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「新しい教育係はどうでしたかな?」
第一王子執務室に入って来たカイトに、書類の山の向こうから尋ねる声がかけられた。
カイトの悪友であり、側近のシノーーシノノエ・レン・イッセイは王立文官学校を首席で卒業したありとあらゆる分野に精通した変態的な天才だ。じじ臭い話し方をするが、まだ19歳と若い。
「いやーそれがさ、案外面白かったよ」
「おお、それは何と面妖な!」
カイトの返答が意外だったのか、シノは書類と山から顔を上げた。だがその顔ははっきりとは見えない。
シノの金茶色の髪は全体的に長い。横や後ろの髪は仕事の邪魔になるからか後ろで緩く纏めているが、前髪はそのままなので顔の半分ほどを覆っている。カイトからまともに見えるのは口元だけだ。
くしゃくしゃのシャツにボサボサの髪。貴族らしさのきの字もないが、中位貴族の次男だ。
「気がついたら、普通に授業受けてたよ」と苦笑しながらカイトが休憩用の長椅子に腰かけると、シノも向かいの椅子に腰かけた。仕事大好き仕事人間のシノも休憩にするらしい。鈴を鳴らして文官を呼び、お茶とお菓子の用意をさせる。
「レムの推薦は正しかったということですな」
「ああ、教育係としての顔合わせをした時はどうなることかと思ったが、これならやって行けそうだ」
「それは良かった。顔合わせの時に、開口一番で何と言われたんでしたかな?」
シノが喉をククッと鳴らした。これは分かっていて聞いているやつだ。カイトがルカに言われた台詞がどうやらシノのツボに入ったらしい。
「あの時はさすがに素で驚いたよ。いきなり『残念ながら、王子はバカでも王子です』なんて言われるとは思わなかったからね」と言えば、シノはフハハハハと腹を抱えて笑う。
こんな風に声を出して笑っているシノは珍しい。だがその笑わせている原因が自分が言われた言葉に対してというのは、何とも複雑な気分だ。
「なあシノ、何がそんなに面白いんだ?」
いつもの癖で頬を膨らませて聞くカイトに、シノは何とか笑いを抑えながら答える。
「いやはや何とも、言い得て妙ではありませんか。どちらから見ても『残念ながら、王子はバカでも王子』でしょう」
前髪の隙間から見える赤銅色の目が実に楽しげで腹が立つ。だが、カイトはシノのこの真正面から王族を敬っていない態度を気に入っている。だからシノを友だと言える。
王子という身分ではなく、カイト自身を見てくれる数少ない人物だ。
「さて、王子。そろそろ今日の授業がどんな内容だったのか教えて下さらんか。」
笑いはすっかり治まったのか、紅茶を飲んで一息ついたシノは前のめりで聞いてくる。こんなに興味津々なシノも珍しい。色んな意味でレムの推薦は正しかったのかもなとカイトは苦笑した。
「この執務室で、メイドを見たことあるか?」
カイトのいきなりな質問にシノは面食らったようだったが、すぐに答える。
「この執務室ですか?そういえば、無いですね」
「ああ、僕もない。今日の授業はそういう話だったよ」
シノは「えっ?」みたいな顔をした後、またククッと笑った。
「それは大変興味深い授業ですな」
「だろ?だから気がついたら普通に授業を受けていたよ」
カイトも文官が入れた微妙に不味い紅茶を飲む。改めてメイドの有り難みが分かる。
政務を行う執務室では国の機密事項を扱っているため、メイドの立ち入りは禁止されている。だからこの部屋のお茶汲みも掃除も文官が行っている。言われてみれば納得だが、言われるまでそんなことにすら気がついていなかった。
メイドには豪商や下位貴族の者が多い。社交界での貴族たちの関係ももちろん覚えなければならないが、その貴族たちが王城で何か悪巧みをする場合きっとメイドや従僕といった切り捨てられる使用人が実行犯になるだろう。
とんでもない人数になるが、使用人たちについても覚えておいて損はないだろう。この気付きは大きい。
カイトにとってルカを教育係にしたのはただの方便だったから、授業にはさして期待していなかった。ルカが逃げないようにそれなりに付き合ってそれなりにサボろうと思っていたが、これは思わぬ誤算だ。
「うん、僕は彼女を気に入ったよ。計画を少し変更しようか。彼女を少し試してみたい」
「そんなことをすれば、レムが怒るのではないか?」
カイトは可愛さの欠片もない年相応の青年の表情を浮かべて鼻で笑った。その目は氷のように冷たい。さっきまでの表情が仮面だったかのように、まったくの別人のような雰囲気だ。
「いいんだよ。僕は残念ながら何をしても王子だからね」