スルーしましょ 〜 感想欄・割烹の炎上 〜
ネットの世界って良いですよね。
まぁ、私はまだ普及していない時代を知っているからこう感じるのでしょうけれど。
年齢・性別・職業・地域の違いを越えて。
リアルでは絶対に知り合うこともないだろう人たちと交流が持てるのは、素晴らしいことだと素直に思えます。
もちろん「小説家になろう」もこれに含まれます。
では、交流を考えたとき、リアルとネットで一番違うことは何でしょうか。
私は「人の顔が見えるか見えないか」の違いだと思います。
リアルならば、会話するときには相手の顔が見えます。
相手の立場や感情が自然に分かります。
私たちはふだん、表情・口調・姿勢や身振りなどから常に相手を読んでいます。
もうね、物心ついた頃からずっとずっと、膨大な量の訓練を積んでいます。
そして、自分からも相手に色々と伝えているのです。言葉を使わずに、です。
言葉や文字によらない交流、英語では non-verbal communication と言いますが、この言語外のやり取り、情報量では言葉の内容をはるかにしのいでいるのですよ。
人との交流のうち、6〜9割はこの言語外によるものです。
たとえば、友達と「やぁ」と短く言葉を交わすときには、「きょうも元気だね、私も元気だよ。貴方のことが好きだよ」と言葉を使わずに発言しています。
逆に親しくない人から話しかけられて「何かご用でしょうか?」と聞くときには、もしかすると「それ以上近づくんじゃねぇ!」と言外に伝えていたりするんですね。
いっぽう、ネットの世界ではどうでしょうか。
相手を(リアルのようには)よく知らず、顔も見えない。
そして、相手との交流は文字だけ。
ネット世界の交流は、リアルとは全く違うものになります。
言葉を尽くせば伝わる?
いいえ、それは間違いです。
ネットの世界では、そもそも相手に伝える手段がゴッソリ抜け落ちているのです。
そして、私たちが重視するのはまず相手の立場や人柄や感情であって、言葉の内容ではありません。
正しい理屈なら通るはず?
それこそが、勘違いです。
これはリアルの状況を考えてみれば、すぐ分かるでしょう。理屈が正当に認められるためにはそれなりの状況が不可欠です。
もちろんネットの世界でも信頼できる友人をつくることはできますが、そのためには相応の積み重ねや行動が必要です。
少なくとも「なろう」の感想欄や活動報告のコメントに一筆書いた程度では到底足りません。
ネットの世界で反対意見を述べる場合には、特に、細心の注意が必要になります。
まともな意見交換をするためには、まず土台作りから始めなければなりません。
「貴方のことを認めている」
「貴方の意見を聞く用意がある」
これを伝えることが話し合いの前提となるのは当然ですよね?
リアルの世界では、この土台作りは言語外で済ませているのですよ。
「きょうはどうぞよろしく」などと挨拶したりしますが、それは付け足しです。
話し合いをするとき、私たちは態度でそれを表しているのです。
一方、non-verbal communication のないネットの世界では、まずこの土台作りから始めなければいけません。
そう、文字だけで。
これがどれほど難しいか。
真剣に考えてみると、「まず無理」という結論になるかもね?
でも必要なんですね。これが。
そして、この土台作りをすっとばして。
リアルでなら言語外で伝えるほうが望ましい相手にとっては否定的な感情などを、ネットの世界で文字に表したりしたら、大変なことになります。
もう意見交換どころではありません。
私は思います。
誰でも自由に参加できる広く開かれたネット環境で、意見が対立したとき、節度を保ったまま議論を続けることは可能か?
むしろ期待するほうが間違っているのではないでしょうか。
立場も生い立ちも(特に精神)年齢も意見も、違う人たちがいますからね。
こう考えてみると、「なろう」の感想欄や活動報告コメントなどがたまに炎上したりするのも当然の成り行き、と思えてきますね。
ネット上でいわゆる「炎上」がおこるとき、その「火種」になるのは何でしょうか。
趣旨を批判する反対意見? いいえ、違います。
意見が対立するのは自然なこと。それだけでは炎上はしません。
炎上のきっかけとなるのは、まず第一に「自制の効いていない、感情的な、人の神経を逆なでするような発言」です。
これは発言者が誰であるかは関係ありません。
それは最初に批判的意見を書いた人かもしれません。しかし、第三者が横槍を入れる場合はもっと危険です。
それから、「自分は正しく、あなたは間違っている」という姿勢の発言も発火しやすいですね。
言われたほうは、「アンタ何様?」と感じてしまうでしょう。
対立した意見があるときに、だれかが自制を失うところから、炎上は始まります。
では、「炎上」やその兆しを見つけた場合にはどうすれば良いのでしょうか?
