Side:レイラ・ベネット
がっつり異世界転生ものです。
私の第一の人生は終わったらしい。
そう悟ることができたのは、私が一部の界隈で大人気の『異世界転生』とやらを果たしたからにほかならない。終わった"らしい"なのは、前世での死因を覚えていないからだ。
死ぬ直前の記憶なんか思い出したくないのでそれは結構。腐っても…じゃないな。腐っていたオタクだった私は、異世界に順応するのも早かった。びっくりはしたけれども。
じゃあ何が問題かだと?転生先が赤ちゃんだったという点である。つまるところ、産声を上げた直後から記憶があったという事だ。私が見た異世界転生系の話では、怪我の衝撃で〜とか、高熱を出して〜とか、そういう展開が多かったのに。どうしてこうなった。
意思疎通は喃語か泣くかの二択。首がぐらんぐらんする。立てる気がしない。食事はミルクオンリー。一番最悪なのは漏らすしかない事。歯も生えていない口で必死にトイレだと訴えても、もう喋れるのねぇと笑われて終わり、私の人生も精神的な意味で終わった。
なにこれどんなプレイ?
精神年齢二十超えの人間が、人前で粗相をする羞恥心が想像できます?赤ちゃんは泣かないと心配されるから、文字通り全俺が泣いた心境がわかります?控えめに言って最低最悪だ。
こんな地獄を味わうくらいなら、たとえ儚くも一度目の人生で終止符を打ってほしかった。黒歴史は中二病だけでお腹いっぱいです。
思い返すだけで死にたくなる乳児期を乗り越え、幼児期に突入した満身創痍の私は、もう一つの壁にぶち当たる。それは、ここがどこだかわからないという、致命的な知識の欠如だった。
中世の西洋チックな世界だが、わかっているのはそれだけ。王道の転生ストーリーなら、見覚えのある世界に飛ばされ、なんやかんやと改変していくものだろう。ファンタジー世界ならスローライフかチートか。だがしかし、私はこんな世界知らない。ついでに魔法も無ければ、前世で貢いだ推しもいない。じゃあいったい何をどうすれば?ただぼんやりと第二の人生を謳歌しろってか。漫画もゲームも無い世界で、オタク喪女が何を楽しめと?はやくもスマホ欠乏症で発狂しそうなのに。
…さて、そろそろ自己紹介に移ろうか。
今世で私はレイラ・ベネットと名付けられた。ファミリーネームを持てるのは貴族だけ、つまり私は貴族の娘なのである。貴族としての地位は真ん中より下あたりだが、貧乏人だったかつてを思えばすごい出世だろう。
それに見た目もなかなか可愛いらしい…と感じているのは残念ながら私だけだ。どうやらこの世界観的に私の容姿は、不細工ではないが美人でもないようで、子供の頃からあまり将来を期待されてこなかった。
かくいう私も、前世のような重たい黒髪ストレートは変わっててほしかった気持ちはある。が、今の私は碧眼なのだ。大事なことだから二回言わせてもらう。日本人なら一度くらいは憧れたはずの青い目!最高じゃないか。しかもそれが似合う、外人風の彫り!もう贅沢は言うまい。他人から酷評されようと、私は今の容姿が気に入っている。転生して良かったと思えた唯一のステータスだ。
ところで、見渡せば美男美女、やたら色恋が多い、以上の点から絞られてくる世界観と言えば何か。察しの良い方ならお気づきだろう。
恐らくここは、乙女ゲームの世界だ。よもやBLの世界かとも一瞬期待したが、ここは同性愛に非常に厳しい世界だった。どれだけ厳しいって、発覚すれば国中から迫害されるのは必至。同性愛を題材にした読み物すら最悪の場合、刑罰の対象となる。ネコだタチだの口にするのも憚られる世界で愛を育むのは難易度カオスだと思う。
話を戻して、ここが乙女ゲーム世界だと想定できても私は喜べなかった。何故かって?さっきも言ったとおり、ここは全く見知らぬ世界だからだ。
付け加えるなら私は乙女ゲームはおろか、恋愛シミュレーション系は一切手を出したことがない上に、そもそも少女漫画が苦手な人間だった。私はRPGが好きだし、愛読書は少年ジャ◯プ。だからどうせ転生するなら、剣と魔法の世界で雑貨を売るか、どこぞの部活でマネージャーをやるか、モンスターをハンティングする世界で猫と戯れていたかった。それがよりにもよって乙女ゲームとは…
結婚願望すら風前の灯と化していた私に、今さら恋愛をしろと言うのか。考えただけで蕁麻疹が出そうだ。恋愛ドラマも恥ずかしくて碌に見れない喪女は、地味オタ社会人をやっていた方がよっぽど性に合う。
せめて推しのいる世界に置いてくれれば、やる気がもりもり湧いたのに。推しと幸せになるなり、推しの幸せを見守るなり、やましい妄想を膨らませるなり、楽しみが山ほどあっただろう。まあ、私の一推しはスポ根漫画に生きていたから、こんなキラッキラした甘い世界、かすりもしないんだが。
恋愛に興味を失くした女を、神様が哀れに思ったのだとしたら余計なお世話だ。こちとら二次元でリア充してたわ。充分幸せだったわコンチクチョウ。完結してない漫画の続きを犠牲にしてまで転生した意味が見出せなくて辛い。
だが私にも腐り切ったオタクとしてのプライドがある。異世界転生なんて美味しいシチュエーションは、楽しまなくては損だろう。折角(自分的には)可愛い容姿に生まれたんだから、前世では捨てていた女を磨いてみようか。きっと貴族の娘だから、所作なんかも叩き込まれるだろうし、この際ちゃんと学ぼう。他にやることもないから勉強も真面目にやるか。机に向かうのは苦手じゃないし。
そんなこんなで、無理やりモチベーションを釣り上げていた私に、お母様から無慈悲な速報が届けられたのだった。
「レイラ、喜んで頂戴!あなたに婚約の話が来たのよ」
▽レイラは れんあいイベントから にげられない!
