こ、これが恋する乙女……!?
「三日後は雨なので、それまでは持つはずです」
「レオナルドさん、ありがとうございます! 変な意地を張らずにもっと早く頼れば良かった!」
「いえいえ、それにしても間に合ってよかった」
「本当に、本当にありがとうございます!!」
感謝の声を上げる一家に、手を振ることで応えながらレオナルドは気分よく帰路についた。デコボコな整備のされていない道だったが、その凹凸すら楽しむように歩く。
レオナルドはかつてとある工房の博士であったのだが、紆余曲折あって今はただの魔術師になった。だが彼は別にそのことを悲観することはない。
今まで必死になって研究していたせいか、旅の生活はとても新鮮で、楽しく自由だった。
旅をしていると、困っている人と出会うことは少なくない。そんなときはレオナルドは出来るだけ力になるように決めていた。彼が優しいというだけでなく、彼らが抱えている問題というのは、魔術を使えば驚くほど簡単に解決することが多いというのも、そう決めた理由の一つだった。
例えば先ほど別れた一家。彼らの場合、ここ最近晴れの日が続いたせいで、畑の作物が駄目になってしまいそうだった。しかしこれは水魔術であればあっさりと解決するのだ。
(スクロールがあれば彼らも……いかんいかん、私はもう研究から逃げたんだ。考えたってしょうがない)
自嘲気な笑いを隠すように、空を見た。背中に翼を生やした翼人たちがあっちへこっちへ飛び交っていくのが見える。
この近くには、翼人の集落がいくつかあるため、空を見上げれば彼らが飛んでいる姿はよく見かけられた。
(そういえばザックの故郷もこのあたりだったか)
工房一の女好きは元気にしているだろうか。今こうしている間も誰かを口説いているのだろうか。その方が彼らしいとレオナルドは思う。
さて、そうこうしているうちに、現在レオナルドが泊っている宿が見えてきた。木製の古びた宿に見えるが、中は案外悪くなく、それでいて朝と夜には食事までついているので、レオナルドは気に入っていた。
宿の扉を開けると、扉につけられた鈴が鳴り、奥からどたどたと大きな音が近づいてくる。やがて現れた白髪頭が目立つ男はこの宿の主人だ。
「レオさん、お帰り。今日は早いな」
「今日は近場でいくつか水を出すだけでしたからね。それに明日にはここを出なきゃいけません。その支度をしなくちゃ」
「寂しくなるなぁ」
「はは、私もですよ」
「何ならこの村に住んでもいいんだぜ。魔術師なら金には困らないし、皆だってレオさんのこと気に入ってるから喜ぶ」
「それは大変光栄ですが、まだもう少し旅をしたいもので」
そうかい、と気を悪くした様子もなく、主人は朗らかに笑った。
「ちょいっと早すぎるんで夕食はまだ出来てないんだ。あとちょっと待ってくれ」
「ここの料理は美味しいですから、ちょっとくらい余裕で待てます」
「はは、ありがとさん」
宿と言っても、宿泊出来るのは二階だけだ。一階は飲食店のようにいくつか机が配置されており、泊っている人たちが食事や会話をする場として使われていた。
レオナルドは一度二階の自分の部屋に行き、すぐに旅立てるように準備をすると、再び一階に降りた。お腹がすくいい匂いが漂っている。
「レオナルド、こっちだ」
はきはきとした声がレオナルドを呼んだ。
その机には、背中まである金色の髪を持つ女性がいた。紆余曲折あって一緒に旅をしているリンジーだ。
だがその机にはリンジー以外の女性がいた。リンジーの対面に座り、レオナルドに会釈しているその女性のことは知らなかった。
「リンジー、彼女は?」
ツインテールに纏めた青色の髪の毛先が紫色なことから、伝通人だということはわかる。伝通人の多くが魔術師なので、彼女もまた魔術師だろうか。
だとすると、レオナルドたちと同じようにこの村の人間ではないだろう。
「彼女はロレイン」
「初めまして、ロレインと言います」
流れるような綺麗な声だ。
「初めまして、私はレオナルドです」
「ロレインとは今日会ったばっかなんだが、仲良くなってな。聞いてみれば同じ宿だっていうし、一緒に食事をしようと思ったのだ。別に構わないよな?」
「もちろんです」
断る理由はない。
「よかった」
「ありがとうございます。それではご一緒させて貰いますね」
ロレインは上品に微笑んだ。レオナルドの中の伝通人のイメージとしては、かつての工房にいたスピカが浮かぶが、彼女はスピカとは似ていない。
(やっぱりスピカは変わり者なのか)
