また次も……頑張りましょう
「お酒、届きました」
発表会が終わり、工房に集まった彼らだが、皆俯き、とてもではないが騒ぐ雰囲気ではなかった。フィリップに頼んでいた酒瓶を、スピカは彼らが囲う机の真ん中に置いた。しかし誰もそれに手を伸ばす様子はない。
「立体魔法陣、凄かったな」
アーロンがぽつりと呟いた。
わざわざ口に出すまでもなく、それはこの場にいる全員が実感していた。
しかしそれを皮切りに、次々と口を開いていく。
「レベル3の壁、超えてたね」
「あれは完敗」
「話題、全部持ってかれたよな。いやぁきつい。本当にきつい」
おどけるグレンを尻目に、マティアスはゆっくりと酒瓶に手を伸ばした。その手は痩せ過ぎではないかと心配してしまいそうになるほど細い。レオナルドの次に年長の彼だが、気質なのか率先して雑事を行う癖があった。もしかすると、唯一この工房で魔術師でないことを気にしているのかもしれない。
「僕とザックは見てないけど、凄かったみたいだね」
「あそこで氷を選択するのもセンスがいい。形として残る物だから視覚的にインパクトがあるし、土とは違って華やかだ」
「アーロンが褒めるなんて、よっぽどだね」
「ちくしょー! オレも見たかったなぁ!」
金髪の男、ザックが叫びながら、机の上のチーズを一切れ引っつかんだ。その横のマティアスの目が険しくなる。人数分、グラスに酒を注いでいる者がいる中で、つまみ食いを起こされれば無理もない。
「自業自得」
「スピカちゃん、それを言ったらおしまいだぜ?」
「ごめん、僕がこの馬鹿に付き合ったせいで」
「おう、なんだよ喧嘩売ってるのか?」
「いやいや事実を言ったまでだよ」
マティアスは口元に嘲笑を浮かべ、「大体」と言葉を継いだ。
「美人を見かけたからと言ってすぐにナンパするんじゃない。発表会は合コンではないということを知ってるだろ?」
「言ってくれるじゃないか」
背中から生えている翼をはためかせて、ザックはマティアスを睨んだ。ザックは翼人なのだ。その特徴である両翼から、羽がこぼれ落ちる。
「ザック、落ち着きなよ。羽がまた落ちてる」
「うん? あっ、すまん、これでいいか?」
フィンがそのことを指摘すると、ザックは翼を折りたたんだ。それでも羽は抜け落ちるが、広げている時と比べればいくらかましだ。しかし折りたたんだことで気が逸れることを期待したのに、ザックは視線をマティアスに戻した。
ザックは馬鹿にするように鼻で笑い、やれやれと言うように首を振った。
「これだから堅物は困るんだよ。美しい女性がいたら素直に見惚れる、これが男ってもんでしょ? そして見惚れるほどの出会いが会ったなら、やっぱし口説くしかないでしょ? わかんないかなー、わかんないよなー、マティアスだしー」
「だが先週に言っていたモナカちゃんはどうした? さすがに他に気になっている女性がいるというのに、別の女性を口説くのは節操なしとしかいいようがないだろ」
「別にモナカちゃんとは付き合ってないんだからいいだろ」
よくないが、ザックはそういう男だ。自他共に認めるプレイボーイは恥じるどころか自慢げだ。
ここでザックはにやりと口元を歪めた。その邪悪ともとれる黒い笑顔を前に、マティアスは思わず一歩退き、「な、何笑ってるんだよ?」と聞かずにはいられなかった。
しかしマティアスを含むこの場にいる全員が、これからザックが何を言うかは察しがついていた。それだけに、この二人以外の面々は呆れた顔をしていた。
ザックはしたり顔で、マティアスに対する定番ネタを口に出した。
「全くそんなんだからいつまでたっても失恋を引きずるんだよ」
「くっ!? そ、それは今は関係ないだろ! 余計なお世話だ!」
一瞬で顔を赤く染めたマティアスが叫んだ。
工房の人にとって、マティアスの失恋話は有名だ。そしてそれが原因でマティアスはこじらせた。顔がよく、モテるのに、告白してきた女性を皆振り、ただひたすらに望遠鏡で持って初恋の彼女のことを見続けるその姿は、まさしくストーカー。
マティアス自身は自分に脈がないことを自覚しており、それでも諦めきれないことにやるせなさも感じている。よく言えば一途なのかもしれないが、相手から訴えられてもおかしくない所業である。
