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真夏の踏切

 暑い。本当に暑い。

 7月は半ばを過ぎ、もうそろそろ梅雨が明けて夏も本番を迎えようという時期だ。家を出る前に目にした天気予報では、早くも今日の最高気温が30度を超えるだろうとのことだった。雲ひとつ無い空から降り注ぐ日光で足元の黒い地面は鉄板のように熱され、その上では陽炎がゆらゆらと踊っていた。

 土の中から目覚めだした蝉たちも周りのライバルを出し抜こうと声を張り上げている。

 アスファルトの放つ灼熱と木の上からの騒音に挟まれて吹き出す汗は止まらないし、頭の中では形にならない音がぼんやりと反響している。気を抜けば意識が遠のいていきそうだ。こんな日まで学校には行かないといけないんだから困ったものだ。こうなったらいっその事、さっさとクーラーの効いた教室にたどり着きたい。

 徒歩で学校へと向かう俺の行く手を、降りてきた黄色と黒の縞々が遮る。どうやら天気ばかりでなく、踏切までもが俺の敵らしい。電車が通過するのを待つために足を止める。


 「ねぇ、あれヤバくない?」

 「嘘……っ」

 「おいおい、マジかよ……!?」


 ぼうっと前方に視線を投げていた俺の意識は、一緒に踏切待ちをしていた人たちのざわめきに呼び戻される。そして、視線に飛び込んできたものに一気に血の気が引いた。

 縞々のバーで断絶された線路の真ん中に、あってはならないはずの人影。

 半袖の制服に身を包んだ黒い長髪の少女が踏切に差し掛かろうとしている鉄の塊に視線を投げている。

 蝉の声を押しのけんとばかりに鳴り響く警鐘。視線の端で点滅する赤が青く晴れ渡った空に鮮烈に映える。



 「ッ―――!」



 きっと暑さのせいで正常な判断力が鈍っていたんだろう。考えるより先に体が動いていた。

 地面を蹴り体を前へ押し出す。持っていた鞄は手を離れ、背後を転がる。視線の先の少女は既に覚悟を決めているかのようで、迫る電車を冷静に見つめている。


 ふざけんな……ッ!


 当たり前のように流れていた時間が、今はまるで息を潜めているかのよう。そう遠くない遮断器までの距離がひどく長く感じる。


 そんな簡単に、命を投げ出してんじゃねぇよ!!


 歩行者の侵入を阻む棒を押し退け線路に立ち入った俺に気づいた少女は、驚いたようにゆっくりと目を見開く。そんな彼女の反応を無視して、力いっぱいに少女の体を反対側の道路へ弾き出した。

 良かった間に合った、と安堵の息を吐く間すらなく猛スピードの鉄の塊は目の前。

 夏の暑さに絆されたかのように喚く虫の声も、無力に空を打つ鐘の音も線路の両脇から上がる悲鳴も。その全てを叩き割るような悲痛な警笛とブレーキ音が、いつまでも頭の中にこびり付いて離れなかった。


   *


 「…………う」


 暗闇に包まれた意識の端に、まばゆい光がちらつく。思わず堅く力を入れてしまった瞼をゆっくりと押し上げる。

 ……ここは?

 肉体の感覚がはっきりとしない。呼吸も思うように上手くは行かない。判然としない思考で、まずは自分の体がどうなっているのかに意識を向ける。

 どうやら俺は仰向けの状態になっているらしい。視界の先はどこかの部屋の天井のようだが、知っている場所では無いように思える。周りの環境を把握しようと首を右側に振ると、手を伸ばせば届きそうな壁に、刺すような陽光の差し込む大きな窓。不意打ちのまぶしさに目を細めながら反対側へ視線を振る。そちらには開けたスペースがあり、俺の頭が向いている方の壁に設置された洗面台で知らない女の人が何やら作業をしている。彼女の格好を見て、ようやっと自らの置かれた状況がわかってきた。

 こちらの視線に気づいたのか、振り返った彼女が声を上げる。


 「あ、目を覚ましたんですね」


 薄桃色の制服に身を包んだその女性はこちらに、俺の寝転されているベッドに歩み寄ってくると、


 「具合はどうですか?」

 「ああ、ええっと」


 問われて、手足の感覚を確かめようと力を入れる。


 「痛ってて……ッ!」

 「まあ、そうですよね。一応鎮痛剤は投与してるんですけど」

 「あの、ここって病院ですか?」


 見た所、今の俺がいるのは病院の個室のようだが。

 彼女は優しい笑顔で頷く。


 「はい、そうですよ」


 そして続けて「体の調子はどうですか?」と尋ねられた。

 それを確かめようと自分の体を見ようにも、鈍い痛みが身体を這うばかりで首が上がらない。


 「俺、今どうなってるんですか?」

 「見てみますか?」


 彼女の差し出した手鏡に、俺の顔が映る。顔の大部分は、頭の上部から髪の毛が覗いているのと視界を確保するために目の部分を避けている以外は包帯に覆われていた。口を開けるように配慮はされているが、道理で息がし辛かったはずだ。女性は持った鏡に少しずつ角度をつけて全身を見せるようにしてくれる。空色の生地の薄そうな洋服を着てはいるが、それ以前に全身が顔同様に白い布で包まれている。腕に至っては、指先までグルグルに縛られていてまともに動かせそうもない。下半身には掛け布団が乗っているため見えないが、同じような状態なのだろう。体の到る部分が鈍い痛みに苛まれている。


 「何か、全身痛いです」

 「まあ、そうですよね。何があったかは覚えていますか?」

 「えっと……確か、女の子を突き飛ばして線路に入ったんですけど……その後の記憶がなくて」

 「覚えてなくてよかったかも知れませんね。ここに運ばれてきた時は相当ひどい状態だったみたいですから。あ、もしかしたらその痛みで記憶が飛んじゃったんですかね?」


 可笑しそうに笑顔を漏らす彼女だが、当事者としては笑うに笑えない。


 「そんなにヤバかったんですか、俺?」

 「ほぼ挽き肉だったって聞いてますよ。意識が戻ったのは奇跡的だと思います」


 挽き肉って……。

 でも確かに、電車にかれて死ななかったんだから奇跡と言っても過言では無いだろう。俺の運が良かったのか、医者の腕が良かったのか。


 「運が良かったんですかね、先生の」


 そんなイチかバチかで手術して欲しくは無いのだが。


 「他に何か、聞いておきたいこととかありますか?」

 「あー、いえ、特には」


 その返事を聞いた彼女は、「それじゃ、先生呼んで来るんで少し待っててくださいね?」と言い残して病室を後にした。

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