を変えなかった。何が起こっているのかわからないような顔で、虚空を見つめている。
「愚か者、お前の都合で世界は回ってなどいません」
翠雨さまはため息を吐いてからそう言った。僕には何が何だかわからない。どうしてだ? ここは奴奈川姫の土地で、彼女の信仰心に溢れている。彼に翠雨さまが見えない道理など……。
「お前は生者と死者の差を甘く見過ぎです」
翠雨さまはこちらに降りて来ようとしない。僕は思わず尋ねてしまう。
「それ、どういう……」
「言ったでしょう? お前たちがイレギュラーなのだと。彼岸と此岸が本来どれだけ分たれた存在なのか、お前は知らないんですよ。そうですよね月潟琵樹」
冷たい視線を僕の隣で梅昆布茶を啜ってる少女へと向ける。
「……………お初にお目にかかるね、今代の奴奈川姫。でもあんまりほの囮くんを虐めないでもらって良いかな。私のお嫁さんなんだよ」
「私の愚妹を嫁に出す気などさらさらありませんが?」
「間違った性別を前提に火花散らすのやめてもらえます!?」
妹だの嫁だのおちょくるのも大概にしてくれよな?
翠雨さまは月潟に対して冷たく、月潟もどこか刺々しい。見えない火花が散っていく音がした。
「あはは、随分と可愛いんだね今代の奴奈川姫は。それで腹黒ぶってるとかほの囮くんの二番煎じだよ。抱きしめて転がしてまとめて私のお嫁にしてあげようか?」
「尊大かつ傲慢ですね山の神。お前たちは昔から何一つ変わらず自分を強者だと思っている。只人に近しい身で私に土をつけようなど無礼千万ですが」
「むっ、うっさいなロリッ子」
「お前も見た目は大概ロリ顔ですが? 言うに尽きてその罵声、程度が知れますね」
翠雨さまはレスバ強そうだよなぁ。いや今は2人ともアホみたいな争いしてるから良いけど、これ全面戦争にでもなったら割と最悪の組み合わせだろ!
「はいストップストップ! ラスボス戦の感じやめて。翠雨さま、さっきのどう言う意味ですか!」
「……説明してやりなさい月潟琵樹。私から言うのは何か野暮な気がします」
「ん〜、貸し1ね?」
「お前が私に貸しなど、頭に乗るのも大概に」
「あーあーあー! 翠雨さまにお願いします! 僕翠雨さまが良いなぁ!」
相性の悪そうな2人の間を取り持つべく大声を出しながら割ってはいるが、月潟と翠雨さまの双方にジト目で見られてしまった。
「……調子のいいことを」
「うわロリコンだ」
「ダメだ、割り込んでも基本的に僕の評価が下がる……」
だが無駄な最終決戦やるくらいなら僕の評価が落ちた方がマシである。
「見ての通りでしょう。ここでわちゃわちゃやっている間にも、そこの人間に私の声は聞こえていない。
神にとっての元親族は神に触れることができない」
「ーーーーッ! そ、れは」
月潟の方を向くと、彼女も言い辛そうに頷く。どうやら本当のことらしい。
親族が神を認識できない、なんて残酷なことか。だが僕のその認識がそもそもの誤りなのだと気づく。
「彼岸と此岸は本当に遠く離れてるのですよ。お前も覚悟しておきなさい。人が神という存在に近づくということがどういうことなのか。それこそ」
「奴奈川姫」
月潟は翠雨さまの言葉を遮るようにして睨みつける。翠雨さまはどこ吹く風であったが。
だが一連の流れをずっと見ていた者はどう思うだろうか。すっかり彼を置いてけぼりにしてしまった。
頚城先生は先ほどより少し顔が強張っていた。まるで何かを堪えているかのように、じっとただそこで僕たちを見ていた。
やがてようやく一歩を踏み出す。虚空を見つめる彼だったが、彼には何かが見えているような、そんな足取りだった。
「いる、のか……? そこに」
