セッション38 妖虫の皇太子5
廊下を進むと、広い場所に出た。
ここは議事堂の玄関ホールだ。入口からは左右対称に二つの階段が並び、床には大理石と赤の絨毯が敷かれている。
「刀矢さん、流譜さん!」
前方から声が近寄って来た。
見れば、入口からこちらに栄穂が走って来ていた。彼女は斜涯に操られた空亜によって浚われた筈だが、ここにいるという事は斜涯から逃げて来たのだろうか。
「……そんな訳ないよね」
「ああ。そんな訳がない」
「避けて下さ~い!」
栄穂が腰から抜刀を放つ。それを流譜は持ち前の反射神経で、刀矢は星の精に引っ張られて回避した。
初断ちを躱された栄穂は、しかしそこで諦めず再度刀を振った。逆袈裟の一閃は流譜の狙うが、流譜はそれを剣で受け止める。そのまま刀を弾こうとした流譜だったが、それよりも先に栄穂が刀を引き、三度刃を振るった。
「斬ります、斬りますと幾度となく言っていたが……とうとう本気で辻斬りを始めたか」
「ち、違うんです! 体が勝手に動いて……!」
栄穂の顔に嘘はない。しかし、その両手は確かに力を込めて刀を振り続けており、一切の手加減はない。彼女の発言通り、意志に反して勝手に動いているかのようだ。
「これも斜涯の催眠術か」
行動の強制といった所か。意志を奪わず、しかし肉体に命令を実行させる。対象の意識が残っている分、無理矢理動かされる対象の苦しむ事になる為、より性質が悪い。
「敵性認識……命令実行。攻撃……攻撃……」
栄穂に続き、入口に空亜が現れた。先日の和鎧ではなく、他の連邦軍兵士と同様、立襟と袖無しのマントに身を包んでいる。立襟は連邦軍の制服であり、連邦軍中尉である彼が着ているのは何ら不思議ではない。問題は和鎧の方だ。
「何で前は和鎧着てたんだよ、あいつ」
「あれが彼の勝負服でして。あれを着ていると気合が入るのだとか」
「和鎧が勝負服って……戦国武将ですらそんな真似しないだろうに」
今日は、クーデター直前までは怪しまれないように普段通りの兵士を装う必要があった為、和鎧を着るのを諦めたのだとか。いや、それよりもだ。
「『暗夜行路』を持っていないね……」
空亜は魔神盾『暗夜行路』を装備していた。だが、今の彼は盾を持っていない。武器は腰に帯びた刀だけだ。あの強力な魔術兵装を一体どこにやってしまったのか。
「あ、あの盾は斜涯が奪って行きました!」
「斜涯が? くそ、あいつの手に大量破壊兵器があるのか……!」
厄介な事になった、と刀矢が唇を嚙む。
厄介なのはそれだけではない。
「敵性認識……命令実行。攻撃……攻撃……」
彼は虚ろな瞳でぶつぶつと同じ言葉を繰り返していた。どう見ても正気の様ではない。議場での一件から今に至るまで、変わらず斜涯の操り人形となっているのは明白だった。
「意識の機械化――機械の意識か。全く、次から次へとバリエーションが豊富な事だね」
「……どうする、刀矢? 結構面倒だぞ、こいつら」
栄穂の斬撃を防ぎながら流譜が問う。
栄穂は決して鍔迫り合いを仕掛けなかった。剣と刀では戦い方が異なる。剣は重さで『叩く』が、刀は鋭さで『引く』事で相手を斬る。故に切れ味では当然刀が上回るが、耐久性では剣が上回る。魔力で強化された流譜の剣なら尚更だ。栄穂はそれを知っていた。
流譜に斬り掛かり、防がれたり躱されたりしたら拮抗せずすぐさま刃を引く。決して力押しをせず、相手にも力尽くで通せるような場面を作らせない。ヒットアンドアウェイを徹底した戦術だ。
「大したものだ。どこでその剣術を習った?」
「叔父から。斬りたい斬りたいと言っていたらいつの間にかこんな……」
「やだこの娘こわい」
口癖のように『斬る』と言っていたが、よもやここまでとは。
とにかく、栄穂は敵としては厄介だ。実力もあるし、山岳連邦議会における朱無市の味方でもある為、殺す訳にはいかない。空亜の実力も先日のセラとの戦いで実証済みだ。
「倒すには時間が掛かる。その間に斜涯に逃げられたら事だぞ」
「逃げられるだけならまだマシだね。僕達が奴を見失っている隙に、議事堂内に戻って議員達を襲撃するかもしれない。そうなったら、僕達の敗けだ」
「ならば、尚の事どうする?」
流譜の問いに刀矢は少し考える。
だが、考えた所でいい案は出なかった。ここには刀矢と流譜の二人しかいない。栄穂と空亜から逃げる事は出来ない。仮に栄穂達を無視して斜涯を追ったとしても、二人は刀矢達を追って来るだろう。そうなれば、斜涯と栄穂達に挟み撃ちされる形になる。
せめてもう一人いれば……そう思うが、しかし、ないものねだりをしていても仕方ない。
「……突破するしかない。行くぞ!」
「――――待つであります!」
