表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あたえられないもの

作者: ひのえ

 夏のかおりがした。

朝5時の夏は涼しく人もいない。この素晴らしい世界を自分のものにすることが出来た。私だけの世界はセミが一人泣くのを聞くだけだった。海風はトラックと共に流れる。

母が死んだときのことを思い出す。

私は母の連れ子だった。実の父は私が幼い頃他界した。母は体が弱く入院を繰り返していた。

そんな時今の父は現れた。同じ病院に入院していて知り合ったらしい。母は結婚した。まるで前の父なんて忘れてしまったように感じてさみしかった。けどそれでも母が幸せになってくれるならいいと思った。

父は母の病気のために必死に働いた。


しかし父は仕事でほとんど病院に来られなかった。そうして母は死んだ。父は死に目にも間に合わなかった。私は中学生の頃だった。


次の日の通夜で私は父に言った。

「結局あんたはなにがしたかったのよ。」


父はこちらを見ると握っていた手を離した。頭をぽんぽんとすると、母に近づきいつも使っていた湯呑に献杯の酒を注ぐと一息に飲み干し湯呑を置いて式場から出て行った。父の背中は白いタバコの煙だけを置いていった。私はその日以来父とは会ってはいない。

父は単身赴任で仕送りだけを送り続けた。


私立高校に行くというと何も言わず仕送りの量を増やした。塾に行くというと何も言わずまた仕送りを増やした。大学に行くというと金額だけを聞き仕送りを送ってきた。


母への贖罪なのか意地なのか。そんなもの

「・・・ッ」


そして父も死んだ。


結局父が私に残したものは大学に行けるだけの保険金とドス黒い感情だった。


ふらついた足は地面についているかも怪しかった。少女の目はおぼろげでくまがひどかった。化粧で隠し切れないほどに目の光まで濁していた。

「私は父さんが嫌いだ。」

少女の目の光は濁りに飲まれ消えた。もはや次の言葉をつなげる必要は彼女に無くなった。固く結んだ口は真っ赤だった。

心地よいはずの潮風が今日はひどくしみた。どうなってもいいと心から感じた。嘲笑い、バスに乗るような気軽さで体は宙へ投げ出された。一人泣くセミは蝉と人間の喧騒に飲まれ私だけの世界は暗転した。



