番外編 あたしメリーさん。いまお祭り騒ぎをしているの……。(完結編2)
「ふっ、『蜘蛛神』『アトラク=ナクア』とも呼ばれるこの私を、テープごときで縛りつける――って、なんなんですの、この粘着力に複雑な結び方は!? 全然ほどけないんですけど?!」
家庭教師に来たというのに、玄関先でペットの蜘蛛を焚きつけて、俺を追い返そうとした黒のセーラー服を着た(いまどきのセーラー服のスカーフはホック式になっているのが大多数だが、これはちゃんとしたスカーフだった)笹嘉根 万宵。
よほど勉強が嫌なのか、背中から黒い蜘蛛の脚みたいな多脚を展開し――映画の『スパ○ダーマン』で見たことのある小道具だな――壁伝いに逃げようとしたところを、俺は壁を蹴って走り、先回りして叩き落した。
「――ちょっ……なんで人間が当たり前のように壁を高速移動できるのですの!?」
そんな驚くほどの事か?
「このくらい誰でもできるだろう。お前は知らんかも知れないけど、『スパ○ダーマン』という作品があってだな……」
「蜘蛛神が知らないわけないでしょう!」
「主人公の山城○也がスパ○ダーマンに変身して、銀河系を荒らす悪の組織・鉄十字軍を率いるモンスター教授と戦うストーリーなわけだが」
「私の知らないスパ○ダーマン来たーーっ!!!」
一瞬で前言を覆すが、まあ最近の若い子は知らなくても仕方がない。
「ラストに巨大ロボ『レオパ○ドン』が出るまで苦笑いしながら映像を見せられた原作者も、スパ○ダーマンが命綱なしでビルの壁を上らされたり、山城○也が命綱なしの腕力だけでヘリコプターにぶら下がったりする、昭和特有の役者の命を屁とも思わないアクションには感心していたそうだ。『なんでこれがアメリカでできないんだっ!?』と。――ま、そういうわけでその気になれば人間壁くらい登れるわけだ」
俺の一部の隙も無い論理展開を前にして、なぜか冷や汗を流しながら、
「我が道を行くテ○東みたいな家庭教師が来たわね……」
愕然(慄然?)としている万宵を、ドロンパから以前貰ってカバンに入れっぱなしだったアメリカ人のマストアイテム・ダクトテープでぐるぐる巻きにして、とりあえずテーブルと椅子のある部屋に入って再度、腕だけ自由になるようにして椅子に縛り付けた。
ちなみにペットの蜘蛛たちは、携帯していた虫除けスプレーを噴霧したら、文字通り蜘蛛の子を散らすようにどっかに逃げて行った――ついでに、なぜか 万宵もその場にひっくり返ってヒクヒクしていたので、俺は躊躇なくこれを縛り付けたのだった(質の悪いJCの対応は、義妹で慣れている)。
「くっ――この私が逆に拘束されるとは……もしやあなたは西新宿にある煎餅屋の若旦那!?」
「ただのどこにでもいる平凡な大学生にして、お前の家庭教師だ。いいから無駄な抵抗はやめて、問題集を開いて解答に集中しろ!」
「うぐぐぐ……。もはやこれまで。この上は恥を雪ぐためにも、生涯を伴侶として――」
「やる気を出してくれたのはありがたいが、生涯浪人する気か? ちゃんと来年合格できるようにビシバシ鍛えるので覚悟しておけ」
微妙に潤んだ目で――泣くほど勉強がしたくないのか――俺を見上げて吐息を放つ万宵。
なお、女が男に効果的だと思っている『上目遣いに見る』『語尾を伸ばした喋り方をする』『L○NEを送りまくる』は、だいたいの男が『鬱陶しい女』と思って逆効果になることが最近の調査で判明している。
「は~~~っ……わかりました。えーと……って、これって真剣ゼミの問題集ですわよね?」
俺が持ってきた問題集を手に取って、微妙に白けた口調で万宵が確認してきた。
「ああ、そうだよ。俺って高倉健並みに不器用なので、既存の問題集を中心に受験勉強を進める方針だ。けどこれってマジで効果的だぞ、真剣ゼミ。俺が中学の時の同級生に木林ってやつがいたんだけど、夏休みの一カ月間真剣ゼミをやっていただけで見違えるほど学力が上がって――」
(夏休み前)身長160㎝→(夏休み後)185㎝
(夏休み前)体重80㎏→(夏休み後)65㎏
(夏休み前)視力0.1→(夏休み後)1.8
(夏休み前)総合成績198/250→(夏休み後)5/250
(夏休み前)ブサメン→(夏休み後)ジャニーズ系
(夏休み前)100m走14.6秒→(夏休み後)10.6秒
(夏休み前)農家の一人っ子→(夏休み後)父パイロット、母外交官で出張中。血のつながらない美女美少女の三人姉妹と同居。
「――と、別人のような変貌を遂げたものだ」
あれが高校デビューと言う奴だろうか、と当時は皆が騒然としたものである。
いやマジで真剣ゼミ、パねえな!!
