2章31話:だから、僕は月潟琵樹を否定する
空が燃えていた。
あの日はとても暑い日で、揺らめく陽炎の先に見える灼熱の大空を見て、まるで燃えているようだねなんてはしゃぎながら帰ったことをよく覚えている。だから普段の私なら「本当に空って燃えるんだ」って馬鹿みたいなことを口走ったに違いない。
あの日はとても暑い日で、神社の境内でさえ暑かった。近くの沢には子供達がたくさん集まってて、なんなら川に飛び込む男の子もいた。男の子はああやって何も考えずに川に入れていいよね、なんて言ったら、あの子は「2人でこっそり入ってしまおうか」などと笑っていた。
あの日はとても暑い日で、お腹が空いてどうしようもないのに何も食べるものがなかったから、あの子が家から盗んできたみすぼらしいスイカを食べたことを覚えてる。「美味しくないね」なんていいながら、あの子に種子を飛ばしたものだから、あの子は私を追いかけ回してもっと暑くなったんだった。
どれもこれも私の大切な思い出。大切な記憶。
どこにいても、きっと私はこの記憶を忘れることはないのだ。何があってもこの景色は私の中に残っているのだ。
ーーたとえ、街の全てが灰燼に帰し、川には死体が溢れかえり、食べるものも飲むものも何もかもが灰になってしまうようなこの世の地獄へと変わり果てたとしても。
私の中でこの思い出は生き続ける。
だから泣かないで。
嘆かないで。
君は本当に泣き顔が似合わないんだから。
いつだってその自信たっぷりの顔でいてよ。
そしていつか、こんな私のことを見つけにきて。
「大好きだよ、_________」
真っ赤に燃える世界を下から眺めながら、暗く深い水底に沈んでいく私は、ゆっくりと目を閉じた。
◇◆◇
「そこ、魚いないんだよ。結構大きいのに不思議だよね」
「……つき、がた」
「夜ご飯の時間だから、呼びにきちゃった。冷めちゃうけど、どする?」
さも当たり前のように、月潟は僕の前に立って微笑んでいた。ありえない。こんなに暗くて深い樹海の奥に来れるはずがない。いいや、来れてしまっては駄目なのだ。
人間の少女が立ち入ることの禁じられた地、禁足地。山の神は少女を殺してしまう。なればこそ、月潟がこの地に立ち入る道理など……。
そこまで考えてようやく至った。この浮世離れした少女が、されど地に足をつけ血の通った少女が、一体どういう存在なのかを。
「ちゃんと見るのはこれが初めて。あの時は咄嗟すぎて全然余裕なかったから。うん、やっぱり綺麗だよ♪」
「………月潟、琵樹。お前は」
「うん?」
「お前は……何者だ」
僕は立ち上がり、彼女に対峙する。昨日聞けなかった答えを得る時が来たのだ。かみさまの顔をしたこの少女が、一体なんなのか。僕は知らなくてはならない。知らなければきっと前に進むことが出来ない。
「ほの囮くん、君はこの街が好き?」
「………………」
僕の質問には答えず、彼女はステップを踏むように歩き出す。ワルツように優雅に、されど自身が生きているのだと主張するかの如く微かに音を立てて、彼女は踊る。
「私はね、嫌い。
色んなことがあったし、色んなことをしたし、沢山の思い出もあるけど、やっぱり人間は終わり方が大事みたいなんだ。
この街の色んなものが嫌いで、嫌いで、大っ嫌いで……それでも確かに好きだったものもあって……私はまたこの街を好きになれるかもしれないんだ」
「………………」
「私に終わりと始まりをくれた街。今ならきっとこの沼だって愛おしい。
ーーかつて私が命を落とした場所なのに」
ああ、やはり。
彼女はかみさまではない。
彼女は僕と同じだったのだ。
僕と同じで、この世界に憎悪を抱き、そして死んでいった女の子。
それが、月潟琵樹という、『山の神』の1人格なのだ。
「お前は…………僕の前の『山の神』だな?」
今、僕は歳型ほの囮としてここに居る。僕は彼女を見つめ、彼女も儚げな笑みを向ける。それが彼女なりの答えだった。
『山の神』は何人もの少女によって造られた存在だ。何人もの少女たちの記憶と歴史があり、そのうちの1人が月潟琵樹であり、犀潟ほの囮なのだ。
誰も信じることのできない僕が彼女を振り解けなかった理由もよくわかる。彼女は、言ってしまえば僕なのだ。自分で自分を突き放すことは出来ない。
