もう一羽の小鳥
ところで、ローデリヒはまだ結婚していなかった。
后候補については以前から話は幾つも上がっていたが、エミーリオを愛でるようになってからは、結婚の話が上るとあからさまにいい顔をしなくなった。
そのことに皇太后ゲルトルーデは危惧を抱いた。
皇帝が愛人を抱えるだけならかまわない。ところが、未婚の皇帝が召し抱えるようになったのは品も教養もない歌うたいの少年。これをゲルトルーデは甘受できなかった。少年愛を趣味として嗜んでいる者は老若男女身分問わずいることは承知しているし、自分には関わりがないのでこれまでは目を瞑ってきたが、自分の息子がそのような嗜好になるのは受け入れがたい問題だった。
結婚はさせなければならない。いっそ、ローデリヒの意志を無視して進めてもかまわない。ただ、現状のまま結婚させても、夫婦の仲が端から成立しないかもしれない。
息子の愛を少年から引き剥がすため、また跡継ぎの問題を解消するために、ゲルトルーデは一計を案じた。
その日、ゲルトルーデ主催の宴が開かれることになった。
普段から貴族の交流の場として使用されている広間には大勢の貴族が集まった。彼らを歓待するのは優雅に音楽を奏でる宮廷楽団、テーブルからこぼれ落ちんばかりに用意された料理の数々、それに甘い砂糖で作られたオブジェ。間違いなく何かあると、ただ贅沢なだけの日々に慣れ、刺激を求めている貴族達は興奮していた。
宴たけなわの頃、ゲルトルーデが動いた。
「皆様に一つ余興を用意してあります」
彼女の言葉に合わせて扉が開かれ、広間に一人の少女が現れた。
期待に上がる声と、同時に微かなどよめき。
会場へ足を踏み入れた少女の顔を見て、設けられた席に渋々座っていたローデリヒと、その傍らに控えていたエミーリオは息を飲んだ。
少女はエミーリオによく似ていた。
愛らしく微笑む少女は辺りをゆっくりと見回し、上座の皇帝とその愛人の少年の姿を認めると、意味ありげに笑みを深めた。
名をアルマと紹介された少女は歌を披露した。
小さな体から発する声は力強さには欠けていたが、透き通る声が奏でる旋律は美しく、人間の集いに一羽の小鳥が迷い込んできたかのような儚さと幻想的な空気を作り出した。
睨みつけるようにアルマを凝視するローデリヒに、ゲルトルーデは勝ち誇った笑みを浮かべた。
この一年の間に、ゲルトルーデは国中からエミーリオに顔立ちの似た少女を集め、教育と声楽を施し、美しい歌声を身につけさせた。そしてその中から最も見込んだ少女をローデリヒの后とするため宮殿へ連れてきたのである。
選ばれたアルマは、豪商の娘だった。このことに関してはアルマの元の身分よりも、ローデリヒの愛情をエミーリオから后へ移させることを重視した。
広間はアルマへの賞賛の声で溢れ返った。
その晩遅くまで、エミーリオはローデリヒの私室の近くの部屋で控えていた。
いつもならエミーリオの歌声が満たす部屋からは、少女の歌声が漏れ聞こえてくる。
宴が終わってすぐにエミーリオはローデリヒから遠ざけられた。だから、ローデリヒがアルマをどうするつもりでいるかわからない。
本当は、わからないもなにもない。彼女が宮殿に連れて来られた時点で、結婚は決定事項なのだ。ただエミーリオが気になることは、ローデリヒはアルマをどう思ったのか、そして自分をどうするか。
夜更けになり歌声が途切れた時、ずっと耳を澄ましていたエミーリオは胸が潰れそうだった。
ローデリヒとアルマの式は翌日挙げられ、アルマは間もなく懐妊した。
毎晩私室の近くで待機していたはずのエミーリオは、いつのまにかローデリヒの前から姿を消していた。