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物語の結末

 少しばかり力を抜いた化物の虚を突くように動かない肉体を強引に跳ね起こすと、後方に倒れた少女を押し倒すように体重を載せる。左の腕で、ナイフを持った相手の右手を床に押し付けながら右腕に巻きつけられた包帯を口で無理やりほどく。

 自由になった方の手で少女の手に握られている凶器に手を伸ばす。どこかホッとしたような、何かを諦めたような彼女の手からは拍子抜けするほど簡単にナイフが離れた。そして、俺は奪い取った獲物を……横合いに投げ捨てた。命を左右する道具にしては軽すぎる音を立てながら廊下を転がる。



 「残念です」



 本当に心の底から落胆したような温度を失った声。それが聞こえたと思った瞬間、俺の首には、先程までナイフを持っていたのとは逆の手で注射器が突きつけられていた。

 病院から薬品をくすね、菓子折りや眠っている患者にそれを投与したのは彼女だ。持っていないほうが不自然。武器は1つだと高を括っていた俺が完全に間抜けだ。

 こちらの命の手綱を握ったまま少女は無感情に疑問を口にする。


 「私に言わせれば、あなたの方が余程理解の及ばない存在です。何でそこまで頑なに私を殺すまいとするんですか?自分の命が懸かっているのに」


 俺が今まで逃げ続けていたのは、別に彼女の事を想ったからではない。単純に、他者の命を奪うということに怖気付いていたに過ぎない。けれど、今は違う。彼女の胸の内を知った今は。

 死を目の前に突き付けられた恐怖を押し殺して、平静を装って声が震えないように気を張りながらゆっくりと台詞を絞り出す。


 「俺は、お前に死んで欲しくないんだよ」

 「……何を、言っているんですか?」


 小さく見開かれた彼女の瞳が、初めて微かに揺らいだ気がした。


 「お前言ったよな?周りが全部敵に見えて、誰にも頼れなかったって。幸せも、世界も、自分のためにあるものじゃないって」


 少女は左手は動かさないまま、黙って俺の言葉を聞いている。


 「俺はそんな風に世界に絶望したまま、社会を憎んだまま……自分を責めたままで、お前に死んでいって欲しく無いんだよ……!」


 その言葉に注射器を握る手に力が込もり、彼女の表情も怒りめいた物をほのかに帯びる。


 「どうして……?何でただの他人のあなたがそんな事を言うんですか?私が死のうとしていた場面にたまたま居合わせただけのあなたが、どうしてそんな事を言うんですか?あなたが私の、何を知ってるって言うんですか……!?」


 感情に任せて振るわれた左腕を咄嗟の判断で受け止めたものの、痛みで力が入らない。許容しかねた力を逃がすために身体を転がしたのを見逃さず、勢いを殺さないまま少女は俺の上にまたがる。右手で掴んだ腕が暴れるが、こちらとしても簡単に離してやるつもりはない。

 少女の怒りに応えて、言葉を紡ぐ。


 「確かに、俺は何も知らなかった。分かってなかった……ッ」


 俺を殺そうと躍起になっている化物を抑えながら、その瞳に語りかける。


 「お前がどれだけ、辛い思いをして来たのか。あの時、どれほどの覚悟であの線路に立っていたのか。分かったつもりになって自分の正義を振りかざした。夢も目標も、志も希望もないくせに。俺は、お前がただ生きることから逃げて、命を投げ出そうとしているんだと思った……!いや、今だってお前の苦痛の全てを理解出来てるとは思ってねぇよ!俺は本当に何も知らなかった。こんなに悩んで、苦しんで……死にたくなんか無いのに生きることもままならない人間がいることも、挫折も絶望も!死ぬのがこんなに怖いことだって事も!!」


 真っ直ぐ視線を向けられてぶつけられた大声に、怯んだように化物の動きが一瞬止まる。

 少女の心に、押し込むように告げる。


 「――けど、それはお前も同じだろ?」


 短く彼女は問い返す。


 「同じ……?」

 「そうだ。お前にだって知らないことが沢山あるはずだ。確かにお前の言う通り、この世には理不尽なことも多いんだろう。誰もが自分を理解してくれる訳でも無いんだろう。自分の思い通りにならないことばっかりかも知れない。……けど。世界には楽しいことも面白いことも、ちゃんとあるんだよ。親身になって話を聞いてくれる人も、お前の味方になってくれる人だっているはずだ。世の中には絶望だけじゃなくて、希望だってあるって事を……お前にも知ってほしいんだよ」