私の目の前に、こういう画面が見えた気がした。
齢十一にして婚約の話が出るのは、別に珍しい事じゃない。むしろ私は出遅れた方だった。私には売れる要素が無いから仕方がない。個人的には、このまま売れ残っても良かったが…両親はすっかり乗り気だ。相手が格上の貴族だから、諸手を挙げて喜ぶ勢いである。
とうとう、この時が来てしまったか。私の容姿からしてヒロインでもなければ、悪役令嬢でもないと高を括っていたが、端役でもイベントにはきちんと巻き込まれるんだなぁ。勉強になる。
「お相手はロイス家のご長男のウォルター様よ。と言っても養子に入られた方だから、ご嫡男ではないのだけれど。後継はご次男になるそうだから、あなたも負う荷が少ないかと思って」
お母様、説明乙です。
なるほどなるほど。養子に迎えられた直後に実子が誕生し居場所を失ったパターンか…おk、把握した。そこへ共感してくれるヒロインが現れて恋に落ちるまでのビジョンが鮮明に見える、見えるぞ。少女漫画は苦手だが、同人誌という神本は読み漁ってきた私に死角はない。ああくそ、思い出したら読みたくなってきた。
「しかもかなりの美少年ですって。良かったわね、レイラ」
これは完全に攻略対象っすわ。
私はさしずめ、ヒロインが現れるまでの邪魔な婚約者ってところか。被害妄想が過ぎるかもしれないが、防御壁は高くしておくに越したことはないだろう。恋愛初心者は不用意に傷つきたくないのだ。私がそのウォルター様とやらを繋ぎ止めることが可能なら、それが最も円満そうだけれども、恋の駆け引きなんぞやろうと思ってもできない。
というか何をやろうが喋ろうが、フラグを立てそうで怖い。乙女ゲームっていうのはあくまでも私の仮定で、もしかしたらここはR指定の際どい世界かもしれないのだ。登場人物が全員サイコパスだったらどうしてくれる。恋も面倒だが、早死にはもっと御免だ。じゃあ逆に没落スローライフコースと洒落込むかと問われれば、何のチート能力も持たない私には難しいだろう。前世で私の職業は歯科助手だった。歯のチートって何ぞ?草はえるわ。それをやるならせめて歯科衛生士の資格くらい持っておかないと。
なんて頭の中でごちゃごちゃ愚痴っていても、顔合わせの日が延びる訳もなく。今までで一番着飾られて、私は婚約者に会いに行かされたのだった。
「はじめまして、レイラ嬢。僕はウォルター・ロイスです。どうぞよろしく」
はいはい美男子。しかもメガネ美男子ときた。どうみても攻略対象です。
はてさて、私はどうすべきなのか。キャラ作りをして、頑張って恋にチャレンジしたほうがいいのか…
キャラを作るって言っても色々ある。ツンデレ、ヤンデレ、電波、天然、内気、勝気、健気、清楚、淫乱、アホの子、インテリ、ギャル系、ロリ系、お姉さま系…挙げていったらキリがない。
……素でいくか。うん、やっぱり無理はダメ絶対。ボロが出るに決まってる。
私が当たり障りない挨拶を返すと、ウォルター様はにっこり微笑んだ。うおっ眩しっ。でもなぁ…私の好きな笑顔じゃないんだよなぁ…なんていうのかな。完璧すぎて引くっていうか。私は口元にケチャップをつけて屈託なく笑う、そういう笑顔にhshsします。
結論から言うと、ウォルター様とは何も無かった。出会いイベントなんだから何かしら起こるかと思ったが、普通に顔見せだけして終わった。
ウォルター様は嫌味なくらい優しく紳士的な子供だった。将来、さぞ輝くイケメンになるだろう。私が好きな努力・友情・勝利を兼ね備えた主人公達とは大違いの。ま、後々登場するであろうヒロインとよろしくどうぞ。私のことは放置プレイで構いません。
そう心の中で念を送っていたのだが相手側、つまりロイス家から「月に一度は会ってもらいたい」という手紙が届いた。そんな無理やり、婚約者感を出さなくてもいいのよ!私のライフはもとからゼロよ!
格下である私が「だが断る」などとは口が裂けても言えず、泣く泣く月一で強制イベントが発生する仕様になってしまった。
で、月一で会うようになって何か変化があったかと言えば何も無い。あれ?デジャヴ。
ウォルター様は優しく、私は当たり障りなく。互いに礼儀は弁えるがそれしか無い。喋っていても楽しくもなければ死ぬほどつまらない訳でもない。敢えて言うなればこの感情は『無』である。例えるなら廊下ですれ違う先輩後輩的な。私達、同い年だけど。
私が世間話をするのが苦手というのもあり、ウォルター様が口火を切らなければ沈黙が続く。仮にウォルター様が話し始めても、こちらに会話を膨らませる能力がないため、盛り上がりに欠ける。
誰得のイベントなんだこれは…次のアプデで廃止されるのを切に願う。
しかし、ユーザーの期待は裏切られるのがお約束。嫌というほど知ってる。
ウォルター様との会合イベントは毎月ちゃんと発生した。雨が降ろうが雪が降ろうが、月の真ん中の日に会う。基本的にウォルター様がベネット家を訪問してくれる形だったが、春には家族ぐるみでピクニックなんかも開催された。
そうやって一年、また一年と経過し、一ミリたりとも進展の無いまま社交デビューの年がやってくる。この頃になると、ウォルター様と二人で外出…世間一般だとデートに当てはまるイベントもあった。ところがいい加減、話のネタが尽きてきたのか、ウォルター様の口数は年々減っていったことも相まって、毎度のデートは静かだった。もうあれはデートとは違う何かだ。当たり障りのない返事を返すのも面倒くさくなっていた私には丁度良いが。
ウォルター様はいつもにこやかだが、眼鏡の奥に潜む表情は読めず、現在の関係についてどう考えているのかよくわからない。どのみち興味が無いので私は知ろうともしなかった。なんて希薄な婚約関係か。でも、その方がウォルター様とヒロインがエンカウントした後、すんなり婚約解消できて都合が良いかもしれない。
前世と同様、怠惰に歳を重ねていく私であったが、ある晩、お父様によってカジノへと連れ出された。カジノ場で遊ぶ事は貴族の大人の嗜みと見なされているので、893の溜まり場とかでは決してない。まだ十代の私も大人の階段を上る訳だ。
それにしてもカジノか。ちょっと楽しみではある。ざわ…ざわ…とか呟いてみたりして?ええ、もちろんギャンブル漫画も好きでしたとも。テンション上がってきたな!