「にしてもいきなり飛び込んでくるから轢いちまうかと思ったよ」

「私としては自殺しようとして飛び込んだんですけどね・・・」

「そいつは残念だったな」

普通こういう時は理由なりなんなり聞くもんだろ。それをこのおっちゃんはへらへらしてどういう神経しているんだか・・・

「死のうとしていたのに理由なんて聞いても意味ないんじゃない。」

平気でこんなこという。

「さすがにいじわるすぎたかね。」

やや改まって、彼はトラックをわきに止めた。

「俺の名前はみつきっていうんだ。」

軽快に挨拶する彼は私の方を見て自販機で買いたての水を放り投げた。

「私はさつきといいます・・・」

ぶっきらぼうに挨拶して私はちょっと警戒して水を飲み干す。

「自販機で買ったばっかりだから安心だぞ。」

「そんなことわかっています。」

これは職業病というか・・・女子大生には必須スキルなんです。

「くだらんもんさな。」

彼はつまらなさそうに缶コーヒーを流し込み、タバコを口にくわえた。

「ふーん・・・そうなんですか。」

私はこの男が気になった。大学の男どもとは違う雰囲気を感じた。

私は水で冷めた体と反比例して湧き上がるいたずら心を抑えられなかった。

「でも、お兄さん」

私は男に詰め寄り、襟をつかんだ

「私をこんなとこに連れてきたって」

ボンネットに押し倒し、寄りかかる。

口からタバコが滑り落ちた。

「つまり、そういうことなんですよね。」

襟のボタンをはずし、唾をのんだ。

男なんて・・・

「ばーか」

みつきは払うでも、抱きしめるでもなく、脇をつかんでボンネットへと座らせた。ちょうどあかちゃんを担いで座らせるように

「ちょ、ちょっと!?」

私は顔に血が上るのを感じた。

「据え膳くらい食べなさいよ!」

「いちいち試すなよ。」

みつきはあきれ顔で私の顔に水をぶっかけた。

「なに・・・すんの!!?」

「おう!ましな顔になったじゃねえか」

私はみつきからタオルを受け取って顔を拭くとタオルが泥だらけなのに気付いた。

「もういいです。なんか冷めちゃいました。」

タオルに顔をうずめながら、

「試さないとやってられないんです。」

ちょっと気になると後で裏切られるのが嫌だから、自分から誘ったことにすれば心は傷つかない。彼は私の頭に手を置いた。

「ならもっと清楚系で売るこったな」

「――ほんっと余計なお世話です。」

自分の見せ方はよくわかっている。自分の容姿がそこそこいいことも、そんな状況に甘えて生きてきたことも。まぁそもそも

「わかんないんですけど・・・お兄さんに魅力感じないんですよね。」

気にはなるんだけど。懐かしい感じがする。

みつきは少し驚いて

「そりこっちのセリフだ。」

少し面白そうな意地悪な顔をして見返した。

「そもそも・・・」


「飛び込んだショックで気絶して水たまりに浸かっている女の子を食べようとは思わんよ」

「―――ッ」

思いっきり泥だらけのタオルを顔面にたたきつけてやった。



トラックは山に差し掛かり峠をゆっくり走った。


「お兄さん変な人ですね。」

「よく言われるよ。ほんと」

みつきは少し速度を落としつつ自虐気味に笑った。

「私の父もトラックの運転手をしてましたね。」

「てことはもうやめちまったのかい」

「はい。昨日死にました。」

なるべく気にしてないように私は言った。

「そりゃお気の毒だったな。」

「別にそうでもないですよ。つけが回ってきたんです」

少し早口になりながら

「母が病気で死んでから、とうさんは無理ばかりしてましたからね」

自分のせいだといわんばかりにたっぷりの自虐を込めた。

「そりゃくそ親父だわな。」

思いがけない返答に私は困惑したが不思議とすんなり受け入れられた。

「そうですね。」

「死んだのを娘のせいにするほど野暮じゃないよ」

私は父さんに怒りがわいた。けど・・・

「けど、母の病気をために働いて」

これ以上続けることがひどく汚いのはわかっていた。

「情けなく頭下げて借金までして」

あのプライドの塊みたいな人が

「母がいなくなったら私のために」

彼は何も言わない。

「馬鹿じゃないですか」

私に・・・

そこまで言って私は彼がひどく悲しい顔をしているのがわかった。

なんであんたがそんな顔するんだ。

「親父さん」

彼は遠くを眺めて吐息のように漏らした。

「幸せだったんだな」

幸せなもんか、自分には何もなかったんだ。

「俺の親父も似たようなもんだったんだ。」

彼は少し笑いながら

「俺と母ちゃんのために働いて体を壊してね。」

「結局、愛想つかされちゃったよ。」

ひどい母ちゃんだろ?

