一生目 夢
何があったのだろう。
落ち着け自分。
光が前から後ろへ流れてゆく空間で"私"はそう念じていた。
空間には私以外は何もない。
腕を伸ばそうと足を踏み込もうとしても何も起こらない。
身体が動かないのではないことは直ぐに把握出来た身体がない。
ここには"私"も無いのかと焦る心とは裏腹に落ち着いた頭の部分で私は思考を走らせる。
そう、これは夢だ。
そう結論付けるのは簡単だった。
現実離れした空間に現実離れした状況で現実のものがなにもないのだ。
夢以外で説明がつかなかった。
なあんだ夢かと思えば気持ちは楽になった。
前から後ろへ光が流れてゆく幻想的な景色を楽しむ余裕も湧いてきた。
後は身を任せていればいずれ夢は覚めるのだから今楽しまなくてはとまさに夢心地な気分で捉える。
『そろそろ良い?』
ん?
夢の中で語りかけられた。
なるほど夢の変化だろうなと私はその変化を受け入れる。
『なんとも都合が良いというかやりやすい姿勢だね』
声は音で聴こえるわけではないようだ。
聴こえるための耳が無い。
いわゆる心に直接という感じだろうか。
頭は無いが意識はあるからそこに直接流し込まれる言葉だ。
音ではなく言語として直接流される。
声は高いも低いも当然あるわけなくて。
不思議な感じながら夢なのだから私はすんなり受け入れる事にした。
それでこの夢の声は何のイベントが起こるのだろう。
夢なのだから支離滅裂な可能性も高いのだがそれはそれで。
『大丈夫そうだね、それじゃあ……キミはこれからキミの知らない世界へ行く事になるよ』
さすが夢である。
なんでもありか。
私はそう考えつつも最近流行りのラノベたちをふと思い浮かべる。
『そうそう、そんな感じの別世界へ行くものだよ!』
おお、細かく思った事が筒抜けになるのか。
ここらへん実に夢らしい。
流石に設定破綻しそうだなと私は他人事のように思う。
夢を見ているのは私なのに。
『まあとりあえず進めていくよ!』
よろしく、夢の声!
ちょっとテンション上がってきた。
テンション上がりすぎて夢から覚めないようにしないと。
『今から行く世界は、魔法や魔物のような魔が溢れた不思議で危険な世界』
いわゆるファンタジーかな。
ドラゴンとかいそうだ。
『そこにキミは転生をします』
おお、最近流行りのラノベみたいなやつだ!
さすが夢だ、直ぐに反映されるんだなぁ。
『そんなキミに祝福を!生まれ変わってから確認してね!』
光の一つが私の意識へと飛び込んできた。
特に何も感じないからその生まれ変わりというのをしてからでないとわからないということだろう。
私は未だ夢心地でふわふわとした意識の中"それ"を受け取った。
『さあ、夢と冒険の世界へレッツ!』
ゴー!
夢は目覚めた時には曖昧になりやがて記憶に留まらずに消える。
私もふと目覚めたときにはそうなっていた。
何か夢を見た気がする。
思い出せない夢。
思い出さないといけない夢。
……夢?
私はその時重大な違和感に気づいた。
思い出せない。
私は……誰?
えっとシャレじゃなくてここはどこ?
困惑する私にさらに混乱を叩き込んだのは私の違和感その二だった。
身体が寝ているというのは思い出せないが夢を見ていた事はわかる。
だから起こそうとした。
うまく身体に力が入らない。
目も寝起き特有のぼやけが酷いし上体を起こせない。
横向きから両腕を使ってぐっと上体を起こした時点で違和感に気づいた。
前……脚?
脚だ。
私が地面に伸ばしたはずの手のひらはとても手とは呼べない前足として地面と接触する感触を返してくる。
しかもこの弾力、自分の肉球だ。
違和感を確かめるためもやのかかる頭を振り払いなるべくはっきり目覚めた。
後ろは獣脚とでも呼べば良いのだろうか。
つま先で立ちかかとまでの距離が長く最初から四足で歩く前提の作りになっている。
なぜこの脚が私の身体から生えている?
