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3章19話:似ているから

 僕は……何も言えなかった。


「………………ぁ」


 彼女の気持ちはわかる。

 というかその気持ちは、山の神が1番よくわかるものだ。裏切られて、奪われて、殺されて……彼女の憎悪に共感するのは山の神として、そしてその巫女として当然のことなのだろう。

 現に山の神の本能は彼女の動機を受け入れ、彼女に同調するようにと語りかける。僕の中の全ての山の神が彼女を肯定し、彼女と共に北湊を滅ぼせと囁くのだ。

 けれど僕は何も言えなかった。

 理由は簡単。僕にとっての憎悪が彼女の持つ憎悪よりも明らかに弱かったから。


「……………ぼく、は」

 

 確かにち囮が殺された時、僕は北湊を憎んだ。人の命をくだらない理由で簡単に奪い去り、あまつさえその骸の前で笑ってるような奴らに心底憎悪した。

 母が死に追いやられた時、僕は北湊を憎んだ。くだらない理由で母を追い詰め、手を差し伸べることをしなかった連中を心底憎悪した。

 流通する麻薬を見た時、僕は北湊を憎んだ。母を破滅させたあの薬が目の前で取引され、もっと多くの犠牲者を出そうしている事実とそれを引き起こそうとした連中を心底憎悪した。

 山の神の真実を知った時、僕は北湊を憎んだ。何人もの少女たちを生贄にして発展してきた街を心底憎悪した。


 ーーけれどまだ取り返しがつく。


 ち囮は生きている。間違いなくまだ生きている。

 母さんは……誰かに明確に殺されたわけじゃない。それで街全体を憎むのはお門違いだとわかってる。

 麻薬だってそう。顔も知らない誰かのために街を滅ぼすなんて笑い話にもならない。

 そして山の神の生贄たち。彼女たちの背景を僕はまだ知らない。まだ知らないのに僕は怒っている。それは何故か。


 ーー僕の憎悪じゃない、から。


 対して目の前の少女はもう取り返しがつかない。自身の命は奪われ、親には裏切られ、友達も殺された。

 戻らないものが多いからこその憎悪と復讐心。もう失うだけのものを失ったからこそ、少女は迷わないのだろう。


 だが僕は。

 僕はどうだ?

 僕は何のために北湊を滅ぼしたいのか。

 かみさまに会いたい。かみさまの居ないあの街で生きていくことなんて出来るわけがない。かみさまの巫女でいられたら僕はそれで充分だったのだ。

 かみさまに辿り着く。その終着点があの地獄なのだとしたら、僕のやりたいことは結局……。




「はぁ。考えすぎです愚か者」




 こつりと小さな拳に突かれる。ハッとして前を見ると、そこには不満そうなアホ毛を垂らした少女がいた。


「お前は自分ことをわかってなさすぎです。人間全員皆殺しにしてやるヒャッハーとか言ってくれた方がまだマシでした」

「…………………すみません」

「お前の記憶を見た上で、お前のことを一言で表してやりましょう」


 ビシッと人差し指を僕の鼻上に突き立てる少女。




「破滅願望の異常者。それがお前です」




 何かがストンと落ちる音がした。パズルのピースがハマり、大きな絵画が出来上がったシーンに立ち会ったような。そんな感覚。


「お前自身、北湊の滅亡なんて興味ないのでしょう。お前の持つ憎悪は確かに人より大きいものですが、かといって北湊の人間を皆殺しにして街を滅亡させようだなどと宣うには、お前は少し優しすぎます」

「やさ、しい………?」


 僕のどこが優しいというのか。何を見てそんな馬鹿な評価を……。


「憎悪に支配されていなかったのにも関わらず、記憶もないはずの少女たちの恨みに共感。挙句、誰かにこの役割を担わせないようにと自分が全て引き受ける覚悟で街の滅亡を画策する愚か者。

