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2章13話:華の金曜日

「お客さんじゃないわよ、この子ただのクソ酔っ払い。ほら、テキトーにかけちゃいなさい。服汚れてない?」

「ぁ、え、と……」


 まずい、月潟に僕の今の姿を見られるのは不味い! ていうか見られたくない! 犀潟ほの囮が女装してるなどという噂でも広められてみろ……ああいや、いつも似たような噂広められてたわ。

 でも嫌なものは嫌だ。よくよく考えたら月潟には以前、山の神化した姿を見られている。下手にバレでもしたら今後の計画に支障が出かねない。

 取り敢えずフードをかぶって声音を変えよう。これだけでだいぶ変わるはずだ。それに、もともとこういう時のためにギャップを作ってきたんじゃないか。

 落ち着け。

 落ち着け。

 私は犀潟ほの囮じゃない。

 私は……笹神幽々火。

 私はかみさまの巫女。いずれかみさまへと辿り着くただの身代わり人形だ。何でもない、何の価値もない代わりに何にでもなれる。私が生きていれば、かみさまも生きている。

 私は笹神幽々火。


「……………私は、巫女」

「どぉしたの?」

「いえ、なんでもありません」


 ニコリと笑みを浮かべて私を創り上げる。インストール完了。これで僕は私だ。


「素晴らしい歌声でした、私感動しましたよ」

「………………」

「どうかしましたか?」


 月潟はぽかんとしてそこで突っ立っていた。

 バレたか? いや、なんか違う。これは……。


「か"わ"い"い"!!!」

「ひっ!?」


 目をキラッキラさせて、僕の手を掴む月潟。どうした突然!


「こんな綺麗で可愛い人に聞いて貰えたなんて感動! マスター! 彼女に良い酒を!」

「アンタそれは客がやるから洒落てるのよ……」

「えへへ、ご無礼。ごめんね、お姉さん。つい興奮しちゃって。良ければフード取ってもっとお顔みていいですか?」

「え、あ、はい」


 ここまできてバレたら終わりだけど、店の中でずっとフードという訳にもいかないか。

 僕はフードを脱いで髪を整えた。が、整える間もなく月潟の顔が眼下に押し寄せる。ちかっ!


「むりむりむりむりむりむり待って可愛い可愛すぎる、死ねる!」

「ど、どうも?」

「へいへい、お姉さん年いくつどこ住みていうかLINEやってる〜」


 ナンパ師みたいなこと言い始めた。


「ビジュよしスタイルよし服よし、えっちさ良し! 女性としての美の完成度が高すぎる!」

「この子は何を言ってるんですか……」


 女性としての完成度に関してはお前が言うな、である。

 興奮気味の月潟だったが、興奮しすぎてその辺の椅子でけっつまづきそうになった。


「きゃっ!?」

「おっと」


 月潟を受け止め、体勢を整えてやる。図書館以来2回目のシチュエーションとなった。


「あ、あり、がと……」

「顔真っ赤ですよ。一曲歌って酸欠なら休んできたらいかがでしょう? 取り敢えずほら、椅子」

「ーーーーッ! ちょっと髪直してくる!」

「へ? ちょっと!」


 パタパタと走り出す月潟。そのまま控え室のドアが閉まる音が響いた。


「なに、突然……」

「アレはアンタが悪いわよぉ。年下の女の子に、アンタのオトナぁでダークぅだけど物腰柔らかぁな雰囲気は毒よ」


 オーナーと呼ばれていたオネエがようやくこっちに話しかけてきた。おしぼりとお冷のグラスがカウンターの上に置かれる。


「年下?」

「そうよぉ。ああいう子はね、ちょっと悪い感じの美人なオトナにころっと騙されちゃうんだから。かくいうアタシも昔はそういうオトナに憧れてたけどネッ」

「さっきからなんの話してるんです?」

「アンタまだ飲む? 一応うちはノンアルカクテルとかもあるしソフドリもあるけど」

「逆に酒出してくれるの? 未成年に? 中々やりますね、このお店」

「は!? 未成年!?」


 さっきから会話が噛み合ってないと思ったら……。まさか僕のこと20歳以上だと勘違いしたわけではあるまいな。


「み、未成年飲酒は犯罪よぉぉお!」

「あなた、今それを推進する立場でしたからね?」

「水飲んで吐きなさいおバカ! 餓鬼の頃から酒飲んでも碌なことないわよぉ!」

「ちょ!? 飲んでないって! 勘違いすんなばか!」


 無理やりお冷のグラスを近づけてくるマスターに抵抗する。くそ、こいつ力強いな!