半ば浮かれながら訪れたカジノ場で、私は痛い目を見る。いやまさかいい歳して、秘められた才能が覚醒するとか思っていないですよ?痛い目っていうのは、そういう中二病的な痛々しさではなく、ましてや賭けで大損したとかでもなく、精神ダメージ的なやつだ。
貴族御用達のカジノ場には、奇しくもウォルター様が来ていた。あちらもこちらも貴族なのだから、同じ場所にいるのは別に驚くことじゃない。ただ、気まずくはあったので、私は視界に入らないようコソコソと遊んでいた。どうやら彼は大勝ちしていたらしく、またお酒も少々入っているのか、機嫌がすこぶる良さそうだった。余談だがこの世界、お酒の規制はあってないようなものである。
見たことないハイテンションゆえに、声もでかくなり、けっこう離れた場所にいた私の耳にも、友人同士との会話が聞こえてきた。
「逃げ回ってたけど、俺もとうとう婚約が決まっちゃってさぁ。ウォルターはずいぶん前に婚約してたよな?婚約者がいるってどんな感じ?」
「どんな感じと言われてもな…特に何も思わない」
た、タイムリーな話題だなぁ。ここで「どーもどーも」とか言って出て行ったらどうなるんだろう。お金を積まれたってやらないけどね!あとウォルター様、私と喋る時はいつも敬語だったからタメ語って貴重な気がする。
それはさておき、ウォルター様も私と同じ感想で安心した。
…と思っていられたのは、この時までだった。
「格下の家のくせに、この僕が気を利かせて話しかけても、嬉しそうな顔の一つもしないからな」
「うわ…そりゃきついな」
「それに見た目も冴えないどころか、気味が悪い。カラスみたいな黒の中に、目だけが浮き出て見えて不気味だよ。僕が義親に逆らえないからって、もう少しマシな相手を用意してくれても良かったはずだ」
「ははっ!言うなぁお前」
「まあ阿呆だからやりやすいのが、唯一の長所かな。他の令嬢に贈る予定だった物を間違えて渡した事があったんだが…そうとも知らずに、まったく似合わないネックレスをこれ見よがしにさげてきてさ。あれは笑えたよ」
あの嫌味ったらしいほどの笑顔には、そういう意味があったんですか。優しい態度も、紳士的な態度も、やっぱり演技でしたか。そんなことだろうとは思ったが、言い過ぎだろお前っ。
私だってな!黒髪じゃなくて、こう、ふわっとした明るい髪色に生まれたかったわバーカ!それとな、この瞳を貶すんじゃねぇ!お前も一度日本人として生きてみやがれ!そうしたら青い目の素晴らしさがわかるだろうよ!付け加えると、私は浮気男が大っ嫌いだ!去ね!!なんだ『他の令嬢』って!?どう見ても私には似合わないアクセサリーを渡されて、つけるかどうか悩んだ時間を返せ!どアホ!!
おっと、いけないいけない。今の私は貴族の端くれだった。汚い言葉は厳禁である。
それにしても、いけ好かない野郎だとは感じていたが、これほどまで酷いナルシストメガネだったとは。ここは一つ、言わねばなるまい。『やな奴!やな奴っ!やな奴っ!!』とな。
いやはや、この腐った性根を叩き直してくれるなら、是非ともヒロインが貰っていってほしい。そうなった時は、めっちゃいい笑顔で送り出してやるわ。
こうして私の初カジノ体験は、胸糞悪い気分で幕を閉じたのだった。
ウォルター様の裏の顔を知ったからといって、私達の関係は何一つ変わらなかった。どれだけ心の声が汚かろうと、それを実際の声に出せないのが私だからだ。こんなだから子供の頃、虐められていたんだろうと思うけど、大人になってもチキンなのは変えられなかった。
だいたい、もとから冷め切った婚約関係だ。悪印象を持たれたところで、どうという事もない。自分が気に入っている容姿を馬鹿にされるのはムカつくがそれだけである。エセ紳士のウォルター様は、面と向かって酷評することはないので、私も気にしないのが吉だろう。
月に一度、カフェでお茶してさようなら。
そしていつかはフォーエバーにさようなら。
ここはひとつ、私も淑女の対応をしてやる。
ウォルター様とエターナルグッバイの日はいつかと指折り数えて待っていた私。その日は意外とすぐにやってきそうだった。
社交界に突如として現れた美少女の名前はソフィア嬢。とある子爵が庶民の女性を隠れて愛人にし、隠れて子供を産ませたことが発覚。それに伴い社交デビューをしたという設定持ち。うむ、えぐいな。
まあ何にせよ可愛い。胸も大きい。私がミニあんぱんだとすると、彼女はメロンパンだね。あれだ、ぼくがかんがえたさいきょうのヒロイン像である。ちらっと見かけたが、めちゃくちゃに可愛い。そりゃ何やったって許されるよ。だって可愛いは正義。
庶民として育てられてきて、右も左もわからない社交界に放り出されたソフィア嬢。あまりの可憐さに、いっそ私が助けてやりたい衝動に駆られる。が、その役目は私の隣にいるエセ紳士くそメガネ…もとい攻略対象者に譲ろう。養子という気まずい立場の貴様ときっとウマが合うはずだ。さっきから婚約者を放って、ヒロインに釘付けなことだし。人のこと言えないが、面食いだなこのメガネ。こっそり興味本位でウォルター様の浮気相手を調べてみたら、みんな顔面偏差値が高かった。私への当てつけかよ。
どうぞいつでも婚約解消を申し出てください。立場上、私からはできませんので悪しからず。
私の思惑通り、ウォルター様はヒロインに夢中になっていった。無論、贈り物を間違えるなんて凡ミスはやらかさないし、ガチの紳士になってソフィア嬢に接近している。あれをやられたら、私だって勘違いしそうなくらいだ。
