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前編

 ――君よ、ただ美しくあれ。


 こんな歯の浮く芝居がかった台詞でも、この男が言えば“さま”になるのだから不思議なものだ。

 ベッドに寝そべる裸のわたしを見て、ジョルジュはそう言い残すと部屋を出ていった。それがわたしの見た彼の最後の姿だった。


「エカテーナ、あなた昨日ジョルジュと寝たんですって?」


 昨夜の公演(レビュ)のあと、わたしがあの有名な『退廃のジョルジュ』に誘われて夜劇場(カーヴェ)を後にするところを見られていたらしい。翌日、楽屋に入ったわたしは、すぐさまその(かまびす)しい噂のタネにされたというわけだ。


「どうだったの、あの色男は?」


 鏡台と衣装道具に壁を埋め尽くされた裸婦(パティ)のせまい楽屋には、衣装係の女中たちと裸婦(パティ)たちが、二十人以上押し詰められるようにして次の出番の着替えをしている。裸婦(パティ)とは、裸体の美しさを売り物に夜劇場(カーヴェ)公演(レビュ)に立ち、歌手(フェルテ)踊り子(カルメル)の舞台を彩って夜の紳士を楽しませる女たちのことである。裸婦(パティ)の女たちは、人いきれに汗ばむ熱気の楽屋で毎日たがいに罵声と噂話を交わしながら、公演(レビュ)の準備をする。今日のわたしは「糞ったれ(レッダ)!」と隣の同僚と罵声を飛ばし合う側でなく、噂話のタネにされる側に回されたというわけだ。隣で着替える黒髪のメラルダは、その深緑のきれいな目を好奇心でキラキラと輝かしながら、わたしに『噂の男』の話を求めてきた。


「いい男だったわよ。そう、ぞっとするほど横顔のきれいな人だったわ」


 メラルダはたまにこの夜劇場(カーヴェ)『エル・ミナ』に客として来る、『退廃のジョルジュ』にご執心だった。わたしはそれを知っているから、あえて彼女が妬くようにそう答えた。


「そうなの……。ああ、うらやましいわ。でも彼のような大人はわたしみたいな娘っ子なんて目に入らないわよね……」


 妬くよりもしょげるようにそうつぶやいたメラルダには少し可愛げがあった。慰めるように彼女の肩をなでてやる。


「あなたは輝いているから、きっと彼の目には入っているわ。ただあなたがまぶし過ぎて、まだ声をかけるのにためらいを感じているのよ」


 そんなわたしの言葉に素直にうなずくメラルダの若さには、それが彼女の魅力であると知っていても内心の苦笑は禁じ得ない。


「ああ、彼、今夜も来ないかしら……」


 まだ十代の若いメラルダのような娘には、あの男の持っているような退廃の匂いが、ひどく魅力的なものに見えるのだろう。わたしは昨夜のことを思い返しながら、けれど彼のような男には彼女の天真爛漫とした娘っ気は、やはりまぶし過ぎるだろうなと思った。

 この噂の男『退廃のジョルジュ』こと、ジョルジュ・ルド・ヴァンシールは、ここ帝都最大の歓楽街である不夜街(ヴェルモール)において、知らない人はいないと言っていいほどの有名人だった。ヴァンシール家といえば旧帝政時代から続く公爵家で、百年前の共和革命で貴族制が廃止されたまま現在に続く新帝政の時代になっても、投資家として築いた豊かな家財で家勢を保つ帝国有数の名家であった。『退廃のジョルジュ』はこの名家の三男に生まれた貴公子であり、帝都の夜の噂をにぎわす有名人であった。

 彼は毎夜、不夜街(ヴェルモール)の店々に一人でふらりと姿を現しては、その日その日に出会う人から“ご友人(カパン)”を作り、(ラルコ)賭博(ジュッダ)(レーメ)の夜に耽る。わたしは昨夜の彼の(ラルコ)賭博(ジュッダ)にお付き合いするご友人(カパン)であり、同時に(レーメ)を与える恋人(シモーレ)の役に選ばれたという訳だ。


「どうしてわたしを?」


「あなたが美しかったから」


 昨夜、わたしを連れ出した彼は、その理由に簡単にそう答えた。

 ジョルジュは痩せた男だった。しかし削いだような細い顎の線にやわらかな笑窪を作る彼の横顔は、夜燭の陰影を映して燃え舞う火蛾のように艶めかしい生気を漂わせていた。


「あなたも美しく見えるけれど」


 わたしがそう答えると、彼は口を開けて笑い、


「そう、美しい。私でも美しい」


 そう言ってわたしの目を見た。

 彼の青い瞳が静かに、けれど力強く、不夜街(ヴェルモール)の眠らない灯りを湛えて輝いていた。


「享楽とは美しいものです」


 そしてジョルジュはわたしを賭場(ジュッディ・メレ)に案内した。わたしの『エル・ミナ』での一ヶ月の給金より多い一五〇〇ドゥカティ分の賭け札(ジッダ)をベットして、ルーレットをころころ回る玉を眺める彼は、落ち着いた声でそう語った。

 よく『ルーレットの玉は運命(カルミナ)と同義である』と言われるが、その運命に上がる悲鳴と歓声は、この言葉が確かな事実であることをよく証明していた。

 彼のチップが取られていく。


「負けましたね」


「そういうものです」


 微笑みながら淡々とそう言う彼は、勝敗にはさして興味のない様子で次の賭け札(ジッダ)をベットしていく。むしろ勝敗に一喜一憂する他の客や、彼の賭け金の多さに驚く見物客の姿の方に、彼の関心はむいているようだった。


「あなたもお賭けになられては?」


 そんな自分を観察する目に気づいたのか、彼がわたしに賭け札(ジッダ)を渡す。わたしは運命の女神(カルミナ)の横顔が描かれた五〇〇ドゥカティの賭け札(ジッダ)を弄びながら、


「すでに今夜をあなたに賭けているのですが」


 そう言って彼の胸ポケットに賭け札(ジッダ)を挿し入れた。彼が声を出して笑う。


「勝ち負けの条件は?」


よき夜か(ハーヴェル・ラ)どうか(・ホーラ)


 わたしの答えに満足げにうなずいた彼は椅子を下りて跪くと、わたしの手をとって恭しく頭を垂れた。


「では、よき夜を。麗しき(ヴィッラ・)夜姫(ヴェルノール)エカテーナ」

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