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セッション42 黄衣の騎士4

 百倍の重力下の世界。

 それは、人間であれば縦になったトラックに圧し潰されるに等しいか。人間より遥かに重い建物であれば自重を支えられず倒壊するだろう。軽い雲すらも地面に墜落する。ただの一つの例外もなく、重量あるもの全てが崩壊する。絶対的荒廃の領域だ。

 そんな地獄の環境下で、立ち続ける二人がいた。

 一人は地獄を作った張本人・李斜涯。

 魔神盾の装備者として、彼だけは加重力の影響を受けない。

 もう一人は、

「ほお……」

 斜涯が感嘆の念を漏らす。

 斜涯の前には黒髪の少女――流譜が仁王立ちをしていた。歯を食い縛り、重力に抗っていた。

 流譜の全身から立ち昇っているのは魔力だ。加重力は魔術によるものである。魔術は魔力で形成されているものであり、膨大な魔力で魔力を吹き飛ばされれば、魔術は効力を失う。膨大な魔力放出を行う流譜だから可能な抵抗だ。

 だが、それだけでは斜涯の加重力に対抗出来ない。

「る、流譜……っ!」

 彼女の足元には刀矢が伏していた。先程、刀矢に分けられた『魔人血』――それが、彼女に力を与えた。加重力に潰されそうになる彼に跨り、庇うだけの力を与えたのだ。

 だが、そこまでだ。流譜は抗うだけで身動きが取れない。何しろ、本来は二人で一〇トン近い重みを受ける所を強引に耐えているのだ。磔にされた蝶のようなものだ。今なら何をされても避ける事は出来ない。

「とはいえ、だ」

 とはいえ、今の流譜に対して何が出来るのか。下手に近付けば、彼女に掛けている加重力を自分も喰らう事になる。ならば、投擲武器で攻撃すればいいかと言うと、そうでもない。生半可な攻撃では迸る彼女の魔力に弾かれてしまう。

 愛用の槍が無事であればこれを投擲出来たのだが、刀矢に折られてしまった。これでは碌にダメージを与えられまい。

 このまま加重力を続け、流譜の持久力が切れるのを待つのもいいか、と斜涯は嗜虐の笑みを浮かべる。獲物に止めを刺す前に甚振る悪癖が斜涯にはあった。加重力に耐え切れず、守りたかった者と共に潰れる様はさぞ絶望的な事だろう。

「しかし、それも趣向が足りないか。ならば、こうしよう。逆に重さから解放してやろうじゃないか、小娘」

「…………何?」

 斜涯が右手を伸ばし、指をパチンと鳴らす。

「――――反重力!」

 瞬間、天地が引っ繰り返った。

「なっ、わあああああ――――!」

 刀矢と流譜に掛かる重力が下ではなく上へと反転し、二人の身体が空へと落下(・・)していく。手足をばたつかせても掴めるものは何もない。空中の真っ只中だ。何も出来ないまま、ただ蒼空へと吸い込まれる。

 十メートル、数十メートル、数百メートルと上昇(らっか)していき、高度二〇〇〇メートルを超えた所で一瞬止まる。遠すぎて斜涯の魔術が届かない距離にまで到達したのだ。異常な重力が失われ、本来の重力が戻って来る。つまり、二人の身体が二〇〇〇メートル地点から地上へと落下する事になる。

「わあ、あああああ――――!」

「ぎゃはははは、はははははははははは! どうだ、手も足も出ないだろ! その高さから落ちりゃ即死だなあ! 落ちている間がお前らの残された人生だ、嚙み締めろ!」

 遠すぎて聞こえていないと知りながら斜涯が哄笑する。

 もはや手を下すまでもない。高度二〇〇〇メートルと言うのは人類に耐えられる高さではない。スカイツリーでさえ高さ六三四メートルしかないのだ。放っておけば、二人は勝手に死ぬ。自分はここで高みの見物ならぬ低みの見物をしていればいい。楽な決着だ。

「おい、刀矢! どうすればいい、どうにかならんかコレ!」

「どっ、どうにかって……どうすればいいんだよ、こんなの!」

 二人して空中で喚くが、どうにもならない。刀矢も流譜も飛行能力は持っていないのだ。落下を喰い止める術はない以上、近付く地面に対して何も出来ない。そうこうしている内に落下速度は段階的に増していっている。

「魔力放出はどうだ!? それで飛べない!?」

「無理だ! 私の魔力放出に空中を浮遊出来る程の出力はない! 一瞬浮くだけならともかく、地上に着くまで放出し続ける魔力量はないぞ!」

「なら、地面との激突時に放出するのは!?」

「激突時の衝撃を全て殺せる訳じゃない! 盾を装備して地面にぶつかるようなものだ! 盾を持っている手がどうなるか、想像に難くない!」

 それに、

「その方法だとお前は助からないだろう! 魔力放出は私だけが出来るのだ! 出来ないお前は――――」

 ――――地面に激突して死ぬ。

 その言葉を口にする前に刀矢は言った。

「それでも、何とか生き残る見込みはあるんだろう! 手足の一本や二本失うかもしれないけど……! だったら、君だけでも――――!」

「出来るか、馬鹿者!」

 ギリッと流譜が奥歯を噛む。

「斜涯が星の精を反重力に巻き込まなかった理由がこれか……!」

 星の精は普段から空中を浮遊して移動している。星の精が共にここにいれば、刀矢を掴み止め、救う事が出来た筈だ。それを見越して、斜涯は星の精を加重力で大地に縛り付けたままにしておいたのだ。

「くそぉ……!」

 無力感が悔しさとなって胸を掻き毟る。恐らく地上数十メートルにまで近付けば、悔しさが絶望に変わるだろう。

 絶対の死――それを前にして何も出来ずにただ落下するだけ。

 その現実に二人が歯噛みした、その時だった。

「あ……?」

 最初にそれを見付けたのは斜涯だった。

 議事堂の方から何かが飛んで来る。巨大な鳥かと思ったが、違う。それは頭と胸と胴体が節で分かれていた。まるで蜂だ。だが、蜂ではない。その背には翅ではなく、蝙蝠の如き翼が広がっている。

 それは空中を真っ直ぐに飛んでいた。向かう先にいるのは刀矢達だ。刀矢達も自分達に近付くその存在に気付く。

 そして、その背に乗っている人物にも。

「待たせた、であります」

「セラちゃん!?」

 魔術師セラ・シュリュズベリィがそこにいた。

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