端的に言えば───
ここはレオナルドが暮らしている一軒家。
フィンは門の横についている水晶に触れた。この水晶に触れると、室内に来客を告げる鐘が鳴る仕組みになっているからだ。またこの水晶のように値段が高いものだと、室内から直接声を伝えることが出来る。
しかししばらく待っていてもレオナルドが現れることも、返事が帰ってくることもなかった。
「いないのかな?」
フィンは首をかしげ、右手に魔力を流した上で門をそっと押した。門に防衛用の魔術を仕掛けられていることを警戒してのことだったが、特に仕掛けられていなかった。それどころか、
「開いてる」
敷地内に入るも、結界の類の反応はない。何かあったのかもしれない、フィンはそう考えた。工房には博士はいなかった。そして研究資料には被害は見受けられなかった。となると狙いは博士かもしれない。ここも同じように襲撃を受けていてもおかしくないのだ。
後ろ手で門を閉め、周囲を警戒しながら家に近寄る。門がある立派な家だが二階はない。
扉の前に着くと、フィンは少しの間迷った。家にもしもレオナルドがいた場合、もしくは単に不在の場合、今からすることは酷く失礼なことだし、下手をすると仕掛けられた防衛用魔術を起動させてしまう。
けれども他にどうしようもない。フィンは腹をくくると、懐から自身の魔術魔術具である杖を取り出し、探索用魔術を使った。
「……誰もいない」
フィンの魔術が検知した限りでは、敷地内には誰もいない。それどころか、防衛用魔術が一箇所からしか反応がなかった。
ドアノブを捻るも、さすがにこちらには鍵がかかっている。杖を鍵穴に向け、開錠魔術で鍵を開け、扉を開けた。
杖を構えながら入った家の中は静かだった。部屋内は暗く、奥までは見えない。しかし家の設備の照明をつけるのは、それをスイッチとした魔術を起動させてしまうかもしれないので、手は出したくない。起動していない魔術は探索魔術では見つけづらいのだ。
「『明かりよ』」
杖先から三つほど光球を生み出し、隣に二つ、部屋の奥に一つ配置する。
玄関から見える限り、扉は五つ。そのうちの一番奥の扉が、唯一防衛魔術を行使されている部屋だ。
一番手前の扉に杖を振り、扉を開けた。それと同時に、隣に配置していた光球を一つ、部屋内に滑り込ませる。しかしその必要はなかった。なぜならそこはトイレだったからだ。わざわざ部屋内に明かりを設置しなくてもよく見える。
フィンは同じようにして、一つ一つの扉を調べた。シャワー室。リビング。寝室。しかしどの部屋も綺麗に片付いており、争った形跡は一つもない。
残ったのは防衛魔術が使われていた扉。恐らく、この先は最も隠匿すべき情報が隠されている場所。レオナルドの個人的な魔術研究のための部屋、すなわち工房だ。
本来ならフィンはここを調べてはいけない。しかし今現在起きていることは、フィンにとっては異常事態だ。杖を振るい、かけられている魔術を解析する。
「えっ?」
解析結果にフィンは呆気にとられた。
てっきり自分には容易に解けない魔術、それこそレベル4の魔術が行使されていると思っていたのだ。しかし実際には、レベル2。それも下位の方の緩い魔術だ。
一体全体どうしてこの程度の魔術を使っているのだろうか。フィンだって自分の工房には時間をかけて下位のものではあるが、レベル4の魔術を行使している。それなのに、レオナルドほどの人間がしないという、その意図が全くわからなかった。
フィンは杖を力強く握ると、恐る恐る扉にかけられている魔術を解いた。すると、扉がゆっくりと開き、同時に中に滑り込んだ光球が室内を照らした。
だが、室内の光景にフィンは眉を顰めた。中央に旅行用トランクが一つ置いてあり、その上に一枚の紙切れ。それ以外には部屋内には何もなかった。机も、椅子も、魔術に使う材料も、何一つだ。
息を潜めて部屋に入るも、やはりそれ以外のものは存在しない。トランクの前で膝をつき、紙を手に取る。スクロールに使うには質が足りない、一般的に売り出されている紙だった。それでも何か文字が書いてあるので、もしかしたらこの状況を把握する手助けになるかもしれない。
短い文章だ。一番上には『フィンたちへ』と書かれている。
状況的に、最も可能性が高いのはレオナルドからだろうか。フィンは目を通した。
『始めに謝ります。酒の席で、皆さんにバレないように魔術を行使したのは私です。すいません。あれはただ認識力を一時的に鈍らせ、酒を飲ませるだけの魔術です。安心してください。特に長引くような害はありません』
フィンはレオナルドが自分たちに魔術を行使した犯人であるという事実に目を見開いた。咄嗟に考えたのは、この手紙が偽物であるという可能性、つまりレオナルド以外の誰かが書いたものである可能性だ。
その場合、そいつはフィンたちを疑心難儀に陥らせて、内部から関係を壊すつもりかもしれない。だが、もしもそれが正しいとして、やはり誰が得をするのだろうか。研究内容すら盗まず、ただ関係を壊すだけ。
そもそもそれならばレオナルドはどこに行ってしまったのだろうか。
この手紙が偽物である可能性、それを考えても憶測の域を出なかった。それどころか、この手紙が真実である可能性が高いことをフィンは感じていた。
あの工房の防衛術式をかいくぐり、誰にも気づかれずにあの場にいる人間たちに魔術を行使できる人間。それがレオナルドだとすると、矛盾が生じないのだ。
まずレオナルドに防御術式は効果を及ぼさない。彼が発動するものだから。
次にレオナルドのことを少なからず信用しているフィンたちが、あの場で魔術をかけられることを警戒するかというと、しない。
考えれば考えるほど、レオナルドが犯人であることに対する矛盾はなくなる。唯一あるとすれば、一体全体それが彼にどんな得があるかということだけだ。
フィンは厳しい顔をすると、手紙の続きを読んだ。
『さて、なぜそんなことをしたのかと言いますと、早く一人になりたかったということと、誰にも止めて欲しくなかったからです』
どういうことだ?