ウォルター様だけではない。我が国の皇太子やら、筆頭貴族の令息達やら、若き騎士団長やら、オーラの違うイケメンがこぞって堕ちてく堕ちてく。見ていて逆に爽快だった。これが乙女ゲーヒロインの力なのか。それに伴いヒロインVS他の令嬢達の泥沼が勃発している。盛り上がってまいりました。
かの有名な婚約破棄イベントはまだですかとワクワクしていた私だったが、ウォルター様とは未だに月一デートイベントが続いていた。もしかして義理の両親の手前、自分の意志を押し通すことを躊躇しているのだろうか?つい先日も誕生日プレゼントを送ってきたし…
嫌々ながらの婚約だったくせに、誕プレやら前世でいう御年賀やらを欠かさず送ってくるんだよなぁ。身分が低いほうから高位の者へ贈り物をするのは貴族社会の風習にそぐわないため、私はお礼の手紙しか返さないが、次会った時には必ず「丁寧なお手紙をありがとうございます」と言ってくる。変なところで真面目というか、律儀というか。
そういう僅かながら良い一面を、ソフィア嬢が気に入ってくれるのを祈るしかない。
婚約者が陰からエールを送っているなんてつゆ知らず、ウォルター様は今日も上っ面だけの優しい笑みを向けてくる。
「丁寧なお手紙をありがとうございます。そのショール、使ってくださっているんですね」
いつまでこの無意味なデートイベントは続くんだろう。そんなモヤモヤを抱えながら、私は迎えに来たウォルター様にいつもの愛想笑いを浮かべる。
「はい。素敵なプレゼントに心からお礼申し上げます」
テンプレみたいな会話だ。
無感動なまま、ウォルター様に連れられてカフェへ向かう。一応、デートという体をとっているので横並びで歩くのだが、手は繋がない。馬車の昇降ではエスコートがあるものの、触れ合いらしい触れ合いはそこだけ。正直、私はそれだけでも変な汗がドッと出る。男の人とは無縁な前世だっからね。ときめきよりも異様な緊張感に見舞われる体質になっている。私を本気にさせたいなら、ゲームのコントローラーを握らせるべきだ。
「今日は個室ですか?」
「……たまには良いかと思いまして」
ウォルター様が選ぶカフェはどこも当たりである。他の令嬢と行ったんだろうと予想してるけど、美味しいからまあいいやと流している。大抵のカフェには個室が何部屋か用意されているが、私達が利用することはない。テラス席のほうが沈黙を気にせずに済むからだ。だから今日、ウォルター様が個室を選んだのが意外で、つい疑問を口にしてしまった。
だけど、妙な間が空いたおかげで察することができた。ソフィア嬢と来るための下見か、と。その証拠にいつもなら沈黙が流れる場面でも、ウォルター様がにこやかに話しかけてきた。「ここの雰囲気はどうですか?」とか「お茶の味はいかがですか?」とか。
私の好みを知りたい訳がないのはわかっていたので、私は親身になって答えてやった。中身の実年齢は、認めたくないけど年増のババアだからね。意地なんかはったってしょうがない。世間一般の令嬢目線で答えられたかは自信が無いが、元々の女子力が低いので許してほしい。
「レイラ嬢に喜んでいただけて僕も嬉しいですよ」
「ウォルター様は本当にお優しいですね」
ソフィア嬢も喜んでくれるといいですね、仮面紳士。
可能ならそう付け加えたかったけど、あまりの白々しさに笑顔が痙攣らないよう、口元に力を込めるので精一杯だった。
雪が溶け、春が訪れれば私達は十八歳になる。七年前の約束通りなら、ウォルター様と結婚することになるだろう。どう転ぶかは彼次第。私は流れに身を任せるのみ。
結局、前世でも今世でも、恋愛をすることはないんだなと思った。転生して外見は変わろうとも中身は私のままなんだからどうしようもない。別段寂しいとは感じないし、何ならリアルの男性はしばらく遠慮したい。冷めた婚約者役もなかなか疲れる。婚約破棄なんて嫌な手垢がついた令嬢は売れ残るかもしれないけど、それはそれで気が楽だ。親不孝って怒られるかな。でも孫を見せないより、早くに召されることの方がよっぽど親不孝だろう。長生きするから、それで許してもらいたい。
そうやって悠長に構えていた私。ところが、思いも寄らぬ大事件が起き、状況が一変する。それは寒い真冬のことだった。
"ロイス家の屋敷が全焼した"
そう報された時、流石に言葉を失った。
冷めた付き合いだったとしても、七年という短くない年月を過ごしてきた相手だ。不幸があったと聞けば動揺も心配もする。無事なのかとお父様に詰め寄れば、ウォルター様を含めご家族は全員無事だと言う。出火したのが真夜中で、人が少なかったために被害は最小限にとどめられたと言うが、それでも使用人数名が亡くなったそうだ。この場を借りてご冥福をお祈りしたい。
しかしお父様の言葉はそこで終わりではなかった。
「命に別状は無いそうなのだが…」
私の心臓がドクドクと嫌な音を立てている。
お父様の顔つき、声のトーン。言葉の続きが良い内容でないのは明白だった。
「…ウォルター様が酷い火傷を負ったそうだ」
私は辛うじて一言二言、返事を返したが、依然として鼓動は落ち着いてくれなかった。
「きっと消沈しておられるだろうから、お見舞いに行って差し上げなさい」
怪我の具合が心配なのでお見舞い自体はやぶさかではないが、私が行ったって喜ばれないだろうに。
その気持ちは心の中に仕舞っておいた。
ウォルター様は今、ロイス家が所有する別荘で治療中と聞く。とりあえず訪ねてみて、会えそうだったら会ってこよう。
火事から十日後。容体が少し落ち着いたと聞き、私はウォルター様を見舞うために、雪景色の街を歩いていた。途中までは馬車で行けたのだが、雪が深くなってきたので徒歩に切り替えたのだ。あと少しの距離だからと思ったら、意外とキツかった。別荘に着く頃には体が冷え切ってしまっていた。まあ私のことはともかく。