どうせ戦うなら速攻で片付けるべきだ。そう結論し、戦おうとした刀矢に待ったの声を掛ける者が現れた。この特徴的な語尾を使う人間を刀矢は一人しか知らない。
「セラ・シュリュズベリィ……!」
栄穂が彼女の名を口にする。宙を滑空し、セラが刀矢と栄穂の間に割って入る。その瞳はもう虚ろではない。斜涯に洗脳されていない状態だという事だ。
「……もう動けるのかい?」
「ええ。あの程度の傷、手持ちの治癒魔術でどうにでも出来るであります」
彼女は刀矢の前に立つと、その場に跪いた。
「……申し訳ないであります。敵にまんまと操られ、貴方以外を主と呼ぶなどと……このような屈辱はないであります」
「ふははは、間抜けめ! 鍛え方が足りんのだ、精神のな! 私を見ろ、何ともないぞ!」
「……今、過去最高の屈辱を味わったであります」
「流譜……ここ、真面目な話してるんだから」
刀矢が流譜を黙らす。
「如何なる罰をも受けるであります。自害しろと命ずるならば今すぐにでも。……しかし」
「そうだ。今はそれよりも優先すべき事がある。なら、僕が何を命令するかは分かるね?」
「主達を足止めに現れた彼らの足止めでありますね」
セラが身を起こし、栄穂へと向く。
「そうだ。僕達は斜涯を追う。君は、彼らが僕達を追うのをここで喰い止めろ」
「了解であります!」
セラが両手の拳銃を構える。
本音を言えば、自分が斜涯を撃ち殺したい。主を偽称し、自分と刀矢を戦わせたあの男に雪辱を晴らしたい。だが、それは刀矢の役割だ。ならば、自分の役割は刀矢の障害となるものを彼に近付かせない事。少なくとも、この二人を無力化するまでは自分が斜涯を追う事は出来ない。
あるいは、この忸怩たる気分こそが自分に与えられた罰か。セラはそう思った。
……この二人を早々に排除すれば、自分、斜涯を追えるでありますかね?
「こいつら、殺しても構わないでありますか?」
「えっ」
さらりとセラが殺害許可を欲し、栄穂が衝撃に固まった。
「いやいやいやいや、駄目だからね! 大事な同盟相手なんだから生かしといてよ! 今の所、山岳連邦で同盟組んでくれそうなの彼女しかいないんだから!」
「了解しました。……全力を尽くすであります」
「あ、これ駄目な奴ですね……」
日本語における『全力を尽くす』は『いいえ』と同義である。何しろ、『全力は出すが結果を出すとは言っていない』と言い訳する事が出来るからだ。
「よし。じゃあ、後はよろしく!」
「ああ、待って! 行かないで下さい!」
栄穂の声は逃げるように去る刀矢には届かない。
セラに阻まれ、栄穂は刀矢と流譜の背を見送った。
◇
刀矢と流譜が議事堂の外へ出る。議事堂の正面は庭となっており、小さな艦なら一隻置ける程に面積が広い。庭には芝生が敷かれ、花壇と噴水が並んでいる。一国の政治的施設として誇れる景観だ。
「……斜涯?」
そこに斜涯が転がっていた。
「いや……こいつ、議員の一人か。赤城って言ったっけ」
斜涯が乗っ取っていた議員の名前が確か赤城だった筈だ。その赤城が無造作に地面に転がされていた。近付いて確認してみると、息はしていた。単に気絶しているだけだろう。
「なんでこいつがここに転がっているのだ?」
「……要らなくなったからじゃないか? なんで要らなくなったのかまでははっきり分からないけど」
「――――そりゃ、もっといい器があったからだな」
割って入ってきた声に振り向く。そこにいたのは見知らぬ人物だった。
黒髪黒眼のアジア系の青年だ。チャイナ服の下には細身ながら引き締まった体格が伺える。手には三メートルを超える長槍を携え、背中には空亜から奪った魔神盾を背負っていた。目付きは鋭く、刀矢達への敵意と殺意を隠そうともしていない。
「貴様……斜涯か?」
「御明察」
青年――斜涯が肯定する。
「操り人形ならぬ操り人間ショーは如何でしたでしょうか? お楽しみ頂ければ幸いなのですが。折角だからって色んなパターンを見せてやったんだぜ。ぎゃははははは!」
「悪趣味め」
流譜が毒づくが、それさえも斜涯は愉快そうに嗤った。
「性懲りもなく、寄生虫め。一体何人を盾にするつもりだ?」
「心配しなくてもこいつが最後さ。というか、最初だ。この人間こそがこの李斜涯が普段から愛用している肉体だからな。ここまで寄生して来たその辺の人間共よりもよっぽど使い慣れている」
そう宣言した斜涯は剃刀のような笑みを浮かべた。余程その強さに自信があるらしい。
「どうだかね。まあいい。そいつで最後にして貰いたいのはこちらも同じだ」
そんな斜涯を刀矢は睨め付け、
「ここで捕らえさせて貰うよ、李斜涯」
斜涯は刀矢を嗤った。
「やってみ。出来るもんならなぁ!」
刀矢が星の精を嗾け、流譜が剣を掲げて突撃する。
ここに、山岳連邦を巡る決戦の火蓋が切られた。




