番外編 あたしメリーさん。いま戦勝祝いなの……。(前編)
横殴りに降りつける線状降水帯からの鬼雨と、分厚い雨雲によって夕闇が500%増しで陰鬱に閉ざされた都会の街並み。
東京と埼玉を分ける荒川か隅田川でも氾濫したのか、道路を濁流が流れて一帯が水没していた。
電気ガス水道のインフラが止まったのは当然として、濁流の中瓦礫や自動車、果ては『ダゴン教団極東支部』と看板が書かれた大型プレハブ小屋まで流れていき、通り過ぎる際に気のせいかガラス越しに中で人とも魚とも蛙ともつかない影が「きゃーっ、助けて!」「溺れるっ!!」と悲鳴を上げて、右往左往しているシルエットが一瞬見えた気がする。
❝……うわぁ。『河童の川流れ』とはまさにこのことね❞
窓際でその様子を並んで眺めていた霊子(仮名)が、深々と嘆息をしたところで何かに引っかかったのか、プレハブ小屋が濁流の中で立ち往生した。
同時に意を決したらしい、人とも魚ともつかぬおかしな扮装をした影が玄関を破って濁流の中に飛び込んだ――途端に、どこからともなく現われた巨大な熊(目測で500㎏クラス)が、北海道名物の木彫りの熊のように魚人を咥えて、濁流も何のそのスイスイと泳いで消えて行く。
ついでに次々に現れた熊の集団が、開けっ放しの玄関からプレハブ小屋の中へ、水と一緒にどんどん入って行って、何やら血祭りにあげられている悲鳴とドタバタと叩きつける振動などの拍子で、引っかかっていたところが外れたのか、再びプレハブ小屋は水に流されて彼方へと消えて行った。
❝熊っ!? なんで埼玉にあんなに熊がいるのよ?!❞
愕然とする霊子(仮名)に向かって、夏休みで勝手に泊りがけで遊びに来ていた、義妹――いつものセーラー服と背中に蝙蝠の翼、スカートの下から先端がスペード型に尖った尻尾というコスチュームを纏った――野村 真李が、ドヤ顔で吹聴する。
ちなみに義妹の奇行はいまに始まったことではないので、俺は半ば無意識にスルーする能力が備わっているのだ。
「ふふん、知らないの? 最近流行りの都市型熊って奴よ。山に住んでいた熊が、どんどんと生息域を人里の近くまで広げて、都市の思いがけない場所でも見かけるって評判じゃない」
❝いや、あれ明らかに本州にいるツキノワグマじゃなくて、ヒグマかグリズリーよね!?!❞
なおも釈然としない顔で捲し立てる霊子(仮名)。
「??? それが? ウチの集落に伝わる言い伝えでは、人間の理性が飛んで獣に近くなると、生息地を失ったヒグマがその人間にとり憑いてヒグマになるっていうから、ヒグマの力身に着けた元人間の類いじゃないの??」
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その頃、水没しかけていた『ダゴン教団極東支部』プレハブ内では、人語を喋る巨大ヒグマが半魚人たちを血祭りにあげていた。
「俺は、からだはヒグマになった……だが、人間の心をうしなわなかった!」
「キサマらは人間のからだを持ちながら、魚に! 魚になったんだぞ!」
「これが! これが! 俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か!」
「地獄へおちろ魚人間ども!」
謎のヒグマの慟哭が木霊する。
なお、同時刻。神田方面にある某TRPGと戦車と邪神方面にメーターを振り切った出版社の2F(というか某ビルの2Fにある)では、おりしもこの天災でカンヅメ状態になったWEB作家が、窓の外を指さしながら興奮して捲し立てていた。
「本当なんです! 『ロンブローゾ古書店』って看板が出ていたビルが、濁流を前にいきなり底からロケット噴射をして、上空へ昇って避難して行ったんです!」
「はいはい。なんでもいいですから、さっさとブタクサ姫の最終巻書いてください」
暇つぶしにTRPGをやっていた編集者たちが適当に受け流す。
「いや、ホントなんですよーっ!!」
「……誰か酒飲ませたか?」
げんなりと周りを見回す担当編集者であった。
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❝どこのデビ○マンよ! 適当言うんじゃないわっ!!❞
『あたしメリーさん。都会には「アーバン・ベア―」とか、それを専門に狩りをする「シティ・ハンター」とかが昔からいるの……』
通話になっているスマホから、自称『都市伝説』が無責任な合いの手を入れてきた。
「都会型ねえ。なんでどいつもこいつも都会に憧れるんだ?」
オラこんな村嫌だ、という気持ちはわからんでもないが、実際に暮らしてみると都会も地方都市もそう変わらんぞ。
❝いや、絶対にアンタらの地元って普通の田舎じゃないわ! 人外魔境と言うかロストワールド的な何かよっ!❞
