セッション56 デザイナーベビー4
「…………。…………。…………」
「……ちょっと。ウロウロしないでくださいよー」
刀矢達が浅古諏來と遭遇した同日同時刻。
私立ミスカトニック極東大学生寮―――通称・梁山泊にて。
セラ・シュリュズベリィが所在なさげに右往左往していた。
「ウロウロするなら、せめて自分の部屋でやってくれます?」
「申し訳ないであります。しかし、その……何だか落ち着かなくて……」
談話室のソファで新聞を読んでいた頼姫がセラに苦言を呈す。
セラが寮内を右往左往し始めてから既にかれこれ数時間が経っていた。頼姫でなくても多少は鬱陶しく感じざるを得ない。
「刀矢さんがいなくて寂しいからっていっても程度がありますよー。兎ですか、貴方は」
「なっ……ち、違うであります! 自分は我が主が傍にいないからといって別にどうという事は……!」
「はいはい。ツンデレ乙ですよー」
「ぐぬぬ……」
何か言い返そうとして言葉が思い付かずに唸るセラ。
この話題は自分が不利だと考え、話を変える事にした。
「と……ところで、頼姫殿って食屍鬼でありましたよね?」
「ええ、そうですよー。それが何か?」
「人間の死体を食べなくて平気なのでありますか? この寮に軟禁されて以来、食べている所を見た事がないでありますけど」
食屍鬼とは人の屍を食すからこそ付けらえた名である。その食屍鬼である頼姫が人体を食わないのは道理ではない。寧ろ食わせない事で暴走する可能性すらあるのではないか。セラはそう思って頼姫を警戒していたのだが、結局この二ヶ月間、頼姫が何らかの行動をする事はなかった。
「……食屍鬼だからといって、人間を食べなきゃ生きていけないという訳じゃないんですよー」
新聞を畳み、頼姫はセラに向き合う。
「栄養摂取のメカニズムは人間と同じです。人間だって死体を食べて生きているじゃないですかー。牛とか鶏とかの。それと同じですよ。人間も食屍鬼も変わらない。ほら、流譜さんなんか色んな意味で肉食系でしょう?」
「まあ……そうでありますね」
確かに人間だって日常的に家畜の死体を食べている。気分が悪くなるので死体という言い回しをしていないだけだ。血肉を食らう点において人間と人外に差異はない。
であれば、何故食屍鬼はわざわざ食屍鬼と名付けられたのか。
「ただし、食屍鬼は他の生物とは消化器官が違います」
その理由を頼姫が回答する。
「食屍鬼は喰らった命が丸ごとであれば、その存在の全てを自らの血肉に出来ます。単に蛋白質とか脂肪とかの栄養としてだけではなく、寿命やSTR、MPさえも吸収出来るんです」
「寿命にSTR、MPもでありますか」
「やろうと思えば、知識や容姿までも取り込めますよー」
ニヤリと嗤う頼姫。
相手の力や知を喰らう能力。それはつまり、喰らえば喰らう程に際限なく強くなれるという事ではないのか。そんな事が出来るのなら、食屍鬼とは無敵の種族ではないか。
セラはそう思ったが、頼姫は否定した。
「いえ、実際にはそこまで旨い話じゃないんですよ。一度に吸収出来る量にも限度がありますし、素質によっては強くなれる上限もあります。私ももう普通に食べただけじゃ成長は出来ないですねー」
「普通に食べただけじゃ?」
「食べる相手は余程上質の肉でなければ、という事ですよ」
寿命やMPを増やすだけなら出来るが、と頼姫は言う。
「ていうか、今までにかなり食べて来たんでありますね、人」
「そりゃまあ。私、人外ですから」
あっけらかんと笑う頼姫。それにセラも同意する。
人外に人間の倫理を語ろうとする方が間違いなのだ。
「昔は―――神代と呼ばれる時代の食屍鬼は、強くなれる上限が今の連中よりも飛び抜けて上回っていましてね。中には喰らえば喰らう程に体格が巨大化していく食屍鬼もいたらしいんですよー」
「喰らう程に巨大化でありますか。それはまた驚異的な」
やはり食屍鬼は無敵の種族なのではないか。
セラは再度そう思った。
「世界中に巨人伝説あるじゃないですかー。ゴリアテとかダイダラボッチとか。あれって私達の逸話が伝わったものだと思うんですよー」
「なるほどなー」
◇
巳雷の右の掌底が流譜へと振り下ろされる。巨大な掌は迫る様は天井が落ちて来るかのようだ。流譜は脚に魔力放出を施し、一跳びで巳雷の手の届く範囲から逃れる。獲物を逃した掌底は地面を叩き、震動が天地を襲った。
「ウー!」
すかさず流譜へ左手を伸ばす巳雷。開かれた五指がまだ着地していない流譜へと伸びる。が、指が流譜に触れる寸前、静電気を浴びたかのように巳雷が手を引いた。否、自ら手を引いたのではない。見えない何かに弾かれたのだ。