そんな風に私は確認した所で大きく息を吸い込み叫んだ。
「くおおおん!!」
自分の中から聴こえる甲高くかわいらしい吠え声。
……あれ、なんだこりゃー!って言ったつもりだったんだけどなあ。
私はそうして声帯の違いも図らずも確認出来た。
夢から覚めた夢オチではないらしい。
散々パニックになって転げて何かに頭をぶつけ痛いのが何よりの証拠になった。
私は今把握出来る事を出来るだけ早くまとめる。
名前、分からない.
こうなる前、わからない。
今の姿になる前、確かに違った、なんとなくこれに似たような状況の小説読んだ事はあるし少なくとも人間だったはず。
今の姿、何かの獣? 自分で思うのも何だかちょっとキュートな気がする。
現在の問題、五感のうち触覚以外が鈍く感じる。 低血圧の朝のようだ。
よし、瞬時にまとまった。
分からないことを分からないと把握するのは大事だ。
そんなチェックを続けていると先程ぶつかった何かが動き出した。
動いて分かったのだがそれはこちらよりやや濃い目の鮮やかな青の毛並みだった。
動いて初めて分かるとはなんとまあ不思議なものだが。
私はそう疑問を感じつつ見上げるとその毛皮は上へと繋がっていく。
これは脚だ。
とすればもしや……
その考えが正解だとばかりにさらに上から顔が近づいてきた。
人ではなく鮮烈な青の毛皮に覆われた顔。
シュッと長いマズルの先に黒い鼻が見える。
何というか第一印象は優しそうだけどカッコイイと言う感じだ。
そしてマズルの下が少し開き中から黄みがかった舌が伸びてきた。
口の大きさはこちらをひとのみ出来るほどで舌先は顔より大きい。
それで無遠慮にベロリと顔を舐められた。
不思議と恐怖心は無い。
いや。
彼が何者で何をしているのか身体がわかっているからなのか。
そう、彼は私と同族で。
親で。
母だ。
一通り体中を舐められてキレイにされる。
清潔さを保つというのもあるがスキンシップを図るものでもあるのだろう。
一切心は知らないのに身体がこの包まれた他者の匂いが安心できると判断した。
記憶が無いという事も良くわからない身体という事も不安要素でしかない。
恐ろしい、どうなってしまったんだ、どうなってしまうんだという思いはある。
しかしこの温もりが、かおりが全てを包み込んで安心させてくる。
それすらも、もはや何もかも変わってしまったということの証明でまるで私の心が2つあるかのように不安と安心が同居する。
こうして私は転生をしたという事実を突きつけられた。
ひとしきり私を舐めた後こっちの母は別の方へ身体を向けいそいそと何かをしている。
というより遠くて見づらいがおそらく私の兄弟……同時に生まれたから双子? を綺麗に舐めとっている。
やはり動いている舌は見えるが舐められじっとしているものは見えづらい。
なんだろう。
もちろん私の考察どおりなら生まれたてだから五感が衰えているというのは最大の原因だろうが。
あ、さらに別の方を向いて同じことをしている。
三つ仔であったか。
さて何だか落ち着いてしまった所でもうちょっと確認作業をしたい。
記憶うんぬん転生かんぬんはもはやどうにもわからないので置いておくとして。
一回自分の姿をハッキリ確認したい。
何か身体の全体像をうつしてくれる鏡等はないだろうか……
そう私は考え早速行動に移すことにした。
水辺なんかを探すにしても目はあまり頼りにならない。
だとすると頼りになるのは別の感覚か。
私は目を閉じ周囲の気配を探った。
雑多な音。
混ざり合う匂い。
よく知らない感覚。
その中で嗅覚が真っ先に匂いを捉えた。
近くに水辺がある匂いだ。
歩く練習がてら私はその匂いを辿った。
意外と楽にたどり着けてしまった。
母親は兄弟の様子を見るのに忙しいらしくて見つかる前に抜け出せた。
練習しながらのゆっくり歩行だったので5分くらいかかったが親のサイズからしたら数秒で詰める距離しか離れていないだろう。
四足歩行は案外楽に出来るようだ。
自分が赤ん坊だとしたらもっと苦労するのかと思ったが厳しい自然界で生きていくにはこのぐらい出来るモノなのだろう。
