3 その夏の如き輝きはパフェを秒で溶かす
大学生になって三度目の春を迎えた頃、私が毎朝の日課として通っている喫茶店で、また一人、友人が増えた。
いつもの様に入り口のドアを開けると、普段は人っこ一人おらずガラガラであるはずの店内――そのカウンターの奥に、見知らぬ女子高生が座っていた。私は途端に嫌な予感を感じ、顔がひきつったのを自覚する。不可解で突発的な出会い方をする人間はほぼ間違いなく赤崎の手にかかっている――制服がチャーミングで良く似合っているこの女子高生もそうに違いないと思った。
「……二歳以上離れた歳のやつは初めてだ」
これまで大学の内外を問わず、赤崎が差し向けたと思われる人物とは幾度となく会ってきたが、彼らの年齢の内訳としては私の歳プラスマイナス2が殆どを占めていた。それも私が大学に入りたての頃は年下など赤崎からは紹介されず、同い年や先輩方への人脈を広げるに留まっていた。私が後輩と仲良くなったのは大学生活で一年が経って初めてのことである。
「――おやや。おはようございます、お兄さん」
「ああ……うん。おはよう。珍しいね、この店に私以外の人がくるなんて」
「失礼な! 普段朝に来るのはアンタ一人だけだがな、昼はちゃーんと繁盛してるんだぜ!?」
女子高生の彼女とは少し離れた席に座ろうと店をきょろきょろと見回していると、彼女の方から声をかけてきた。別に朝から無愛想を振り撒く趣味もないので、私も返事をしてやった(朝から無駄にハイテンションな店主は無視である)。彼女はどこか緊張したような面持ちで、ちらちらとこちらを見つめていた――この後どんな展開が訪れるかは正直察していたが、一応抵抗として、そのあどけない顔は見ないようにした。
「すみません、お兄さん。こちらで、可愛い女子高生とお喋りしませんか。彼女ナシ童貞野郎のお兄さんには得な提案のはずです。素晴らしい展開のはずです」
「……ええと。私に聞きたいことでもあるの?」
「です。駄目でしょうか?」
「……いや、構わない。丁度、朝の話し相手が欲しかったところだ」
やはり赤崎の呪いからは逃れることが出来そうにないので、私は観念し、気の利いた言葉を返しつつ彼女の隣、カウンター席に腰掛けた。彼女はコーヒー(結構甘くしている……)の注がれたマグカップを傾けつつ、ニコニコと笑った。赤崎のそれとは程遠い、人懐っこい、弾けるような夏の笑顔である。今は春だが、彼女の口角が上がったその瞬間だけ、外でアブラゼミが鳴いたような気がした。
「私は水本と言います。べっぴん女子高生を自負しています」
「……君は随分と癖が強いんだな」
「よく言われます。お陰で自分から友達を作ったことがありません……私に良くしてくれるのはいつも、優しい人ばかり」
「奇遇だな、私もだ。私の友人に赤崎という男がいてね。そいつが私の交遊関係を粘土みたいにぐいぐい伸ばしやがる。男女関係なくね」
彼女はその特徴的で眠たげな垂れ目を見開いた――私の読みは当たった。どうせ赤崎の名を出せば彼女――水本さんも何かしらの反応を示すと予想していたが、正にその通りだったというわけだ。私は毎度のことながら、やれやれと首を振った。とうとう赤崎は、私への刺客に女子高生へ手を出したのだ。
今まで赤崎が連れてきた者たちはまだ大学内の人間だから目を瞑っていた――しかし、流石に女子高生の友人が私に必要だとは到底思えなかったのだ。彼が何を思い、何を企んで私に友人作りをさせているかは依然として分からないが、今度こそは灸を据えてやらねばなるまい。恐らく道端で出会った水本さんに私のことを話し、会いに行ってやれとでも言ったのだろう(赤崎は認めないと思われるが)。
大学生と違って、高校生は暇ではない。
赤崎は決定的な勘違いをしているのだ。
水本さんは暫くはずっとその垂れ目を見開き続けていた――改めて眺めれば、彼女は言に違わぬかなりの美貌の持ち主である。否、美貌という表現は少し違う。彼女は、有り体に言えば『可愛い』のだ。小さい顔に付いた垂れ目を始めとしたパーツ全てに均衡が取れていて、その顔を引き立てるストレートのショートヘアーが全体を違和感なく完璧に纏め上げている。さっきだって話している途中、水本さんが頭を動かす度にふぁんふぁんとたなびく髪が一々可愛らしいと感じていたのだ。
ここに断言しておくが、私は水本さんに見とれていたわけではない。仮にも大学生三回生ともあろう私が高校生に見とれた等という根も葉もない事実を周りに公言などしない方が身のためである。そんなことをしてみろ、赤崎が『人間失格』をプレゼントしに貴方の元にやって来るぞ。
どうだ、とっても怖いだろう。
しかし、次の瞬間――私は水本さんが『赤崎』というワードに反応して表情を変えたわけではないということを心から思い知ることになる。
「――私たちって、よく似てますね」