無表情にブイサインを送ってくる脳内スピカを振り払い、レオナルドはロレインに話しかけた。
「ロレインさんも旅をしているのですか?」
「ええ」
「何でも人を探してるらしい」
先に聞いていたのであろうリンジーが横から答えた。
「なるほど、人探し。それはまた大変そうですね」
「ええ。ですけど私はあきらめません。もちろん中々見つけられなくて辛いと思う日々ですけど、そんな日々があるからこそ出会えた時の喜びを想像しただけで……」
ロレインはうっとりと顔を赤く染めた。リンジーがにやっと笑う。
「探し人は好きな男だってさ」
「ふふ、恥ずかしいです」
「否定したっていいんだぞ」
「いえ、しません! 私は自分の気持ちには素直になると決めているのです!」
「いやぁ、こんな美人に一途に思ってもらえるなんて幸せな人だな。レオナルドも同じ男としてそう思うだろ?」
いきなりの恋愛話に面食らっていたレオナルドは、慌てて平静を装った。
「え、えぇ。そうですね」
「彼もそう思ってくれればいいのだけど」
「大丈夫さ。ロレインのその気持ちを真っ直ぐ伝えてやれば」
「ありがとう、リンジー。だけどやっぱり心配なの。彼はとてもハンサムで、かっこよくて、頭がよくて、それでいて優しいの。きっと周りが放っておかないわ!」
話しながら涙目になるロレインに、レオナルドがハンカチを渡そうとしたら、その前にリンジーが渡した。ロレインはありがとうとお礼を言うと、素直に目元を拭った。
「その時はその時だ。何なら奪っちゃえ!」
レオナルドはぎょっとした。
「リンジー、それはさすがに───」
「本気で好きならそれくらいの気持ちでいかなきゃ。じゃないとロレインが後悔するぞ」
レオナルドの静止が聞こえないほどに、リンジーは熱く語った。
「私はロレインを応援する! だって会ったばかりの人にもその人のことが好きだって堂々と言えるのは凄いことだと私は思う。それだけ誰かを好きになれる人は幸せにならなきゃ駄目だと思う!」
「ふふ、リンジーは優しいね。ありがとう、そして大丈夫。言われなくても諦めるつもりなんてないわ!」
「ロレイン、その意気だ!」
「ええ!」
レオナルドは何だか居心地が悪くて、視線をさまよわせた。女性同士の会話は、男にはちょっと混ざれない空気のことがあるのだ。
店の主人と目が合った。口元が笑っている。完全に対岸の火事だ。
そんなレオナルドの様子に気づいたロレインは、申し訳なさそうに声をかけた。
「レオナルドさん、ごめんなさい」
「ああいえ大丈夫ですよ。そういえばロレインさんは伝通人ですよね? ならネットワークを使えば人探しくらい出来るのでは?」
そんなこと既にやっているに違いないということに気づいたのは言ってからだ。だが考えに反して、ロレインは困った顔で言った。
「私も出来ればそうしたいのですけど、ネットワークを使えない事情があるもので。こうして地道に探しているのです」
「へーそんなことあるのか。私はてっきり相手も伝通人なのかと思ってた」
「私の知り合いにも伝通人はいますが、彼女は同じ伝通人にはかなり気楽に連絡をとっていましたよ。ですから伝通人同士ならむしろ見つけやすいのでは?」
「レオナルドさんの言っていることは半分当たりですね。詳しくは省きますが、よほど相手のことが嫌いでない限りブロックしませんから彼が伝通人ならもっと簡単に見つけられたでしょう」
「その人は只人なのか?」
「いえ翼人です」
「なるほど。だからここなんですね。ここは翼人の集落が多いから」
何せ翼人が空を飛んでいる光景が珍しくないような場所だ。その男が翼人だというなら探す場所としては的外れではない。
「はい。ですが今の所彼らしい情報は全く」
「うーん、翼人か。他に特徴は? 髪の色とか、身長とか」
リンジーが訊いた。
「髪は月のように綺麗な金色。背は高い方です。あとは……とてもハンサムです。それに彼は魔術師ですね。魔術具は刀身の青いナイフで、それを構えた時の彼は本当にかっこいいのです!」
「うん?」
レオナルドは首を傾げた。
翼人と聞いて彼が想像するのは、工房にいた男なのだが、どうにも彼とロレインが話している男の特徴が似通い過ぎている気がする。
(そういえば伝通人のことをやけに怖がっていたような……)
背筋に寒気が走った。
何か、そう、とても重要な場面に遭遇してしまったような気がする。これからの行動が、誰かの未来を左右してしまうような、そんな場面に。
(まさか……まさかそう、なのか? ザック! ロレインがそうなのか!?)
