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X 春夏秋冬が巡り物語はただ傾き始めた

 まずはここまでこんな長ったらしい話を聞いてくれた貴方に感謝の意を捧げよう。一応この話は私こと、中島春樹が主人公に見えるように組み立てたつもりである。私を取り巻いたここ数年の大学生活の立役者は赤崎なので、この物語は彼視点で語られた方がより究極にリアルで娯楽性の高い代物になっていたのだろうが、残念ながら語り部は赤崎ではない。彼の大学友人第一号であり、尚且つ彼の被害者代表でもある私だ。

 赤崎は何処に行くでも何処にも行かずでもなく、もう何処にもいない。

 彼は自らの人生を棒に振った。

 死人に口無しというわけだ。

 さて、ここからほんの少しだけ、エピローグである。

 ご興味があれば、もう暫しお付き合い願いたい。


「……中までセミの鳴き声聞こえるって、冷静に考えて異常ですよね。せっかくの冷房も気分のせいで台無しです。店長、周りのセミを残さず殲滅してきて下さい。特にメスが狙い目です」


「んなもんお断りだっ! そんくらい我慢しやがれ……俺だってこんな猛暑日にコンロなんて使いたくねぇんだよ。誰かさんが毎朝毎朝あっついの注文してくれるもんだからさ!」


「では店長、ベーコンエッグお代わりで」


「あーわざとだ! 中島ぁ! こいつ、わざとだ!!」


「夏海はベーコンエッグが好きなんだよ。注文されたら黙って作れ」


「お前らカップル二人揃って理不尽だなぁ!?」


 私が毎朝の如く水本さんとクーラーの効いた喫茶店内で雑談に興じていると、極めて珍しいことに私たち以外の来客があった。入り口にくっついている鈴が陽気な音を立てて揺れた――私も夏海も店長も、鳩が豆鉄砲を食らったように固まる。私は一瞬の間に想像した。あの日あの時、水本さんも同じようにあの鈴の音を聞いたのだと。誰がやって来てどんな出会いが待ち受けているのかを期待する気持ち。そして新しい何かの幕開けを待ち望む胸の高鳴り。

 水本さんはこんな気持ちだったのか――夏が春に巻き戻ってしまうみたいに、その未曾有の非日常からどんな物語が始まるのか。とても、ドキドキワクワクしていたのだ。


「――あら」


 私は入店してきた人物を見留め、絶句した後、息を飲んだ。その人物は逆光により輪郭を掴みにくかったが、次第にその姿が像を結ぶと、疑いは確信に変わった。


「久しぶりね。三年ぶりくらい?」


「……もう、約四年ぶりと言っても良いかもな」


「そうね。……中島くん」


 八月の半ば、喫茶店に現れた私の元カノ――斎藤秋子は四年前、私のことを『春樹くん』と呼んでいた。

 時が経ったのを嫌でも実感させられて、私は思わず身構えた。私と斎藤は、四年前にあの映画館で喧嘩別れをした。彼女が去り際に残した言葉は友人が極端に増え夏海と契りを交わし赤崎と別れた今でもずっと私の心にわだかまり続けている呪いである。『人間失格』クラスとまでは言わないが、その言葉が私の生き方を一度は固定したのだから、その影響は計り知れない。それほどの力が篭ったあの言葉を発した斎藤は、今何を考えて私の元に現れたのか。通う大学も生活範囲も違うのに、どうして今更。


「たまたまあなたの大学にいる友達に会いに来ただけよ。中島くんに会えたのは、何でしょう。陳腐な言い方だけど、運命ってやつなのかしらね。知らないけど。そんなフィクションみたいなこと、あって良いのかも判らないけど」


 斎藤は一直線にカウンター席までやって来て、水本さんと二人で私を挟むような位置に座った。水本さんは、空気を読んだつもりなのか無表情で黙りこくっていた。店長も然り。こういう時に限ってどうしてお前らは持ち前のカオス雑談を見せてくれないのか、とてもじゃないが理解に苦しむ。