ほとんどの者は関わりたくないので、そのことを口に出さない。しかしザックからしてみれば、終わった恋にいつまでも縛られるというのは理解が出来ないようで、マティアスをからかうのに遠慮なくこのことを言う。
だが別にマティアスだってやられっぱなしではない。
「お前がそういうこと言うなら、伝通人のネットワークにお前のことを知らせるぞ! スピカ以外にだってたくさんいるんだからな!」
「やめろ!! 洒落にならないから本当にやめろ!!」
一瞬でザックの顔が青くなる。先ほどまでの威勢はどこにやら、心なしか震えてすらいる。
ザックが過去、伝通人絡みで何かをしたというのはこの場にいる全員が知っている。具体的に何をしたのかはわからないが、女好きなザックがスピカには一切手を出す素振りすら見せないところから概ね推測できるだろう。
スピカがネットワークに彼についての情報を流さないよう、初対面で土下座したという珍事件すらあった。
フィンは素早くアーロンと視線を交わす。これ以上放っておくと、互いに魔術を使いかねない。アーロンが頷くのを見えるかどうかのタイミングで、ザックの肩を軽く叩き、意識を自分に向けた。それと同時に、視界を遮るように大柄なアーロンがザックとマティアスの間に滑り込んだ。
「アーロン、そこをどけ!」
「マティアス、悪いがオレは腹が減った。博士だって待たせてることだし、早く始めよう」
「だが、」
「ほら、落ち着け」
「いいぞもっとやれー!」
「黙れグレン」
アーロンがパイプをマティアスに近づけ、鎮静の魔術を使っているのを見てから、フィンはため息とともにザックにぼやいた。
「マティアスにあの話題は厳禁ってこの前言ったろ?」
「あー、うん、悪い」
今は反省しているように見える。だが喉元を過ぎると、熱かったことを忘れる性格。しばらくすればまたちょっかいを出すのだろう。
それでもそれを追求したからといって何かが変わるとは到底思えないフィンは、ため息だけをついた。
その頃には、マティアスは深呼吸を繰り返し、平静を取り戻していた。
「わかった。とにかく始めよう」
仕切りなおすかのように一度手拍子をすると、マティアスは机に近づく。そして、じっと黙っていたレオナルドに、マティアスが酒を注いだグラスを渡す。それに合わせて、乾杯の音頭をするために各々自分でマティアスが用意したグラスを掴んだ。
ザックが、自分の一番近くに合ったグラスを手に取った上で、怪訝な顔をした。
「なあ、俺の奴明らかに少なく……すいません黙ります」
また面倒なことになると考えたのだろう。スピカは冷たい目でザックを黙殺した。
「博士、どうぞ」
「……ありがとう、マティアス君」
明らかに元気がない人間が出す声だった。
レオナルドはグラスを受け取ると、ゆっくりと笑みを浮かべた。しかしそれは、無理をしている人がする作り笑いだと気づくのは、容易だった。
「皆さん、まずはお疲れさまでした。私たち全員で開発した魔法陣連結の効率的手法は、きっと今後のスクロール製作において大きな意味を持つことになるでしょう。
ただ、今日は残念な結果に終わりました。確かにあの立体魔法陣は凄かった。まさに画期的だ。レベル3の魔術を印刻することもできましたし、魔法陣の展開から魔術が発動するまでのロスも短かった」
声が震えていた。
「でもまだ終わっていません。あれにも課題は山積みです。ロスが短いと言ってもまだまだ削れるはずですし、インクはわかりませんが使われている紙は高価でした。それらの課題を解決するのに、私たちの研究は大いに貢献することになるでしょう。ですから、私たちの研究は無駄ではありません。自身の技術力を信じ、また次も……頑張りましょう」
その視線はどこか遠くを見つめており、この場にいる誰の存在も認識していないように見えた。
きっと一番ショックを受けているのは、彼だ。ライバルであるオズワルドに大きな差をつけられ、途方もない敗北感に襲われているのだろう。自分の研究が無駄ではないと、一番信じていたいのは、他でもないレオナルドなのだ。
「乾杯」
震え、掠れた乾杯だった。その一言だけで感情が見え隠れしていた。それに気づかないふりをして、フィンたちは明るく乾杯と言った。