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辺境のシェフ

小雨が降ってきた村の中を男が歩いている。

汚れた皮鎧の軽装、腰に差した剣、麻袋に申し訳程度に縫い付けた紐を使って背負う姿はどこから見ても旅の冒険者だ。


「雨か…酷くならないといいんだけど、駄目そうだな」


風と雲を読みながらひとりごちた男は背嚢から防水布を取り出そうか悩んだが、目の前にある建物を見て、止めた。

周囲と同じ藁ぶき屋根が乗った土壁の家には看板が掛かっている。

看板には宿屋を示す記号があり、二階の窓を見るに2〜3部屋はありそうだ。一室には明かりが点いており、店主か先客が居るのだろうとうかがえる。


「宿屋か、具合が良い。腹も減ったし、まあ泊まっちゃっていい時間だろう」


男は建物に入って中を観察する。

4〜6人が付くのが適正な木製テーブルと長椅子のセットが2つ、カウンターは無い。

オリエンタルな暖簾の奥に調理設備がチラリと見える。

階段は土壁と同じ土で出来ており手摺りなどは無い。

内壁の下半分程は塗料で模様が描かれている。

適当に見学して男は声を出してみる。


「すいませーん、泊まりたいんですけどー」


少し待って返事が無い事を確認した男は近くの壁をコツコツと叩いた。


「レンガ…いや石っぽいな、石積んで土とか塗った感じか」


暖簾をくぐって調理設備を見る。

何かの皮で包んだ箱を見掛けて笑顔になる。


「冷蔵庫があるぞ、今日は良い食事にありつけそうだ」


すいませんねえ、などとひとりごちながら箱の中をあらためる。

内部の熱を逃がし続ける動物の皮の中には木箱があり、木箱の側面には冷気を発し続ける石がびっしりと貼り付けてある。木箱の蓋を開けると中には魚や肉等のなまものが詰められていた。


「嬉しいね、干しものを煮たのにゃ飽き始めてた」


木箱を閉じて皮を結び直す。調理設備を引き続き見て回る。

料理用の剣とまな板を見てうんうん頷く。こうした旅宿の料理剣はだいたい一本しか無いが此処には三本ある。肉用野菜用、あとは恐らく魚用に用意してあるのだろう。

男はかまどに薪を入れた痕跡が無い事を認めて少し驚いた。


「料理人は火魔法のみでやるのか。しめたものだぞ、こりゃあ大当たりだ」


その後男はあちこちを見て回った後、満足した様子で暖簾をくぐって席に着いて待った。


雨が本降りになって、陽が落ちた頃に店主が帰ってきた。


「おや、お客人かい。待たせちゃったかな」


「旅暮らしなんだ、待つのにゃ慣れてるさ」


大柄な店主は顎髭をさすりながらびしょ濡れの体で部屋の中央に向かう。

むん、と言って力んだ店主の全身から湯気と熱気が放出される。


「畑作でもやってたんですかい」


「そうなんだよ、肥料が撒いたそばから雨でカサ増ししちまうしまいったね」


「ふは、メシ食いたい時に肥料の話って」


「ああ、安心してくれ、“浄化”して手洗って“浄化”するから。貴族付きのシェフのやり方よ」


話してる間に店主から湧く湯気が収まった。全身が乾いている。部屋の中に湿気と熱が篭った。


「換気するかい」


と、店主が言った事に男はまた少し驚いた様子を見せた。


「え、店主さん“風”も使えるんですかい?」


「その通り二属性持ちよ、見るのは初めてか?」


言いながら店主は男が頷くのを見て、入り口に向かって手を伸ばした。

何処からともなくそよ風が吹き部屋の中の湿気を攫って行った。


「初めてって事ぁないが…こんな辺境に居るのに驚いてる」


「ははは、こう見えて昔は騎士団のシェフやってたんだわ、ここの領主様が元主人って訳よ」


「ははあ、人に歴史あり…何にせよ今日のメシには期待出来そうだ、楽しくなってきた」


「へへ、値段は暴るけどな」


男は殊更わざとらしく不安そうに値段を尋ねる。店主が提示した金額は確かに相場より高いものだが、幾らか高い、という程度に過ぎなかった。


「とは言え店主さん、腕を見た訳じゃないが騎士団と言えば貴族だ。貴族連中の腹を支えた料理人の腕がその値段というのは、逆に安過ぎやしないかね」


「嬉しい事を言うね。しかし構わんよ、腕は良くても食材が違うさな。アレで大金せしめようってんならそりゃやり過ぎだ」


ふむ、と男は考えるそぶりを見せてから膝を叩いた。


「よし決めた。今日は店主さんの腕を見込んで、今日の獲物を献上させて貰おうじゃないか」


「おや、なんか良いのが?」


店主が興味ありげな目を向ける前で男は麻袋をまさぐった。


「いやなに、何かは知らんが、換金前にちょっぴりならと、カケラを焼いて小腹を満たしたんだがね、えらく美味かったもんで…ここはひとつ、店主さんに預けちまった方が、食材冥利に尽きるってものでしょ…お、これこれ」


