二百七十三A生目 量子
『うはぁ、最悪じゃのう。もうつながってしまっておる。アレは月側も仕掛けられていたのう』
「キッズじいさん、もしかしてアレが、月と地上を結んで、送り届ける道なのか?」
『だいたいそうじゃ。転移ゲートと言う、遥か昔に消された、正式な行き来の仕方じゃ』
あれー? あれって軌道エレベーターじゃない?
今私の脳裏にその記憶がヒットした。
とても似た景色を見たことが有るきがする。
「ええっ、これって……?」
グレンくんも小声で何かこぼしている。
ただみんながざわざわしている間にもより高速に進んでいく。
空気の圧を抜けたおかげで速度の伸びが良い。
ガンガン月が近づいている。
そしてこの月に近づけば近づくほど……
それが本当は月ではないのかもしれないという不可思議な気分になる。
いや実際ここは神の牢獄だ。
だから月ではない……のだが。
そもそも表面の色すらどんどん変貌していった。
「な、なあにあれ? あれって……黒くなっていく?」
「すごい、門みたいだ……」
ローズクオーツと弟のハックが驚いているのは月の景色。
かなり大きく見えるようになってきてついに……その異常さが浮き彫りなってきた。
まず色が急に変わりだしたのだから。
『地上向けの擬態も、ここまで来るものにはいらないからのう。あの月は、直接降り立てる場所とはまた違うのじゃよ』
黒く暗い色に変わっていくとまるで門のように中央にラインが見えだす。
ただそれは門ではないのだろう。
扉らしきものが見えないのだから。
空間の裂け目なのか……その端が門のふちに見える。
「あ、あの黒いのがうごめいているのは何なんだ!?」
『あれが問題なんじゃよ。いやまあ、普段はあれのお陰で助かっておるのじゃが。あれは月の門口。神ですら飲み込まれたらどうなるかわからぬ、世界の境目にある領域につながってじゃよ』
「え、こっわ」
イタ吉がぼそりと素直な感想をつぶやいた。
メチャクチャヤバい空間だ。
確かにでっかい門とかでは惑星ごと防げないもんね。
近づくとどんどん枠が広まるからおそらくこの月のどこに近づいてもこうなるのだろう。
絶対に誰も通さない門。
ホルヴィロスの親ケルベロスの御三方ガ護る門。
『では、今からここに不正侵入するぞい!』
「「えっ」」
だからこそみんな翠竜の言葉に耳を疑った。
念話なので概念的耳だが。
『仕方ないじゃろう。今、正式な通り道は、あの転移ゲートのつなぎじゃ。他は全部裏道じゃよ』
「ええっ……あっちから、侵入することは……」
『無理というより、無謀じゃな。今絶讃多数の悪神が殺気たち蠢いているとしか思えん場所じゃ』
「ああ……」
たぬ吉が諦めの声をもらす。
正門はもう敵まみれ。
あまりに当然ながら改めて納得させられた。
「推測、月に封じられた神が時折悪魔として地上へ降り立つさい、この門口を無理やり通ってくるため変質」
『大体そうじゃのう。あの嵐の門は道を迷わせるだけではない。なんと言えば良いか、あそこは可能性を無限にうみだす場なのじゃ。無限に2つの状態を生み出すから、神ですら対処を誤ればとんでもない被害を被る。そうして堕ちた姿が悪魔として精神体となったんじゃな』
「わけわかんねー」
イタ吉ほか何名かが首をかしげる。
まあ今の説明ではどういうことかさっぱりわからなかったし。
『例えば、中に入った者が外に出るまでに死ぬか、生きたままなのか。その2つが無理やりあの中では同時に存在させられるのじゃよ』
「な、なんだそりゃ……!?」
「魔法とか、死霊術とか、そんなものより厄介な気配がするわね」
『厄介じゃよ。神の力は1つを具現化させる、運命の力とも言えるものじゃ。相性はかなり悪いのう』
「あの見た目……特徴……まるで量子嵐のような……」
「りょうし嵐……?」
「あ、いやなんでも?」
グレンくんがあわててとりなす。
なるほど量子嵐ねえ。
理論上あるという知識はあったなあ。
大前提として量子というすごく小さな変わったものがある。
それがうねって見えるほど寄り集まったのが量子嵐だ。
世界の境界線にあるんだったかな前世知識によると。
そして大事なのが……未確定さ。
観測を受けるまで状態がブレるという意味のわからない性質を持つ。
観測した後に1という情報を持っていたか0という情報を持っていたかが決まるのだ。