「………………」
「まさか本当に……? そんな都合の良い話が、いや、まさか……」
ゆらゆらと焦点の合わない目で歩を進める。それを僕も月潟も止めるつもりはない。死者と生者には残酷なまでの溝ーーそれこそ川と呼ぶに相応しい距離がある。だからと言って、頚城先生の20年を思えばそれを止める権利はないはずだ。
「そこにいるんだな……? 私には分かる。わかるんだ。なぁ、いるんだろう? 翠雨」
「………………」
「私は臆病で、どうしようもなく駄目な父親だった。お前を1人にしてしまった、お前にもっと色んな……色んな幸せを……」
膝から崩れ落ちる先生。その目から涙が溢れ出てくる。
翠雨さまは動かない。いつものように無表情で、されど僕らと喋っていた時のように言葉を発したりせず、ただ目の前の人間の言葉に耳を澄ませていた。
「すまない。ほんとうに……すまない。駄目な父親で、何もできない父親で……これだって……ずっとお前に渡すことが出来なかった」
彼はコートから、くたびれた白い袋を取り出した。赤色のリボンによって口を縛られ、そこにはメッセージカードが貼り付けられている。
「自己満足だと分かっている。納得させるためだと分かっているんだ。寒かっただろう? 苦しかっただろう? 私にはその手を温めてあげる事など出来ない。だからせめて、お前が寒くないように……」
彼は泣きながら袋を開けた。
中には黄土色の手袋。高級そうだけど、娘に贈るにはどうにも似合わない。けれどそれは不器用な父親の精一杯だ。
「ははは、可愛くないよな。すまない、私は昔からこういうのは駄目なんだ。でもこれが1番暖かそうだったんだよ。本当はお前と選びたかった。あぁ、駄目な父親なんだ……」
ゼンマイの切れた人形の如く、地面に座り込んでしまう。その後ろ姿に声をかけられるはずもない。僕に出来るのは翠雨さまを見つめることだけだ。お願いだから、救いを与えて欲しい。
翠雨さまは僕の視線に気付き、そしてふっと息を吐いた。溜め息ではなく、喉の奥まで出かかった言葉を封じ込めるように。そして一言。
「本当に、どうしようもないですね」
坂を下り、翠雨さまは俯く頚城先生の顔の高さまでしゃがみ込む。そして手袋を拾い上げた。
彼の手からは手袋が消える。彼岸の存在が触れ、自身の所有物とした者は人間の認識から消失する。即ち手袋が消えたことこそ、翠雨さまの存在を証明する事象なのだった。
「似合わない。でもサイズはピッタリ。つくづくセンスがないだけの人」
彼女は手に嵌めた手袋を眺めてそっと胸に抱くようにして呟く。その表情を頚城先生が見ることは叶わない。けれど何かを感じ取ったのだろう、先生は顔を上げて涙をこぼしながら笑みを浮かべた。
何度も何度もこの山に通い、いるかわからない娘を探し続け、幻想に縋り、されど山の奥に踏み込むことを恐れていたこの人にとって、この光景はきっと救いだ。
「先に戻ろっか」
「……ああ」
月潟が坂に背を向けると、僕もそれに続いた。保健室の見張くらいはしておいて差し上げよう。悪い先生、けれどとても良い父親の為に。
◇◆◇
「ふふっ、ふふふ」
「なんだよ、気持ち悪い」
「ううん。君という人間が少し分かった気がするからさ」
袖で口を隠し、くすくすと笑う。その仕草も見慣れたものだ。コイツとは出会って1ヶ月そこらの付き合いなのに不思議な話である。
「君のことを悪ぶった妹と評価したのは、何も私の趣味100%じゃあないんだよ? 君、結構正義感強い方だよね。自分で気づいてるかは分からないけど」
「はあ? 冗談は寝起きだけにしてくれよ」