「山の神は、人間の少女が神になることで代替わりが起こる。とすれば代替わりの際に神だった少女はどうなるのか。お前は……その答えの先にいるんだな」
「山の神はね、記憶なんだ。記憶が、歴史が紡がれる限り、私たちは消えない。私は比較的歳が若かったからこうして人の形を保つことが出来たんだろうね〜。他の子達はどうかわからないけど」
僕の前にいるのは人間であって人間ではない。言うなれば記憶の結晶体、山の神という射影機によって映し出された記憶の影みたいなものだ。ただし、触れることのできる記憶ではあるが。
「他の子、ね。お前が全て持ってるわけじゃないんだな」
「さぁ、どうだろ?」
イタズラっぽい顔で茶化す月潟。彼女自身が『山の神の記憶』だというのなら、他の少女たちの記憶も保有している可能性はある。だとすれば、ある仮説を立証することが出来る。
彼女が、『かみさま』と同じ姿をしていた理由だ。
「逆だったんだな。あの時の『かみさま』のガワはお前だったんだ。外側は月潟琵樹、内側は大勢の少女の記憶……それが、『かみさま』の正体か」
「……君が初めて会った時に言った『かみさま』、の意味がやーっとわかったよ。やっぱり、『未来の私』に会っているんだね君は。だから憎悪に完全に飲み込まれてないんだ?」
月潟は納得したという表情で、ため息をついた。
月潟に感じていた違和感、かみさまの顔なのにかみさまでないと断じていた僕の感覚は、ある意味では間違いで、ある意味では正しかった。
僕の言う『かみさま』は、記憶の集合体。歴史と記憶と思いと色んなものが合わさって造り上げられた想像上の存在。かみさまという女の子は居なかったのだ。
だが、だとすれば疑問は尽きない。かみさまが記憶の集合体であるのならば、その記憶は後継者である僕に引き継がれている筈なのだ。なのに、僕は『山の神』について何も知らず、目の前には『山の神の記憶』が人の形をして闊歩している。
これは一体どう言うことなんだ?
「未来の私が何しでかしたかは概ね予想がつくからね〜。今のこの状況は、君の言う『かみさま』が分裂したことによる影響だと思うよ〜?
君は『山の神の力』を、私は『山の神の記憶』を引き継いだ。
どちらが欠けても山の神という存在は成立しない。
言ったでしょ? 私たちが組めばきっとなんだって出来る。君の願いも、私の願いも叶えることが出来るんだよ」
あの時、かみさまがゲーム盤をひっくり返した時点で、僕たちは出会う運命だったとでもいうのだろうか。
「……………月潟の、願い」
「うん。それを叶えるためにも、どうしても私には必要なものがあるんだ」
「……………なんだよ」
「山の神の力だよ」
月潟の目が僕を捉える。その目はいつもの茶化すような雰囲気とは打って変わって、本気の目だ。
「君を助けたいの。
未来の私が、過去の私たちが君に背負わなくていいものを背負わせちゃった。
だからね? その力、返してくれないかな? 君を助けたいの。信じて」
月潟は透き通るような声で、本心から告げる。
それが本心であることが僕にはよくわかる。月潟はいい子だ。天然で、変人で、摩訶不思議で、破天荒で、頭が良くて、奇想天外な彼女がとても良い人であることを、僕は彼女と出会ったここ数週間でよーく解っている。解ってしまった。
本心から僕を助けたくて、本心から申し訳ないと思っている。同情なんてとんでもない、僕の痛みが解る彼女だからこそ、僕の憎悪が解る彼女だからこそ、この言葉は紛れもなく真実で本心だ。
ーーだからこそ、僕はお前を認めるわけにはいかないんだ。
肩に何かがのしかかる感覚がする。僕の後ろを無数の亡者たちが這っているような怖気がしたが、僕は一切振り返らず動揺もせず、ただ月潟を見る。
後ろから伸びる手には肉がなく、真っ白な骸が僕を絡めとる。それに合わせて周囲を彼岸花が赤く染め上げ、無数の小さな鳥居が姿を現す。篝火たちは宙を舞い、僕たちを煌々と照らした。
「「「「「「「「許さない。許さない。北湊の人間どもはみんな許さない。全員首を刎ねて殺し、肉も骨もいっぺんたりとて残さない。すべてを樹海が飲み込み、すべての生物を土へと還す。土の中で懺悔を繰り返しながら朽ち果て、涅槃へと落ちていくことこそが、お前たちの償いと知れ。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」
