3章20話:翠雨
僕が一通り涙を流して落ち着くと、少女はお茶を淹れ直すと言って台所に向かった。数分後には再び湯呑みに緑茶が入る。しかも次の茶菓子はなんと笹団子である。え、どうしたんですかこれ。
「お前の好物でしょう? さっさと泣き止んでください。正直ウザいです」
「あ、ありがとうございます!」
笹団子は文字通り、笹の葉に包まれた団子のことだ。両端を縛る紐を解き、数枚の笹の葉を捲ると中から蓬色の団子が出てくる。モチモチとした食感の中身は餡子が入っていて、これがまた蓬の苦味とよく合う。
笹団子は僕の大好物である。恐らく樹海生活時代の記憶を読んだ少女が気を利かせて用意してくれたのだろう。え、こんなの好きになっちゃう……。
「お、おいひぃ……おいひいでふ……だいひゅひでひゅ……」
「口に物を入れて喋らないでくださいはしたない。お前、せっかく顔は良いのに色々と台無しです。本気で反省したら山の神になった経緯をちゃんと説明なさい。一旦口直ししましょう」
と、少女が促した為、僕は笹団子を食べながら山の神になった経緯を全て話した。
少女が閲覧できなかった記憶というのは僕の未来の記憶で、ち囮が死んでから僕がかみさまと離別したあの8ヶ月の期間らしい。だからこそ僕の記憶から僕が山の神になった状況が分からず、その記憶を隠されたと思っていたとのことだった。
「……記憶を隠すのってそんなに変なことなんですか?」
「私は信頼して全ての記憶を開示したというのに、相手がそれを隠したのならばそれは裏切りに等しい行為です。今回は不問に処しますが、次私に隠し事でもしたら覚悟しなさい駄犬」
「駄犬呼びに戻ってるぅ……」
だが先ほどまでのツンツン感はなく、柔らかい雰囲気のまま僕の話は終わった。
「状況は把握しました。山の神がゲーム盤をひっくり返したからこそ、その力と記憶が分裂した。力の方は新しい山の神であるお前が、記憶の方は前の山の神である月潟琵樹が継承した。そういうことですか」
頚城先生が娘のことを頭のいい子だと言っていたが、確かにとても頭のいい人だと思う。お世辞にも理路整然とは言えない僕の話を汲み取って、全て噛み砕いてしまった。
頚城先生のように生徒の話を理解しようとする理知的な面が垣間見える。あの先生の娘なんだなということを実感する。
故に僕は少女に対しては先生に相対するように振る舞っている。見た目は幼いのだが特に気にはならなかった。
少女は改めて僕に向き直り、問いを投げかけた。
「さて、お前が泣きやがりましたので有耶無耶になりましたが、私の提案は飲んでいただけるのでしょうか?」
少し刺々しかったが、彼女が僕のことを色々と思ってくれていることは今までのやり取りでよくわかる。
こんな優しい少女に罪を押し付けるのは気が引ける。
「…………でも、街を滅ぼす罪を……虐殺の罪を貴方に押し付けるなんてこと」
僕はおずおずと切り出したが、少女はその時点でこの回答を予期していたかのように深くため息を吐いた。かなり本気で呆れている様子。……僕本当に情けないな。
「お前は大きな誤解をしています。誰が虐殺などと言いましたか。私は街を滅ぼすとは言いましたが、無辜の民を皆殺しにするとまでは言ってません」
「え、と……? それ、同じでは……?」
「お前、政権の崩壊と国家の崩壊を同一視していませんか?」
「へ?」
いきなり何を言い出すのだこの人は。
「前者はドイツ第三帝国、後者はバグダードの戦いでしょうか?