彼はそうは続けなかった。

「ひどい母ちゃんですね。」

私は言ってやった。いわれたくないだろうから。

「そうだね。ほんとにひどい人だよ。」

「けど、私が母親だったら、子供のために同じことをすると思います。」

彼は大笑いした。

「けど捨てられたのは母の方だったんだよ。」

彼の笑いは強がりのように見えた。

「馬鹿な父ちゃんだろ?自分から捨てたんだよ。」

「そんなの捨てられるのが怖かったからですよ。」

そんなことはない。病気は怖いから一緒にいてほしい。わかってた。

「そうだろうね。」

彼は自分もそうだといわんばかりに行った。

「病気で死ぬより、好きな人に振られるほうが怖かったんだろうな」

「初恋の時みたいな考え方ですね」

その恋が人生のすべてのように、自分の人生を切り捨てるのか。

「残された方はたまったもんじゃないよな。」

「ほんとうに・・・ですね」

そんなものは自己満足だ。言葉が乾いていく。

けど私はこの人には言えなかった。きっと言わなくてもわかっている。

「なんでそういうやり方しかできないんだろうな。」

みつきは私ではない誰かに言った。



渇いた潮風と共にトラックは海沿いを走る。


「・・・んで、私はいつまで一緒に乗ってればいいんですか?」

あきれ声でいうと彼はニカニカ笑いながら

「もう少し話し相手してくれてもいいだろ?」

とふざけた調子で言った。

「誘拐されたって通報しますよ」

「それもいいな・・・」

男が大真面目な顔でいうもんだから私も興がそがれた。ため息が事前と漏れる。

「別に話くらいいいですけど・・・」

彼の父の話がひどく耳に残っていた。聞かなきゃという義務感が潮風と共にまとわりついた。

「みつきさんの父さんもトラック運転手だったんですか?」

適当に話を振る。何を聞きたいわけでもなかった

「保険屋のエリートコースって奴だったよ。」

よく自慢話で聞かされたもんさ、と彼が続けた。

「見栄っ張りな人でね」

苦笑交じりに

「仕事終わりで海に連れて行ってくれて溺れたり、高いホテルとったはいいけど自分の部屋の鍵なくして外で寝たりしてたな」

運動会の親子対抗リレーで張り切って救急車で運ばれたこともあった。なんて楽しそうに話す彼は自分のことのように笑っていた。

「残念なだけじゃないですか」

くすっとなりながら、悟られないようつまらなさそうに返す。

彼は『残念』というのが偉く気に入ったのか、トラックの速度を上げながら言った。

「残念な人でね、母ちゃんに結婚指輪を3回もなくされ買いなおしてた話は最高だった。」

「そんなにつけてほしかったんですかね?」

あー独占欲はおぞましい。特に男の

「だろうね・・・しかも毎回自分のも買いなおして『俺も一緒に無くした』なんていいだすからほんとのあほだったんだ」

「けどまあ」

ひーひ―いう彼の声が少し落ち着いて

「母ちゃんのことほんとに好きだったんだなっておもうよ」

少し違う気がする。何かはわからないが

「母ちゃんから浮気された時もそうだったな。」

母にそんなことをさせる俺が悪いってね。

トラックのハンドルが大きく切られた

知りもしないのにその男の小さな背中の目いっぱいの意地が見えた気がした。

私は何か大事なことがわかりかけてる気がして、何とか言葉を紡いだ。

「なんというか・・・・お父さん間違えてる気がします・・・ずっと」

何かはわからない。けど私も父に負わされたこの感じ。同じものの気がする。

「間違えてるよ。今ならよくわかる。」

「相手に渡さなきゃいけない『罪悪感』とか『後悔』とかをあげないんだ。自分『だけ』が悪いからって」

自己犠牲の化け物

ふと私の頭にそんな言葉がよぎった。

「そんなの怖いだけですよ」

私は自分のよくわからないもやもやが解けて流れ出てきた。

「相手が与えられたくないものを与えたら嫌われるって」

「自分が望んでやったからといいて、自分に言い訳して」

私は自分の父への恨みになっているのに気付いたが止まらなかった。

「けっきょく私になきゃいけない罪悪感までもっていって・・・」

「―――死にやがって」

私はひどく泣いていた。こんなことが言いたいんじゃない。

トラックが海辺の公園に泊まっていた。

みつきは私の頭をがしがししてただ抱きしめた。彼の顔は見えなかったが泣いている気がした。

「―自分に酔っているだけじゃないか」

私は何が言いたいかわからなかった。ただこんな汚い言葉を父に叫ぶ自分が嫌いだった。




夢を見た。私は小さな男の子になっていた。季節はちょうど今頃、川の近くに立った小さな家?のほとり。私と綺麗な女性と私の父さん?なのだろうか?なんとなくそんな気がする。父さんはひどく酔っており、上機嫌に湯呑を傾ける。