 「それは、あなたが幸せだからじゃないんですか?」


 俺の発言を否定する言葉が続く。


 「楽しいことも、味方になってくれる人も、あなたが恵まれているから巡り会えたんです。……私の周りには、そんなもの存在しません」


 だって、と震える声が言う。


 「……だって私は、化物、なんですよ?」


 すっかり力の抜けた腕を手繰り、少女の手を包むように握る。


 「お前が化物だって言うんなら、悪いのはそれを生み出しちまった社会だ。悪いのはお前じゃない。お前は世界の暗い部分を見過ぎてしまっただけなんだよ。だから、光が眩しすぎるだけだ。……自分がそこにいるべきじゃないなんて、言うなよ」


 覆いかぶさる物から、頬に雫が落ちてくる。その暖かさが包帯を通しても伝わってくる。


 「もう……遅いんですよ」

 「遅いなんてこと、あるもんか。お前は、ちゃんと怒ることだって出来るし、泣くことだって出来る。大丈夫、お前はまだ人間だよ。今なら……まだ引き返せる」


 少女の瞳から、無くしたはずの心が止めどなく溢れて零れ落ちる。


 「きっと、お前は醜いものを見過ぎて、見たくないものに晒されすぎて、周りのものから目を逸してしまっていただけなんだよ。幸せってのは、案外近くに転がってるものなんだよ」


 顔を伏せた彼女からポロポロと言葉が吐き出される。


 「そんなの、今更…見つけられるわけ無いじゃないですか」

 「見つけられるさ」

 「無責任なこと、言わないでくださいよ……ッ!」


 俺は微笑んで、語りかける。


 「言っただろ?責任を取るって」


 少女は言葉に詰まって目を瞬かせる。



 「まずは、俺が味方になってやる」



 涙に濡れた顔を拭うように包帯の巻き付けられた腕を少女に伸ばす。


 「それが多分、お前を助けた俺の責任だと思うから」

 「……もっと早くに、あなたみたいな人に出会えていたら、私は……こんな風じゃ無かったんですかね?」

 「ここから、今から変えてけばいいさ。俺もお前も、人生まだまだこれからだろ?」


 泣き崩れた少女の手から、注射器が転がり落ちた。


  *


 その後、少女は自ら警察に連絡を入れて出頭した。幸い、彼女が薬剤を投与した看護師、患者は共に命に別状は無く通常通りに目を覚ました。俺の方も、もとが酷すぎたこともあって誤差の範囲内だろう。実際にどういう処分が下るかはわからないが、会いに行けるようになったら行ってやらないとな。それがあいつとの約束だ。もしかしたら、俺が退院するよりも早くに向こうが会いに来るかも知れないが。


 「全く、せっかく繋げた身体なんだからもう少し大切にしてもらいたいね」


 昨日の医者が小言を言いながらも俺の治療をしてくれた。と言うか、今回は完全に被害者なんだけど、何で俺が怒られてるのかな。

 病院からの報せを受けて、早速母親と、今日は流石に父親も飛んできた。昨晩のことでまたもや警察の事情聴取を受けたが、あまり大事おおごとにはしたくないためマスコミの取材は断った。あの少女の事情も、俺の事もよく理解していない世間に好奇心でつつき回されたくはない。

 そんな訳でそう言った事情を知らないはずの友人や先輩、先生方は今日も見舞いに来てくれた。

 本当に、俺は恵まれている。

 他人に言われて今更気がつくなんて格好悪すぎるけれど。

 そんな幸運を当たり前のように享受して、何も考えず『それなりの人生を送れればいい』なんて思っていた自分が恥ずかしい。

 命と向き合って、死と向き合って、人生の見え方が少し変わったような気がする。

 どうかな、気のせいかも知れないけど。

 それでもあの少女との出会いは俺の中の何かを変えたはずだ。

 命を狙われて殺されかけたけど、あいつには感謝しないといけないかもな。


 『――ありがとうございました』


 去り際に少女が俺に残した言葉がふと頭をよぎる。


 「ったく、礼を言うにはまだ早いだろ?」


 俺も、あの少女も、これから変わっていけるかどうかは明日から…いや、今日からどう生きて行くか次第なんだから。

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