1945年、ドイツ第三帝国は滅亡しましたが、ドイツ人の文明が滅んだのではなくナチス政権が崩壊したという意味での滅亡です。
対して1258年、モンゴル帝国によるバグダードの戦いでは1つの大都市から文明が滅んだとすら言われています。それは本当に滅亡と呼ぶに相応しい末路でしょう」
「は、はぁ……」
「何間抜けな声を出しているのですか。お前のやろうとしていたことはそういうことですよ? その街に暮らす全ての人間を死に絶えさせ、土地そのものを滅ぼすような行為。
私は別にそんなことをやろうとは思ってません」
「え?」
目を丸くして思わず疑問の声が漏れてしまった。
「私は北湊の民を憎んでるわけではありませんから。私を殺した母やその闇を主導した連中に関しては皆殺しにしてやりますが、それ以外は特に咎めません。
というか父を殺されるのは困るので、正直お前の目的は何が何でも阻止したいです。
お前の憎悪が発露して余計なことやらかした時点で必ずお前のことは殺します」
「ひえっ……」
「だからちゃんと抑えつけなさい。心配しなくてもお前の破滅願望はちゃんと叶えてあげますよ。苦しまずに彼岸に送ってやります。三途の川の手前くらいまでならお見送りしてやっても構いません」
この人は僕に生きろとは言わない。ただ満足のいくようにやり遂げて、人間に罪を被せずに彼岸に行くのであればそれでいいのだろう。
そして、僕もそれでよかった。僕もこの人と同じなのだ。どんな顔をして生きていけば良いのかわからない。それなら悪としてこの人の言う『北湊滅亡』に協力し、この人の手によって葬り去られる。そうすれば僕は山の神として死ぬことが出来て、彼岸の先でかみさまに会えるのだ。
「…………優しいですね、本当に」
「優しい? 何を寝ぼけたことを言ってるのですかお前」
何故か少し不機嫌になった少女。
その美しい翡翠色の瞳の奥には、確かに闇がある。だけれどその闇は彼女が持つべき当然の感情であり、そして僕が共感できる闇だ。
「貴方の記憶を覗いて、貴方から話を聞いて分かったことがあるんです。
貴方は友達の為に走っていた」
少女が走った理由。背景を聞いた今ならそれがわかる。
「このままだと遺体すら残らないと分かっていたからこそ、生きて真相を伝えたかったんですよね。もう命は取り戻せないとしても、友達の体だけは取り返そうとした。違いますか?」
「………………」
それは無言の肯定だった。しばらくして少女は遠くをみて呟く。
「それすら叶わなかった私には、優しいなどという言葉をかけてもらう資格すらありません」
「でも、それを取り戻すための復讐ですよね。だったら、貴方は優しいんです」
僕を気遣ってお茶を出してくれたり、僕を信頼して記憶を見せてくれたり、僕の話を理解して嗜めようとしたり。所々に優しさが滲み出ていた。だから僕は彼女を優しいと思う。
「…………私は、人形と話す趣味はありません」
「はい、勿論です」
「私は、罪なき物を嬉々として殺す者と話す趣味もありません」
「わかってます」
「くだらない死に方をしやがったら許しませんよ。私に付き合うのであれば、ちゃんとやり遂げて彼岸に行ってください」
「貴方を1人にはしませんよ」
少し気障なことを言ってみたら、少女は物凄く不機嫌になった。うん、少しずつ地雷がわかってきた。
「鳥肌が止まらなくなる空々しい言葉を吐くとぶち殺します。覚えておきなさい」
「わかってますって……。貴方にしかるべき時に滅ぼされるまでは死ぬ訳にはいかないです」
僕は少しだけ笑ってみせた。そんな僕の表情を見てか、少女は少しだけ目を開いたのち視線を外した。
「……本当に分かって言ってるのか甚だ疑問ですが、まぁいいでしょう。おいおいお前の駄目そうな心根は叩き直します」
なんか物騒なこと言ってる……。
「ではお前……名前はなんでしたっけ」
「笹神幽々火で」
「いいえ、人間としての名です。当初は山の神の方を呼ぶつもりでしたが、ただの人間としてはあまりにも狂人すぎたので逆に興味が湧きました。名を名乗りなさい、ニンゲン」
少女は無表情だけどどこか呆れたように尋ねる。僕は少し躊躇ったが、この人の信頼と機嫌を損ねたくないと思い、名乗ることにした。
「……犀潟、ほの囮です」
「ふん。ほの囮、こちらの方がしっくりきます。神として中途半端なお前に相応しい名前です」
「し、辛辣ぅ」
確かに『幽々火』はちょっと仰々しすぎる。格好いいとは思うけど。
何故か満足げな少女に僕は目線を向ける。ずっと聞きたくてうずうずしていたのだ。そろそろこの味気のない呼び方も嫌になっていた頃。それくらい僕は、この少女に対して好感を抱いていた。
「では貴方の名前、教えてください」
僕にそう問われた少女はキョトンとした顔になる。だがすぐに表情を戻し、呆れた様子で言った。
