番外編 あたしメリーさん。いま魔皇子が転園してきたの……。
時間・空間・概念というものが意味を持たない無窮の玉座に座したまま微睡みに揺蕩っていた、唯一にしてすべての存在である姫君がごくわずかに薄目を開いた。
――それだけで姫君の無聊をかこつために様々な楽器を演奏していた従者たちに(単体で旧支配者の主神級を凌駕する恐るべき力を持つ……が、主である姫君に比べれば泡沫の霧のようなものである)激震が奔り、その余波で四千兆と二万八千百十三の宇宙が粉みじんに消え去る。
そんな周りの反応に頓着することなく、姫君は空中を舞うシャボン玉のような世界のひとつに一瞥を加え、それで用件は済んだとばかり再び瞑りに就くのだった。
慌てて気を取り直した従者たちが、知性ある存在の耳には雑音としか聞こえない魔笛を吹き鳴らし、調子っぱずれのドラムや弦楽器を再びかき鳴らす。
姫君の視線を向けられた『世界』も取り立てて変化はなく――少なくとも従者たちの認識では――ただ、その中にあった微粒子以下の小さな島宇宙のさらに片隅にあった可住惑星が、不意の消滅から再生を果たしたという無量大数(10×68乗)以下のちっぽけな奇跡だけがあっただけである。
口元にほんのわずかな微笑みを乗せながら、姫君の眠りは続くのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
私の名前はボーワッテゲダラ・ディサーナーヤカ・ムディヤンセーラーゲー・チャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガ・ギハーン・ サマンタ・ディサーナーヤカと申します。
ちなみに末席とは言え貴族――ディサーナーヤカ男爵家の令嬢……と言えば聞こえがいいですが、遥か南方の島を統治する総督(文字通りの僻地に飛ばされた閑職)の現地人の妻との間に生まれた、一応は長女に当たるため、本国であるリヴァーバンクス王国王都エスト・キャピタルへと留学をして、現在は名門幼稚園である王立フジムラ幼稚園の保母の職に就けました。
なんでも前任の保母さんが「探さないでください。引退して田舎でスローライフを送ります」と書置きひとつ残して失踪したらしく(洒落にならない問題を起こして高跳びした説もありますが)、たまたま就職先を探していた私にお鉢が回ってきたそうで、前任者には申し訳ありませんがラッキーだったとしか思えません。
「あたしメリーさん。事件をもみ消すために今頃は存在自体を抹消されているの……」
「案外、本当に僻地でスローライフしてるかも知れないでしょう。狂気山脈の向こう側あたりで」
「標高四千メートル級の(邪)神々の山麓とか標榜している割に、実際には高尾山に毛が生えた程度の小山なの。下手に上ると上昇負荷で頭おかしくなるとかいう前評判の割に、メリーさんたち何ともなかったし……」
「もともと変な人間には効果がないんでしょう」
「ふにゃ?」
可愛らしくも幼気な幼児・幼女たちとの有意義な時間。国内のVIPの子息・子女たちが多く通うだけあって、建物も宮殿のように壮麗で眩いほどであり、幼いうちから最高の芸術に触れることで本物の審美眼を磨くべく、名作と呼ばれる絵画もさながら美術館のように廊下に等間隔に並べられています。
「あたしメリーさん。入ってすぐのところに『我が子を食らうサトゥルヌス』が飾られている幼稚園ってどうかと思うの……」
「『裸のマハ』よりはマシじゃない? 個人的にはこっちにある同じ作者の『二人の女に見られて興奮しながらオナニーする男』の方が含蓄があると思うけど」
「ジリオラは趣味が悪いの。同じシリーズでも『砂漠に首だけ出して埋められた犬』か『棍棒使って死闘する男たち』のほうが日常性の裏に潜む人間の本性を表していて秀逸だと思うの……」