麻袋に収まる筈のない大きさを持つ動物の遺体がずうるりと引き出された。

体長、体高共に男の腰程はある動物は長い耳を持ち身体の半分程が脚部であり、一目に兎の化け物である様に見える。

店主はそれを見て顔がふにゃりとほころんだ。


「お客人、そいつは遁走ウサギだ、俺に寄越すのは正解だと約束しよう。金は要らねえ、宿賃は頂くがね」


「む…言ってしまった以上渡しはするがなんだい、そんなに高いもんだったか」


動物を見ながら男が言うと店主は首を振って答えた。


「たしかそんなに値は張らなかった筈だ。北の王国を越えた草原辺りならいくらでも狩れる。単純にこの辺りじゃなかなか見ないんだ、あるのは保存食になってるのばかりよ」


男は店主に動物を引き渡しながら尋ねる。


「するとそんな珍しいだけの安物にどんな価値を見たんで?」


「シェフやってた頃、よく使ってたんだわ。いや懐かしい、お客人はこれ、脇腹の肉を食った様だが、見ての通り食いでのあるのは跳び回る足だろ?これがまあ味は良いが固いの固くないのって。おおかたうっかり夕食に出れば寝る直前までくちゃくちゃやる事になる訳よ」


「へえ、そいつはまあ…顎が強くなりそうなこって」


店主は動物の血抜きや熟成具合を見てニヤリと笑って男に言った。


「今夜にも出せるけど、食うかい?」


「いやあ、顎を鍛える予定は無いかな」


「固いとは言ったがな、騎士団に言われて俺がうまい調理法を編み出したんだな、これが」


「おや、そうなると話が違ってくるじゃないか。頂こうかな」


後悔はさせんよ、と言って店主は暖簾を潜って行った。男は頬杖をついて雨音と調理の音に聞き入った。




「む、お前も泊まり客か」


調理中の匂いが宿の中を満たし始めた頃に二階から女が降りて来た。

綿を含んだ分厚いシャツを着ており、それは全身を包む金属鎧の下着に見える。

腰に小振りで大袈裟な程幅の広い剣を差している、広い幅で盾としても取り回せる小剣は護身用なのだろう。


「やあ、お姉さんも泊まりかい、随分早く宿に入ってたようで」


「ああ、雨が降りそうに見えたのでな。フルプレートに雨は堪えるんだ、色々とな」


「はあ、雨が辛い鎧ってえと鉄製ですかい。長旅で鎧を着るなら銅か高級品を使うのが宜しんじゃないですかね」


耳が痛い様な顔をしながら女は男の向かいに座った。


「うむ、そう言った話はよくしているのだがな、軍属の着用物というのは選択の余地無くままならないものなのだよ、君」


「へえ、お姉さんは騎士さんか何かですかい。って事は貴族様だったり?ちょっと畏まった方が良いですかね」


席を立とうとした男に対して女は煩そうな顔で手を振った。


「ああ、ああ、要らん要らん。外回りの騎士なんぞ大したもんじゃない」


「おや、この国だとそんな感じなんですかい」


「他の国は知らんが、まあここだと平民上がりの騎士とかとあんま変わらん。私は一応家系の者だが」


「へえ、何と言うか、庶民派って感じ」


「庶民派以外に何があるんだ?騎士は庶民に仕えてこそだろ」


「強きに仕え弱きを虐げる騎士も、まあ必要な場合があるんですな、これが」


「なんだそりゃ」


程なくして店主が料理を持って表れた。料理の匂いが殊更に鼻をつく。

男の笑みが深まり、女は目を閉じて香りを深く吸い込んだ。


「お待ちどうさま。遁走ウサギの刻み焼きだ」


店主の料理は細かく刻んだ肉を固め直して焼いたものだった。彩り野菜と平らなパン、スープとお茶がテーブルに並ぶ。


「おおっハンバーグ!」


男が興奮気味に料理名を口走った。

店主が怪訝そうに男を見た。


「ハンバーグ?」


「あ、いえ…故郷の料理に似てたもんでつい」


気まずそうな男に女が言った。


「刻み焼き、よりはそれらしくて良い名前かも知れんな。店主よ、どう思う」


「ううむ、俺のオリジナルにはならなんだか。しかしハンバーグねえ、見た目と出来上がりからしてジューボンって名を考えてたんだけども」


「へえ、すいやせん」


男と女騎士と店主、それぞれに食前の祈りを捧げてそれぞれに食べ始めた。

遁走ウサギは食べる草に拘りを持つ性質があり、内臓と言わず筋肉までも食べている薬草や香草の風味が染み付いている。

男が齧り付くと切り刻まれた強固な筋繊維の中に封じられた肉汁がじゅうじゅうと口内に溢れ香草の薫りが喉を通る。

噛む程に風味が抜けて肉らしい味を見せる筋肉は噛み切る事が出来ないが、既に申し分なく刻まれている為に容易に飲み込める。

店主が振ったのであろうささやかな塩味が全ての味わいを引き立てている。


「ああ…美味い。店主さんにウサギを渡したのは大正解だったねえ。これ、繋ぎはパンかと思ったけど、芋を入れてるのかね」


「お客人、話が分かるじゃないか。実は両方入れてるよ、すり潰して混ぜてるけど、刻んだ芋も少し混ぜてるんだ、ホクホクだろ?」


「ホクホクだねえ」


「うむ、懐かしい味だ」


「おや、お姉さんはここにはよく来られるんで?」


「首都でよく食べてたんだ」


「それはそれは。首都に行く楽しみが増えたねこりゃ」


あ、と店主が思い出した様に切り出す。


「そう言えばこいつに合う葡萄酒があるんだが、飲むかい?」


「嬉しいね」


「頂きたい」


店主は酒とつまみを取ってくる。

戻ると男が不敵な笑みを浮かべて別な酒とつまみを用意していたので店主は小さく吹き出した。

小さな宴は夜遅くまで続けられた。

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