 ひとしきり押し合いを続けてマスターはようやく落ち着いたらしかった。


「つまり、アンタはただちょっと気分が悪かっただけで、お酒は飲んでないのね? はぁーーー、良かったー、危うく未成年に酒飲ませて営業停止になるところだった……」

「危なかったですね」

「ていうかアンタ、さっきと全然喋り方とか雰囲気とか違うわね。ちょっとびっくりしちゃったわ。役者か何か?」

「おや、そう見えます?」

「ええ。どこの女優かと思ったわ。アンタみたいな綺麗な年上のお姉さん、琵樹だったらころっといっちゃうわね」


 まぁ年上でもないしなんならお姉さんですらないけど。


「で、本当は何歳なの?」

「昭和5年生まれの85歳ですね」

「盛るわね!?」


 残念、これはかみさまの公式設定である。


「観たところ、大学生って感じね。旅行とか?」

「いんや? 正真正銘の北湊人ですよ。あ、お水美味しい」

「あらそぉ? 中々様になってるからつい大人に見えてくるわねぇ。水だけど」


 この冷たいお水が、吐いた後の口によく沁みる。


「なーんか結構ワケアリってカ・ン・ジ? 嫌いじゃないわよそういう子。仮面を被ってる感じもあるし、興味惹かれるわぁ。さっきの男の子っぽい口調が素でしょう?」

「………意外と観てるんですね」

「なんか事情があるのか知らないけど、アタシの前じゃ口調は崩していいわよ」

「遠慮しときます。私、用心深いので」


 グラスを傾け、一旦落ち着くことにする。僕以外に客は居ないみたいだから、安心してくつろげそうだ。

 店内を見渡してみる。中々広いBARだ。内装とアンティークが結構凝っている。レコードから流れる音楽も静かで落ち着いているし、タバコの臭いもない。何より、


「かみさまのピアノと同じくらいデカいな」


 カウンターの向かいにはスポットライトに照らされたステージがあり、マイクスタンドの奥にはグランドピアノが設置されていた。

 近づいて触ってみると、結構年季が入っている。鍵盤を押すと、しっかりとチューニングされた平均律らしく正確な音が室内に響いた。


「チューニングも手入れもされてる。うん、良い」

「あら、アンタピアノ弾けるの?」

「少しは。弾いてってもいいです?」

「お好きにどうぞ」


 ピアノ椅子に座り、手で鍵盤の感触を確かめる。最近はあまり弾いていなかった気がする。凄い鈍ってるんだろうな。

 ゆったりとした曲の入り。なんとなくBARに合いそうだからこの曲を選んだ。

 ラフマニノフ作曲:「パガニーニの主題による狂詩曲」、作曲家ラフマニノフの誇る名曲だ。僕の好きな作曲家なので自然と心も踊る。

 その中でも特に好きな第18変奏を演奏するべく、ゆったりと雄大に音を操っていく。


 演奏を終えると、2つ分の拍手が響いた。見れば上機嫌に手を叩くマスターと、何やら奥の方でぼーっとしながら手を叩く月潟がいた。

 久しぶりにこんなに楽しく弾いたな。人前で演奏するのも良いものだ。さっきまでの酷い気持ちが晴れていく。

 2人に向かって礼をして、そのままカウンターに腰掛けた。


「アンタ凄いじゃなぁい! 感動しちゃったわよ! 将来はピアニストかしら? 良いもの見せてもらったわー!」

「どうも。でも久々だから酷い演奏ですね。自分が楽しむことしか考えてないエゴイズムの塊みたいな演奏」

「そんなことない!」


 月潟は僕の手を取り、そしてキラキラとしたその眩しい表情で言った。


「良かった! すごく、ほんとに、かっこよかった!」

「あ、ありが、とう……?」

「〜〜〜〜〜っ!!! 顔やばいぃ!」

「全然落ち着けてないじゃん……」


 月潟ってこんなに表情コロコロ変わるやつだったのか。なんか不思議ちゃんって感じがしてたから少し意外だ。


「私もピアノ弾けるんだけど、なんか深みが出ないんだよね。だからここでは歌の方で勝負しようと思ってさ〜」

「えぇ、お上手でした。小鳥の鳴き声のように繊細で、本当に綺麗」


 思った通りの感想を述べたのだが、月潟はやはり目をキラキラさせていた。


「あ、ありがとう! その、お姉さんに褒められるの……嬉しい」


 な、なんかやり辛い。

 目を背けてグラスを口に運んだ。知らん間にトニックウォーター入れられてる……。


「って、まだ名前聞いてなかったわねえ。えっと……」

「笹神幽々火。幽々火って呼んでくださいね」

「へぇ、アタシは……まぁマスターって呼んでくれればいいわよぉ。よろしくネ」


 癖毛の紫髪、紫のアイシャドウと薄紫の唇の長身のオネエ。顔はだいぶ整っているが、言葉遣いはオネエ。北湊の大人だけど……そんなに悪いやつじゃなさそうな気はしてきた。心を許すには足りないけど。


