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病院の一室

 「うん。容態はかなり安定しているようだ」


 俺の胸を覆っていた包帯を解き、聴診器に耳を当てていた白衣の男性はそう言って息をいた。

 彼が俺を手術してくれた医者だという。白髪に眼鏡の、いかにもベテラン然とした彼は包帯を蒔き直しながら続けて口を開く。


 「丸二日間ずっと眠ったままだった時はどうなることかと思ったけれど」

 「二日間、ですか?」

 「あれ、聞いてなかったのかい?」


 医者は首を傾げて、傍らの看護婦を振り返る。それを受けて、彼女は「忘れてました」と舌を出した。

 まぁ、他にも状況把握の追いつかない部分が多すぎたから仕方のないこととは言えるかも知れない。


 「とにかく、君がここに来た時は本当にひどくてね。もう駄目なんじゃないかなって思ったよ、正直」

 「……生きててよかったです」

 「いや、本当にね。致命傷で済んで良かったよ。三途の川とか見てない?」


 体はボロボロみたいだが、それでも命だけは助かった。幸運以外の何物でもないのは確かだな。


 「見てないですね、ずっと意識が無かったので。俺の体感としては、電車に轢かれたと思ったら次の瞬間にはここに寝かされてました」

 「気楽なものだね。僕の苦労も知らずに」

 「気楽な訳ないじゃないですか。全身痛くて死にそうなんですから」

 「ハハ、それもそうか。せっかく助けたのだから簡単には死なないでくれよ?」


 その後、彼は俺の現在の体について説明してくれた。それによれば、そこら中の骨は折れてるし、当然歩くことはしばらく出来ないだろうと言うこと。内臓の損傷も激しく、食事も当面の間は点滴で摂ることになるということ。ある程度身体機能に後遺症が残ることは覚悟しておくこと。……とまぁ、あまり明るい内容ではなかったが、そう悲観するな、とも言われたな。

 とは言え、別に俺はスポーツ選手を目指しているとか、アーティストを志しているとか大した夢を持っている訳じゃない。それなりに生きて、それなりの人生を送れるんなら何でも構わないさ。


  *


 医師の説明を受けた後、点滴などのいくつかの処置を受けた。

 そして、昼も過ぎて午後1時。この時間から夜の8時までが面会時間と言うやつらしい。真っ先にやって来たのは母親だった。随分と心配をかけたらしく、彼女の目尻には赤く泣き腫らした痕が残っている。

 俺が眠っている間に、言いたいことを山程溜め込んでいた様子の彼女はまくしたてるように言葉を並べた。他人を助けようとしたのは立派なことだけれど、まずは自分の身を一番に考えなさい。あんまり危険な事はするんじゃない、私も他の家族も心配した。周りの人にも沢山迷惑がかかってる。

 小言のような事を連々と言われたが最後に、本当に生きててくれて良かった、と瞳に涙を浮かべた彼女は心から安堵の表情を浮かべて呟いた。


 「せっかくゼリーとか買ってきたんだけど、しばらくは食事が出来ないんだってね」

 「そうなんだよ。でも、気持ちだけで充分だよ」

 「……そうかい」


 彼女は夕方くらいまでずっと横に居てくれた。特に何かをしてくれたと言うことでもないが、看護師さんたちも忙しそうな中、話し相手が居ると言うだけでも助かった。手も包帯に覆われた状態ではスマホも触れないしな。


 「それじゃあ、そろそろお父さんも帰ってくるから」

 「うん、父さんにもよろしく」


 家に残してきた家事のために、母親が病室を後にし、続いてやってきたのは担任の教師だった。俺が入院することになった詳しい事情を聞かれたのと、今後数カ月は休むことになるであろう学校について話してから、見舞いの定番と言えば定番なフルーツバスケットを置いて行った。だから、食べれないんだけど。

 その次には部活の先輩や友達。彼らは暇つぶしになれば、と漫画やら雑誌やらを買ってきてくれていた。どちらにしろこの手では読めないが、その事実だけで嬉しかった。クラスメイトが持ってきてくれた、授業の板書をまとめたノートは素直に助かると思った。入院のせいであまり遅れを取りたくも無いからな。

 それから警察の人が話を聞きに来たり、テレビや新聞の記者が取材の交渉にやって来たりもした。滅多に経験できないような事が続いて、何だか今更ながら自分のした事が凄い事のように思えて来る。

 絶え間なく続いていた来客がようやく落ち着いた7時頃。窓から覗く町並みが夕日に染まり初めた辺りで病室のドアを開いたのは、見知らぬ少女。うちの学校の物ではない、シックな印象の制服に身を包んだ彼女は一礼して部屋に入ってくると、ベッドの横にある丸椅子に腰掛けた。


