3章17話:林間学校2日目④
奴奈川姫、彼女はそう名乗った。
古事記に登場するお姫様、神話の中の神。あまりに現実感のない存在。
だが僕は知っている。この世界には神がいて、それでいてその神は1人の人間であることを。それぞれに人生があって、それぞれに思い出があって、それぞれに大切なものがある。
目の前の少女もそうだった。
先ほど見た記憶の中で抗い続けた少女は『神』であり、紛れもなく『人』であった。
「なんとか言ったらどうです駄犬。神としての作法など求めるまでもないですが、人としての最低限の作法くらいはあって然るべきではありませんか?」
「………え、と」
無表情だがどこか不機嫌そうな声音の少女。変化のない表情筋の代わりにぴょこんと飛び出たアホ毛が荒ぶっていた。これが感情表現なのか……?
少女が何を求めているのかが分からない。兎に角何かを言うべきだ。だがどうにも頭の中が纏まらない。あの記憶の影響を引きずっているのか、背中から嫌な汗が流れ出る。視界はぼやけ、吐きそうな気持ちになってきた。これは……脱水症状だろうか?
「…………はぁ、はぁ」
整えた筈の呼吸が再び乱れ始める。なんだ、この感じは。この子を見てるととても苦しい。その理由は……なんとなく自覚していた。
僕がこの子の記憶を見たからだ。少女と一体化し少女の苦しみを味わったからこそ、僕は彼女が今こうしてここで立っている事実に心を抑えられない。
「……………………少し待っていなさい」
今度は罵倒せず、少女は奥に引っ込んでいった。僕は緊張の糸がぷつりと切れたようにその場にあった椅子へと座り込む。やはり木製で、どこか手作り感のある椅子だった。
向こうからカタカタと金属音が聞こえる。これは、やかんの音だろうか。
5分ほどその場で待っていると、奥の部屋から再び少女が姿を見せる。手には黒いお盆、そしてお盆の上には2つの湯呑みが載っていた。
「粗茶です」
少女の小さな手によってテーブルに置かれた湯呑み。どこか手作り感のある湯呑みの中を覗き込むと、いい緑茶の香りがした。
湯呑みに口をつけて茶を啜る。美味しい。冷えた体が温まるようだった。それと同時に得体の知れない感覚が消え失せ、呼吸も正常になっていく。
少しだけ周囲を見る余裕がでてきたので、改めて室内を見渡す。至る所に古めかしい調度品が納められており、全体的に品の良さや格式高さを感じる一方、この湯呑みやこの木彫りのテーブルのように温かみのあるアンティークもそこかしこに散りばめられていた。このアンバランスさは気になるが、そこまで悪い気分ではない。
「これは……」
「テーブルは先先代、湯呑みは先代の趣味ですよ」
少女は人差し指でテーブルの表面を叩きながら言った。テーブルはニスか何かで塗装されてはいるが、確かに少し荒っぽさを感じる。
しかし今の発言で問うべきはテーブルがどう作られたかではない。先先代、先代と彼女はいった。それすなわち、
「……やはり代替わりですか」
目の前の少女が何代目かは知らない。けれど山の神同様、やはり他の神も代替わり制だとわかったのは収穫だった。
落ち着いたところで、ようやく僕は切り出すことにした。
「それで、僕をここに招いた理由は何ですか? あなたの目的は」
「招いた? 分を弁えて下さい、駄犬。招待ではなく招集です。山の神も代替わりが起きていたことは知りませんでした。挨拶に来ないのは不義理というものではありませんか」
少女は顔色ひとつ変えずにお茶を飲む。言葉を遮られた僕は口をつぐみ、もう一杯茶を啜った。
「…………彼岸の存在から出された茶を簡単に啜るなど、到底神のやることとは思えません。よもや黄泉戸喫を知らないわけではありませんよね」
黄泉戸喫、死者の世界のものを食べたものは元の世界には帰れないという逸話。有名なのはイザナギ・イザナミの話か。
「僕は山の神なんですが」
「そう名乗るのなら、いつまで人間の姿でいるつもりですか? 私は『山の神』との対等な対話を望んでいます。駄犬個人との会話など望んでいません。駄犬個人で彼岸の茶を飲んだのなら、お前はこの山から生きて帰ることなど出来ません、私が許しません」
刺々しい言葉遣いだったが、それを使う主があまりにも可愛らしいため全く怖さを感じない。
幼女だから、というわけではないだろう。かみさまだって姿はまだ幼げな月潟の顔をしているのに、どこか恐ろしく見えた。だが目の前の少女に怖さは感じない。寧ろ……愛おしさすら感じる。待て待て待て、僕はロリコンじゃない!
そんな僕の様子を訝しんでか、少女の目つきがさらに鋭くなった気がした。そんなに怪しまれるようなことはしてないつもりなんだけどな。
僕は息を整えると、眼鏡を外し、髪を下ろして色付きリップを引く。そして精神を集中させる。
次に目を開けた時に映るのは僕の私の姿。既に黄泉戸喫を済ませてしまい、人間には戻れないであろう神の姿である。
僕が山の神の姿に変わると、少女は少しだけ目を開き、心底驚いたように言った。
「…………………驚きました。変装をするのがお上手なのですね。クシナダ姫を彷彿とさせる美しさです」
どうやら満足してくれたらしい。何が好みで何が地雷なのかを見定めるのが難しい。が、何となく感情の読み方はわかってきた。あのアホ毛だ。
満足そうな時は活発、地雷っぽい時は萎れている。この神様は思った以上にわかりやすい性格をしているのかもしれない。
「こちらも自己紹介させてください。笹神幽々火、今代の山の神です。以後お見知り置きを」
椅子から立ち上がり、カーテシーをする。いつもの大人で丁寧な口調の笹神幽々火を演じるのだ。これが神の威厳、神としての矜持。さぁ、これで満足か!
