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セッション34 妖虫の皇太子1

 一面の緑が見渡す限り広がっている。

 葉がざわめいたかと思うと、木々の間から何十羽という鳥が飛び立った。鳥を追って巨大な何かが木々から突き立った。爬虫類の顎に似たそれは一口で数匹の鳥を呑み込むと、全体像を露にした。蛇だ。翼を生やした大蛇が森の上を飛んでいた。

 ここは鶴右の森。旧埼玉県と旧群馬県との間に広がる大森林だ。

 大蛇は喰らった鳥を咀嚼すると再び森の中へと消えていった。その光景を上空――航空船の甲板から刀矢が見下ろしていた。

「……今、海上で鯨を見掛けた気分なんだけど、どう思う?」

「『忌まわしき狩人』を鯨と同列に扱うとは、神話世界ここに極まれりという感じでありますね」

 化け物も随分身近になったものであります、とセラは嘆息する。

 現在、刀矢達は山岳連邦の客船『雲海』で山岳連邦へと向かっている。朱無市自警団の幹部で来ているメンバーは刀矢、流譜、セラ、來霧の四人だ。亜理紗、アリエッタ、ギルバートは朱無市で留守番をしている。先月、幹部全員が朱無市を出払った隙を突いて襲撃されたので、今回は用心した結果だ。

「亜理紗殿達は大丈夫でしょうか。向こう、近接戦闘が出来る者が一人もいないのでありますが」

「さてね。まあ他の団員達も残しておいたし、大丈夫だと信じるしかないね。僕達は僕達に出来る事をするだけさ」

 セラとは逆に刀矢は特に心配していなかった。

 指揮官の亜理紗、遠距離攻撃が得意なアリエッタ、防衛線特化のギルバートとむしろ守りにおいてはこれ以上ない布陣だ。この布陣が突破されるような事態があれば、自分達が残っていたとしても結果は大して変わるまい。

「刀矢ー! 蛇がいたぞ、蛇! デカくて食いでがありそうだな。捕まえるぞ、船をバックさせろ!」

「船がバック出来るかであります。無茶言うな」

「流譜先輩、あまり船員さん達を困らせちゃ駄目だよ!」

「ていうか、大蛇って食えるのかな……?」

 大蛇を見た事で流譜がはしゃいでいたが、すぐに飽きたのか「探検してくる!」と言って船内に入っていった。彼女を心配――主に彼女によって引き起こされるトラブルについての心配――した來霧が追う。どちらが年上か分からない状態だった。

 刀矢とセラはそれを微笑ましさ二割・呆れ八割で見送り、甲板に残った。

「しかし、黄美先生の知り合いが山岳連邦にいたとは思わなかったね」

 刀矢は部屋に置いてきた荷物の中に手紙が入っていた事を思い出す。彼らの担任教師である蓮田黄美から渡されたものだ。

 山岳連邦に行くからしばらく欠席する旨を伝えた際、彼女から『あんた達ねえ、また学業をおろそかにして……。そりゃ自警団としての活動ならある程度単位は貰えるけど、そんなんで進級出来るか心配よ、教師としては。まあ、それはそれとして。折角山岳連邦に行くんなら頼まれて欲しい事あるんだけど』と言われて手渡されたものだ。山岳連邦にいる旧友に渡して欲しいのだという。

佐堂寓意(さどうぐうい)に渡してくれって言ってたけど……佐堂って誰だか知ってる? セラちゃん」

「知っている事を聞かないで欲しいであります。……問われたらには答えますが。

 佐堂寓意。山岳連邦軍大将にして、『人喰い』の異名を持つ歴戦の兵士であります。対神大戦ではあちこちの戦場で活躍していたそうで、その能力と戦果をもって現在の地位に就いたと聞いているであります。同時に、浅間栄穂殿の叔父でもあるとの事で、連邦側で今作戦を知っている数少ない人物でありますね」

 セラの回答に刀矢が頷く。

 ちなみに、造田空亜の地位は連邦軍中尉だ。彼は栄穂の幼馴染である故、そのコネもあるのだろうが、それでもあの若さでかなりの高地位にいる事になる。

「そう、結構凄い人物なんだよねえ、佐堂寓意って男は。そんなのが旧友なんて、黄美先生も大概謎だよね」

「あの御仁も経歴不詳な所があるでありますから」

 蓮田黄美。私立ミスカトニック極東大学付属高校教師兼市立警察官。教師として生徒に勉学を授ける傍ら、市内の治安維持を務めている。戦闘力は刀矢の見識では、朱無市でも最強に位置するのではないかと思われる女傑だ。

 数年前――刀矢達が朱無市に来るよりも前から朱無市で教師をやっているが、それ以前の経歴は不明。他の教師や警察官の同僚に聞いても知っている者はいないという。信用に足る人物ではあるが、ミステリアスが拭えない人間でもある。

「で、そんな黄美先生からプレゼントされたそれ、何なんだい? セラちゃん」

「この黄衣の事でありますか」

 セラは普段黒のコートを身に纏っている。しかし、現在彼女が身に付けているのは黄色のコートだ。手紙とは別に黄美から渡されたものである。

「黄色は邪神ハスターを象徴する色であります。自分はハスターを信仰している故、このコートを着る事でより加護を得られるだろうと頂いたであります」

「加護って……具体的には?」

「POWがAからA+になる感じであります」

「……ゲーム的な説明ありがとう」

 とりあえず強くなる事だけは理解した刀矢だった。

 なお、POWとは魔術の威力を定めるパラメーターである。

「刀矢さん、セラさん」

 甲板に栄穂が上がってきた。

「そろそろ山岳連邦に到着しますよ。ほら、あれが連邦議事堂です」

 栄穂に促された方角を見る。森林が途絶えた先、荒涼とした大地に栄える街の上にそれはあった。

 建物だ。赤煉瓦を積み重ねて出来た、大正浪漫溢れる館が宙に浮いていた。支えの柱や気球といったものは見当たらない。館だけが小島ごと重力から解放され、空中の真っ只中に静止していた。

「へえ、あれが連邦名物の浮遊島――『天空議事堂』か」

「そうで御座る。この航空船と同様、重力操作魔術によって浮いているので御座る」

 栄穂の後を付いてきた空亜が自慢げに言う。

「凄いけどさ、あれだけデカいと浮かすのに掛かるコストも馬鹿にならないんじゃないの? 魔力(ぜいきん)が勿体ないって民衆に怒られないか?」

「心配御無用。議事堂が浮いているのは会議の間だけで御座る。普段は他の建造物と同様、大地にあるで御座るよ」

「会議中はテロリストや敵対国家からのスパイを防ぐ為、地面から切り離して侵入を防いでいるんですよ。入場するには航空船でないと近付けないようにしているんです。逆に侵入者がいた場合には、浮遊し続ける事で逃げ場のない狩り場になります」

「成程。贅沢だが、勿体なくはないね」

 朱無市では真似出来そうにないのが残念だが。やはり地の邪神(ツァトゥグァ)のお膝元ならではの文化か。

「接岸したら船は離れます。以後は会議終了まで船は来ませんので、御注意下さい」

「アイアイサー。それじゃあそれぞれ配置に就こうか。――流譜!」

 刀矢が流譜の名を呼ぶ。いつの間にか甲板に戻ってきていた流譜は『浮遊議事堂』を指差し、

「任務開始!」

 団長として命令を下した。




「我が主、わざわざ流譜殿に命令させるんでありますね」

「たまには団長らしい事をさせないとね。拗ねるから」

「面倒な上司もいたものであります」

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