 空いた記憶の中で何があったのかは知りませんが、その信仰体質は本当に厄介ですね。神に向いていないにも程がある」


 グサグサグサっ。

 全方位から矢が飛んできて僕の胸に突き刺さる。何この子辛い、正論アローきつい……。


「心優しいだけの何もできない愚か者、それで終わるはずだった人間がよくもまぁここまで大きな闇を抱え込んだものです」

「…………………」

「結局、お前にとって北湊の滅亡は所詮手段に過ぎません。お前の言う『かみさま』に会いたい、が何を指し示すか。お前もちゃんと気づいたでしょう?」


 かみさまに会うために北湊を滅ぼす。かみさまに会うことは即ち彼岸の世界の住人、ひいては『街の記憶の一部』になるということ。

 言い換えれば、犀潟ほの囮という人間は『死』という終着点を迎えることになる。


「だから言いました。お前は破滅願望者だと。お前、誰かに討たれるために山の神を継承しましたね?」


 少女の言葉で、僕はようやく自覚した。


「……………………そっ、か」




 ーー僕は……自分を滅ぼしたいのだ。




 僕が北湊を滅ぼそうとすれば、確実に月潟琵樹がそれを止める。僕のような凡人が月潟琵樹のような天才に勝てるわけがない。結末は分かりきっている。

 だからこそ、どうしようもなく手遅れになり取り返しのつかなくなった僕を月潟に滅ぼしてもらいたいのだ。

 そしてその時になってようやく僕は最後の山の神としてかみさまの元に行ける。何の価値もない、何の意味もない僕が救われる瞬間はその時だけだろう。


「あは、あははは、あはははは……」


 自分が滅ぼされるために北湊を滅ぼす。誰も擁護できないような大悪行を起こせば、僕を助けようなんて月潟でさえ思わない。僕は意味のある死を迎えることになる。

 ある意味で山の神の憎悪を僕の盛大な自殺のために利用したのだ。だから少女は僕のことを『人形』ではなく『道化』と言ったのだろう。



「僕、は……あは、あはは……誰も、殺したくなんて、ない……」



 かみさまの悲しい顔が忘れられない。

 僕はきっといつかこの憎悪に抗いきれずに行動する。きっと大勢死ぬ。僕も、月潟も、夏葉も、誰も彼も。そうなる前に僕は誰かに僕を殺して欲しかった。

 気づきたくなかった。気づかなければ憎悪に飲み込まれて僕は取り返しの付かないところまで堕ち、三途の川を渡ることとなっていた。なのに、


「なん、で…………」

「………………」

「なんで、僕にこんな……こんなの要らない……僕はこの本能と憎悪に従っていればよかったのに……」


 知らずにいれば僕は望み通りの死を迎えられた。望み通りの生き方で望み通りの死を迎える、それが人間としての究極的な目的だろう。

 だとすればこの少女はいかなる道理があってそれを邪魔するのか。


「人の心なんて要らない、人としての生なんて要らない、人としての喜びも、人としての楽しさも、全部ぜんぶぜんぶ要らない! 僕はただかみさまに会えればそれで! がぁ!?」


 腹に1発、重い蹴りが入る。そのまま側頭部を蹴り飛ばされ、僕は床を跳ねて地面に叩きつけられた。嗚咽しながらうずくまるが、少女はその足で僕の元まで歩くと、ジャージの襟を引っ張って無理やり僕の顔を向かせた。




「許すと思いますか? そんな在り方」




 無表情、だが明らかに憤怒の感情が垣間見える。少女は明らかに激怒していた。襟を握る拳が震えていて、それが布越しにでも伝わってくる。僕は、何も言えなくなった。


「私が生きられなかったのに、などと陳腐なことを言うつもりはありません。人が自分の命をどう使おうとその人の自由です。自身がそれを選択し、その結果死を迎えたとしてもそれを非難する謂れはないでしょう。ですが」


 襟を握る手の力が強くなる。僕は思わず呻き、首元に手をやった。だがそれでも少女は止まらない。翡翠色の瞳の奥に炎を灯し、僕に対して真っ直ぐに怒りをぶつける。


「ですがお前は他人の選択で絞首台に上がろうとしています。他人にその手を汚させて自分だけ救われようなどとよくもまぁそんな甘ったれたことが言えますね? ただの人間でも呆れる話ですが、神の在り方としても最悪です」


 少女は続ける。


「お前の何代も前の少女たちは絞首台にすらあげえもらえていない。お前だけが不戦勝だなんて、私は断じて許さないし認めません」


 少女の怒りを一身に浴びて、僕はただただ呆然としていた。

 だが、次第に僕にもふつふつと感情が灯り始める。

 

「……………じゃぁ、どうしろと? 僕にこのまま山の神の憎悪に飲まれて街を滅ぼせとでも言うんですか!? 何の罪もない人々まで殺して、その上で満足して死ねとでも言うんですか!?」