別荘の扉を叩くと、若いメイドさんが出迎えてくれた。ウォルター様に会えるかと聞けば、浮かない顔で「はい」と言われた。何となく引っかかりを覚えつつ、私は別荘の中へ案内された。
……なんだか異様に人が少ないような。
そう感じたのは気のせいではなかった。何故かここにはウォルター様と数名の世話係だけがおり、ロイス家の皆様は別の大きな別荘に居るという。いくら義理の家族だからって、怪我人を独り放っておく意味がわからない。私があからさまに怪訝そうな顔をしていたからだろう。メイドさんが視線を彷徨わせながらごにょごにょと答えてくれた。
「……わ…災いが、うつると仰って…」
…………は?災い?
まさか火傷のことを言っているの?
馬鹿じゃないのか。確かにここは信仰心がとても厚い世界だけども、屋敷が火事になったのは火の不始末が原因であって、ウォルター様は純然たる被害者だ。こんな風に災いだ何だと忌み嫌って隔離するのは絶対に違う。
…でも、ここまで信じ切っている人達に、正論を説いたって無駄に終わるだろう。
無意味な議論を避け、私はウォルター様の容体を尋ねた。
「…眠っておられたところに、火を纏った材木が落下してきたため、お顔の左半分と左肩から腕にかけて焼けただれています。お医者様の見立てでは、左目はもう…駄目だそうです」
漫画とかにも、顔に傷があったり隻眼のキャラクターはいる。ほとんどの場合、格好良く描かれているものだ。だがそれはあくまでキャラ作りである事を、私は痛いほど思い知った。
ベッドに横たわるウォルター様は、話で聞いていた以上に悲惨な姿になっていた。顔と上半身は、赤黒い血と滲出液が染みになった包帯でぐるぐるに巻かれ、毛髪も焼けてちぢれている。苦しげな呼吸音が微かに聞こえてくるが、喋ることは不可能なようだ。
私が近づいていくと、ウォルター様の右目が開いた。眼鏡が無くてどこまで見えるのか知らないが、それでも目が合った。その瞬間、身が竦んだ。
彼がどんな気持ちで、私を見ているのか。これまでだってよくわからなかったが、今は本当に何も感じられない。ただただ、漠然とした不安だけが込み上げてくる。こんな事、初めてだった。
いつまでも絶句している訳にもいかず、私はそっと声をかけた。ちょっと震えてしまったかもしれない。
「必ずよくなりますから、大丈夫です」
まるで自分に言い聞かせているみたいだった。だけど、他に何て言っていいのかわからなくて、あとは精一杯微笑みかけるしかできなかった。
当然、返事はなかった。反応もなかった。
「また来ますね。動けないと退屈でしょうから、今度は本を持ってきます」
今度は、声は揺れなかった…と思う。
それから私は五日に一度、別荘を訪れた。
三日に一度じゃあ鬱陶しそうだし、週一だと寂しかろうとお母様に助言されたためである。
私は医者ではないので、やる事と言えば約束通り本を持っていき読み聞かせる、それだけだ。右手は動くのでリクエストがあれば教えてくださいと、ペンを渡そうとしたのだが無視された。でも迷惑だとも来るなとも言われないので、私は通い続けた。
静かな部屋に静かな音読が響くたび、私は初めてウォルター様に謝りたくなった。デートもどきの折、会話する気の無い私に、一度として怒らずに笑顔で話しかけてくれた事が、どれだけ大変だったのか。たとえ胸中で真逆の事を考えていたとしても、婚約者を尊重しようとしてくれたんだなぁって…
喋るのが苦手でも、せめてもう少しくらい頑張れば良かったと自責の念に駆られる。大人の対応が聞いて呆れる。こんなの、単なる"逃げ"でしかない。
逃げるなんて最悪。ジャ◯プ系主人公達なら逃げたりしない。彼らが決して諦めずがむしゃらに突き進む姿が大好きだった私は、自分が恥ずかしくなった。
およそ十八年の年月を経て、私はようやくこの転生人生に真正面から向き合う覚悟ができた。
そんな矢先のこと。ウォルター様の包帯が少しずつとれてきた。やっぱり漫画のような格好いい傷ではなく、かなりグロテスクな様相を呈していた。左の瞼は焼けてくっついてしまっているし、唇や頰もうまく動かせないようで、食事をするのも億劫そうにしている。肌は変色し、ぼこぼこしたままで、どこまで元通りになるのか見当もつかない。だけど、確実に快方に向かっているのを、横で見ていた私は嬉しさしかなかった。
「包帯がとれて良かったですね」
燃えてしまった髪の毛も、短いながら生え揃った。だから私はつい笑顔になってこう言ったのだ。ウォルター様もきっと喜んでいるのではと思っていたのだが、それは私の思い違いだった。
「……よくやりますね」
「え…?」
「惨めな人間に優しくして、どうでした?優越感に浸れましたか?立場が逆転して清々しましたか?」
優しい台詞しかかけられたことがなかったため、鋭い棘を含んだウォルター様の声音がより怖く感じられた。
事件の後、私は今まで知らなかった彼の姿ばかり見ている気がする。
「良い女だと思われたかったんですか?それとも婚約者としての義務感ですか?そんなに僕に好かれたかったんですか?笑えますね」
その台詞の通り、ウォルター様は思うように動かない口元に、嘲るような笑みを浮かべている。
「僕のことなんかどうでもいい癖に!!そこまで他人の不幸が嬉しいのか!?僕がこんな風になった途端、足しげく通うなんて君は最低だなっ!!」
ウォルター様の怒声に、びりびりと鼓膜が痛んだ。
これが七年間、一度として聞けなかった彼の本音か。ならば私はもう逃げたくない。
「その薄気味悪い無表情はうんざりだっ!!」
