0 泣き顔ばかり焼き付くその日の記憶
小説、ゲーム、ドラマ問わず、物語というものに影響を受けたという人間は極めて多いのだろう。私の周りで好き勝手に生きている友人たちもそうであった。或る日は私の住み処にて金曜ロードショーを見て咽び泣き、或る日はなけなしの金を持ち寄って購入した流行りの漫画について激論を交わした。
友人たちは毎日のように、私に熱く語って聞かせてくれた――やれあのシーンが素晴らしいだの、やれこのページが筆舌に尽くしがたいほど込み上げるモノがあるだの。しかし、酒が回り、持ち前のお喋りが留まることを知らない友人たちを、私は愛想笑いでかわし続けているしかなかった。のらりくらり、へらへら、そうかそうか、よしよしどうどう、といった具合で、適当な相槌を打って場を鎮めることに専念する……そんな毎日で、日常で、退屈である。
私は特にこれと言って好きな作品というものはなかった。
数年前、泣けると評判の映画を(別に自慢ではないが)当時のガールフレンドと見に行った時、彼女がハンカチ片手にえっぐえっぐとしゃくりあげている横で、あろうことか爆笑を堪えきれなかった私を、彼女はまるで人間じゃないモノを見るかの様にねめつけていた。そのまま映画館のロビーで別れ話に発展したことは、至極当然のことであったのだろう。月並みな表現を借りるなら、価値観の相違といったところだ。
これは驚いてほしいのだが、その時、私は自分の何がいけなかったのか、何が彼女の逆鱗に触れたのか、全くもって理解していなかったのである。どうやら私は、お話というものを正常なセンスで摂取することが出来ないタイプの人間らしかった。
別れ際、彼女が最後に残した一言が、私の中に滞って、渦巻いて、ずっと、出ていかない。
「――大好きだったのに」
私は彼女のあの表情を、未だ忘れられずにいる。