「それは完全に別人ですわ!! どこかで入れ替わってるのではなくて!?!」
なぜか頭から否定する万宵。コイツ真剣ゼミの力を信じてないな。まあしかし間近で実例を目の当たりにしたわけでない人間には、いくら言葉を尽くしても通じないものだろう。
例えるなら「ボールがキンタ●に当たった痛みを女子に理解させろ」というくらい、無理筋というものである。
「……別に不自然なことはなかったな。せいぜい……学校で飼っているオオアナコンダ(全長10m、重量250㎏)の飼育係に決まった直後に、木林の姿が消えて――ま、夏休みだったので全員いないことすら忘れてたけど――その後、ひょっこり二学期の始業式に出てきたくらいが直前にあったくらいで」
「それ絶対に夏休みの間に消化された事例ですわよ! あとなんで中学校でオオアナコンダを飼ってるのですか!?」
見た目から大和撫子風――慎まし気な性格かと思ったのだが、意外と気が強いらしい。唯一自由になる両手を机にバンバン叩きつけて抗議する万宵。
「外来生物だろう。最近は北米でもアルマジロが生息域を拡大しているって話だし」
まあ最初は『成長のいい蛇』くらいにクラスの皆も思ってたんだけど、さすがに途中で「アレ?」ってなって調べ直したんだっけ。
「ま、オオアナコンダならその大きさでも珍しくはないだろう。俺の知っている大学の先輩が L○NEのやり取りをしている“自称・軍の実験によって高度な頭脳を得たチンパンジー”なんて、普通のチンパンが身長85㎝、体重40~60㎏なのに対して、身長180㎝、体重90㎏を自称しているくらいだし」
ほぼファンタジーに出てくるゴブリンとゴブリンキングくらいの対格差だろ。
メリーさんといいなんで電話やオンライン上には、そういうイキってるだけ勢が多いんだろうね。
ま、自分が直接見たわけではない伝聞なんざ、結局のところ言った人間が信用に足るかどうかの問題であり、俺のメリーさんと樺音先輩に対する信頼度は、某巨大匿名掲示板の創設者のそれに準ずる(なお、彼が最初に作ったHPは『交通違反のもみ消し方』であった)。
あいつら聖闘士のルールで戦ってるはずなのに、その場の勢いで勝手にコスモをライフに変えたりライフをコスモに変えたりしやがるからなぁ……。
「そのチンパンジーってブルーノですわよね!? 迂闊に近づくと男性器を毟り取ると評判の指名手配チンパンジーの! と言いますか、先ほどからひしひしと思っているのですが、先生は物事を疑うということを知りませんの!?!」
絶叫されたが、これまでの与太話のどこに疑う要素があったのだろう?
