1 生き辛さ即ちそれは『人間失格』の呪縛
私の自宅に無遠慮にずかずかと上がり込んでくる友人たちは其々が確固たる個性を持つ人間博物館さながらのラインナップであったが、その中でも特に際立った異彩を放つ男がいた――彼の名を赤崎と言う。
どういう経緯でそうなったのかは忘れてしまったが、友人たちが私の自宅に入り浸り、私にやけに映画や漫画、アニメを勧めてくるようになったのは、恐らくこの奇妙な男が手を引いたせいではないのかというのが最近の持論である。何故なら、大学に入って一切友人が出来なかった憐れで可哀想な私に真っ先に近づいてきたのが赤崎だからである。赤崎が私に一冊の文庫本――太宰治の『人間失格』――を殆ど一方的に貸し出して、それからなのだ、私に突然友人が増えたのは。
それはとても現実離れした出来事だった。赤崎が私に押し付けた『人間失格』を気紛れで読み終えて、まあ適当に感想を言ってやろうかと彼の配属クラスの教室に向かうと、そこには待っているはずの赤崎は居らず、代わりに別の男がたった一人、椅子に座ってランチパックを齧っていた。別に名を紹介するほどではないが、彼は木村と言って、私の大学友人第一号である。簡単に言えば私と彼は意気投合し、そのまま二人で学食を食う関係にまで発展したわけだが、その子細を赤崎に語っても、彼は怪しげな笑みを浮かべて「良かったじゃないか」と笑うだけだった。
「はぁ? お前が俺と木村を会わせたんだろう? 何を他人事みたいに」
「僕は君と木村くんを会わせたつもりはないよ? ただ、あの時僕はすこぉーし待ち合わせに遅れてしまった――それだけだったんだよ。だから君と木村くんは、ただ単純に、普通に、友人関係を結んだ。それだけなんだよ」
「そう、なのか……? 木村はどう思う?」
「カツ丼うんめぇ。このトロトロ餡がたまんねぇ」
木村は私と赤崎が話している最中も三百六十円の昼食を頬張り続けていた。赤崎はその様子を見てまた、怪しげな笑みを浮かべる。この時点で、私は彼にあまり良い印象を抱いていなかった――その得体の知れない佇まいが、本能的な恐怖を呼び覚まし、私の脳髄に訴えるのだ。しかし彼は公私問わず、私の友人を一方的に名乗り続けた。
その後もずっと、赤崎と待ち合わせをすると八割がた彼以外の男が現れる。連絡先を交換したと思えばそれは同じクラスの一度も話したことのない女子だ。週に三回は合コンに誘ってくるし、赤崎を訪ねたという名目で私の住み処に男女四人グループが出現したことすらあった。
そういう人間たちと私は、まるで運命に引き合わされるかのように友人関係と相成る。断言しても良い、絶対にだ。赤崎の名が見ず知らずの他人の口から漏れるのを聞いたとき、三十分後には友人が出来ている。今までずっとそうである、例外は無い。私が歩む大学生活の半分は赤崎が敷いたレールの上を通っていると言っても決して過言ではないのだ。そのレールの走り心地は、正直に申し上げて最悪である。友人が増えるのは喜ばしいことではあるが、その全てを赤崎が仕組んでいるというのなら話は別だ。誰かに操られている――私が誰かのマリオネット。もしそうであるとするなら、私が順風満帆な大学生活を過ごしているとは言い難い。
赤崎は一体何を考えて私に関わる。
何を企んで、私と共に過ごす。
「気味が悪いったらない」
全てはあの『人間失格』から始まったと言えよう。私があの小説の趣旨を理解することはついぞ叶わなかったが、それでも主人公が落ちるところまで落ちていく、暗く夢の無い絶望的な話であることは辛うじて理解出来た――表面上は幸せであるように見えるだろう私もそうなってしまうのかと考え始めると止まらず、私は数日おきに眠れない日々を過ごした。『人間失格』の呪縛は、いつだって私をがんじがらめに締め付けている。
そんな時でも私を訪ねて遥々やって来る友人は物語の魅力について熱弁を振るう。
「カイギャッツの最終話見たか!? ウルマの演技ヤバいよなぁ!」
「ああ……うん。そうだな。ヤバいよな」
「だよなだよな、流石は俺の友達! 中島はわかってるなぁ!」
カイギャッツ大ファンであるその友人も、結局は赤崎が用意した登場人物に過ぎないのだと諦観している自分を悟った時、これは酷い重症だと精神科に行くか本気で迷った。しかし病院でもどうせカウンセラーさんとフラグが立ったり、医者と趣味が合ったりしてしまうんだろうなと、思ったり。
私は赤崎のせいで、格段に生きにくくなった。