3章16話:林間学校2日目③
枝を集めている時からおそらく見られているなと思った。相手がいつ入ってくるかはわからなかったけど、それでも夏葉と話せたことは良かったし、色々と確信もできた。
夏葉は元々悪い奴じゃない。恋愛脳で、勘違いしやすくて、抜けてるところはあるけどそれでも悪意を振り撒くような奴じゃない。だからこそ僕は彼女を好きになったわけで。
でもそんな彼女が海知絡みで僕を陥れた。きっとそれは夏葉にとって想定外のことで、謝るタイミングをずっと探していたんだと思う。夏葉は本来こういうやつだ。だからこそ、この場で分かったことがある。
ニコラの人を支配する力は、北湊の外では使えない。
ありがとう夏葉。お陰で重要なことを確信できたよ。正直もう夏葉のこと自体はどうでも良いけど、対ニコラにおいては利用価値がある。これからも宜しくな、中立の駒として。
「待ちくたびれましたよ」
……一瞬、夏葉が喋ったのだと思った。だが違う。夏葉じゃない。脳内に響く幼なげな声が甘い甘い毒のように体に染み渡っていく。
目の前でふらりと倒れ込む夏葉。
「夏葉!?」
彼女を支えようとして前に出るが僕の体にも力が入らない。夏葉が眠ったことを確認した僕は、眠気を誘うその原因のいるであろう扉を睨みつけた。
「…………………奴奈の、神ですか?」
山小屋を覆う何かによって、夏葉は倒れ込んだ。それを起こせるものの見当は概ねついている。僕が樹海内では幽霊を使役できるように、ソレもまたこの空間を自分のテリトリーとして認識している。ならばやはり扉の向こうに居るのは……この地の神様だ。
その顔を拝んでやろうじゃないか。そう思って待っていたのだが、声の主は中に入ろうとしない。その間にも眠気はどんどんと酷くなっていき、やがて、
「…………………ぁ」
微睡へと落ちていく。
◇◆◇
寒い。
痛い。
暗い。
最初に感じたのはこの3つ。そして次に視界が戻る。だがそれは暗闇から少し慣れてきたというだけのことで、周囲の暗さは何も変わっていなかった。
足の痛さに思わず呻きそうになる。だがどうしてか声をあげてはいけないと思った。疲労からか痰が喉に絡まって言語を発することも出来ないが、それでも叫ぶことくらいは出来るはず。だと言うのに今の僕は声を出すことを極端に恐れている。
「はあ、はぁ……」
どこまで行けばいいのだろう。どこまで歩けばいいのだろう。どこまで逃げればいいのだろう。
逃げる? 何から? わからないけれど、今は足を進めなくては。そうでないと、"無駄になってしまう"。
後ろから何かが迫ってくる気配がした。振り返ってはいけない。黄泉平坂の逸話のように、振り返ったら死にひき込まれてしまうから。だから振り返っちゃダメだ。
「はぁ、はぁ」
段々と夜目も効いてきた。ここは夜の森のようだった。道と呼べるか怪しいような地面を踏み締めて、方向もわからないのにただただ走り続ける。何かの植物で切ったのだろうか、手のあたりがじくじくと痛む。だがそんなことを気にしている場合ではない。逃げなくては。
「_________ちゃーん。どこなのぉ? 痛いことしないわー。だから出ておいでー?」
「______ちゃーん!」
「怖がらせてごめんねー! お友達もみんな待ってるよー。だから早く出ておいでー」
大きな声が聞こえる。彼らだ。彼らが僕を呼んでいるのだ。思っていたより近い。子供の足では彼らから遠く逃げることなど容易ではないと言う事実をまざまざと見せつけられる気分だった。
それでも止まってはいけない。彼らの甘言に乗せられてはいけない。彼らに捕まることはそれ即ち、『先ほどの光景』を実体験するということに他ならない。
「はぁ、はぁ……」