「奴奈川姫、そう名乗ったでしょう」
「僕は人間としての貴方にも興味ありますよ、奴奈川姫さま」
「…………お前、存外生意気ですね」
先ほどの言葉をそのまま返す。だがこう言うやりとりは嫌いじゃないらしかった。飾らず、卑屈にならず、そのままの嘘偽りない自分をぶつけることに拘る少女。
優しく真っ直ぐな少女の名前を知りたかった。
「………………翠雨。翡翠の雨で翠雨です。以後、そう呼ぶことを許可します」
びしっと僕に人差し指を突きつけて指示を出す翠雨さま。そんな仕草もどこか可愛らしい。子供のようで子供でなく、しかしどこか子供らしい小さな神様の様子に僕は思わず微笑む。
彼女と歩む先は世間一般から見れば破滅の道だ。だけどその絞首台への道は僕にとっての救いの道であり、彼女も紛れもない僕にとっての『神』であった。
◇◆◇
「さてほの囮、はっきりと決めておくことがあります」
結構高級そうな羊羹を摘みながら、翠雨さまが言った。
にしても次から次へとお菓子が出てくる。どうやらお供え物らしい。山の神にはお供え物がないので少し羨ましいなとは思う。というか甘いもの好きなの可愛い。僕は翠雨さまの全肯定botです。
「奴奈の神と北湊の神は、古くより姉妹のような関係性を持っていたと言われています。ここ数百年はその交流が廃れていましたが、私の中でもいくつか山の神に関する記憶があります」
何やら仰々しい話が始まったので身構える。割とこの人からどんな話が出てきてももう驚かない自信があるくらいには、今日は驚きの連続だった。
「姉妹神、ですか」
「大国主命の時代を生きた奴奈川姫と、1000年そこらの歴史の山の神では神としての格が異なります。
ということで私が姉です。お前は妹です。良いですね、ほの囮」
割とくだらない内容だった……。
神格に拘る翠雨さまは神としては恐らく正しい感覚なのだろうけど、神格に拘りのない僕からしたら少しだけ子供っぽく見えてしまった。
「……ていうか、弟ですよね。記憶見たから分かってると思いますけど、僕男ですし」
「…………………………」
「…………………………え?」
何この沈黙!?
「……そこは疑問なのですが、私は貴方が男だという証拠を見てはいないのです。というより、その顔で男とか言われても何の説得力もないので寧ろ妹か何かだと思った方が合理的ではありませんか?」
「月潟といい夏葉といい、なんでみんなして僕を妹扱いなんすか……」
「では戸籍抄本を持ってきてください。お前の言葉より現代医療を信じることにします」
「あんまり神話の神から聞きたくない台詞ですね……」
セクハラにならない方法で性別を証明するって難しすぎないか?
「第一、山の神は常に女性の神だったと聞き及んでいます。原初の神もまた、女性でした。であればお前が男だというのは状況的にあり得ません。Q.E.Dです」
「ちょっと何勝手に証明終了してるんですか! ……ん、ていうか、ずっと気になってたんですけどその、原初の山の神って」
「文字通りですよ。私とて元は人間ですが、私を神たらしめているのは原初の奴奈川姫……即ち古事記に登場する神話の世界のお姫様です。そう言う存在は、山の神にもいるはずですよ」
原初の山の神。それを聞いて、僕にはある仮説が立った。
『かみさま』は月潟琵樹の姿をしつつも中身は複数の少女たちによる記憶の集合体だと思っていた。だが、
「翠雨さま、質問いいですか?」
「許可します」
「かつて神だった人間たちは、どこに行くんですか?」
それは月潟琵樹という少女が何者か、という質問にも関わってくる。
翠雨さまはちゃんと答えてくれた。恐らく僕が望んだ以上の答えを。
「ここに」
視点が切り替わる。
宙に浮く感覚と共に何か大きなものに包まれる感覚。だが痛くもないし怖くもない。
綺羅綺羅と光輝く何かと共に、僕は下へ下へと降りていく。光の結晶に触れると、それは鉱物のようにゴツゴツとしていた。これは、翡翠か?
「着きましたよ」
地面に足がついた。まだ浮遊の感覚が抜け切れていないため、体がふらつく。だが翠雨さまはなんともなかったように歩き出した。
翠雨さまを追いかけようとして前を見る。すると、
「な…………!?」
それは、社だった。
とはいえこれを普通の社と呼ぶにはあまりにも、そうあまりにも高い。高層神殿と呼ばれたかの出雲大社を彷彿とさせる階段の高さ。木製の階段を登ると、そこには格式の高さを感じる社。
ウチは瓦の屋根なのだが、この神社は茅葺き屋根となっている。括り付けられたしめ縄の大きさも尋常ではない。どこか古代の歴史を感じる社の造りになっており、思わず圧倒されてしまった。
「ここが私の『資料館』であり、かつて神となった少女たちの眠る場所でもある。さぁ、どうぞ中へ」