 もう隠す気もなかった。

 僕は北湊の滅亡なんて望んでない。途方もない憎悪という名の爆弾を抱えたまま、それを誰にも押し付けることなく最期を迎えることだけが救われる道だった。色恋の神はともかく、誰が好き好んで無辜の民を殺戮したいなどと思うものか。

 最後のささやかな幸せとして彼岸の先で僕はかみさまとひとつになる。街の記憶の集合体である『かみさま』という概念に迎え入れられることによって僕は彼岸で救われるのだ。

 

「貴方はこの憎悪を知らないからそんなことが言えるんです! 僕自身が望まなくても、山の神は確実にそれを実行する! ならせめて僕が」

「そしてその不始末を人間に押し付ける。お前、自覚はありますか? それは、北湊の民がかつて山の神になる前の少女たちに行ったことではないですか」


 少女の瞳が一層鋭くなる。僕はその目に射られて言葉に詰まった。

 街の災厄の不始末を月潟琵樹という少女に押し付けるのだとしたら、それは確かにかつての歴史の焼き直しになってしまう。月潟にも罪を背負わせ、誰も救われず、僕だけが満足したまま彼岸へ向かう。


 それは、究極のエゴではないか。


 脱力感が僕を襲う。

 僕は結局、街を滅ぼすということがなんなのかわかっていなかった。人を殺すということが、人を苦しめるということが、人を悲しませるということが、何なのかわかっていなかった。

 もう何も話す気になれない。僕は今すぐにでも首を吊ってしまいたかった。

 そうすれば山の神という存在は滅ぶのだろうか。わからない。わからないけど、そうなっても僕はきっとかみさまに会うことは出来ないのだろう。彼岸の川を渡ることすらできず、かみさまが『涅槃』と呼ぶ、彼岸と此岸の狭間を彷徨う亡霊になり果てる。そんな気がした。


「……………………僕は、どうすればいいですか」

「……………………」

「ここで首を吊るのもいいですね。ロープを一本貸してください。すぐ済ませますから」


 既に少女の顔をすら見れなかった。僕は視線を落とし、投げやりな態度でロープを要求する。もう救われなくても良い。この矛盾から逃げることが出来るのであれば、僕はそれで。




「だからお前は愚か者なのです」




 少女の声音は静かだった。

 先ほどよりも熱の冷めた、呟くような声。怒るかと思ったのに一気に冷静になったトーンが気になって、僕は少女の顔を見た。


「お前如きが1人で山の神の憎悪を抑え込めるなどとは思ってません。それ程までに彼の神が積み上げてきた歴史はドス黒い血の色に塗れています」

「…………………それ、なら」

「私は言いましたよ。一緒に愉快な復讐をしましょう、と」


 少女の翡翠色の瞳に炎が灯る。もうその目から視線を逸らすことなど出来ない。





「私が、責任を持ってお前を殺します。だから私の復讐に協力しなさい、山の神」





 その言葉は甘い毒のようだった。そんな都合のいい言葉を吐いてくれる存在が僕の目の前にいてもいいのかと疑いたくなるほど、彼女の言葉は魅惑的で、蠱惑的だった。


「人の犯した罪は巡り巡ってまた人へと受け継がれる。ならばその連鎖を断ち切ることの出来るのは、人から外れた彼岸の存在だけです。私がその役目を負いましょう」

「………なん、で、そこ、まで」


 僕が月潟に負わせようとしていた役目を、少女は引き受けるといった。僕が北湊を滅ぼそうとしたとしてもその時に責任を持って僕を絞首台に送ってやる、と。

 それは少女が罪を背負うことになるということだ。誰よりも殺人という罪を憎んでいるであろう彼女が、どうしてそこまでする? どうしてそこまでしてくれる? 僕にそんな価値なんて……。



「貴方と私は、似ていると思いましたので。癪ですが」



 少女は少しだけ口角を上げた。相変わらずの無表情。だが少しだけ、ほんの少しだけ彼女は笑っているように見えた。

 その瞬間、僕の目から大粒の涙が溢れ出す。止まることもなく流れ出る粒を拭おうともせず、僕はただ壊れたおもちゃのように泣き続けた。


 その時の、僕をあやすように撫でる少女の手の温もりは死んでからも覚えていたいなと思う。

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