「万宵ってアレか。名探偵ポ○ロシリーズを読むと、出てくる登場人物のうち《使用人(女中)》、《利益を得る人間(遺産相続人など)》、《髭の小男》がいたら、まずこいつが犯人だと疑って読むタイプか?」
それは偏見と言う奴だぞ。『サウナに行ったらホモになる(サウナに入る→気持ちよくなって眠る→襲われる→ホモになる)』くらいの論理の飛躍というものだ。
俺がそう教え諭すと、なぜかぐったりと項垂れる万宵。
「……会話が成り立ちませんわ。なんでしょう……この別ベクトルのヤバさは……さすがは私を屈服させた殿方……」
「??? どうした。辛いことがあったなら先生がなんでも聞こうじゃないか(解決できるかは不明だが)」
家庭教師初日ということで、なるべく打ち解けられるように俺はコ○ッケ五えん○すけのようなつぶらな瞳を心がけ、優しくいたわった。
「うわあああああああああ~~~。本気で理解してないっ」
なぜか突っ伏して頭を掻きむしる万宵。年頃の中学生は多感である。
と、そこへメリーさんからの着信があった。
『あたしメリーさん。いまこの子の認知を迫るの……』
同時に『ばぶ~っ』という赤ん坊のあうあう声が響く。
「――!? どうされたんですか、先生! スマホに出た姿勢で床にダイレクトに顔面からダイビングなされるなんて?!」
一瞬頭が空白になり、なにも覚えていないが切迫した万宵の声で、気が付けば床に突っ伏す自分を認識していた。
「なんだそのあり得ない言いがかりは!」
これまでで一番怖い脅し文句だったぞ!!
『あたしメリーさん。オトコはみんなそう言うの、けどあの日の夜の事を忘れたとは言わせないの!! あと、また聞き覚えのない女の声が聞こえたの! ちょっと目を離した隙にまた現地妻を増やしたのね! 本妻のメリーさんを蔑ろにするなんて、包丁持っての刃傷沙汰は間違いないの……!!!』
「『蝶々夫人』か、お前は……。つーか、やましいこともなければ、お前も正妻でも何でもない」
よっこらしょと立ち上がってエキサイトするメリーさんに向かって、俺は冷静に言い含めた。
『だったらいまのオンナは誰なの……!?』
包丁を振り回す音とともに噛み付いてくるメリーさん。
「今度家庭教師を請け負うことになった笹嘉根 万宵、中学三年生だ」
『やっぱりオンナなの! 田舎の幼馴染という正ヒロインが現われるまでのつなぎ。約束された滑り台属性。同人誌業界では母親にすら負けてる説もある○雪ポジションの義妹。堂々とアパートの部屋に居座る低級霊。大学の巨乳先輩に、金髪アメリカンな同期。あとアパートの管理人をしている未亡人。メリーさんの把握しているだけでもエロゲー並みの層の厚さだったのに、そこに新たに女子中学生の教え子とか、もはや戦争なの! 正妻戦争なの。勝ち残った奴が正ヒロインを名乗れるの……!』
いま挙げられたほぼ全員がストーカーとか、イロモノ枠なのだが。
それに管理人さんはいまでも亡くなった旦那さん一筋で、
「私の主人はこの地球上にはいませんけれど、いつも遠い宇宙の果てから私の事を監視していますのよ」
と、いつもの洗面器の下から遠い目をして空を見上げていたからヒロイン枠には入らないぞ。
なんだかめんどくせーことになったなー、と思いながら。
「ともかく、勉強の邪魔だ。詳しくは後で戯言を聞いてやるから、邪魔しないでくれ」
そう言って俺はスマホを電源ごと切って、微妙にワクテカした顔で聞き耳を立てていた万宵に向き直った。
「じゃあ無駄な時間を過ごしたので、とりあえず各教科の理解状況を確認するため、ここからここまでテキストを解いてもらう」
途端、ブーブー不満を漏らす万宵を急き立てて、俺はバイトに集中するのだった。