ウォルター様が怒鳴りながら、積み上がっていた本の一冊を投げつけてきた。ハードカバーの本だから結構痛かったけど、投げた本人の方が痛そうな顔をしている。そんな顔をする必要はないのにと思いつつ、私は包帯がとれたばかりの手に触れた。
「…まだ完治していないのに、無理に動かしてはだめですよ」
私から触れるのが初めてだったからか、ウォルター様は急に黙ってしまった。これは好都合。今度は私のターンだ。
「ウォルター様に好かれたいと思って、ここへ来ている訳じゃありません。というより、好かれたいと思ったことはないですね。あなた様がソフィア様に恋慕しておられるのは存じておりますから」
「!?」
「『阿呆なのが長所』と評価する相手に、好かれようとする方がおかしな話かと」
「な、なぜそれを…!?」
言わなかったけど、他の令嬢を何人も口説いていた件も、予行練習にされたカフェの件も、この阿呆は知っているんだからな。
「私の顔についてはコメントしかねますが、他人の不幸を喜ぶような人間と思われるのは心外です」
「……っ、じゃあどうして」
「…恥ずかしながら友人と呼べるのは、ウォルター様しかいないんですよ」
「………」
実は私、今世では一人も女友達がいないのだ。
かと言って前世では大勢いたのかと問われれば、それも違う。無料通話アプリに登録されていた友達の数はわずか五人。うち三人は社会人になった後、全くメッセージを交わしていない。残り二人とは互いの誕生日に一度、やりとりをする…といった具合だった。
だから月一でカフェに行くなんて、私からすればもはや親友と同義なのだ。しかも毎回奢ってもらっていたし。ここ重要。私は食べ物の恩を決して忘れない。
エセ紳士くそメガネ野郎だとしても、月一で美味しいお茶を奢ってくれて。会話する気無しの私にいつも優しく話題を振ってくれて。きっと根は良い人なんだろう。誠に勝手ながら友人認定していても仕方がない。
婚約者の義務感がゼロだった訳じゃないと思う。恋愛というものを避けていたのも事実。だけど、友人の恋路が上手くいけば良いと願っていたのも、紛れもない私の本心だった。
「友人が負傷したと聞けば、心配して見舞うのが当然でしょう。不幸見たさに雪をかき分けて何度も来る阿呆はいません」
ぴしゃりと断言してやると、ウォルター様は唖然としながら口を半開きにしていた。そんなに驚かないでほしい。盛り上がれるオタ話がない世界で、友達作りは絶賛迷子中なのである。可哀想なものを見るような目はやめなさい。
「友人の見舞いも鬱陶しいようでしたら、もう来ませんから」
怒るだけの元気が出たなら安心だ。
慰める必要が無くなれば、お見舞いも不要だろう。私の何が慰めになったかはわからないけど。
ウォルター様は黙ったままだった。
しかし帰りがけに、メイドさんが走ってきて伝言を渡してくれた。その辺にあった適当紙きれに一言だけ。
『また五日後に』
何でだろう。ちょっと萌えた。
やや婉曲にではあったが来てもいいと言われたので、私は五日後、いつもの時間に別荘の扉を叩いた。するとなんと、ウォルター様本人が出迎えにきた。いつもはメイドさんだったから、びっくりして棒立ちになる。同時に、随分と元気になったんだなぁと安堵もする。
「寒いでしょうから、はやく中へ」
火傷のせいで引き攣ってはいるが、見慣れた優しい微笑みを浮かべるウォルター様。つい先日、ブチ切れていた人は幻のように思えてくる。すっかり通常運転な婚約者様だけども、今の彼の笑顔は不思議なことに嫌味ったらしいとは感じなかった。
充分に暖められた客間に通され、私はウォルター様と向かい合うように座った。着席するやいなや、彼は真っ先に謝罪の言葉を口にする。
「先日は暴言を浴びせてしまい、申し訳ありませんでした。女性を傷つけるなど、あってはならない事だと深く反省しています。どうか許してください」
「気に病まなくていいですよ」
簡単に気持ちの整理がつくはずがないし、一番辛い思いをしているのが誰かくらい理解している。というような事を伝えれば、ウォルター様はますます申し訳なさそうにしていた。
「先日の件もそうですが、以前からの失礼な言動もお詫びしたく…」
「ああ、それで思い出したんですが、あの赤い大きな宝石がついたネックレスはお返しした方が良いですか?差し上げたいご令嬢がいらっしゃったのでしょう?いつまでも私が持っているのは申し訳ないので」
「……本当にすみません。今更謝って済むことではありませんが…」
「責めているように聞こえたのでしたら謝ります。すでに申し上げた通り、ウォルター様を男性としてお慕いしている訳ではありませんから。友人の恋が成就すれば、それに越した事はないですしね」
「……そうですか。では、ネックレスは返していただけますか?」
「はい。もちろんです」
似合わないとこき下ろされたネックレスは、これでやっと似合う人のもとへと行くだろう。あ、でも今はソフィア嬢狙いだったか。まあ売ってお金にするなり、どうとでもできるからいいかな。
「改めてプレゼントしますから。今度こそ、きちんと君に宛てた物を」
「え?私に贈っている場合ですか。ソフィア嬢の気を引かなくて大丈夫なんですか」
仮にも婚約者が述べる疑問ではないが、うっかり口が滑った。いやだって、遅れをとった分頑張らないといけないだろう。
迷える友人の背中を押し「行きな」と親指を立てる…そんなポジションに、私はなりたい。
「………色々と物申したいことはありますが、ソフィア嬢なら皇太子殿下と相思相愛の仲ですよ」
おお…ヒロインは皇太子ルートを選んだのか。あんまりご尊顔を拝したことはないが、確かゲームのパッケージでセンターを張っていそうな、とびきりのイケメンだった気がする。私には知る由もないが、正規のルートなのか?