幼い声だった。自分はどうして大人じゃないんだろう。この時ほどそう思わなかったことはない。幼い声、幼く力のない手足、途切れる息。
ただただ寒かった。夜の奴奈市がここまで寒いとは思わなかった。こんなことなら手袋を置いてくるんじゃなかった。きっとそれだけでこの手の震えと痛みを抑えることはできたのだろうから。
口がしょっぱい。口の中に入る液体が血なのか汗なのか、僕にはもうわからない。それくらい僕の顔はぐちゃぐちゃだろう。そんなことを考えている時間すら惜しい。
死ぬのは嫌だ。痛いのは嫌だ。殺されるなんてもっと嫌だ。あの子たちだってきっともっと生きたかった。あんな喧嘩をしてしまったけれど、『私』は彼女らのことが嫌いだったわけじゃない。謝りたかった。仲直りしたかった。
「う、うっ、うう……はぁ、はぁ」
ぐしゃぐしゃになりながら走る。『私』は生きなければならない。生きてちゃんと彼女たちを取り返さなきゃいけない。
がっ。
刹那、視界がブレる。思わず何かを掴もうとするが小さな手が虚しく空を切った。
急斜面をゴロゴロと転がり落ちる。全身を打ちつけて、『私』はまたどこか開けた場所に辿り着いた。
頭を打ったらしい。朦朧とする意識を集中させ、頭部に手を当てる。ぬるりとした液体がじゅくじゅくと溢れ出してくる。鉄のような匂いと汗の匂いが混じってとても不快だった。
「_______ちゃぁん。落ちちゃったのー? 今そっちにいくからねぇ!」
高低差のためか、頭上から彼らの声が響く。ああ、ここまでか。
途端に力が抜けて、そこら辺の木にもたれかかった。どこか温かかった。かじかんだ手を温めるようにその木に触れる。ゴツゴツした感覚はない。寧ろすべすべしていて、まるで石のような……。
「い、し……?」
よく見るとそれは石で出来た祠だった。
だくだくと流れ出る血液を抑えつつ、片方の手で祠を触る。不思議な感じだ。とても温かくて包容感を感じる。
ここで終わっていいなと思ってしまう程、その石には魔力があった。ここが人生の終着点だと言うのなら『私』はきっと暖かい場所に行ける。たった12年の命、心残りはある。沢山ある。
けれどこれでいい。捨てられて、裏切られて、みんなを見捨てて、『私』はこれからの人生をどんな顔して生きていけばいいのだろうか。これからの人生で笑うことができるのだろうか。
「…………むり、ですよ。そんなの」
生きたかった、取り返したかった。けれど同時にもう生きてはいけないとも思っていた。口先ばっかで臆病者の私を、弱虫な私を、何も出来なかった私を、どうか許してください。
ーーそれは本心に非ず。
声がした。幻聴まで聞こえるようになったらいよいよおしまいだ。だがその声ははっきりと聞こえてくる。
ーー聡い娘よ。正直であれ。お前はまだ、やるべきことがある。
クラクラする頭を押さえながら声の主の方向を見た。
それは石から聞こえていた。再び触れても何も起こらない。けれどそれは確かに『私』に語りかけた。幻聴でもいい、戯言でも構わない。『私』がそう思いたいだけだっていい。
その声が正直でない自分に火を点けたのだと思い込みたいのだから。
「_______ちゃぁぁん! どぉこぉかなぁー?」
生きることはもう出来ない。それは分かる。『私』はきっとここで死ぬ。
けれど、『私』にはやるべきことがまだ残っている。死ぬのはその後でいいはずだ。
死神が近づいてくる音がする。
チカチカと点滅する懐中電灯の灯りを前に、『私』は一歩も引かなかった。
「あはぁ、いたぁ!」
大人たちは舌なめずりするようにこちらを見た。かつて○○と呼んだものでさえ、今はこの世の醜さを煮詰めたような化け物の顔をしている。
『私』はお前たちを許さない。死んだとしても、きっとこの恨みはお前たちを蝕み呪い続けるだろう。