思いっきり反対して喚く霊子(仮名)とは対照的に、したり顔で(そんな雰囲気で)同意するメリーさん。
『そういえばそうなの。修羅の国の名もなき修羅と言えば博多ラーメンと鶏の水炊き食べて、玄界灘で砂蜘蛛と一緒に「うぇーい」してるって、日本中の誰でも当然のように思っているけど。実際にはあいつら「めん○い重」にも「一○中洲本店」にも「極○や」には行かずに、「資さ○うどん」、「牧○うどん」、「ウ○スト」とか。ちょっと良い店で「天ぷら○らお」か「餃子屋○ノ弐」に行くのがデフォという肩透かしなの……』
「微妙に偏見が混じっているけど、まあそんなものだな。聞くと見るとでは割と違う事ってあるだろう?」
『でも実際は誤差の範囲内なの。ザンギと唐揚げを道民が、チキンカツにタルタルソースかけたものをチン南蛮とは別物だと宮崎県民が、頑なに言うぐらいなローカルルールなの……』
「お前、それ地雷だから。間違っても北海道民と宮崎県民には言うなよ!?」
「――ところで夕食はどうなされます? 一応、管理人室に宇宙食……じゃなくて、非常食は備えてありますけど?」
と、わざわざ様子を見に来てくれたついでに、停電のいま、いつもかぶっている金魚鉢を光らせて(発光ダイオードでも仕込んであるのだろう)、部屋の明かりを賄ってくれていた管理人さんが親切に提案してくれた。
「いや、いま現在この世の終わり……というのは大げさにしても、エライ天災で明らかにアパートの一階部分が床上浸水レベルですけど?」
濁流は見た限り一般家屋の窓より高い位置まで水位が上がっている。
おまけに凄まじい雨と突風も吹き荒れ――。
『♪しゃーぼんだーまーとーんーだー♪』
途端、無関係にスマホからメリーさんが歌う能天気な童謡が流れた。
『♪屋ー根ーまでとーんーだー♪』
刹那、ひときわ猛烈な轟風が吹き荒れ、一斉に周囲の家の屋根が吹き飛んだ。
『♪屋根までとんでー こわれーてきーえーたー♪』
同時にきりきり舞いしていた屋根が四散して、どこへともなく消えて行った。
「縁起でもない歌を歌うんじゃない!!」
『??? 単なる童謡なの。これで切れるとか、歌に弱いどっかの戦闘用宇宙人なの……?』
思わずスマホの向こうのメリーさんを問い詰めるも、怪訝な返事が返ってくるだけ。
「ああ、いますね。特定の音波に弱いXYZ星人とか」
妙に感慨深い声で納得して頷く管理人さん。
動いた拍子に光源が動いて、部屋を照らす明かりが不気味な影を揺らす。
それを見ながら俺はふと、
「”暴風雨と洪水で閉じ込められた密室””この世の終わりのような荒れ狂った自然の音””停電で非常用の明かりに照らされた室内”……なんかホラーでありがちなシュチュエ―ションですね。悪霊とか化け物とか出てきそうな塩梅だなぁ」
思い付きを管理人さんに垂れ流した。
❝悪霊だったらここに最初っから一緒にいるわ! あとメリーさんと宇宙人と女悪魔も! とっくに役満揃っていること自覚しなさいよっ!!❞
なぜかここを先途とばかり必死こいて、急にそんな――「お前平田だろ」みたいな――妄言を立て板に水で捲し立てる霊子(仮名)。
俺にしか見えない幻覚なので、当然のように管理人さんは平常運転で、
「大丈夫ですわ。この星雲荘を包む形で、バリアーを張ってあるので、水牢に入れられた時の行者みたいな感じで、洪水だろうが暴風、暴雨、空気の一滴も通しません」
自信満々に言い切った。
う~~む、家庭用のバリアーが実用化されているとは……。舌の根も乾かないうちに都会と田舎の違いをまざまざと見せつけられた気分である。
❝ん……? 空気も通さない?❞
なぜか非常に微妙な表情で、霊子(仮名)が眉根を寄せた。
「あれ? お義兄ちゃんなんか顔が真っ赤というか――」
得意のワイヤーアクションで、蝙蝠みたいな翼を羽ばたかせて逆さに俺の顔を覗き込む真季。
「そうか? ――ゴホゴホゴホッ!」
俺の意思に反してなぜかやたら咳込む。
「チアノーゼ反応ですわね。そういえば地球人は定期的にガス交換をしないと生命の危機だったような……?」
あら? という感じで管理人さんが小首を傾げた。
❝バリアー内の酸素が切れて窒息しかけているのよ!!❞
そう霊子(仮名)が叫ぶのと同時に、真季が尻尾の先端を窓の外に向けて、紫色のビームを放った。
「義妹ビームッ!!!」
次の瞬間、アパートの周りを覆っていたバリアーが抵抗らしい抵抗もできずに、『パリーン』と音を立ててバラバラに割れて大小の破片となって崩れ落ちる。
「バリアーってあんなもんだっけ……?」
と同時に呼吸が楽になった俺が思わずつぶやくと、
『あたしメリーさん。旧光子力研究所の時代から、バリアーは破れて破片が残るものと相場が決まっているの……』
メリーさんが混ぜっ返した。