「こういう時、気の利いた言葉をかけられなくて申し訳ありません」
「婚約者である君が、そんな言葉をかける必要はないです。むしろ怒るところですよ…」
別に怒っていないですしおすし。
ウォルター様が攻略対象者なのは気付いていたから、何かしらヒロインと絡むことは予見していた。だから怒るとすれば、私の瞳を貶した点くらいだが、それも脳内でブン殴っておいたから、もう私の中では既に大昔のことである。
「…レイラ嬢」
「はい」
「……こんな僕ですが、まだ…婚約者でいてもいいと……思ってくれますか?」
「はい。この婚約について、私は口出しできる立場にはございません」
「そうではなく……いや、今はひとまずそれでもいいか…」
「??」
独り言みたいにもごもご言うから、最後の方は何て言っているか聞き取れなかった。だが聞き返しても答えを濁されてしまい、結局分からずじまいとなった。
ソフィア嬢とのハッピーエンドを迎えられなかったので、私達の婚約は解消されず、デートイベントも無事に復活した。しかも頻度が増加するという特典付きだ。
復活はしたがカフェへ行くことはせず、別荘か我が家で駄弁る、いわゆるお家デートなるものに取って代わった。ウォルター様があまり自分の顔を世間に晒したくない、君にも迷惑がかかるから、と言ったからである。私は気にしないと伝えたのだが、あまり信じていない様子だった。
いいか小僧。人目に配慮することはあっても、人目を気にしてたらオタクはやってられねぇ。それに転生してすぐに公開脱糞をさせられた私は、もう何も怖くない。
…と、伝えられたら良いのだが、彼はそもそもオタクではないし、外出を疎む心情も理解できる。ウォルター様が一歩踏み出そうと思える時を待つのが最善だろう。家で飲むお茶ほど落ち着けるものはないのが私の持論だから、願ったり叶ったりとも言える。
それから私達の関係は、少しずつだが変わっていった。まず変化したのは会話量と質だ。お互いにお互いを知るよう、努力し始めたから当然と言えば当然である。
それは良い事なのだけれども、問題は私の方にあった。ウォルター様はもともと話上手だが私は…うん。会話を続けようと精一杯やってるんだけどね。なぜか発酵が進まず膨らんでくれないパン生地の如し。
例えばこの質問。
「お礼の品を贈りたいのですが、何か欲しいものはありませんか」
今までの私だったら「そのお気持ちだけで充分です」で終わっていた。だがしかし、もうこれではいけない。逃げちゃだめだと繰り返し言い聞かせ、私は踏みとどまろうとした。
欲しいものはある。正確にはスマホを筆頭に返してほしいものが山ほどある。だけど無い物ねだりは虚しいだけ。この世界に存在するもの、かつ、私が欲しいものをお答えしなければ。
うんうん考えて、考え抜いて思い至った回答がこちら。
「………カワウソがほしいです」
「カワ、ウソ…?」
「昔から飼いたいなぁと思っておりまして…」
「へ、へえ…」
何だこの微妙すぎる空気。そんなにNGなのかカワウソは!?一般的にねだるものからやや逸している自覚はあるが、ペットを飼うこと自体は貴族にとって普通なことなのに。
ちなみにウォルター様、野生のカワウソは無理だったと謝り、代わりにぬいぐるみをくれた。オーダーメイドだというぬいぐるみの可愛さは、言葉では語り尽くせない。なんかもう、本当にすみませんでした。家宝にします。
さて、私もめげなかったがウォルター様もめげず、果敢に会話のキャッチボールを投げかけてくれた。頭が下がるばかりである。
ある日の会話は以下の通り。
「君の好きな食べ物は何ですか?」
婚約してから七年経って聞く内容か?という突っ込みは無しでお願いします。で、私の答えはこう。
「…揚げた芋、ですかね」
嘘です。本当はカップ焼きそばが大好物です。だけど素直に答えてあのザマだったから今回は本音を仕舞い、マクド◯ルドのポテト的な意味合いで答えた。
そしたら、ウォルター様は見事にぽっかーんとしていた。
「カリッとしたのも、しなっとしたのも両方好きです」
こう付け足せば、女子力は低くても包容力は高く聞こえそうかと思ったが、相手の様子を見るにそうでもなかったみたいだ。「蒸した芋です」という前例に倣おうとしたのはマズかっただろうか。ああいうのは可愛いキャラクターが言ってこそで、私みたいなのがパクっても駄目ってことですね。
気を取り直して、別の例を挙げよう。
「君は本の読み聞かせが得意なんですね。知らなかったです」
私自身も知らなかったが、お見舞い中にやっていた音読は、割と上手だったらしい。プロの声優さん達の美声を聞き続けた影響だろうか。
知られざる潜在能力が発覚したのは嬉しかったが、私の特技は別にある。どんな場所でも三分で寝落ちできることだって?そんな怠惰な特技を自信満々に言う訳ない。私だって学習している。
「いえ、私の特技は歯磨きです」
前世の職場で歯科衛生士の先輩が教えてくれたブラッシングテクニック。そのおかげで、今世の私は虫歯無しなのである。よく噛んで食べるようにしてきたから、顎もちゃんと発達して歯並びも良い。今なら堂々と歯を見せて笑えるし、磨き甲斐のある口になっている。青い目の次に自慢できることなのだ。
「え?は…」
「歯磨きです」
「…素晴らしいことですね?」
どうだこの清潔感溢れるアピールは!
