セッション46 ゴーレム2
「はあ……甘い物でも食べたいですわ……」
同日、網帝寺亜理紗はそんな台詞を吐いていた。
彼女が今いる場所は朱無市庁。今日は朱無市と山岳連邦と二荒王国の三国で会合があった。亜理紗は父親でもある市長の秘書官の一人として会合に参加していたのだが、これがなかなかに重労働だった。
資料の用意や根回しもさる事ながら、緊張感が酷かった。実際の交渉は外交官が事前に行い、国家元首は既に内容が纏まったそれに調印・締結するだけなのだが、それでもお互いの国益が掛かっているのだ。締結までの駆け引き、元首同士のプレッシャーの掛け合いはまさに戦争だ。刃物を使っていないだけで、相手の喉元を掻き切らんとする殺気の応酬は殺し合いとそう変わらない。
本当に面倒だった。だが、大事な事だ。遠くない内にダーグアオン帝国大海軍と事を構える事になる。三国がバラバラでは勝てるものも勝てない。生き残る為には三国の結束が必要不可欠なのだ。
「……いえ、三国だけでも足りませんわね」
帝国は強大だ。彼らの侵略に抗う為には三国では足りない。もっと、もっと多くの国との連携を。理想は東日本全ての国家との同盟。帝国は関西地方を中心に支配しているが、西日本全てを掌握するのは時間の問題だろう。これに対抗するには東の総力で臨むしかない。
「だけど、難しいですわよね……未だに朱無市とは国交がない国もありますし……」
朱無市は貿易国家だ。その手は日本各地に及んでいる。しかし、その朱無市でさえも交流のない国はある。例えば、聖騎士の勢力にある国がそうだ。
聖騎士――三大勢力の一つであり、人類第一主義を掲げる一派だ。
人類を守護する名目の下、人外と邪神を徹底的に排除し、かつての世界のような人類だけの社会を構築する事を目的としている。それ故に三大勢力の中では最も規模が小さい。排他的である事は味方が少ないという事の裏返しだからだ。しかし、一方でその信仰心は強固な結束を作り上げた。今日まで聖騎士の勢力が潰れなかったのはその結束力こそが理由だ。
人間と人外が混在する朱無市のような魔導士の勢力は彼らにとっては嫌悪を通り越して憎悪の対象だ。余程の事がない限り、彼らは朱無市と協力などするまい。
頭が痛い。亜理紗がそう思った時だった。
「ん……亜理紗、どうしたの?」
亜理紗に一人の青年が話し掛けて来た。
「玄徒……いいえ、何でもありませんわ」
彼を見て、亜理紗はやや困ったように笑みを返した。
財玄徒。寄生生物である李斜涯が器としていた人間。
斜涯曰く、彼は何十年という間、斜涯の器にされて来たという。だが、眼前の彼の外見年齢はどう高めに見積もっても二十代前半だ。恐らく斜涯が魔術を使って若さを保っていたのだろう。他人を犠牲にして若さを得る外法を亜理紗も幾つか知っている。
尚、斜涯に乗っ取られていた間は彼の精神はほとんど眠っていたらしく、情緒面が退化しているらしい。退化というか未熟というか、表現するのが苦手のようだ。
「そう? ……でも、疲れてる顔してるよ?」
小首を傾げる玄徒にはまるで毒気がない。嗜虐趣味があった斜涯とは似ても似つかない。だが、彼は紛れもなくかつて斜涯が巣食っていた肉体なのだ。
刀矢は言っていた。
『流譜に調べて分かった事なんだけど、彼の頭の中には妖虫の卵が埋め込まれているそうだ。恐らく、斜涯が自分が死んだ時の保険として残していたものだろう。己の分身としてその卵を彼の体内に残しておいたんだ。人類の外科手術じゃ卵は取り除けなくて、無理に取り除こうとすれば彼が死んでしまうとの事だ』
いつ卵が孵化するか。それは誰にも分からない。
ならば、いっそ玄徒を殺してしまうべきか。卵が孵化する前に彼を殺してしまえば、彼が李斜涯として復活する事はない。
当然、その意見も出た。だが、それに異を唱えたのも刀矢だった。
『分身として残しておいたのなら、その卵には李斜涯の記憶が転写されていると考えて然るべきだよね。大海軍大佐としての帝国の機密情報がさ。だったら、それを利用しない手はないでしょ』