他の物質は逆。最初に情報ありきでその情報を他者が観測できる。
さっきの説明で言えば、密閉された箱の中にいる量子の猫は生きているか死んでいるかはどちらも存在して……
箱を開けた瞬間にどっちかになる。
面白いのはその特徴を他にも付与したり持ったりできるのだ。
小さすぎるがゆえにできるらしい。
電子を得れば量子コンピュータなどというものができる。
だがあの月を覆うほど可視化できる量子の嵐は……きっと私達すら飲み込む。
そう考えればなんだか凄まじい圧力だ。
私達を箱の中の猫にしてしまうつもりか。
本來の量子だけならそんな凶悪なことにはならないんだけど……こんなに嵐が吹き荒れている上神を閉じ込めるゲートとしての機能をもたされている。
楽観的な見方はできないだろうなあ。
「詳しいことはさっぱりだが、このままだと俺達やばいんじゃないのか!?」
『かなりマズいのう。だからこそ、儂の力がいるのじゃが』
だいぶ近づいてきた境界線。
対策はある……らしい。
「翠竜様の力が?」
『ああそうじゃ。一部の者には前に与えたが、性別反転の力じゃ』
「……え?」
たぬ吉が驚きに目を丸くする。
たしかに翠竜はその力を渡してきた。
だけれどもそんな力がどうしたのだろうか。
そもそれが何? と思ったのは私だけじゃないらしくみんな足元へ注目した。
『先ほど、2つの状態を同時に起こすと言っていたじゃろう? それを性別に絞るんじゃ』
「ええっ、た、たしかにそれでも行けて……るのか?」
『今こうして移動中に、性別がブレるように誘導する因子と、変化を起こせるような仕組みを浸透させておるのじゃよ」
「よくはわからないが、他人の身体改造するなら先に言っておいて欲しかったかなあ……」
『ほっほ、すまんの。緊急だったからのう』
前も別に緊急でもないのにいきなりやったけどな!
グレンくんの声にみんなうなずく。
「まあ、そこは仕方ないとして……私やゴーレム組はどうしようかね?」
『ふむ、小さき神……しかも血筋がなんともどこかに感じる……確かに、小さき神は性別がそもそも植物ゆえに性別をどちらも持ち、そしてゴーレムたちは無機物故に性別を持たぬか。しかし儂もできることは限られている。何か2つの可能性を選ばせることはできるのじゃが』
「提案。我々は構造の変化を性別の変化に当てはめられる可能性」
「ああ、なるほど! どっちも形の種類は色々ありましたものね!」
『ほほう、確かに2つの姿を導き出せるなら、それもありなのかものう』
「あー……なら、私は植物か動物かで揺れ動かせればいいかも。私は元々そういう存在だし」
『うむ、それで納得できるのならば、それで良かろう!』
ひとまず話はまとまった。
ノーツとローズクオーツのゴーレム組や……
ホルヴィロスという植物らしくおしべめしべ併せ持つ存在。
肉体があるかないかなんて2つの存在をぶれさせられるよりマシなものを選ぶ。
戻せるのならなおさらだ。
近づいてもはや間近に迫る。
外から見たらきっと浮島がボロボロこぼしながら宇宙をまい進しているだろう。
「もうそろそろか……」
『ああ、それとじゃな』
「こ、ここにきてどうしました?」
『儂はいけんからな』
あたりの空気が一気に凍る。
ビシッて音が走った気がした。
「えええ、ええと……??」
「ちょっと、どういうこと!? まさか、あの中に放り込んでさよならする気なの!?」
『まあそうじゃのう。というより、儂はあの中に行けん。頭だけじゃし。行ってなかったが、無限の時間軸に囚われたり、全く違うところへ出るという可能性も含んでいるからのう。儂は他者にそういう分岐を絞るよう付与できても、儂自身にはなんもできんから』
「全員、機動準備」
ノーツの声がやたら素直に響く。
ノーツはある意味マシン的だ。
そう言われたら素直に行動を移す。
だからか全員困惑しつつも腰を浮かし……
地面が……翠竜の頭が揺れる。
「「おお……!?」」
「ほ、本当に?」
『ま、気楽にの。ここで息を詰めすぎたら、後が無い。儂らが出来ないことを任せるんじゃ、胸を張って行けい!』
翠竜の頭が……急に動きを止める。
全員が面白いほどに打ち上げられ……
外の世界にの境目にあった結界に触れると泡のように包みこんだ。
ミニ結界ということか!