まだわからない。だがロレインが探している相手がもしもザックだとして、ザックが伝通人を怖がる理由がもしも彼女にあるとしたら。
彼女はもしかすると、本性が別にあるのかもしれない。
レオナルドは出会ったばかりの相手より、かつての仲間を信じることにした。ロレインには悪いが、ザックのことは黙っておこう。
だが。
「何だかレオナルドの言ってた翼人みたいな男だな」
(リンジー!?)
優しさがレオナルドを裏切った。咄嗟にしどろもどろになりながらも否定する。
「そ、そうかな? 違うと思いますけど?」
「そうか? うーん、でもなぁ、なんて名前だったか。ザ、ザ、ザ、ザ何だっけ?」
「何でしょうね? ザンとかザピカとかだったような? もしくはザーロンとかザティウスとかザレンとか」
「そんな名前ではなかっただろ。えーと待て待て、ここまで来てるんだここまで」
喉まで来ている名前に危機感を覚えたのは初めての経験だった。
「ザ、ザ、ザ」
「ザック」
ぽつりと呟かれる声。
「そうザック! ……あれ? ロレインが知ってたってことは……!?」
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
ロレインは不気味に笑い続ける。俯いているせいで、表情は見えない。
その笑い声が、レオナルドの不安を的確に刺激していく。体中から嫌な汗がこれでもかと流れ、足が震えた。
「ふふふふふふ……」
ピタッと笑い声が止まった。そして、トロンとした目で火照った顔の両頬に両手を当てながら暴走した。
「遂に遂に手がかりを掴みました見つけましたよザック様! あああなた様を探し続けて数年の年月が経ちそれでもあなた様をお慕いし続けた甲斐があったおお神よあなたはきちんとそこに居られたのですね私を見ていてくれたのですねふふふやっとやっとああザック様ザック様もう二度と離しません離れません離させません逃がしません───」
「こ、これが恋する乙女……!?」
ゴクリと戦慄するリンジーを放っておいて、レオナルドは席を立った。
「お腹が急に痛くなったからこれにて失礼!」
早口でまくし立てると、レオナルドは二階に向かって逃走しようとした。が。その目論見は僅か三歩で打ち砕かれたことを、肩に置かれた手が示した。
「レオナルドさん、どこに行こうというのですか? 聞きたいことがまだまだあるというのに」
「ひゅ」
変な声が喉から漏れた。
机を挟んだ対面にいたはずのロレインがいつの間にか背後に立っていた。
「い、いやお腹が、ね? 痛くてね?」
「ザック様のこと、教えてくださいね? 特に今どこにいるのかを」
肩を掴む手に力がこもっていく。もはや痛みを伴っていたが、そんなことどうでもいいと思えるほどの恐怖を感じていた。
(ザックすまない……そしてフィン、助けてー!)
研究から逃走した男の第二の逃走劇はこうして幕を下ろした。