ブツブツ言いながらついてくるのは、我がドリアン組の三馬鹿……もとい問題児三連星……じゃなかった、中心になってクラスを盛り上げているふたりの幼女と謎のゆるキャラです。
なおそのメンツは赤い髪に縦ロール。高飛車お嬢様言葉を喋る五歳児――ジリオラ公爵令嬢と、
「いまどき髪型にエアーインテークが付いている女に天然記念物扱いされるいわれはありませんわ!」
「90年代のエロゲーヒロインなの……」
そして普段は反目しあっているのに、こんな時だけ共同歩調を歩む、口の減らない金髪幼女は『勇者』として国と神に認定されているなんかエライ……エリートです。
「……だいたいこの二匹がドリアン組の秩序を乱す元凶なのよね。紙芝居で昔話を聞かせれば――」
『――ということで、「笠地蔵」のお話を聞いてどう思いましたか、良い子のみんな~?』
すかさず手を上げるメリーちゃんとジリオラ公女。
『地蔵は意外と金を持っているの、普段清貧を心がけろとか言っている坊主の信仰の対象だってのに、思いっきり俗物なの。不死の火の鳥が「有限の命は素晴らしい」とか、ただ座ってポップコーン食べながら見てるだけのくせに偉そうに講釈たれるフザケた話なの……!』
『そうじゃないでしょう! 雪が積もる前に連中の足跡をたどれば、財宝の隠し場所がわかってごっそり取り放題って教訓じゃない』
そんな感じでクラスの収拾がつかなくなってしまいます。
おかしいわ。私が学んだ理論と教育現場の乖離が激しすぎるわ、これが学校教育の限界なのかしら!?
「あたしメリーさん。今回の保母も前の猟奇犯罪者と同じで、何かしでかす気配が濃厚なの……」
「ま、マニュアル人なんてこんなものよ。よげんのしょに従って行動しているのかと思えるレベルで、どいつもこいつもレトルトカレーの美味い不味いと同じで全体から見たら50歩100歩でしかないわ」
「ジリオラちゃん、レトルトカレーなんて食べたことあるの~? あ、だけど王妃、ファミ○キをお弁当のおかずにするのは止めてほしいかも」
「なにげに王侯貴族の食卓が貧しいの……」
雑談をしている幼女・幼児の声でハッと我に返る私。
いつの間にか独り言が口に出ていたようです。危ない危ない相手は王族(王族公爵)という超高位貴族の令嬢。下手な失言が耳に入ればどんな処罰が下さるか想像もつきません。
万一の際には私も田舎でスローライフでしょうか。できれば働かずに楽ができるスローライフがいいのですが……。
「あたしメリーさん。その場合は原発とか原子力関連の施設に勤めるか、すぐ隣で利権にすがってぬくぬく生きればいいと思うの。周辺住民からのヘイトといざという場合の安全性は保障できないけど、その時は被害者面して補償求めて裁判すればいいと思うの……」
「遠回しでストレートな批判はやめなさい」
いろいろと面倒なのだから。
そしてポコポコと謎の足を立てながらふたりの幼女の後をついてくる、どう見ても珍獣にしか見えない幼児がこの国の王子であるイニャス殿下です。
基本的にホールケーキを三等分にするように言うと、全員がまず一直線にケーキを半分に分割するケーキを三等分に切れない問題児ですが、権力と名声があるので保母とは言え逆らえません。
「あたしメリーさん。直線に切ったと思うのは浅はかなの。これからさらに線が増えて、最終的には宇宙を吹き飛ばすマークに……」
「……ホールケーキで物騒な儀式をしないでください!」
「メリーさん、イ○゛オンを観て学んだの、どうやって神の視点を潜り抜けて子作りするかを……」
「イ○ン?」
「そんな地元商店街をすべて破壊する伝説の巨大モールみたいな邪悪なものじゃないの。イ○゛オンなので間違えたらダメダメなの……」
