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いつもと同じ時間にいつもと同じようにカイトの部屋に向かえば、中が騒がしい。何事かと思いつつノックをすれば、困り顔のメイドが迎え入れてくれる。
メイドも侍従も護衛もみんな困り顔だ。部屋の主であるカイトは長椅子でクッションを抱えて丸くなっている。あれは明らかに拗ねている時の行動だ。今更カイトの行動が幼すぎることに驚きはしない。
護衛ーーレムは長椅子の横に立ってカイトに何か語りかけていたが、部屋に入ってきたルカに驚いたような顔をした。
「義姉上!?いや、ルカリィナ嬢がなぜ……」
いつも義姉上と呼んでいるのに、公私をしっかり分けようとする辺りが真面目なレムらしい。それにしても「なぜ」と聞かれるのが不思議だ。今日は平日でルカはいつも通りの時間にいつも通り来ただけだ。
「王子まさか、伝えてないんですか?」
ルカの表情から察したのか、レムはカイトに問う。疑問形だが、確実に伝えてないことを確信しているのが声から分かる。それにしても、レムもけっこうはっきり王子にものが言える立場なのね。とルカはそれに驚いた。
長椅子で丸まっていたカイトは、顔もルカに向けて自分は悪くないと主張してきた。
「だって、僕は受け入れてない!僕はここでルカリィナ先生の授業を受けるんだ」
カイトが授業を楽しみにしてくれていることは教育係として嬉しい限りだが、皆がなぜこんなにも困り顔でカイトが長椅子で丸まっているのかが分からなければルカは何とも言いようがない。
長椅子の横に膝を付いて、カイトの顔を覗きこむようにしながらルカは極力優しい声で尋ねた。
「カイト王子、皆さんどうしてこんなにお困りなんですか?」
「なっ……」
今更カイトは恥ずかしくなったのか、赤くなった顔をクッションに埋めてもにょもにょとよく分からないことを言っている。
これでは埒が明かない。ルカはため息をついてレムを見上げれば、困り顔だったレムはもはや呆れ顔でため息をついた。
「実は王子の政務がここのところ溜まってまして……王子の判がないと進まないことも多いので、しばらくは政務に精を出して欲しいと執務室から要望があったんです。で、王子にしばらくは授業をお休みにして政務に専念して下さいとお願いしていたのですが……この有り様です」
この有り様。つまり嫌だと駄々をこねているという訳だ。それは皆、困り顔になる訳だ。
「王子、仕事はしませんと」長椅子に手を付いてそう訴えかけると、不意に手を掴まれた。カイトの顔はまだほんのりと赤い。
「ルカも来てくれるなら行く」
なぜ急に愛称で呼び捨てなんだ!とツッコミたくなったがぐっと我慢する。
「僕はただ判を押すだけなんだよ。誰か代わりに押せばいいのに僕に押せって言うんだ。そんな作業つまらなすぎるから、ルカが話し相手になってくれるなら行く!」
ちゃんと資料は読んで判を押せとか色々言いたいことはあったが、またぐっと我慢する。
カイトはこの場での自分の味方はルカだと決めたらしい。だからいきなり、愛称で呼び捨てにしたのだろう。カイトは親しい者を愛称で呼び捨てにしている。カイトとの仲は悪くないとは思っていたが、ルカが思っていたよりもカイトの中でのルカの好感度は高かったようだ。
どうしたものかとルカがレムを見ると、何か諦めたようなレムが頷く。これはカイトの案を飲むということらしい。
「カイト王子、私が話し相手になりますからお仕事に参りましょ?」
「分かった!」
カイトは自分の我が儘が通って嬉しいのか、いつものキラキラした笑みを浮かべた。本当にこの人が成人男性なんて信じられない。
周りのほっとした空気に役に立てて良かったと思う反面、厄介なことになったと思わずにはいられなかった。
ルカは能天気でもバカでもない。今、自分で自分と王子の距離を飛躍的に縮めてしまったことに気付いている。だが、ルカはあの空気で「嫌ですよ」と断れるほど空気が読めない訳でも神経が図太い訳でもなかった。
ウキウキ気分のカイトとなぜか落ち込んでいる様子のレムと憂鬱な気分のルカは、連れだってカイトの執務室を目指した。