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歌を捨てた小鳥の結末

 数ヵ月後、誕生したのは男の赤ん坊だった。


 待望の男児を産み落としてからのアルマの態度は傲慢なものだった。

 なにかあると息子ハインツの存在を嵩にかかり、保障された将来をちらつかせて自身への忠誠を要求した。媚を売らない者は公の場でその存在を無視した。


 初めてこの宮殿で歌を披露した時の可憐さは、もはや影すらなくなっていた。




「近頃、振る舞いが過ぎるようですね」


 離宮から宮殿へ足を運んだゲルトルーデは、アルマの私室で彼女を諌めた。


 ハインツは教育係に連れ出させていて、今ここには二人しかいない。

 対するアルマの態度は澄ましたもので。


「私は次期皇帝の母です。それなりの待遇を受けて当然かと」


 市井の出の分際でと叩く声があることは当人も承知していた。しかし、アルマにはハインツの存在がある。そんな声はどこ吹く風である。


 皇帝の愛人である少年とよく似た顔であると、それだけの理由で降って湧いた話に乗ってここまでのし上がれた僥倖。あのまま街で暮らしていたら知ることのできなかったきらびやかで贅沢な世界で、権力の頂点にも手が届きそうという立場で、これを享受しない手はない。


 余裕の笑みを浮かべるアルマに、ゲルトルーデは眉をひそめた。


 アルマは自分の立場がわかっていない。まだ皇太子とはなっていないハインツの母である以前に現皇帝の妻であり皇后であるのに、溺愛している幼い我が子以外にまったく関心を示さない。将来ハインツの後ろ盾になる以前に、今の彼女の後ろ盾となるのは結婚前に一時養子となった公爵家と、ゲルトルーデしかいない。もしなにかあった場合、その足下はひどく脆弱なものとなる。ハインツを嵩に貴族を取り込もうとしているのも、味方を増やすためではなくただ己の権力を誇示したいだけに過ぎない。


 アルマの問題はそれだけではない。

 次の子が誕生する気配がないのだ。


 ローデリヒはアルマの妊娠がわかると同時に寝室を別にし、ハインツが生まれてからは顔を合わせていないらしい。そしてハインツを抱えたアルマはそんな夫の態度を気にする様子もない。それがゲルトルーデは気がかりでならなかった。


 ゲルトルーデ自身は夫との仲は良好なものだった。夫は優しく愛情も育めた。だからローデリヒも生産性のない少年よりも妻を大切にして欲しいと願いながら花嫁を捜したのに、今や夫婦は互いに関心を持っていない。アルマ初顔見せの晩、ローデリヒがあっさり受け入れた時には狙いは成功したと思ったものを。


 少年に外見が似ていればローデリヒの愛情も引きやすいだろうという判断は誤りだったのか。


 エミーリオとは直接言葉を交わしたことはないが、少なくとも宮殿内で耳にするその人柄は非の打ち所のないもので、それ故に、顔の似ているアルマの振る舞いが傲慢であることにも、比較して嘆き、反対する声が大きくなっていた。


 出生時の身分は低く、貴族社会のしきたりを知らず、宮殿での振る舞いも身につかない傲慢な皇后。后選びを進めたゲルトルーデは、アルマの様子を耳に入れるたびに頭を悩ませていた。


 とにかく自分がアルマを指導しなければならない。他にそれをできる人物はいない。


「現皇帝の母として、あなたの態度は目に余ります」


 言えばアルマの顔が歪んだ。ゲルトルーデの方がアルマに長じている現実は変えようがない。

 しかし。


「皇太后様におかれましては、さっさと引退なさった方がよろしくて」


 苦さを消して顎を上げたアルマの笑みは醜悪だった。


 ゲルトルーデはぞっとした。

 この女の顔は本当にあの少年と似ていたのだろうか。息子の傍らに控えめに寄り添っていた大人しそうなあの少年に。優雅さの裏で人の醜聞をも娯楽とするような社交界の中で、気を確かにいられるかすら怪しそうなあの儚く美しい少年に。


 ゲルトルーデは今の発言は聞かなかったものとしてやり、もっと子供を儲けるようにと言いつけた。それが皇后の役目であると。


「ハインツがおりますわ」


 アルマは顔を真っ赤にし、肩を震わせてゲルトルーデを睨みつける。


 彼女を見出し我が娘のように扱ったのは何年も前の話ではない。しかし今は、険しいその眼差しを見返すほどに心が醒めていく。


 ゲルトルーデはあくまで冷静に、男児一人産んで今後死ぬまでの権利を手にした気になっている女に、己が皇后の妻であること、そして妻の役割を思い出すように繰り返し告げた。

 エミーリオではいけない最もの理由はそこにあるのだから。


「次に来た時はよい報せを待っています」


 最後にそう告げて、ゲルトルーデはアルマに背を向けた。

 アルマは歯を食いしばり声も出ない。


 去っていく背を睨みつけていた視界に、暖炉に備えつけられている火掻き棒が入った。

 手を伸ばしその柄を握ると、勢いよく振り下ろした。

 固い手応え。

 さらに一度、二度と繰り返し振り下ろし。


 気がついた時には、目の前にいたゲルトルーデはぐったりとして女官に抱えられていた。

 そして周囲で騒ぐ大臣達と、槍を突きつけられ拘束された自身の体と。


 ゲルトルーデは即死はしなかったが、この時の傷が元で間もなく亡くなる。

 アルマの処遇に関して即座に審議されたが、愛らしい小鳥が皇后になったと称えられたのも今は昔、もはや評判は地に落ちていたアルマを擁護する声は皆無だった。


 当然の有罪。


 ローデリヒとアルマの離婚は速やかに教会に認められ、アルマは一平民として一生を終えることとなった。部屋に閉じ込められながら自分は次期皇帝の母親だと、その自分に何たる仕打ちと怒鳴り散らしていたアルマは、自分に下された判決を聞くと気も狂わんばかりに取り乱した。


 一連の流れに、ローデリヒは一切関わろうとしなかった。

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