「よろしくマスター」

「私月潟琵樹! へい私もよろしくだぜ〜」


 後ろから抱きついてきて肩の近くでわちゃわちゃやってる月潟。なんか急にフレンドリーになってきたんだけど。


「えへへー、お姉さんいい匂いだ〜」


 なんとなく申し訳ない気持ちになってきた。僕は男で、同い年で、というか同級生だ。月潟は初日の挨拶で女性に興味があると言っていた。これ以上は彼女の心を踏み躙るような感じがして、本当に申し訳ない。


「幽々火さんはよくこの辺くるの?」

「行かないですよ。なんとなく立ち寄っただけ」

「え、運命じゃん、運命だよ、運命!」

「運命……。逆に月潟さんはなんでここにいるんです? ていうかどうやったら高校生がこんなバイト先に行き着くんですか」

「こんな言うな。ってまぁ、場末のBARだし言われる気持ちもわかるけどね」


 少なくとも、学生が見つけられるバイト先ではあるまい。求人アプリ『ジョブー(トン)』を開いて検索するが、特にこの店の名前は出てこなかった。


「少しその辺で鼻歌歌ってたら、マスターが声かけてくれたの! 私つよつよの歌声持ってるから、ふふ、スカウト、スカウト!」

「このナンパクソ野郎、って言いたくなりますね」

「ちぃがぁいまぁすぅー! 少なくともアンタは営業妨害だからぶち込んだだけよ!」

「月潟さんについては弁明なしですか」

「この子可愛いから、うちの看板娘にしちゃおうかなって。ちょうどバイト探してたみたいだし、Win-Winよ」


 そのWin-Winという言葉、久しぶりにまともな使われ方をしたな。最近はWin-Loseが多すぎて世の中ほんと不平等、って僕の中の小村寿太郎が嘆いてる。


「ねぇ、幽々火さんもバイトしない?」


 月潟がカウンターに手をつけ、顔を傾けてこちらを覗き込みながら言った。あざとい。というか今なんて言った? バイト?


「あらいいじゃない! 若くて綺麗な子が多いと大歓迎! ウチは年配のお客さん多いからぁ!」

「え、と、私がですか?」

「ピアノも幾らでも弾かせてあげるわ。それどころか、その腕ならお金取れるわよ?」

「………………」


 アルバイト。その選択肢を考えなかったわけではない。

 ち囮の転院はともかく、僕の当分の学費とて馬鹿には出来ないのだ。今ここでこうしている間にも、母さんの遺産は食い潰されている可能性が高い。それならば少しでも自立した生活をするべき、と考えるのは自然なことでもある。

 だが、こいつは信用できるのか? そして何より、


「ん〜? そんなに見つめられると照れ……あ、顔良い……きゅん……」


 なんかさっきからふざけ倒してる月潟。これ以上彼女と仲良くなってしまっていいのだろうか。僕はもう2度とち囮のような惨劇を引き起こしたくないし何より……。


 ーー私を、見つけて


 彼女の最後の瞬間がチラつく。あどけない顔で疑問符を浮かべている彼女の目を、僕はまだマトモに見ることが出来ないでいる。


「…………保留で」

「あら慎重ね。まぁ未成年だって言うのなら、親御さんに相談とかもあるでしょうし」

「親に相談、ね」


 そういえば働くにはそういうのも必要なのか。だとしたらアルバイトの線はなしだな。今までのもことごとく却下されてきたし。

 などと考えていたら、マスターは優しげな笑みを浮かべていた。なんだ気色悪い。


「ちなみに、琵樹は親に相談してないわよ」

「は?」

「アンタも、なんか事情があるならそういうの抜きで雇ってアゲルから♡」

「……………」


 気を遣われた。どうやら顔に出ていたらしい。


「……帰ります」

「あら? ほんとにトニックウォーターだけで帰るのね」

「え、幽々火さん帰っちゃうの……?」


 何その悲しい……みたいな顔。やり辛い……。


「ていうか琵樹、アンタお鍋に火かけっぱなしじゃ……」

「え? わきゃー!!! 溢れてる! 溢れてるよ幽々火さん!」

「なんで私を呼ぶ!? 嘘でしょいつから火をかけてたの!?」


 何やら枝豆を茹でていたらしい。が、吹きこぼれて台無しになった。


「あら、お通しが……」

「……しゅん」


 コロコロと表情の変わる月潟。彼女がおしゃべりに夢中になっていたのが原因だが、その原因自体は割と僕にある。

 うるうるした瞳でこっちを見つめる月潟。……その目で見られると罪悪感感じるからやめろよ……。


「………キッチン借りますよ。軽いもの作ってあげますから、そこにいて。ね?」


 ぱああぁ! と華やぐ月潟の表情と、やれやれって感じのマスター。華の金曜日は少し長くなりそうだった。

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