「……なんか性格違くありませんか? 気持ち悪いんですが」
「え」
「話し方はさっきの方がいいです。顔は今の方が好みなのでそのままにしてください」
地雷がわかんねー!!!
何この気難しいロリ! もうやだ!
気障っぽいタイプは苦手なのか? でも僕の性格上小物感あるから神っぽくはないんですが。
「全体的に蹴り付けたくなる動作はやめてください。殺しますよ」
「…………はい、すんませんした」
さっき貴方もそれやってた癖に……。そう不満そうにする僕の表情を察してか、少女はさらにため息をついた。凄まじい速度で減点されてる気がする。
「……別に、なったばかりの神に礼儀など期待していません。問題はその指導を行わない原初の神です」
「…………は? げん、しょ?」
「お前を山の神に迎え入れたものがいる筈です。原初の神から『社』と『資料館』を譲り受けて今の座にいるのではないのですか?」
「は? え、しりょ、なんですか?」
全然知らない単語が出てきて困惑する。僕の困惑を感じ取ったのか、少女は首を傾げてしばらく考え込んでいた。が、やがて、
「記憶を引き継いでいない……? そんなことがあり得るのですか? だとしたらなぜお前は山の神であり続けるというのです?」
不思議そうに呟く少女。察するに僕は神としては相当おかしな存在なのだろう。なんせ山の神になったはいいものの、山の神のことなど何も知らない。記憶もなければ満足に力も使えない。その癖憎悪だけは人一倍あるときた。
「……僕の記憶、みてないんですか?」
「見ました。ですが肝心のお前が神になった瞬間がぽっかり抜け落ちている。これはどういうことです? 私を馬鹿にしているのですか駄犬」
その時、少女がやはり怒っているのが感じ取れた。相変わらず無表情、されど荒ぶるアホ毛。ただアホ毛を見なくとも、彼女は明確に怒っているように見える。
僕には神のことが分からない。だけど僕は人間を信じられないのとは反対に、『神』のことは信じてもいいと思っている。
ーーこの状況で恐怖や畏れより、『信仰』を優先できる。君は本当に信じやすい、いいや、信仰しやすい人間なんだね。
かみさまの言葉を反芻する。神という存在が僕のような悲しみや苦しみを味わった人間の成れの果てだというのなら、僕にとって彼女は同類なのだ。
故に僕は彼女に対して誠実に向き合いたいと思う。決して騙すことなく、決して嘲ることなく、決して同情することなく。同じ神として対等に。
「全部話します。だから、怒ってる理由を教えてくれませんか?」
「…………………」
「僕はこの通り何も知らない。神になったのだって殆ど成り行きみたいなもので、本当はずっと『巫女』で居たかったんです。でもこうして『山の神』として貴方の前に立ってる以上、僕は貴方を信じたい」
「…………………ひとつ、問います」
翡翠色の瞳がギョロリと動く。不誠実な回答を絶対に許さない、そんな瞳で僕を射止めるように彼女は僕を睥睨する。
「お前の目的、お前が山の神として成そうとしてることはなんですか?」
少女の問いに対して、僕は躊躇わずに答える。
「北湊の滅亡。それが僕の私の願いです」
白い骸が僕の方にのしかかる。誘導されてる感覚も、言わされている感覚もわかる。だけど僕の本心でもある。だから何の躊躇もなく口に出せる。
僕の回答を聞いて少女は不快な顔をすることはなく、寧ろ安心したようにアホ毛を振り回した。
「成る程、山の神の妄執は継承されるのですね。少し安堵しました」
「……………安堵?」
不可解だった。
これまで接してきた中でようやく好意的な雰囲気を感じ取ることの出来た瞬間が、よりにもよってこの瞬間だったからだ。不可解そうな顔をする僕の心境を察したのか、少女はそのまま続ける。
「えぇ。記憶がないのですから妄執は受け継がれないと思ったのですが、そこまでヤワな造りではないようなので安心しました」
「…………どういう、意味ですか」
「分からないとは言わせませんよ?」
少女は椅子に座る僕の前に立ち、そして覗き込むように顔を近づける。あいかわずの無表情、だがどこか狂気じみた興奮を感じる。
「お前自身、北湊の滅亡なんて望んでいない」
「ーーーーッ!? な、なにを……」
少女はさも当然のようにそう宣う。それを聞いて僕は思わず否定するように声を上げた。それを否定されるのは困る。僕は『そう在らねば』ならないのだから。
だが少女はそんな僕の逡巡を無視して続けた。
「けれどそれを後押しし、お前にその役目を求めるものがいる。それこそが『原初の神』です。お前はその妄執に取り憑かれた哀れな被害者ですが、私の求める存在はその被害者でなくてはならない」
「………………どう、して」
「おかしなことを聞くのですね? お前、私の記憶を見たのでしょう? ならば私の目的も概ね想像がつくというものです」
少女の記憶。
それは暗い森の中で何者かに追われ、彷徨い、最後には殺される。齢12の少女が体験するにはあまりに壮絶な経験の果てに彼女が何を思ったのか。それは、
「私も、お前に一枚噛んでやると言っています。一緒に愉快な復讐をしましょう? 今代の山の神」
それは月潟のような協力関係でもニコラのような敵対関係でもない。
明確な、共犯関係のお誘いであった。




