手っ取り早いのは成果を出すことだ
フィンは紙の束を前に、頭を掻きむしった。その対面に座るマティアスも眉間に皺を寄せて紙を睨んでいる。
レオナルド蒸発事件(命名ザック)の結果、唐突にフィンはこの工房の責任者になったのだ。その引き継ぎのための書類は大方レオナルドが用意してあったので問題なかったが、引き継いではい終わりとはいかなかった。
例えばこの紙に書いてあることだ。これはこの工房の研究技術に価値を見出してくれていた出資先だった場所からのものだ。内容は率直に言えば出資の取りやめ。
しかしここだけではない。出資額を減らすという内容はいくつも受けていた。
理由は簡単に言うと二つある。
一つは先の発表会においてオズワルドがレベル3の壁を超え、フィンたちは越えられなかったことだ。これにより技術力に大きな差があるという認識を持たれてしまった。事実彼らはその壁を超えられていないので、仕方ない面がある。
しかし二つ目が問題だった。
それはレオナルドが研究を止めてしまったことが原因だ。出資者たちはレオナルドが今まで積み上げてきた実績を評価し、その上で応援してくれていたのだ。だが、今の責任者はフィンとかいう新参者で、彼らからして見れば誰ソレという状況だ。
フィン自身、自分の技術力がレオナルドに大きく劣るとは考えていない。それなりに結果だって出している。それでもまだ若い彼は、レオナルドほどの信用は得られていないのだ。
「フィン、このままだとお金が本当に足りなくなる」
マティアスが言った。
しかしわざわざ言われなくても、フィンはそのことを痛感している。なのでついぶっきらぼうに答えた。
「わかってる」
「昨日渡した財政状況のまとめ、ちゃんと読んだ?」
フィンが杖を一振りすると、一枚の資料が資料の山からフィンの手元に飛び出した。
「これだろ? 読んだ読んだ」
「……読んでよ?」
「……はい」
「フィンは僕らのリーダーなんだから、責任感をもっと持たなきゃ!」
責任。なんて重い言葉なんだ。とてもではないが背負いたくないと、うんざりする。
責任を負いたくないとか考えている奴が責任者でいいのだろうかと、フィンは自分でも思ってしまった。
「とにかく僕はこれから資金集めに出るよ。少しでも集めてくるから、フィンたちも頑張って研究してくれ」
「うん」
マティアスは鞄を手に立ち上がった。そして遠慮がちに声をかけた。
「手っ取り早いのは成果を出すことだ。そうすれば出資者は自然と集まる」
「マティアス、簡単に言ってくれるけど―――」
「難しいことはわかっている。だけど……やるしかないんだ」
フィンを遮るようにマティアスは言うと、足早に部屋を出た。その背を見送ったフィンは親指の爪を齧り、資料をめくった。扉の向こう側からマティアスとザックが言い合いしているのが聞こえてきたので、扉に杖だけ向けて防音魔術をかける。
「どうしたものかな」
マティアスは成果を出すように言っていたが、それが出来れば苦労はしない。昼も夜も眠らず、脳の血管が破裂するほど考えたってできないときはできないのだ。
現在はレオナルド主導で行っていた研究を全員で続けているが、これだって地道な成果しかでない。続ければ評価はされるが、それは小石を積み重ねて山を作るようなものであり、レオナルドが作り上げていた信頼の山に追いつくには時間がかかる。
マティアスが求めているのはオズワルドの立体魔法陣クラスではないだろうが、フィンが思うに一発で周囲を魅了するにはあれくらいしなければ無理だ。
大きなため息をつくと、フィンは資料をぽいっと机の上に投げ捨てた。もう何というか面倒になってきた。手持ち無沙汰になった片手を何となくポケットに突っ込んだ。その時、
カサッという何かが布に擦れる音がした。同時に指先に紙の感触。
「うん?」
何の紙を突っ込んだのだっけ。置き場に困ったものをポケットに仕舞うことはよくあるので、咄嗟に出てこない。なら見ればいい。紙を指で掴み、取り出してみる。
出てきたのは乱雑に折りたたまれたメモ用紙。表面は折り目だらけでしわくちゃだ。間違って破いてしまわぬように慎重に開くと、ずらりと書き込まれた魔法陣が表に出た。
それを見て、そういえば発表会の時に魔法陣を書いてたっけ、と思い出した。しわくちゃなのはスピカに見せるために一度鳥の形になった時にできたものだろう。
あれからドタバタしていて趣味の時間を中々取れなかったので、久しぶりに見る連続起動術式の応用。自分なりに工夫こそしたが、スピカでさえ知らなかったのはちょっと予想外だった。伝通人にも知らないことがあるのか、それとも取り出さなかっただけで知識としてはネットワーク上に貯蔵されているのかはわからなかったが。
ちらりと術式のスピカと話していた箇所に視線を移す。ここの術式にはレオナルド工房の技術を使ったほうがいいとわかっていたが、秘密保持のための契約魔術に引っかかっているために私的利用が出来ないのだ。
より良い方法を知っているのに出来ないというのは思いのほかもどかしい。いっそのこと研究という名目で―――
「あっ……」
心臓の鼓動が早くなる。底からジリジリと、グツグツと思考が熱を帯びていく。
マティアスは怒りに身を震わせ、へらへらしているザックを睨みつけた。なんてことだ。ほんの少し、目を離しただけだというのに。
「何度も言ってるだろ? 僕のデスクから物を勝手に盗るなって!」
「そう怒るなよー。たかがクッキーくらいでさぁ」
「たかがとかそういう問題じゃないだろ? 人の物を盗るなと言っている! 当たり前のことだぞ! それとも何だ、翼人ではこれが当たり前だとでもいうのか?」
「違うに決まってるだろ。お菓子でそこまで怒るとか、器が知れるぞ?」
「それは今日の商談相手への手土産だ!」
「えっ……はい」
「今更返すな! もう遅いに決まってるだろ!」
ザックは気まずそうに、突き返されたクッキーの袋をそっとマティアスの机に戻し、そこからもう一枚取った。
「あははー……ごめん」
「クソッ! 行く途中で買い直さなきゃ」
余裕がある計算だったが、寄り道してとなると時間的にはギリギリだ。同じクッキーは店との距離を考えると難しいので、途中の店でいいものを探さなければならない。
グレンが近づき、遠慮なく袋に手を突っ込んだ。それに続けとばかりにスピカとアーロンも集まる。もうこのクッキーは今日のおやつだ。
「でもこれ袋からして高いやつだろ? あ、俺も一枚貰うよー」
「私も」
「うん、美味いな。煙草が欲しくなる味だ」
「アーロンはいつも吸ってるだろ。絶対早死するな。今のうちに遺産の相続権くれよ。契約魔術を交わそうぜ」
「悪いな、グレン。俺は魔術師だ。対策だってしてる。あとお前には一銭もやる気はない」
「そう堅いこと言うなよ。俺たち友達だろ? 用意はこっちでしとくからさ、なっ?」
「黙ってクッキー食ってろ」
「ちぇ、釣れないな」
「ネットワークで見たことある。一回食べてみたかった。美味しい」
「……はぁ。君たちねぇ」
フィンと暗い話をした直後に、その仲間たちは明るくクッキーを食べている光景を見ると、何ともいえない悲しさがある。というか誰もフィンを誘わないのか。フィンにもおすそ分けしようとも思わないのか。
「フィンの分も残しといてよ。僕はもう行くから」
頬をクッキーで膨らませてるスピカを見ると、多分残らないだろうと思った。