脳内を這いずり回る怨嗟の声。聞いたもの全てを呪い殺してしまいそうな呪詛に合わせて無数の黒い影と、呪詛付きの包帯が乱舞する。
それでも尚、月潟はそこを動かなかった。僕はそんな彼女が気に入らなかった。早く逃げてしまえばいい。せっかく再び手に入れた命なのだ。こんなところで散らして良い道理はないだろう。
いいや、それもそうだがそれ以前に。彼女の考えも理解できない。何故許す? 何故愛せる? お前を殺した街だ、お前たちを虐殺した街だ。
「私を、私たちを、厄災のたびに殺し! その名前さえ奪い取り! 街の歴史から葬ってきた! それが北湊の人間です。都合のいいように命を弄ばれ、死後まで彼らに利用される! 何故そんなことを許せる、なぜそんなことを受け入れる!? 私は認めない、認めません。理解ができない、したくもない!」
伝承における山の神の扱いを見ればわかる。街は常に山の神と共に在ったはずなのに、彼女たちの記憶は記録として一切残っていない。そんなこと普通はありえない。
あり得るとすれば理由は一つ。彼女たちを殺して街を救ったと宣う連中が、彼女たちを歴史からも殺し尽くしたからだ。彼女たちの犠牲の上に成り立つこの街を、さも自分たちが救ったかのように我が物顔で跋扈している連中がいるからだ。
そういう連中が作り出した結果が今の街の状態だ。狂気としか言えないような風習、堕落し切った人々、人を平気で殺す悪魔ども。
「許す価値がありますか? 愛する価値がありますか? 貴方だって何かのために犠牲を強いられたのでしょう? ならどうして憎悪しないんです?」
僕だけじゃない、僕の奥底にある山の神の本能が憤怒する。すでに感情は本能に支配されているといっても過言ではないだろう。だがそれでも確かに僕も怒っている。目の前の少女も、怒る権利は確実にある筈なのだ。
だが、僕の言葉を聞いても尚、月潟は臆することも怯むこともなく、ただ凪のようにそこにいた。そして、
「それが全てじゃないからだよ。憎悪だけが全てじゃない、それ以外も沢山知ってるから、だから私は赦すよ」
「……………あは、あははは、あはははははははは! 理解できません! 理解できない! 全員殺すべきです! 惨たらしく! 残忍に! 徹底的に!」
「この話は平行線だよ。私は山の神の憎悪を知ってる。どんな善人だろうとあれだけの怨嗟を受け止めれば正気でいられるわけがない。君だって、もう壊れかけていることには気づいてるんでしょ?」
「……くすっ、あは、あははは、あははははははははははははは!!!」
月潟の言葉に、僕は思わず笑ってしまう。壊れてるのなんてとっくにわかってる。そうでなければそもそもかみさまと出会うことすら無かった。
「きっとそれが本心じゃなかったとしても、その憎悪は君という個を殺す。これはそう言う呪いなんだ」
「だからなんだと言うんです? 私は私が壊れて動かなくなったとしても、この憎悪をとめません。未来で貴方がやったように、北湊の人間を1人残らず根絶やしにするでしょう!」
「……………そんなこと、させない」
月潟はキッと僕を睥睨する。
それは怒りだった。僕が言う北湊に対する怒りではない。明確に、僕の今の言葉に対する怒りだった。
彼女の怒りは、今にも泣き出しそうな怒りだ。自分のための怒りではなく、誰かのための……多分、その相手は……。
「君を止めるよ、ほの囮くん。『私』が『かみさま』から君を解放してみせる」
ああ、やはり月潟は優しい女の子だ。そして強い。きっと僕より数倍も。
ーーだから、僕は月潟琵樹を否定する。
もうあんな地獄をお前に生み出させるつもりはない。お前みたいな優しい女の子に、あんなことはさせたくない。僕を救ってくれたお前に再びあの地獄を味わわせるくらいなら、僕が、私が地獄を引き受けてしまった方が何千倍もマシだ。あの地獄は……僕のものだ!
「あは、あはは、あははははは! あはははは!!! いいですよ、やってみせてください月潟琵樹!
僕は……私は、貴方ごとこの街を滅ぼしてあげますから!」
そしてどうか、僕が完全に壊れ切る前に……僕を見限ってくれますように。
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