といってもその厳しさはまだ出会っていないわけだが……
尾を伸ばしてバランスを取るのがポイントだ。
まだ意識してリズムを取らないと歩けないがじきに無意識に歩く事も難しくないと私は思っている。
そんなわけでやってきました水の近く。
自身の大きさが比較対象がいないせいで何とも掴みづらい。
人間の足跡とかでもあればわかりやすいのだが……
少なくともここまでには比較対象は無かった。
さて期待の姿ご拝見と行きましょう。
私は水に落ちないように慎重に足を踏み出す。
親の見ていない所で水ポチャして溺死は転生早々したくはない。
私は身を乗り出し水を鏡にして改めてその姿を目に焼き付けることになった。
水の中に映る影は鮮やかな青の毛皮を纏ったかわいらしい犬と猫を足して割ったような姿の生き物だった。
狐と豹を足して割ったような親から勇ましさはなくなり純粋なかわいさの塊みたいな存在だ。
ペットショップで売られていたらさぞや多くの人がギュッと抱かせてもらうだろう。
多分私もする。
そして背の針が刺さる。
ピョコンと申し訳程度に頭の上についた耳がピクピクと動きキュートだ。
ただ、やはり愛玩動物と化すには背中に申し訳程度に生えた細く小さな棘がジャマだろうけれど。
背骨に沿って一列並んだ弱々しくされどチクチクとはしそうな棘は鈍い黄色でせめてもの危険要素と言った所だろう。
こうもハッキリと突きつけられれば認めざるを得ない。
私はこの姿に生まれ変わったのだ。
水を覗き込んでいる二つの澄んだエメラルドグリーンをしたまんまるとした瞳を持つ生物に。
尾も生えている。
スラリとした毛並みの先にボンボンのような毛が生えててそこだけ彩度の低い黄色だ。
ぐっと力を込めるとブンブン振り回せた。
かなり自由に動かせるらしく尾の途中で細かく曲げれるようだ。
それと顔だがマズルというのだろうか。
目から鼻までの凹凸はそこそこあるように思える。
口もそれに沿っているから口笛が吹きにくそうな口だなあ。
吹かないけれど。
そして思わず尾を支えにへたり込んで座ってしまった。
疲れた……
こうして腹部を表に晒すように股を広げ座らないと腹部までは良く見えないからだ。
うーむ毛皮が薄くなってほんのり黄みがかっている。
ちなみに腹部の方は白毛のようだ。
うん?今水辺が揺れた?
同時に耳に入る水の流れる音と鼻が嗅ぎ分ける水ではない何か。
何かわかったわけではない。
ただ偶然的に奇跡的に私は危険な気がして後ろへ跳ぶように下がった。
当然いきなりそんな動きをして身体がついていけるわけがなくて尻餅をつく。
しかし正解だったようだ。
ザバンと音を立てて私が直前までいた場所に飛び出してきた口があった。
さぞや他人から見たその時の私は間抜けなほどに口を開け驚いた表情でそれを眺めていただろう。
水の中から現れた魚のようなそれは私の頭先ぐらいなら掴めそうな口を開いて飛び出してきたのだ。
そして直ぐに再び入水し消えた。
サイズは一瞬ながら私と同じか少し大きいくらいだったように思える。
……もしかして私、今死に掛けた?
そうほんの一瞬判断が遅れていれば無理矢理水場に引きずり込まれまともに泳いだ経験の無い私を窒息死させることは容易だったであろう。
前世で泳いでいたかもしれないが流石に記憶に無い行動には頼れない。
死に掛けたという事を認識した途端私の全身は変な汗が溢れてきた。
動悸が乱れ息は荒く口から舌を出してそれとは別に全身から血の気が引いて青ざめるように薄ら寒くなった。
私は、死に掛けた。
生まれたばかりで今また死に掛けた。
そう、"また"だ。
覚えていない記憶の中の一端、私の前世。
私の最期。
私はこの身体に転生する前に死んだ。
明確な死。
そしてそれを告げる相手の明確な殺意。
私の前世は殺された。
死の臭いを覚えている。
それは酷く朧げでただ事実のみを思いだしたに過ぎない。
それでも唯一無二の思い出せた前世の記憶。
"私は前世で殺された"事を強く記憶に刻み直した。
それにしても今さっき何かさらに別の事が起きたような……
しかし私にそれを考えさせる余裕は。
再び水の中から現れたそれが許してはくれなかった。