水本さんの次に驚いたのは私の方だった。
彼女はその夏を思わせるはち切れんばかりの笑顔を私に向けた――赤崎の名などまるで意に介さないように。ただ、友達がおらず、周りに頼った人間関係が同じという点だけを理解して、彼女は笑ったのだ。
まさか、水本さんには赤崎の息がかかっていないというのだろうか。そう、例えば、赤崎に悟られないよう忠告されていたとか……いや、あの赤崎が今更その様な指示をするとは思えない。今まで何度赤崎プレゼンツの人間と関わってきたというのだ。しかし、それにしてはいくらなんでも出会いが恣意的過ぎではないだろうか。
「……? どうしました。私の顔に可愛い顔でも付いてますか」
水本さんはちょこんと首を傾げて私に問いかけた。
赤崎を知らないといった態度は崩れない――私はにわかに期待した。
この女子高生は、私の大学生活の中で出会った赤崎の関わらない唯一の人間なのかもしれない。敷かれたレールの上を通らない、イレギュラーな存在なのかもしれない。私は赤崎が導くこの生活にいい加減うんざりしていたのだ。そんな毎日に、日常に、退屈に、一矢報いる機会を得た。そう数秒の間に私の脳内で弾き出された結論は、考えるだけで私の心臓を歓喜で跳ねさせた。
「お兄さんの名前は?」
「名前? ああ、うん、中島という」
「では、中島さん」
「うん。何だろう」
「わ、わた、わたし、私たち――お友達になりましょう」
「――。ああ、そう。お友達、か」
心の中で騒がしかった歓喜は、冷や水を浴びせられたかのように鎮まった。
これだから。
これだから、赤崎は油断ならない。
結局私はぬか喜びをしただけであって、これから新たな、イレギュラーな日常が始まることもないのだ。敷かれたレールは脱線出来ず、終着駅までは安全運転全開なのである。そう理解した途端、私は本日生活をする上での一切のやる気を消失した――今日は大学を休もうと。赤崎が家に来ようと木村が電話をかけてこようと、全て無視してやろうと思う程には萎えてしまった。
水本さんに罪はない――悪いのは赤崎だ。
私の人生を狂わせてしまったのは、全て赤崎である。
赤崎が、赤崎さえいなければ、私はきっと普通に友達を作り、普通に大学の講義を受け、普通に就職して普通に仕事をして普通に生きていけたはずなのに。どうして赤崎は普通を私に提供してくれないのか、意味が分からない。
「……中島さん。中島さん」
「……、ごめん。少し考え事を」
「人の話はちゃんと聞きましょうね。今回は可愛い私に免じて許します。どうか次からはお気をつけ下さいませ」
「うん、気を付けるが、これからはもう少し自尊心を下げてみることをオススメする。そしたら格段に生きやすくなるだろうよ。それで、何の話だった?」
もう今日は大学を休んでやろうと心の中で決めてしまったので、私は頬杖をつきつつ、惰性で水本さんの話を聞くことに決めた。それで、もし彼女の口から一言でも赤崎の名が出たら別れの挨拶もなく即帰宅してやろうとも決意。
さあ、ドンと来い水本さん。
いつまで私と友人と思っていられるかな。
「マスターが、早く注文をしろとうるさいので黙らせて下さい」
「うるさいって何だようるさいって! 悪いのはこいつ、中島だよ中島! 俺だってタダで場所を提供するつもりは米一粒だってないね! 注文するなら客だがな! なぁ中島ぁ?」
「……モーニングセットAと、コーヒーを。それと、こっちの水本さんに特性パフェ」
マスターにそう言ってやると、彼は上機嫌になり店の奥に引っ込んで行った(チョロい奴である)。水本さんはと言えばその冷ややかな物言いが砕け、赤面し、かつ小さな声で、私に礼を言った。
「ごめん、この店のデザート、パフェしかないんだ。甘いものが好きなんだろう?」
「……えと、よく分かりましたね」
ええ、まあ。
意味が分からない部分がある代わりに、人間を見る目は、もとい観察眼は、私を取り巻く事情によりとんでもなく発達してしまった。赤崎が差し向ける人間――後に友達となる人間は、百パーセント良いヤツである。水本さんもそうだ。変わり者ではあるが、悪い人間ではない。
「じゃ、私たちは今日から友達だ。よろしく、水本さん」
「……変な人ですね。私に惚れてしまいましたか? しからば是非ともアピール、頑張って下さい」
「はははっ。気が向いたらな」
どうして赤崎が私に会わせる人間は、こんなにも素晴らしい、私が友達になりたくなる人間ばかりなのだろうか。
赤崎のせいで、友人が雪玉を転がしたように増えていく。
しようと思えば、今すぐにでもこの店を出ていくことだって出来たのに。赤崎の気配から、ほんの少しでも遠ざかることが可能だったというのに。
どうして私は、赤崎の呪縛に抵抗出来ないのだろうか。
「……初めて、自分から友達、作っちゃいました」
水本さんは真夏の様に笑った。