「クスクスクス……」
虚空から笑い声が聞こえる。だが、姿は見えない。
星の精。刀矢が従える不可視の魔物だ。
「フォーメーションS、以上。―――哀しめ、『魔人流』!」
三体の星の精が巳雷へと体当たりを敢行する。一体目は縦の円、二体目は横の円、三体目は斜めの円を描き、ヒット・アンド・アウェイで巳雷を打撃し続ける。
「ウウウ、ウー!」
絶え間ない打撃に巳雷が呻く。だが、倒れない。打撃の激流に呑まれても尚、巳雷は溺れない。巨大さはそのまま強靭さに繋がる。星の精の攻撃力では巳雷の耐久力を突破出来ないのだ。
「ウー、アァアアアアア―――ッ!」
巳雷が鬱陶しそうに振るった腕が偶然に星の精の一体に当たる。フォーメーションが崩れたその隙間を抜き、巳雷が猛進する。伸ばした両手は刀矢を左右から捕える。
「ぐっ、あっ……!」
「刀矢!」
ギリギリと締め上げられる刀矢。握力は万力の如く。刀矢の細身など容易く握り潰せるだろう。
「させると思ったか!」
巳雷の背を流譜が叩き斬る。肩甲骨から腰まで斬られた巳雷が、痛みに耐えかねて刀矢を放す。
「ウァアアアアアア!」
「ちっ、堅いな……!」
刀矢を救った流譜はしかし、渋い顔をする。背中を斬られた巳雷だが、やはりダメージは大した事がない。流譜を睨む眼光は力強く、斬られた痛みなどまるで意に介していない。
「ウー……アウッ!」
巳雷が後方に大きく跳躍する。着地の際、ズシンと地面が揺れた。
「? 距離を取って何をする気だ……?」
「アアアアゥ!」
巳雷の口が大きく開く。口腔の奥から飛び出たのは舌だ。舌は五本に分かれ、蛇の如く伸びた。狙った先は流譜ではなく、地に伏している大海軍の死体達だ。舌は死体達を回収すると巳雷の口腔に詰め込んだ。そのまま咀嚼もせず死体を丸呑みにする。
変化は直後に起きた。巳雷の肉体が段階的に巨大化したのだ。三メートル程度だった身長が四メートルに伸び、五メートルを超えた。
「なっ……こいつ、死体を吸収しやがった……!」
「ウー!」
巳雷がアッパー気味に拳を振るう。今や刀矢達の身長は彼女の膝以下だ。上からの攻撃するのでない限り、当てるには下から掬うようにしなくてはならない。
流譜が拳を真正面から受ける。拳の威力は流譜の魔力放出を上回り、流譜は踏ん張り切れず殴り飛ばされた。
「流譜!」
「ウー、アー!」
飛んで行った流譜に追い打ちを掛ける為、巳雷が跳躍する。巨体を生かしたボディプレスだ。伸びた身長、広げた四肢は遠くまで届く。逃れる事は体勢を崩した今の流譜には厳しい。
「ルシア、フランシスコ、ジャシンタ!」
刀矢が星の精達の名を呼ぶ。応じた星の精が巳雷の四肢に触手を絡めた。一瞬だが、空中に停滞する巳雷。その間に流譜が巳雷の下から脱出する。直後、巳雷の重さに触手が耐えられず解け、巳雷が地面に落下した。
「刀矢、助かった!」
「いいさ。それより……」
刀矢が睨む先、巳雷が身を起こしていた。こちらに向けた表情はまるでケダモノだ。牙を剥き出しに敵意に満ちている。
「ウゥウウウー!」
「さっきから唸ってばっかりだな、こいつ。言葉が話せないのか?」
「そもそもの知性がないのかもしれないよ。ST機関の被験体なら珍しくもないさ」
「ウガー!」
巳雷が跳ぶ。両腕を伸ばし、刀矢達を叩き潰そうとする。
流譜が前へ出る。魔力が剣身へと集まる。構えは突きだ。
「『我が剣は竜の吐息』!」
流譜の剣から魔力の砲撃が迸る。魔力砲が直撃した巳雷の背後にはちょうど城があった。突き飛ばされた巳雷の巨体が壁を砕き、そのまま彼女は城内に叩き込まれる。
「やったか!?」
「そういう台詞を言うとやっていないフラグが立つんだよねえ」
警戒を解かず、巳雷が空けた穴を見詰める二人。とその時、
「ぎゃあっ!」「うわあっ!」「ひっ、助け」「やめろ」「こっちに来るな」「放せ」「嫌だ」「何故俺達も」「逃げろ」「わあああああっ!」「いやあああああっ!」「あああああっ!」「あぁああああああああああっ!」
「えっ、何……? 何が起きているんだ?」
城内から劈く悲鳴に戸惑う二人。やがて悲鳴が途絶え、城内が静かになったかと思った瞬間、
「ヴゥウウウウウ―――ッ!」
壁を更に砕いて、巳雷が姿を見せた。
でかい。先程の倍、一〇メートルに達しているだろうか。現れた巳雷は先程よりも更に巨大化していた。まだ城内に残っていた人間―――大海軍の兵士達やリゲル公国の貴族達を喰らって吸収したのだ。
「は……!?」
「ヴォオアアアアア―――ッ!」
巳雷が猛然と刀矢達を襲う。迫る様は雪崩の如く。
暴力的な重圧が二人へと圧し掛かった。