「最近、どう?」


 難しい沈黙の後、私は答える。

 斎藤は、此方ではなく、ずっと手元のメニュー表を眺めていた。


「……彼女は出来たが、友達は減ったよ。両方で、プラスマイナスゼロ。限りなく平常運転だ」


「あら、そうなの。私はてっきり、彼女にフラれてお友達が沢山出来たものだと思っていたけれど。風の噂で聞いたわ、あなた、結構充実した大学生活を送ってるって」


 一体、二百人の誰が流した噂なのだろうか。


「は、そんな噂は信用ならんな。今の私を見て判断してくれ、斎藤」


「昔は俺って、秋子って、言ってたのにね。……それでも、私の評価は変わらない。今のあなたは凄く、楽しそう」


「――ええ、そうですとも。春樹さんは今をとっても、楽しんでおられますよ。あなたと共に過ごした約四年前よりも、ずっとずっと。私はあなたよりも、絶対に春樹さんを幸せにしてみせるんです」


 これまで口を挟まなかった夏海が唐突に声をあげた。視線は私を通り越して斎藤をじっと捉えている。その失礼な物言いから私は彼女を注意しようと思ったが、斎藤はその言葉を受けて尚、余裕を崩さなかった。

 むしろ、彼女は笑った。

「ええ、そうでしょうね」と、静かに、しかし端麗な仕草で、斎藤は笑ってみせた。それは弾けるような夏の笑顔でも凍えるような冬の微笑でもない、儚く切ない秋の微笑みだった。


「夏海。今のは」


「……ごめんなさい。あの……つい、嫉妬というか。独占欲というか。出てしまって」


「気にしないで。私も四年前は、似たようなものだったから。中島くんが大好きで大好きで仕方なかった――狂うほど、大好きだった。だからこそ、映画の感動シーンで彼が爆笑した時、ショックが大きかったんだけどね」


「……初耳だぞ」


 斎藤は私に言うでも夏海に言うでもなく、ましてやただの独り言でもないような口調でそう溢し、私は反射的に言葉を返した。


「言う間もなく別れちゃったもの。当然打ち明ける暇なんて、四年経つまで一切無かったわ」


「…………」


「でも、時間が解決してくれることだってあるじゃない。時効よ時効――あの、すみません、注文よろしいですか」


「……あ、注文? おう……」


 斎藤はゆっくりメニュー表から顔を上げ、私や夏海の方には目を向けず、料理に集中する店長に視線をフォーカスする。話の成り行きをベーコンエッグを作りながら見守っていた店長は急に水を向けられ、慌てて斎藤と目を合わせた。


「中島くんがいつも食べてるやつ、下さい」


 その時、私は一体どんな表情をしていたのだろう。

 きっと間抜けで、見るに耐えない面をしていたに間違いあるまい。


「……モーニングセットA、400円。それで良いか?」


「頂きます」


 店長が店の奥に入っていくのを待って、私は改めて斎藤の顔を見た。非常に晴れやかな顔で、多分私とは対照的。彼女は先程からずっと上機嫌に見えた。


「そろそろ私たち、仲直りした方が良いんじゃないかなってね。そう、一人の友達として。素敵な隣人として」


「――――」


「今度は、ちゃんとした気持ちで、あなたは笑ってくれるのかしら」


 さて、それはどうなんだろう。

 それはこれからお前がその目でしかと、私の歩む物語を確かめれば良い話じゃないのか。

 私はせめて雰囲気を良くするため、口角を意図して吊り上げた。恐らくあまり上手には笑えていなかったと思うけど、必死の思いで不器用ながら浮かべたその気味の悪い微笑の底にはきちんと喜びの感情が渦巻いていることを、どうか知っておいてくれ。

 とは、流石に直接は言えなかったが。

 店内で交わされた握手が、私にかけられた呪いが解かれたことを劇的に物語っていた。


「――これで、プラマイゼロ改め、プラス1」


 親友との勝負は引き分けで幕を閉じたが、この場所から幕開ける新しいストーリーは別に誰かと戦う訳ではない。

 しかしながら、天秤は確かに傾いた。

 確かに、傾いた。

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