番外編 あたしメリーさん。いま異世界の居酒屋にいるの……。
エアコンのきいた部屋でもそれなりに暑い。埼玉は今日も50℃を超える、人間の生存限界を超える外気温が観測され、テレビで不要不急の外出を控えるよう注意喚起している真昼間のお昼時。
いきなりアパートのドアを激しくブッ叩く音が響き渡った。
「……どこの馬鹿だ、この暑いのにこんな時間に突然に」
スーパーで買ってきた水で洗うだけの中華麺をもとに、具材にアレンジを凝らし、叉焼、キュウリ、ハム、錦糸玉子、蒸し鶏、クラゲ、エビ、レタスを乗っけて、レモン酸味のきいたスープで割った、豪華絢爛『元祖仙台』風冷やし中華を食べようと、いままさに箸をのばしかけていた俺は、思いっきり興を削がれて内心無茶苦茶腹を立てながらも、しぶしぶ席を立って足音も荒く玄関に向かった。
❝そういえば東北って冷やし麺が豊富よね。『仙台冷やし中華』とか『山形冷やしラーメン』『冷たい肉そば』、あと『岩手ざる中華』に『盛岡冷麺』。福島だと蕎麦で『高遠そば』とか『水蕎麦』とか❞
大皿に盛った冷やし中華を、テーブルの対面に座った霊子(仮名)が、自分の中華ドンブリに取り分けながら(そういう幻覚・幻聴なのだろう。暑さで俺もいささか参っている証拠だ)、背後でどーでもいい蘊蓄を語っていた。
なお、個人的に『冷やしラーメン』と『肉そば』『ざる中華』はワンシーズンに1回か2回食べれば十分で、蕎麦は下手に観光蕎麦ではなく普通のザルそばで十分と言ったところである。
だが『盛岡冷麺』。てめーだけはダメだ! 適当に焼肉の添え物になってろ。単品で出てくるな!!
❝冷麺は冷麺でアレンジ次第では美味しく食べられるわよ?❞
そんな俺の独り言に、霊子(仮名)が結婚式用のワンピース売りつけようとする店員みたいな、牽強付会な慰めを口にする。
何と言われようとも好き嫌いは個人の自由なので、あえて妥協するつもりはない。あと料理漫画でも珍しい食材を使ったから旨いみたいな展開があるけど、アレは俺的に懐疑的だ。珍しい食材ってのはあんまり旨くないから、流通しないし使われないんやぞ。
「はい――?」
てなことを考えていたせいで、うっかりチェーンせずにドアを開けてしまった。
途端にサウナか砂漠のように熱せられた外気が一気になだれ込んできて、俺の全身をローストする。
あーどこまでも続く砂漠で石油王がおいでおいでしている蜃気楼が見える。俺が石油王だったらグレンダ○ザーじゃなくてマジ○カイザーをアニメ化したのにな。
あまりの落差に硬直した俺に向かって、
「僕の名はアルバトロス=ジュンジ=ヤオイ。――地球は狙われているっ!」
このクソ暑いのに全身白いスーツと顔全体を覆うヘルメットをかぶった(冷房が完備された着ぐるみなんだろうなぁ)若い声の不審者が、挨拶も前置きもなしに妄言を喚きだした。
「ど、やかましいわっっ!!」
「ぎゃああああああああっ!?!」
八つ当たりと反射で、即座に奴を二階から蹴り飛ばしたところで、俺はハッと我に返る。
いかん。手加減を忘れてたが、相手はイマドキのひょろい兄ちゃんだったので、ほとんど抵抗もなく手すりを越えて頭から落下してしまった。
最凶死刑囚なら余裕だろうが、素人は下手をすれば大怪我したかも知れない。
令和の男子はおしなべてモヤシだからなぁ。例えるなら、かつては筋肉モリモリで逞しかったフリード星の王子が、令和になったらジャ○ーズ系の貧弱な坊やに変わったようなもんで、地球の危機とかあっても初登場補正が効いている間だけ無双できるけど、それ過ぎたら一気に弱体化しそうな脆弱さを感じるんだよなぁ。
と感慨へ耽っていたところへ、
「あら学生さん。この暑いのに何を……あ、それよりも最近引っ越してきたヤオイさん――えーと、こう……なんかうっかりシャアの正体気付いてしまって、消されるんじゃないかとおっかなびっくり具合で錯乱して逃げ出した、自称UFO研究家を見かけませんでしたか?」
管理人さんの涼やかな声がして振り返って見れば、いつもの洗面器を被った凛然とした姿があった。
この暑いのに汗一つかいていないのはさすがはプロの管理人さんだけのことはある。数分表に出ただけで玉のような汗をかいている俺に比べて、どれだけ精神力が高いんだろう。まだまだ俺は未熟だな。
「最近の入居者ですか? もしかしてさっき二階から蹴落としたアレかな……?」
俺がそう答えると、軽く身を乗り出して階下を覗き込んだ管理人さんは、
「ああ、アレですわね。勝手に管理人室へ入った挙句、家賃も払わずに逃げ出したので、密かに住人全員に取り付けている『脳味噌がトコロテンになる』装置を作動させようかと決意しかけたところだったのですが、手間が省けました」
スケキヨ状態で地面にのめり込んでいる変態を確認して、ホッと息を吐いた。
「良かったですね。しかし新入りで、なおかつ昼間だけど――夜逃げしようとは、見た目同様にフザケタ奴だな」
つーか、最初に新入りなら新入りらしく挨拶するもんだろう。なんで都会人っていうのは、「まず考えてから話す」っていうマントラを忘れちまうんだ?!