会心の一撃が決まったかと思ったのだけど、ウォルター様の反応はいまいち悪かった。解せぬ。
また別の日のこと。
どこかヤケクソな声色で、ウォルター様はこんな質問をしてきた。
「…君はどういう男性を、格好いいと感じますか?」
「そうですね…」
ひと口に格好いいと言っても色々ある。私は記憶を手繰り、人生で初めて目撃したベストオブ神対応を思い出した。
そう、あれはまだランドセルを背負っていた時分のこと。私の前の席に座っていた女の子が放屁してしまった。小学生とは無邪気かつ残酷であり、なんといっても下ネタが大好き。う◯こで笑えるお年頃である。そんな中で聞こえてきたアノ音。どうなるかは想像に難く無い。無論、犯人探しが始まるわけだ。音の鳴った方角や香りで、おおよそ見当はついてしまう。当時の女の子の気持ちを語るなら、絶望の一言に尽きるに違いない。そんな大ピンチにヒーローが舞い降りる。隣の席だった男の子が「ごめん!いまのオレ!」と明るく言い放ったのだ。「ガマンしたら体にわるいってテレビで言ってたからさ〜」と笑いつつ、その場を収めてしまった。あれは惚れたね。あの子こそ漢の中の漢だと感心した。
…みたいなことを、お上品な言葉に包みながら説明したら、ウォルター様は見事にぽっかーんとしていた。やはりどれだけお上品に言おうが、内容が放屁ではアウトかったか。咄嗟に相手を庇って泥をかぶれるって心から尊敬するんだけどなぁ。
「……何かの拍子に恥をかいても、笑い飛ばしてくれる方に好感が持てます」
最初から、これだけ言っておけば良かったと後悔もしたし、反省もした。
私が真正面から向き合うようになったからだろうか。そのうちウォルター様も、自分の内に秘めてきた感情をぽつぽつと吐露してくれるようになった。
養子に迎えられた直後、里親に実子ができたのは私が想像していたより何倍も、大変な苦痛だったそうだ。虐待された訳ではなかったが、腫れ物のように扱われるのが心底辛かった、と。
「もう用済みだけど、そうとは言えない…両親からはいつもそんな微妙な雰囲気を感じていました」
火傷を負った後は、それがより顕著になったという。ロイス家の次男、つまり実子まで呪われては困るからと、ウォルター様は独り山奥の別荘に取り残された。そして、一度も見舞うどころか、体調を気遣う便りすら送られてこなかったそうだ。どうりでお見舞いに訪れても、誰とも面会が被らなかった訳だ。
「体が焼け付くように痛むたび、どうして僕は死ななかったのだろうと思いました」
そこまで思い詰めているとは知らず、私は無性に泣きそうになった。下手な同情なんて余計なお世話だろうけど、酷すぎるではないか。大人の事情で散々振り回しておいて、うってつけの言い訳ができたら呆気なく捨てるなんて。これが法で裁けない悪なのか。
「今は違いますよ。死ななくて良かったと、心の底から思っています。本当の君に、会えたから…」
「どういう意味ですか?」
言いたいことが言えてスッキリしたという意味だろうか?だとしたらお互い様だ。
何にせよ、私のおかげで「死ななくて良かった」と思えたのなら、転生した意味があったのかもしれない。この人のために転生したというシナリオも、なかなか運命的じゃないか。うーん、砂糖吐きそう。
「君の魅力を知らないまま死んでいたら、悔やんでも悔やみきれなかった、という意味です」
「詳しく仰ってください」
「だいぶストレートに言ったつもりなんですが……君を好きになれて幸せだと、伝えればわかりますか?」
「ファ!?」
くぁwせdrftgyふじこlp
ちょ、ちょっ…なん……っ…は!?
いま何つった!?好き!?私を!?どこに惚れてもらえる要素があった!?放屁か?放屁のくだりか!?だとすれば気が合いそうだけども。じゃケッコンすっか?って、バカヤロウ!!
前世+今世の年齢は計算しないように努めている年増のくせに、みっともなく狼狽しまくった。だ、だって…初告白なんですが何か?恋愛耐性がマイナス値を叩き出している人間に、告白イベントは早すぎたんだ。
「都合の良すぎる事を言っている自覚はありますが、それでも言わせてください」
「ま…まって……」
まだ心の準備がっ!?
体制を整えたくても、ウォルター様がしっかりと私の両手を握っているせいで、どうする事もできない。
「残りの人生をかけて、誠意を示すと誓います。この言葉に偽りがないと感じたら、その時は僕のことを友人以上に想ってはもらえませんか?レイラ」
それは君の味噌汁が毎日飲みたい的なやつですか?「ゆうべはおたのしみでしたね」を言われる側に立てってことですか?
…何を言っているかわからないと思うが、私にもわからないんだよ!どさくさに紛れて呼び捨てしおって!余計に心拍が乱れるわ!
こんなの……こんなの「はい」以外に何て答えればいいんだ…
「っ…はい……」
「!ありがとう、レイラ!」
▽レイラの れんあいイベントは まだまだ これからだ!
私の物語に、打ち切りはなさそうである。
一人称で語るのは初めてで慣れなかったですが、楽しかったです。