『卵はこのまま孵化させる。孵化した斜涯に情報を吐いて貰う。だけど、孵化した時、彼が敵では元も子もない』
『だから、亜理紗ちゃん。彼を頼む。財玄徒に情操教育を施してくれ。流譜にも彼に精神魔術を施して、妖虫を逆に支配する精神力を身に着けさせる心算だけど、まずは心の形だ。強化する前に形が決まってなきゃ意味がない。そして、それが出来るのは朱無市自警団では君だけだ』
――――以上が刀矢の言い分である。
その言い分に従って、亜理紗は今日まで大体の行動を玄徒と共にしているのだが、
「…………? 何、亜理紗? 平気……?」
「ええ、大丈夫ですわよ。……心配してくれたのですね、有り難う御座いますわ」
正直、孤児院に連れて行った方が情操教育に適していたと思う。
重要人物(兼危険人物)を手元に置いておきたいという刀矢の考えは理解出来るが、それにしたって高校生である自分に子育てを任せるのもどうなのか。朱無市自警団は基本若年者が多いとはいえ、大人もいない訳ではないのだし。
……確かに大人の幹部は今の自警団には一人もいないのだけれど。
こうして自分を心配してくれている以上、それなりに旨く行っていると思うのだが……果たして。
「亜理紗、お腹空いた」
「そうですわね。そろそろ間食に致しましょうか。給湯室に確かクッキーの買い置きがあった筈ですから、それを……」
「やー、亜理紗。元気?」
「え、先生?」
呼び止められて振り返る。
そこにいたのは亜理紗達が通う学校の担当教師・蓮田黄美だ。
「……先生、子育てって経験ありますの?」
「は? 何、いきなり。そりゃそろそろ婚期とかヤバイかな、なんて考え始めている年頃だけど、子供を持った経験なんて……ああ、そういう事?」
視界に玄徒を認めて、黄美は亜理紗が何を悩んでいるのかを大体察する。
「あんたも刀矢に大変なもの押し付けられちゃったわわねー」
「全くですわ。幾ら近くに置いておきたいからって、何もわたくしに預けなくても」
「まあ、そんだけあんたを信頼しているって事じゃないの?」
「信頼、ですの……」
そう言われると弱い。
亜理紗にとって刀矢は二年前、滅亡寸前だった自国を救ってくれた英雄だ。その彼に信頼されているとなれば、如何なる内容でも叶えたくなる。
とはいえ、限度はある。今回のこれは明らかに自分の手に余る事柄だ。
「そうね。先生の知識でいいなら教えてあげられるけど、でも、教師として子供に接するのと家族として子供に接するのは違うものだしね」
「いえ、まだ家族のつもりもないのですけれど……」
何せ玄徒とはまだ出会って一ヶ月と経っていない。そんな相手を家族と思うのは無理だ。それとも、それ位に考えていた方が彼の教育の為にもいいのだろうか。
「ま、とにかく私でいいならいつでも相談に乗るわよ。何だったら、この後で『彼女』にも訊いてもいいし。ねえ?」
「『彼女』……?」
黄美が指差した先には、一人の少女が立っていた。
ボサボサの赤髪に野暮ったい眼鏡の女の子だ。年齢は十に届くか届かないかという程で、どう高く見積もっても來霧や菖蒲よりも幼い。白衣を羽織っているのだが、その低身長のせいで裾が完全に地面を引き摺っていた。
「きみ、だぁれ?」
玄徒が少女に話し掛ける。容姿が幼いという事で警戒心を忘れたのだろう。だが、
「んん? アタシの名前を聞いたのかィ、『坊主』?」
少女は玄徒を『坊主』と呼んだ。少女とは見た目十歳は離れていそうな玄徒をだ。
亜理紗はこの少女――否、この女性を知っていた。
「貴女は……!?」
「応、久し振りだなァ、亜理紗。相変わらず辛気臭そうな顔してんなァ。もっと肩の力を抜けって前にも言ったじゃねえかィ」
少女が亜理紗に気さくに挨拶する。
彼女の名は三護木乃木。
彼女こそはミスカトニック極東大学附属高校の保健医であり、
朱無市自警団の四番隊長を務めていた頼姫の先代であり、
自警団幹部の中では唯一の大人であり、
――――正真正銘の人外である。