❝何も考えずに二階から生身の人間を蹴り落とす人に言われたくはないと思うけど。ほとんどメリーさん並みの短絡さよね。犬は飼い主に似るというか、似た者ナントカというか……てか、玄関開けっ放しだと暑いから、閉めて欲しんだけど❞
勝手に冷やし中華を食べながら霊子(仮名)が文句を言うが、さすがにメリーさんの同類扱いは幻聴とは言え看過できんぞ。
アレと同類というのは、目的とコマンドを撃ち込むと最短距離で処理をするどこぞの聖杯ぐらいなもんだ。
「それではアレはこちらで適切な処置をしておきますので、お暑い中ご協力ありがとうございました、学生さん」
幻聴の文句が聞こえたわけではないだろうけれど、優麗な仕草で一礼をして踵を返した管理人さんは下に降りて行った。
訳の分からん真夏のイベントを消化して、俺は今度こそ玄関を厳重に閉めて――なお、メリーさん曰く、
『アメリカではどんなに頑丈な鍵でも「吹っ飛ばせばいい」の精神で、ショットガンを「万能鍵」と呼んでいるの。同じくメリーさんも万能包丁持っているから、鍵とか無駄なの。万能とは別名マスターキーなの……!』
「違う! そうじゃないっ!!」
この自称都市伝説。力技で押し入る気満々である。
さて改めて冷やし中華を食べようとしたところで、図ったかのようにメリーさんからの電話がスマホに入った。
「は~~……もしもし?」
『あたしメリーさん。いま異世界の居酒屋にいるの……』
「居酒屋? 異世界にも居酒屋があるのか?」
『結構あちこちにあるの。ちなみに店の名前は二文字で濁音が入るのがお約束なの……』
「……そのネタはいろいろ問題ありそうな気がするが」
『大丈夫なの。しのぶちゃん人質にとったら、蝉○先生も許してくれたの。で、いま「異世界居酒屋どべ」に来ているの……』
なんつー名前の居酒屋だ。
「それ本当に異世界の居酒屋か!?」
『間違いないの。お通しの代わりに「突き出し」? とかが出てきたし。あと信じられないことに、メニューにホッピーがない上に、サワーでもないのに酎ハイに炭酸が入っているの……! こんなのこの世の居酒屋で遭遇したことないの。あと中生を生中とか、変な略し方してるし、肉じゃがの肉がブタじゃなくて牛という狂気の沙汰なの……! 完全に異世界なの!』
『いや、ただの関西風だと……』
エキサイトしているメリーさんに、おずおずとスズカが言い聞かせている。
「つーか、お前グンマーで戦争やってたんじゃないのか?」
冷やし中華の大皿に箸を突っ込んですすりつつ、ふと思い出して聞いてみた。
❝行儀悪いわね、シェアしてるんだから直箸で食べないのがマナーでしょう!❞
向かい合わせで妄言を吐く霊子(仮名)。
『あたしメリーさん。ぶっちゃけ戦争もオリンピックも万博も、全部行政の税金掴み取り大会なの。で、赤字になったから中止になったの……』
「そりゃまあ200万人も動員したら、どう考えても赤字だろう」
『給料の代わりに渡されたのはお米券だったので、だいたいヤンキーとジジババしかいない限界集落なグンマー人の怒りを買って、敵味方入り乱れてヘンキョーハクを倒して、独立宣言したの。ということで、メリーさんたちマトモなものを食べるために居酒屋に入ったの……』
大量動員すりゃいいってもんじゃないぞ。流石はメリーさんの考える異世界。馬鹿しかいないな。
タイトルと内容を「好きにすればいいがな」と快諾してくださった、本家居酒屋の蝉川先生には心より御礼申し上げます。