 「こんにちは。お元気そうで何よりです」


 座るなり俺の顔を見て微笑むと、そう言った。

 その台詞から、目の前にいる相手について思い当たる可能性が浮かび上がってきた。


 「もしかして、あの時の……?」

 「はい、そうですよ。人の事を助けておいて、忘れないでくださいよ」


 少女はクスリと笑みを零した。


 「君は怪我とかしてない?」

 「怪我一つ無いですよ?お陰様で」

 「そっか、それなら良かった」


 その言葉には応えず、ベッドの隣にあるキャビネットに載せられている見舞い品を物色した彼女は、そちらに視線を向けたまま口を開く。


 「あなたには、心配してくれる人が沢山いるんですね」

 「え……」


 腰を浮かせてフルーツバスケットを覗き込んでいた彼女は、その中から林檎を取り出して、それを左の手に移しながら椅子に座り直す。


 「大怪我をしたあなたを心配して、あなたが生きていたことに安心してくれる。なるほど、とても恵まれていますね」


 制服の少女は、果実を手にしたのとは逆の手でスカートのポケットから取り出した折畳式ナイフを軽く振って刃を露出させる。その刀身が窓から入り込む茜色を反射してキラリと光る。

 彼女の言葉の意図を汲み取りきれず、返す言葉を見つけられない俺に構わず台詞が紡がれる。


 「だから、平気であんなことが出来るんでしょうね」

 「あんな、こと?」


 まるでこちらに興味を失くしたかのように、手元の果物に視線を落として、



 「私を助けてくれた事に決まってるじゃないですか」



 ナイフを赤い実にてがい、滑らかに差し込む。

 ――何を言っているのか理解が出来なかった。自分の置かれている状況が、わからなかった。

 俺は今、命を助けた相手に文句を言われているのか。

 別に礼を言われたいがためにしたことではないが、彼女を救うために俺はこんな怪我を負って入院までしているのだ。感謝されこそすれど、非難されるなどお門違いも良いところだろう。

 黙り込んだままの俺に、器用に一枚続きで林檎の皮を剥きながら少女は言葉を続ける。


 「私がどれほどの覚悟であそこに立っていたのか、きっとあなたには分からないんでしょうね」

 「……覚悟?」


 クルクルと林檎の皮を下方に伸ばしながら呟くように声を漏らす。


 「恵まれているあなたは、死にたいなんて考えたことも無いでしょうから。生きていても居場所の無い人間の気持ちは分からないと思います。生きていたいのに、生きるのが辛くて……死にたい、なんて感情が頭をよぎって。でも、『死にたい』って思うのと『死のう』って思うのは大きな違いなんですよ?」


 果実の皮をぎ終わった彼女は「あ、お皿あります?」と空中に問いかけながら立ち上がり、勝手にフルーツバスケットに入っていた紙皿を見つけ出すとキャビネットの上に広げた。

 再三椅子に戻って来ると、不要になった赤い帯を皿に退け、今度は白い身に対して垂直に刃を入れる。


 「いくら死にたいと思っていたって、実際に死ぬ決意をするのは簡単じゃ無かったんですから」


 中程までナイフに切り込まれた林檎の身がパキリと瑞々みずみずしい音を立てて2つに割れる。


 「沢山悩んで、苦しんで、泣くだけ泣いて……やっとあそこに立ったんです。凄く、怖かったんですよ?不安だったんですよ?電車に轢かれるってどんな感じなんだろう、死んだ後は何処に行くんだろうって。その末にやっと下した決断を、あなたはいとも簡単に打ち砕いた」

 「それは……」

 「あなたは善意でやったことなのかも知れません。それともただの自己満足なのかも知れない。でもどちらにしても、それはあなたの価値観を私に押し付けたに過ぎないんですよ。私には、生きていたって良いことなんて起きないんですから」


 少女はどこか他人事のように言いながら、手の中で木の実の種を取り除き、一口サイズに切り分けていく。


 「それこそ一世一代の覚悟で、不安も恐怖もかなぐり捨てて。一度捨てたはずの命を、あんな形で拾ってしまったら、もう死のうなんて思えないじゃないですか」


 それの何が問題なのかと、思った。

 思ったが、それを口にすることは出来なかった。彼女はまるで日常会話でもするような雰囲気で、恨み言を言っていると言う風でも、現実を悲観していると言う風でもない。それが逆に有無を言わせない空気を漂わせている。

 何も答えなかった俺をどう解釈したのか、彼女はすっかり櫛形くしがたにカットされて皿に並べられていたフルーツの一切れを持ち上げてこちらに差し出した。


 「食べます?」


 そもそも俺は食事を許可されていないし、呑気に果物を食べる気分でもない。

 俺が首を横に振ると、それを自分の口に放り込んだ。ゆっくり咀嚼し飲み込むと、何気ない様子で話題を戻す。彼女にとっては自分自身のことも俺のことも、林檎も、生も死も、同列に扱われているかのように。


 「この世界に居場所なんか無い私が、死ぬことすら許されないなら……一体私はどうすれば良いんでしょう?あなたは、私を助けたその先までを考えていたんですか?」


 そんなの、考えていたはずもない。

 あの時は衝動的に飛び出してしまっただけだし、第一、他人の人生にそこまでの責任は持てない。



 「ちゃんと、責任取ってくださいね?」



 俺の顔を覗き込む少女の瞳に映る光は絡みつく闇の如く仄暗い。心臓を逆なでされるみたいな悪寒。


 「ッ……」


 自分の人生の責任を他人に預けるなんて、どうかしている。

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