『端的に言えば萎えました』
……えっ?
『オズワルドに負けたことでどっと疲れたといいますか。もう研究のことなんて考えたくありません。なので、子供の頃からの夢であった旅に出ます。探さないでください』
そう書かれていた。
読み終わったフィンは感情の篭っていない眼差しで手紙を見つめていた。穏やかな気持ちとは言えない。例えるならば、沸騰する直前の、泡がふつふつと出ている時の水のように、フィンの心の境界線は刺激されていた。
これで終わりかと思い、裏を見ると、続きがあった。
『工房に必要な資料はこのトランク内に入っています。あとはフィン君に任せます』
しかしそれだけだった。
トランクを開けると、中には明らかにトランクの見た目以上の量の紙の束、魔術触媒に実験に使うような道具が入っていた。高位のレベル4の魔術である拡張魔術によって空間を引き伸ばしたのだろう。
ああ、これで一安心。……とはいかない。
ふつふつと、ふざけるな。どういうことだ。まってよくわからない、わかりたくない。レオナルドに対して様々な感情が沸き起こる。そして、ぷつんと何かが切れた。フィンの中の限界を超えた。
「ああああああぁぁあああ!!」
ここにはいないレオナルドに向け、感情のままに吠え、紙を地面に向かって叩きつけた。ひらりと舞ってゆっくりと落下するその姿が今は気に障った。
「レオナルドが蒸発した?」
「ええ、そのようです」
黒革の椅子に座る、オーダーメイドの高級スーツを見に纏った男が驚きの声を上げた。先ほどまで自慢のオールバックの髪を撫でていたオズワルドだ。
オズワルドの秘書である女性は、手元の資料に目を落とした。
「情報提供者によりますと、発表会のあった日の夜中、つまり三日前から消息をたったと」
「人さらいか?」
「いえ、違います。どうやら社長が開発した立体魔法陣に敵わないと考え、心が折れてしまったそうです」
オズワルドは報告を聴き終えると、何かを考えるようにしばらく黙り込んだ。その姿はまるでレオナルドが諦めたことにショックを受けているように見え、秘書は驚いた。
「意外です」
思わず秘書は呟いた。
オズワルドは視線だけを彼女に向け、「何がだ?」と聞いた。
「その、大変申し上げにくいのですが、てっきり社長はライバルが消えたことを喜ぶものかと思っていたので。社長とレオナルド博士の仲はよくないように見えましたし」
「……ああ、そうだな。私自身驚いているよ。ついこの前まであいつを蹴落とそうと躍起になっていたのにな」
平坦な声音で言うと、オズワルドは微かに笑った。
「だが、いなくなるとそれはそれで寂しいものらしい」
オズワルドはそこでふと何かに気づいたかのように、顔を上げた。
「ならば今のレオナルド工房はどういう扱いになっている?」
「現在はフィンという者が継いでいます」
秘書はよどみなく答えた。
「そうか、彼か。それでどんな様子かわかるか?」
「いきなり責任者になったことで戸惑っているそうです。さらに工房の他の面々もまたやる気を失っているらしく、苦労しているようだとの報告が既に上がっています」
「ふむ、まあ仕方ないか。だが……いやこれは実際に話せばわかるか。
とにかく一度は話す必要があるな。レオナルドの研究はレベル3の壁を越えることこそ叶わなかったが、それでも私にとって価値のあるものだ。出来ればよそが手に入れる前に欲しい」
「しかし売らないと言っているようですが」
「ふん、別にどこにも売らないなら構わない。他所が買うというなら許さないがな。それに他にも方法はある」
「さすがです。では予定の調整をしておきます。ただ優先度が高い会食が多いですが、いかがなさいます?」
レベル3の魔術をスクロールに刻印する技術を作り出したことにより、予定はびっしりと隙間なく埋まっている。それだけでなくただの商売相手ではない。それこそ国が関わっていた。
出来ることならキャンセルはしない方がいい。少なくとも秘書はそう考えている。
「いや優先度はそこまで上げなくていい。まだ売らないだろうからな」
「かしこまりました。では」
「ああ、頼む」
秘書は一礼すると、部屋を出た。それをオズワルドは見送り、しばらく様子を伺った。そして部屋に一人になったのを確認できると、くっくっくと始めは堪えていたものを吐き出すように笑い、
「フハハハ!」
満面の笑みを浮かべた。
「よしっ!! 私の勝ちだぞ、レオナルド! ざまあみろ!!」
両手でガッツポーズをし、喜びに身を震わせた。それでもなお沸き起こる歓喜が心地よく、何なら歌いながら走り回りたいくらいだ。
別に秘書に対しての発言はまるっきり嘘ではない。レオナルドが消えたことを残念に思っているし、止めるくらいなら部下になってくれればよかったのにと思うくらいには評価している。
しかしこの世界において、打ち破ったライバルが消えることはよくあることなのだ。その度に寂しいと感じていたら、とてもではないがやっていけない。
ただレオナルドはオズワルドにとって最も強敵だったというだけの話だ。
「ハハハハハ、ハハハ……つまらん」
それだけの話だ、とオズワルドは自分に言い聞かせた。