気のせいでしょうか? 何か合法的に伏字が使われているような気がするのは……。
「で、学園長が何の用事で私たちを呼び出したわけ?」
そんな私とメリーちゃんとのやり取りを面倒臭げに聞いていたジリエラ公女が窓の外を見ると――。
『このロリコンどもめ!』
『おのれっ、だがこの「もうロリコンでいいや」十人衆が束になれば、たかだか大目球ごときモノの数ではないわ! いくぞ同士、六里ハル和! ジャッキー奴!』
『『おうっ!!』
『またロリコンが幼女に羨望を抱いているのか……だが、それは現実の幼女には反映されない。自分自身の内なる欲望から産み出された幻影だと気付かんのか、戯けがっ!!』
園の強力なセキュリティをものともせず、連日連日園内に侵入を試みる変態どもに幼稚園の警備員が制裁を加えるといういつもの日常が広がっていました。
つーか、つまんない用事なら男爵家ごとき圧力をかけて潰すわよ、というニュアンス満載で確認を取るジリオラ公女。
ウチの猫からも、たまにこういう殺気を感じるときがあります。
「ああ、それなのですが。実はこのたびドリアン組に転入生が来ることになりまして、その紹介のために理事長室へとお呼ばれしているのです」
「転入生ぇ……?」
非常に嫌な顔でメリーちゃんの顔を睨むジリオラ公女。
「ちなみに魔王国からきた大魔王の御子息であらせられます魔皇子殿下です」
「「「大魔王の息子……?」」」
「ボンクラ王子、悪役令嬢な公女、神に選ばれた女勇者。そして魔皇子。婚約破棄がはかどる人材なの……ジリオラ、魔王国に行っても元気でいるの。ほぼ三食うどんだけど……」
「勝手に人を悪役令嬢にするんじゃないわよ、この似非勇者っ!」
もともと人間国と魔王国とのギクシャクした関係を改善するための政治的判断による転入だったのですが、人間国側の王族と勇者が致命的なほど噛み合っていないのですが。これで私にどうしろと!?!
つーか、失敗したら絶対に蜥蜴の尻尾きりで私が処罰の対象ですよね!?
「いいですか、絶対に絶対にぜぇえええええええたいにぃいいいいいいいいい、失礼な真似はしないでくださいね!! 両国の平和がかかっているのですからっ!」
口が酸っぱくなるほど言い含める私に対して、
「なんか何度も何度もアカウントを停止にすると警告してくるAm○zonやRak○ten、E○Cのメールみたいなしつこさなの……」
「それは詐欺! ……まあ確かに先生の懸念は理解していますわ。三代前の魔王と当時の勇者との不幸な行き違い以来、両国の関係は冷え込んでいますし……つい最近もどこぞの馬鹿が魔王の醜聞を暴いて失脚させる事態を引き起こしたりしましたし」
そう言って意味ありげにメリーちゃんに視線をやるジリオラ公女。
「三代前の勇者と魔王の行き違いって何なの……?」
「しれっと無関係を装うじゃないわよ! アンタのせいで外交が大変だったのよ!!」
「メリーさんむかしはやんちゃしていたの……」
「今はもっと無茶してるでしょう! ――てゆーか、三代前のまおうの話だけど。当時、宮殿を新築した魔王が人間国のVIPを招待して、大々的なお披露目パーティーをしたんだけど、その時呼ばれた勇者がとんでもないことをしたのよ。こともあろうに魔王が使う前に、新品のトイレを勇者が使うという暴挙を行ったのよ!」
確かに不幸な行き違いねー、と話を聞きながら私も胸中で嘆息しました。
「それで謝ればまだマシだったものを、開き直ったものだから魔王の怒りが爆発して……」
「あたしメリーさん。駐車場で隣の車に自分の車のドアを開けた位置に瑕がついていても、とりあえず『その傷は最初からついてたわ、俺疑うんか?』と言っておけと勇者講習で教わるの……」
どーいう勇者ですかそれは!?
心配心配……不安しか感じない顔合わせです。




