9 別にミステリーでもサスペンスでもない
暫し、夜の帳を降ろした様な沈黙が訪れる。
私は無い頭を使って必死に赤崎の真意を思案した。どうも今日に限って彼の振る舞いに納得いかない点が多すぎる。らしくない。柄ではない。集合の都合に物申したのもそうだし、やたら「これからどこかに引っ越す感」を醸しているのもそうだ。何せ赤崎のことだ、どうせまた何か趣味の悪い謀を企てているに違いない。
「おい赤崎。お前まさかまた何か企んで……」
「おや、気付くとは流石だ。しかしさて、肝心の中身は察しが付くかな?」
「……そりゃ、まだわからんが」
「道理だ。分かられては困ってしまうからね」
ここ数年で、赤崎が企画する悪巧みへのセンサーもかなり鍛えられてしまった。私はせめて赤崎に一矢報いようと、知能を総動員してあらゆるパターンを想定する。
友人が増えるのか?
財布の中身をくすねたのか?
私の食べたステーキに変なものでも入れたのか?
「そろそろかな? 中島くん、店の入り口をご覧」
「あん? ――。――――っ!?」
言われてその通りにすると、私の驚愕は最大瞬間風速に達した。
水本さんだ。
私の、つい最近出来たばかりの恋人。
彼女である。ガールフレンドである。
滅茶苦茶可愛くて尚且つキャラの濃い、私には勿体ないほどの逸材である。
そんな水本さんがキョロキョロと辺りを見渡し、店の入り口付近で何かを探しているではないか。彼女はドレスコード完全順守の、気品漂うお嬢様風ファッションに身を包んでいた。初夏ということもあって涼しげな生地で仕立て上げられたそれは、水本さんという存在の価値を更に根底から押し上げているような気がして、私は色んな意味でクラクラしてしまう。胸元に控えめに光るネックレスが良い塩梅で初な雰囲気を演出していて、彼女はまだあくまでも女子高生なのだなぁと、私は起きている事象に全くそぐわないほど能天気な分析を行っていた。
しかしそんな能天気も長くは続かない――私は赤崎に声を潜めて問い詰める。
「赤崎、これはどういうことだ!? 説明しろ! 釈明しろ! 然る後弁明しろ!」
「木村くん、出て来て良いよ」
「よっす」
「ぎぃやぁあああああああ!!」
赤崎が呼ぶと、私と彼がついているテーブル、その純白のクロスの下から我が大学友人第一号、木村が現れた。思わず絶叫し、情けないことこの上ない、尻餅をついてしまった。こんなところ水本さんに見られてしまえば末代まで弄られること請け合いである。
「水本さんの連絡先を入手するために、彼には協力してもらっていたんだ。マクド二週間で簡単に折れてくれて助かったよ。それはそうだろうね、期間は中島くんの倍だ。傾かないはずがない」
「ず、ずっといたのか貴様!?」
「悪い悪い。けど二週間食費が浮くって話だから、赤崎には逆らえなかった。中島にはすまねぇと思ってる」
「食い意地の張った奴め!」
「中島もそこに漬け込んだんでしょうが……」
木村から尤もらしい指摘を受けたところで私の動転は収まる気配がない。まさか赤崎と木村が手を組んでいたのか。手を組んで、水本さんの連絡先を入手しここへ呼び出した? いや待て、落ち着け。落ち着かなければ脳内で餅でもついているが良い。そう、木村が水本さんの連絡先を知っている訳がないだろう。確かに木村には私と水本さんを警備してもらい彼女の顔は知られているが、木村の役目は謂わば忍者だ。隠密行動によって赤崎の襲撃を監視していたはずなので、そもそも水本さんにとって木村は会話はおろか顔面すら知らぬ仲なのである。もし赤崎が水本さんの顔を知る木村に協力を仰いだとしても(それすら何故把握されているのかという話だが)それは水本さんを呼びつける決定打にはなり得ぬはずで……というか、何故赤崎はここへ水本さんを呼んだのだ? 何が目的でミーティングの場に彼女を?
混乱する中で当の木村に目をやると、かの食欲モンスターは近くにある別のテーブルから椅子を引っ張ってきてあたかも当然の様に着席する始末である。お前が当事者なのだ、何をのうのうとしている!