息子と一緒にお酒を飲みたかったのか、もう一つの湯呑にジュースを注いだ。私はお返しをしようと徳利に手を伸ばすが届かず綺麗な女性に手を添えられ私が徳利を父に向けた。

「はい!」

無邪気に笑いがこぼれる私はなみなみと湯呑に注いだ。

父さんは飲めないのを必死にごまかそうと周りをきょろきょろし

千鳥足で私を抱き上げると父は川に飛び込んだ。

あーあ、これじゃ服はもうだめだな。高そうなスーツが台無し。

私から注いでもらったのがうれしかったんだろうな。何となく伝わってくる。

泣きじゃくる私の頭をガシガシしてあやす父さんはさっきの綺麗な女性に本気で怒られていた。病気がなんとかとか、よく聞き取れなかった。

こんな父は私は見たことがなかった。


日が急激に落ちてきて、母と私は小さな家に入ろうとしてた。父は私の頭をつかみニコニコと笑っていた。

「もういかなきゃだよ!」

私は父をせかすが動かない。

「まだ××に貰ったお酒が残っているからね。」

違うそうじゃない。ほんとは何で来れないかわかっていた。

「大丈夫遅れて私も行くから」

父は私の左頬に自分の頬を近づけてぎゅっと抱きしめた。私は渾身の力を込めて抱きしめた。いやだ離れたくない。


父さんは扉を越えられない。私は理解していた。


父さんはまたそうやって夢でも私を捨てて奪うのだ。来られないのに来ないふりをして、父さんはそうやって嫌われることから逃げるんだ。私はさっきみつきに言ったことをそのまま言ってやった。


「とうさんありがとう。ありがとう。嫌いになんてならないから、父さんも幸せになってほしかった。」


暗がりに落ちていく川のほとりで父が一人、湯呑を傾けた。父から引きはがされ、閉まりゆく扉の向こうで渇いたはずのよれたスーツに水がしたたり落ちるのを見た。




目が覚めるとそこはもといた海辺であった。夕焼けが地平線へと傾いていた。横を見るとタバコを吸うみつきの姿があった。夕焼けのせいだろうか少し顔が赤い

「たばこはだめだったかな?」

「別に、大丈夫です。」

少し甘い香りのするタバコの煙だった。

「とうさんまだ病院なんだろ?いったげなよ」


私は夕暮れの浜辺を一人で歩いた。まるでさっきまでトラックにいたことが夢のように感じられた。しかし左頬の熱さが私にこれを現実だと教えてくれた。私がほんとに気になっていた人はきっとみつきなんかじゃない。ずっと足元で踏みにじってきた、ずっと一緒に歩いてくれた。父の面影を彼に重ねていただけだった。父がずっと気になっていて、そして父にはもっと自分を気にかけてほしかった。

「私は父さんに・・・」

自分はずるい人間だ。

「もっと怒られたかった。」

どの口がそんなことを言えるのか。しかし、今はこの自己嫌悪が心地よかった。これは私になくてはならないもので、初めて父からもらえたものだった。


病院につくと先客がいたのか、白い布をかけられた父の横には湯呑が二つ置かれていた。一つはわずかな飲み跡が残り、一つはなみなみと注がれていた。私はその湯呑を持ち上げ一息に飲み干した。


父は最後まで子から注がれた酒を残さない人だった。




次の日のお通夜では見たこともないような人や花で会場は埋め尽くされた。どこかの社長だとか、どこかの保険会社の専務だとかで花は埋め尽くされ、何より献杯の酒の量は尋常ではなかった。

私は興味がなかったので窓から見える海辺を眺めていた。今日もまた数多のトラックが海辺を走っていた。トラックは風と共に流れる。もう二度と彼がそこに来ることはないのかも知れない。私はそう思い父の遺品であったタバコに火をつけた。ごほごほとせき込むとともに目に煙がしみてきた。甘い香りがした


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