スルーしましょう。
もう、炎上の「火種」となる書き込みは、徹底的に「無いもの」として無視するのです。
理屈を述べるのはむしろ害悪。それをさらに批判するのは煽るだけ。感情をぶつけるのは論外。
お互い顔を見ていないのだ、ということを忘れないでください。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
以上はネットの世界での一般論です。
そして、ここからが本題です。
このエッセイは、ネット全般ではなく、「小説家になろう」の感想欄や活動報告に焦点を絞って書いています。
さらに一言添えると、炎上が起こった場合に最も甚大な被害を受ける、作者様や活動報告主様を守りたいと思って書いています。
(活動報告を縮めて活報 →「割烹」と呼ぶことがあります。以下は省略してこちらを使います)
「なろう」住民の皆様。
感想欄や割烹は、普通の掲示板などとは違います。
そこには物語の作者や割烹主という主宰者がいる、ということを忘れないでください。
書いている小説や自分が開いている割烹が燃え上がって、迷惑に感じたり悲しんだりしない人がいるでしょうか。
感想や意見を書きに行くほうは「お客様」です。店に行って大騒ぎする客を、あなたはどう思いますか?
感想欄や割烹に書き込みをするときには。
乱暴な言葉遣いにならないように気をつけましょう。
「こちらが正しい」と決めつけるような発言も避けてください。炎上の火種になりかねません。
そして、いったん炎上が始まってしまったら。
火災現場には参加しないでください。
誰かを非難するような発言はもちろんですけれど。
(例えば作者や割烹主への)賛成や労りや擁護であっても。
それが新たな火種や燃料になったり誘爆を引き起こしたりすることがあります。
誰かが孤立または少数派となったときは、他の人たちが普通に発言しているだけでも追い詰められたと感じることもあるでしょう。
どんな発言であっても火災現場に風を送ってしまう可能性があります。
私たちには相手の顔が見えません。
作者や割烹主が、そして孤立してしまった人が、どんな気持ちであるかが判りません。
リアルなら簡単に分かる加減や引き際が、判断できないのです。
炎上を最短最小で収める方法、それは誰もそこに参加しないことです。
炎上を黙って見ているのが辛いなら、作者・割烹主や当事者に直接励ましのメールを送りましょう。
そして目に余るようなら運営に報告しましょう。
火災現場には直接触れないでください。
有名某掲示板などはむしろこの火災が売りだったり持ち味だったりしますけど。
「なろう」はそういう場ではありません。
読者や投稿・書き込みをする人はみんな同列です。
選挙ではどんな思想を持つ人でも同じ一票。
私たちは同じ教室で学ぶ生徒どうしのようなもの。
例外は唯一、運営だけです。
堂々と胸を張って先生にチクりましょう?
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そして、不運にも火災現場の主人となってしまった作者や割烹主のみなさま。
ご自分の身を守ってください。
火災を消火しましょう。
感想欄や割烹を丸ごと非公開にするか削除するのが、簡単で確実です。
これは必要な措置です。たとえそれが、その他大勢の読者さまの発言を削ることになっても、です。
それが難しい場合は。(割烹ならまだしも、感想欄は……ですね)
火元を消しましょう。問題発言を削除してください。
単に反対意見をという意味ではなく、上で説明した火種や燃料を、です。
たとえそれが馴染みの人の発言であっても、です。(この場合はメッセージで知らせれば了解を得られると思います)
ブロックユーザに登録するのもよいですね。
これは必要だから実装されているのです。遠慮なく使いましょう。
そして運営に報告することもためらわないでください。
あなたの当事者としての行動は、「なろう」を住みやすくすることにつながります。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
最後にもう一度。
炎上は、スルーしましょ!
6月19日 20時 初稿
6月22日 19時 後半を改稿
いただいた感想を読み、「言葉が尽くせていないな」と感じたため改稿致しました。
6月23日 10時 タイトルを変更(文言を追加)