「いや、俺もこいつにああしろこうしろって言われてただけだかんさ。あんま何するとか知らされてねーのよ。赤崎に聞ーてけれ」
「おい。どうなんだ」
「そんなに怖い目をしないでおくれよ。安心したまえ、君が僕に想像している様な悪ーいことはしないと約束しよう」
「お前の悪ーい作戦が俺の想像を越えてきた場合は?」
「良い着眼点だ。流石、僕の友と言えるね」
「…………」
「まあ、無言の肯定と受け取っておくよ。しかしだ、多分君は、僕が組み立てた状況は想像出来ないんじゃないのかい? そう、今回ばかりは……僕と中島くん、二人の人生を賭けた戦いの、最初で最後のドロー以外の決着になるかもね」
赤崎はおもむろに席から立ち上がると、水本さんの方をちらと確認するような素振りを見せた。私が周囲に置いていかれている現状が面白いのか、赤崎はすっかり本来の赤崎に戻っていた。とことん私をからかい、これ以上無いほど嘲り、誰よりも私の身に降りかかった出来事について共に考えてくれる赤崎に、戻っている。赤崎は私の右肩に手を置いた――彼が軽く鼻を鳴らし、その瞬間、私は彼の放つ身も心も捉えられる様な冬の雰囲気を感じ取る。
「――さあ、推理してみせろ」
赤崎はまるでワトソンに問いかけるホームズみたいに、私を試す。木村は赤崎が頼んだワインを無断で呑んでいた。彼の食欲は例え飲料だろうがその飲料がアルコールだろうが留まることはないのだ。
「水本さんを呼んだのも、木村くんがここにいるのも、この店に、この時間に来るよう君に要請したのも勿論僕だ。僕が何をしようとしているか、当てられるかい?」
はっきり言って、私はまだ赤崎が仕掛けた企みの種を察知出来ているとは言い難かった。
百歩譲って水本さんと私を会わせたいのは分からなくもない。どこで知ったのかは知らないが、赤崎が数日の内に私と水本さんの関係に辿り着き、二人をぶつけて反応を楽しもうとほくそ笑んでいる、なんてこともあるのかもしれない。
だが木村がここにいる理由はない。全くもって皆無である。確かに私と木村は他の友人たちと比較しても取り分け仲の良い間柄である――しかし食の権化たる木村が私と水本さんの逢瀬に立ち会ったところで場がややこしくなるだけだ。
「――こんな所で、奇遇ですね。中島さん」
「はっ!? みずも、水本さん!?」
「ええ。あなたの世界一可愛い彼女、水本です。……顔赤いですね。唐突に遭遇した彼女に照れてるんですか? それとも酔ってるんですか?」
深く考えていると、いつの間にやら水本さんは我々ご一行を発見し、私の座る椅子のすぐ後ろにまでやって来ていた。尻餅を見られなかったことは良かったが、男三人で執り行われる騒々しい会話をガールフレンドに聞かれるというのはなかなかに気まずいものである。
私が答えあぐねていると、水本さんは私と同じテーブルを共有していた二人に興味を移した――まずは木村。ワインを入れすぎたのか魚人もびっくりの顔面蒼白で気持ち悪そうに憔悴していたので、自然と目線はまともに会話が出来そうな赤崎に向けられた。赤崎は初対面だろうが百回夕食を共にしようが、その不敵な微笑が崩れることはない。私が生き証人だ。
前々から水本さんと赤崎に繋がりがあるのかどうか――私は不安に思っていた。彼女と親しくなってからは気にしなくなっていたが、それでも懸念要素ではある。赤崎は私の交遊関係を好き勝手に弄んだ。水本さんとあれほど運命的な出会いをして、それから思い出を積み重ねて、恋仲にもなって、しかし私は結局赤崎の手で踊らされていましたはい残念、などという悲劇は受け入れ難い。
絶対に嫌なのである。
絶対に、嫌だ。
「こんばんは――あなたが赤崎さんで、間違いないでしょうか?」
果たして水本さんは赤崎に――今初めて正面から話した人物かのように接した。