「か、ぁ……はぁっ」
キリキリと締まる首。意識の薄れる脳。それでも睨むことはやめない。
必ずだ。必ず報いを受けさせる。この醜い化け物どもに死を。この残酷な世界に呪いあれ。
ーー聞き届けようその願い。娘、お前が次の神たれ。
……………ぁ。
『私』の意識はそこで途切れた。
「がぁ、はぁ、はぁ……かひゅ、こひゅっ、がぁ、ぁぁ、はぁ……」
窒息に耐えかねて跳ね起きる。首が締まる感覚を味わったのは初めてだった。ただ窒息するだけでなく首の骨をへし折らんとする人間の殺意。できればもう2度と味わいたくない感覚である。
呼吸を整えようとするが肺に空気が一気に入り込んできたためか、過呼吸気味となってしまった。やがて脳に酸素が入ってくるようになると、ようやっと冷静に考えられるようになってきた。
「ここ、は……」
朧げな視界。それでも確かにここが室内であることが分かる。風の音が少し遠いからだ。
そうだ、僕は……さっきまでこの森で首を絞められて……。いいや違う。それはただの記憶だ。でも僕にこんな記憶はないはずで……だとしたら今のは……。
「随分と遅いお目覚めのようで」
浅い呼吸のまま首を後ろに向けると、そこには幼い声の正体が腰掛けていた。
それは間違いなく……。
「なんですかその目は」
「………………ロリがいる」
翡翠色の髪色と翡翠色の瞳、透き通る肌、長いまつ毛、桜色の唇……月潟にも負けず劣らずの美少女……だがロリだ。身長は僕より30センチも小さいだろうか。そんな女の子が白い着物を着て僕をじーっと見ていた。
表情が動かない。表情がコロコロ変わる月潟と違って、目の前の少女はその表情が固定されたかのように振る舞う。
とは言え彼女の髪から出てる一本のアホ毛がなんかみょんみょん跳ねていてアンバランスだ。少し可愛い。
「ぶち殺しますよ駄犬」
……口が悪いな。この子の年齢に関しては僕の予想が正しければ12の筈だ。最近の子怖いめう。
少女は無表情のままため息を吐き、言った。
「呼吸くらい整えなさい、駄犬。お前のそれは変質者の息遣いです。無礼千万ではありませんか」
「……すんません」
咄嗟に謝ってしまった。幼女の前で息が荒いのは確かに良くない気がする。でもそういうつもりではないからね?
などと思っていたら妙に納得した様子で湯呑みを口に運んでいた。
「まぁ無理もないですね。私の記憶を流し込まれて寧ろ正気を保っている方が驚きですし。少しだけは同情して差し上げますよ、駄犬」
無表情のままだが、どこか氷のような女王様じみた態度で僕を罵倒する幼女。その手の趣味の人にはバカ受けだろうけど、生憎と僕にそんな趣味はない。
「……随分と手荒な歓迎ですね。呼吸止まるかと思いましたよ」
「事実止まったのですからその認識で相違ありません。神同士であれば、この方が互いを知るに手っ取り早い。そうでしょう?」
どこか挑発的な声音。だが変わらぬ表情。顔は幼いが口調は大人。そんなアンバランスな少女が何者なのか、全て彼女の言葉の端々から伝わってくるようだった。
やはりアレは僕の記憶ではない。では誰の記憶かといえば、それは目の前の少女のものに他ならない。あの折れてしまいそうなほど細い腕も、小さな体も、真っ白な足も、その全てが記憶の中にある少女に他ならない。
「さて、一応ご挨拶を」
神同士、と彼女は言った。ならば、目の前の少女は。
木製のチェアから降りて着物の裾を直す少女。そのままカーテシーをするように白い着物を摘み上げ、無表情のまま言い放つ。
「私は奴奈川姫。奴奈を治める由緒正しき神です。以後お見知り置きを。北湊の山の神」
その凜とした佇まいは、かみさまとは違ってとても神っぽさを感じた。見た目はロリだけど。