ただ勢いそのものは止まらず全員が音のない世界へ放り出される。
結界外は空気がないから音が通じないのだ。
剣ゼロエネミーにもわざわざ組み込んである。
みんなが各々驚きの声を上げていそうな顔をしている中。
『頼んだぞ、星の子らよ』
翠竜の念話だけが響いた。
多分みんな叫んでいる中量子嵐の中に放り出された!
ぐるぐると視界と剣ゼロエネミーが回っていく。
不思議なことに嵐の中はみんなが見えない。
おそらくこれが観測できない状態というやつだ。
剣ゼロエネミーは私が観測し続けている。
故に変化はない。
そして広がる景色はなんとも不可思議だ。
こんな異世界に光量が入り込むとは思えないのにどこか遠くまで見えて。
まるで上と下が無限に続いているみたいだ。
柱のようにどこまでも伸びる黒い嵐。
あれが量子……なのかもしれない。
見えたと思ったら次視界を合わせた時にそこにない。
だから今どこまで進んでるとか戻っているとかもわからない。
もしここに何も知らず来たら気が狂うかもしれなかった。
……ゼロエネミー。私の大切な愛剣。
剣じゃない姿の時も多いけれど。
ある意味そうやって変わり続けること自体が変わり続ける私向きの武器。
今はゼロエネミーとたったふたりっきりだ。
こんなところまで付き合ってくれてありがとう。
私とゼロエネミーはどこまでも一心だ。
剣ゼロエネミーはどこまでも私と付き合ってくれた刃だ。
私をいつも守ってくれる盾だ。
屋外で一緒に抱いて寝た日もある。
どこまでも共に落ちていく。
どこまでも共に落ちていこう。
ゼロエネミーへの相棒愛はいつも言っているけれどこういった不安な場所だと余計に思う。
だけれどもなんだか終わりがちかづいてきたようだ。
暗雲のような量子の海が近づく。
雲のように触れて落ちて行き……
向こう側へと落ちて行く。
……剣ゼロエネミーが引っ張られている?
重力に引っ張られているような。
どこかふわふわしているような。
ゆっくりと落ちて行き結界が壊れる。
剣ゼロエネミーが空気を切り裂いてく。
大気があるんだ。
そのまましばらくスカイダイビングを楽しんでいたら各地で落ちて行く何かが見えた。
間違いなく味方たちだろう。
そして……月の景色だが。
驚いた。本当にここは月であって月じゃないんだ。
そして牢であって牢じゃない。
それはあまりに美しい……息を飲むような絶景。
荒々しい大地に草花が生い茂り。
巨大な滝が流れ落ちて。
こっちの地上ではみたことのないような謎の巨大建築物たちがあり。
そして巨大で複雑な交差線の入った巨大白岩石があちこちに見える。
草花が見えない部分がああなっているというところでより別の世界だという認識ができた。
これはそう……神たちの地獄という、迷宮だ。