「本心だよ。奴奈川姫と頚城センセを会わせる必要なんてなかったのに、わざわざあんなことをしたのはどうして?」
月潟の問いに対して僕は返答に困った。理由はある。だがそれは優しさとか正義感とかそういうのではない。
悲しいと思ったからだ。救われない先生も、そして父親を気にかけていながら触れることのできない翠雨さまも。それはいずれ僕が辿り着く未来だと思ったから。
「救いは必要だろ、誰にだって」
そう呟いた僕を見て、月潟は心底嫌そうな顔をした。美しい顔がそんな風に歪むのは見たくないけれど、コイツの感情は僕にはどうすることもできない。
「嫌な顔。君は本当に彼岸に行くことを救いだと思ってるんだね」
しばらくお互い冷たい視線を交わし合う。この話は平行線、前にそう話したばかりだけど直ぐに割り切れるものでもないのだろう。
「言いたいことは僕を打ち負かしてからにしろよ。僕が考えを曲げることはない」
「それもそうだ。それで? 君はこれからどうするのかな?」
「…………北湊の街が本当にクソだというのはよくわかった。上がゴミ屑どもで固められてるかも知れないってことも」
翠雨さまを殺したのは現市議会議員の女だ。だがこの件には警察やマスコミ、教育委員会といった北湊という街の上層部が絡んでいる。20年も前の話だが、女が市議会議員という座に座っている以上その体質は大きく変わっていないとみて間違いない。
「名割市議。犯行の手口があまりにもお粗末でボロが出まくったのに実家の力でそれを封じ込めた。婿養子だった頚城先生を放逐してまで実家はコイツを守ったわけだ」
「実家からしたら割とお荷物さんだね〜」
「活動家としての能力はあっても、それも実家の力が強い。名割家、まずはココから叩き潰す」
20年前にボロを出しまくった犯行を犯した人物、それが今でもボロを出すかは分からない。だが可能性は十分にある。翠雨さまとの共同戦線を張る以上、まずはこの名割市議から叩き潰すのが得策だろう。
「協力しろ月潟。お前の目的ーー北湊の闇の滅亡にも合致するだろ?」
「………………君は随分と方針転換したんだね〜。一応君……というか奴奈川姫かな、君たちの目的と私の目的は一致したわけだ」
月潟は少しだけ不満そうな顔をしてみせた。何が不満なんだコイツ。コイツも行った通り、翠雨さまと月潟の目的は一致している。
違うのは過程くらいか。月潟はそこまで過激なことはしないだろうが、翠雨さまはその過程で屍の山を作り上げることも厭わない。僕個人は月潟寄りの思考をしているが、山の神の本能は翠雨さま寄りの思考をしている。
現状僕はさながら東西ドイツ、月潟琵樹と頚城翠雨との冷戦の最前線といっても過言では……ん、この例えあってるか?
「いいよ、いいもん、いいとも、いいさ。ほの囮くんを私のものにしてしまえばそれでいいんだから」
「え、何怒ってんの……」
「怒ってない、怒ってないから。別に自分自身の手でほの囮くんの目的を私寄りに変えようなんて思ってないから」
「お前も大概思考やべーよ」
不満げな月潟を追って保健室までの道を歩く。
気を抜くと全部月潟に支配されてしまいそうだから恐ろしい。山の神の記憶を持っているとはいえ、やはり天賦の才を持っていることは大きい。
だけど同じ方向を向けたのは大きい。少なくとも北湊の闇を滅ぼすまでは共闘できる。あとはそこから彼岸に向かう僕とそれを止める月潟の戦いだ。
「あ、やばい」
「へ? ごぁ!?」
突然立ち止まる月潟にぶつかってしまう。何止まってんだよと文句の一つでも言ってやろうとしたら、あらびっくり。
「2人で、なーにしてたのかしらぁ?」
夏葉が仁王立ちしていた。




