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恩人の責任

 俺が横たわっているベッドの隣に腰掛けた少女は言った。

 身勝手にも自分の事を助けたのだから、その責任を取れと。


 「んなこと言われても、俺にどうしろってんだよ……?」


 絞り出すように呟いた俺に、彼女は答える。


 「決まってるじゃないですか。まともに生きることも出来ない、自分で死ぬことも出来ないんなら、もう誰かに殺して貰うしか無いですよね?」


 次に彼女が口にするであろう言葉に思わず声が詰まる。

 俺が何かを言う前に、少女は声を発する。



 「あなたが、私を殺してくださいよ」



 絶句、というのはこういう時に使う言葉なのだろう。何かを言い返したいのに、言葉を返さないといけないのに、何を言って良いのかわからない。声にするべき言葉が見当たらない。

 少女を助けた代償が、少女を殺すことだなんてそんな馬鹿げたことがあるものか。あってたまるものか。


 「ふ、ざけ……!」


 やっとのことで口から出た、辛うじて言い返したと表現するのもはばかられる声を彼女は一蹴する。


 「ふざけてなんかいませんよ?私はこれでも本気です」

 「俺に、人殺しになれって言うのかよ?」

 「何を虫の良いことを言ってるんです?私から、唯一残された救いの道を奪っておきながら。今更、善人ぶるんですか?善人でいられるつもりで居るんですか?」


 窓の外の景色を染めていた茜色は徐々に夜にさらわれていき、街並みは闇に飲み込まれていく。

 一瞬訪れた沈黙を、少女はクスリと笑い飛ばして言葉を続けた。


 「大丈夫ですよ。あなたならそう言うと思ってましたから」


 案外と簡単に諦めてくれるものだ、とホっとしかけたのも束の間。

 次に飛び出したのは更にとんでもない言葉だった。


 「なら、私があなたを殺します」

 「お前……何を、言ってるんだ?」

 「あなたがあくまで善人に固執するなら、私を殺してもあなたが悪人にならないように、私が選択肢をあげますよ」

 「せ、選択肢?」


 少女は完璧な笑顔で、昏い闇の覗く笑顔で頷くと言った。


 「私を殺してください。……さもなければ、あなたを殺します」


 声を発することの出来ない俺を嘲笑うように、あるいは友達の冗談に吹き出すようにフッと息を漏らす。


 「自分の命と私の命なら、天秤にかけるまでも無いですよね?」

 「だからって……!」

 「大丈夫ですよ。正当防衛なら大した罪に問われないでしょうし、良くすれば無罪です」


 そういう問題じゃない。

 言い返そうとした俺の台詞を遮るように告げる。


 「それとも『優しい』あなたは、私の命を救うために死んでくれるんですか?」


 俺が言葉に詰まっていると、ノックの音に続いて病室の戸を開いたナースが面会時間の終了を伝えた。それに対し、少女は変わらぬ笑顔で受け答えして立ち上がると、


 「また来ますね」


 温度を感じさせない瞳でそう言い残して、部屋を後にした。


  *


 少女が病室を去った後、看護師さんがベッドの横にぶら下がっている点滴の袋を取り替えてくれている間も、俺の脳裏には少女との会話がこびり付いて剥がれなかった。


 「さっきの女の子ってあなたが助けた子ですよね?あの子、いい子ですね」


 仕事の傍らでにこやかに話しかけてくれる看護師さんの言葉も頭に入って来ない。


 「夜勤大変でしょう、ってナースステーションに差し入れくれたんですよ?」

 「へぇ、そうなんですか」


 生返事をしながらも、脳内ではあの少女の言葉が反復される。


 ――私がどれほどの覚悟であそこに立っていたのか、きっとあなたには分からないんでしょうね。


 確かに俺には、何も分かっていなかった。あの時……踏切で少女を突き飛ばした時、俺は『簡単に命を投げ出そうとした』彼女の行動が許せなかったんだ。

 人生には辛いことなんていくらでもある。誰だって悩みを抱えて生きている。それなのに、命を投げ出して死のうだなんて甘えだ。ただ現実から目を背けて逃げているだけだ、とそんな風に考えていた。

 だけど、それは間違っていたのかも知れない。

 彼女が語った『死ぬ覚悟』。生きていたくないから死ぬ、なんて単純な物でも無かったのだろう。俺の身勝手なエゴで邪魔をして良いものでは無かったのかも知れない。


 「あの、大丈夫ですか?」


 呆っとした言葉ばかりを返す俺を心配したらしい看護師さんが、こちらの顔を覗き込む。


 「あ、はい。全然大丈夫ですよ」


 白衣の天使を見返して応えるが、それでも無意識にあの少女の顔が頭の中でちらつく。

 彼女の言の通りならば、俺は彼女を絶望の底に叩き落とした張本人のはずだ。それなのに、少女の向ける表情はあまりに平穏で、それがむしろ彼女の奥の狂気を感じさせた。

 いや、或いは。

 その狂気を目覚めさせてしまったのは彼女を突き飛ばした俺自身だったのだろうか。


 「一応、鎮痛剤は射ってますけど、それでも体中ボロボロなんですから。あんまり無理しちゃ駄目ですよ?」


 何かあったらすぐに呼んでください、と枕元に置かれたナースコール用の子機を指差して看護師さんは部屋を出ていった。薄桃色の制服が見えなくなって、ゆっくりとひとりでに閉まったローラー付きの引き戸をぼんやりと眺める。


 ――また来ますね。


 去り際に少女が残した言葉。張り付いた笑顔と、対象的な真冬の月のような冷たい眼を思い出して今更ながら背筋にゾッと何かが伝う。


 「まさか、本当に来ない……よな?」


 俺に殺されるために。

 さもなくば、俺を殺すために。

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