覚悟しろよ
「フィン、オズワルドが来た」
「……まじで?」
「ああ、まじのまじ。今工房の前にいる。どうする? 追い返すか?」
マティアスが出てしばらく。部屋に入ってくるなり、そう言ったグレンにフィンはポカンと口を開けた。しかしすぐに口を閉じると、椅子から立ち上がった。机の上にはちょっと外部の人間には見せられない資料やメモ用紙がある。
「いやこの部屋に案内してくれ。ただ片付けなきゃいけないからなるべく時間を稼いで」
「了解」
杖を取り出し、ひと振り。杖先からぱさりと零れ落ち、机の上に広がったそれは一見すると黒い布にしか見えない。だがこれは歴とした隠匿魔術で、こういう咄嗟に見えない状態にするのに役に立つ。
同じように見られて困るかもしれないと少しでも考えたものには次々と杖を向け、隠匿魔術で隠していく。おかげで室内の至る所が黒くなってしまった。
もう一振りして、部屋の端に置いてある来客用の椅子を対面になるようにスライドさせた。椅子は物置になっていたので、上には先ほどかけた隠匿魔術で黒くなった資料の山が乗っている。
先に資料を片付ければよかったのに、要領が悪い。黒い塊にしか見えない資料の山を部屋の片隅に浮遊魔術で移動させた。
「まさかあいつもうちを買いに来たのか?」
レオナルドが消えたことを知り、この工房を買収しようと接触してくるものは既に二件あった。このタイミングで訪ねてくるということは、オズワルドも同じかもしれない。
出来ることなら会いたくないというのが正直なところだ。弁舌の上手いオズワルドと話していたら、知らぬうちに損をしていたとしてもおかしくない。
しかしフィンとオズワルドでは、オズワルドの方が立場は上だ。簡単には断われない。
フィンは気を引き締め、椅子に浅く座った。それと同時に、扉がノックされる。再び入ってきたグレンの後ろから、パリっと襟を立てたスーツの似合う男が入ってきた。そして入ってきて早々に眉をひそめる。
「暗くないか? これは……はは! 隠匿魔術じゃないか。普段から整理しないと駄目だぞ。というかそれ用の魔術を部屋にかけてないのか? 私はしてるが……」
フィンの瞳がぴくりと揺れた。
防衛術式と一緒に工房に張り巡らされた術式の所有者登録は既にレオナルドからフィンに移っている。この馬鹿は、オズワルドが言ったような一瞬で隠したい情報を隠すための術式がこの部屋にかけられているのを忘れていたのだ。
「やぁフィン、久しぶりだな」
「……そう、ですね」
「ふ、元気がないな」
オズワルドは笑うと、フィンに断りもなく対面の席にどかっと音を立てて深く腰を下ろした。しかしすぐに立ち上がると、椅子に手を当てた。
「硬くないか?」
「あー、そうかもしれませんね。すいません」
すぐに杖を取り出そうとしたフィンを片手で制し、今度はゆっくりとしかし深く座り、背もたれに寄り掛かった。フィンも同じように座りたかったが止めた。
「聞いたぞ、レオナルドが蒸発したせいで苦労してるそうじゃないか」
「……」
「まあそれだけ君たちの研究や技術力には価値があるということだ。胸を張るといい」
「……」
「私自身、レオナルドの野郎のことは気に食わなかったが、その技術は別だ。それなりに評価しているよ」
「……」
「……さっきから顔が青いが大丈夫か?」
血の気のないフィンを見て、オズワルドが珍しく心配している。しかしフィンはそれどころではない。彼はそもそもこういった腹の探り合いが関わる会話は苦手なのだ。
レオナルドがいなくなったことにより唐突に矢面に立つことになったが、まだまだ経験が足りない。それなのにオズワルドが相手となると、フィンは何を話していいのか検討もつかなかった。
何を言っても、失敗な気がする。
今ほどマティアスやザックの能力が欲しいと思った瞬間はないかもしれない。
それでも必死に頭を働かし、言葉をひねり出す。
「大丈夫、です。確かに大変ですけど、何とかやっています」
「何とか、ね」
オズワルドの目が光ったように見え、フィンは喉元をひっつかまれたような気がした。さっそくやらかしてしまったか!?
「レオナルドも無責任なことをしたものだな。私に負けたからと言って逃げ出すとは。しかも君たちのような優秀な部下を捨てて! ……実際は厳しいだろう?」
オズワルドはレオナルドがどうしていなくなったのかを確信していることに、フィンは気づいた。つまり今のフィンたちの状況は既に調べていると考えていい。何が厳しいのかと。ここは誤魔化しても意味がない。
そう判断し、それでもこの判断に迷いながらもフィンは認めた。
「……はい……」
「君はまだ若い。誰もが認める結果だってまだ残していない。ここの工房に出資していたのは、ひとえにレオナルドの研究に期待していたからであって、フィンなんて知らない……そんなところだろう?」
それらは全てフィンが責任者になってからの数日間で言われたことだった。レオナルドはそれも調べてきたのだろうか。
(違う)
自分で否定する。こんなものは推測で十分に辿り着ける。わざわざ調べるまでもない。
だがこの話のおかげで確信した。オズワルドもまたこの工房を狙っているのだろう。彼はレベル3に辿り着くだけの技術力を持っている。だがだからといってここの技術はいらないとはならない。
その事実に少しばかり喜びを感じる。アーロンが言ったことも、レオナルドが最後の酒の音頭で言ったことも、間違いではない。自分たちは確かに負けたけど、無意味ではなかった。
なぜだかわからないが、少し落ち着いた。フィンは息を吐くと、オズワルドを正面から見据えた。
「ええ」
「ならどうだろう。いっそのこと私に買われないか? 君だけでなくチーム全員」
「結構です」
フィンはきっぱりと断った。
フィンだっていきなりこの工房を任され、レオナルドに憤りを覚えている。自分のことを全く評価してくれない周りに対して仕方ないとは簡単に諦められず、自尊心を傷つけられている。貧乏くじを引かされた自覚はある。
だがこれは同時にフィンにとってもチャンスなのだ。
思わぬ形ではあったが、フィンはレオナルド工房の全てを手に入れた。工房、技術、人材、金、そして研究内容を決める権利。
そして掴んだかもしれない可能性。メモ帳に書かれた術式が脳裏をよぎった。
「ボクは今やっとスタートラインに立ったんです。それなのに、その、すぐにそれを放棄することなんてもったいない。あなたならしますか?」
「……しないね」
「だから、この工房は売りません」
フィンはオズワルドとは組まない。そもそも彼と組むということは、自分の功績はすべて彼のものになるということを意味する。そんなの絶対に嫌だ。
フィンはこのチームで、この工房の力で世界を変えたい。
しかし誘いを断られた形になったオズワルドはさして気にする様子もなく、
「そうか、残念だ」
「えっ?」
「ん? どうした?」
目を丸くしたフィンを前にオズワルドはにやっと笑った。
「いや、その、思っていた以上にあっさりとしてたから」
「ああ、別に君が食いつけば儲けものくらいの考えだったからな」
オズワルドは肩を軽くすくめると、人差し指でフィンを指した。獲物を前にした肉食獣のように、歯をむき出すように笑った。
「いいか、君はこの私を敵に回すと決めたんだ。覚悟しろよ」