セッション29 生ける火器3
戦いの最中、セラは内心で下唇を噛んだ。
セラの両手から銃声が響く。右手から二発、左手から一発だ。右手の『王様の魔銃』からは風の刃を纏った弾丸が、左手の『火霊の妖銃』からは炎熱を伴った弾丸が飛び出る。いずれの弾丸も一発で戦闘機をへし折る破壊力を持っている。三つの魔弾はセラの正確な狙いにより、空亜を完璧に捉えていた。
「加重力――――!」
空亜の全方位を囲む形で魔力の壁が出現する。高さ二メートル程度の壁だ。魔弾が魔力の壁に触れた直後、魔弾が垂直に落下する。弾丸が装っていた火も風も大地に縛り付けられ、空亜には届かない。
「はあっ!」
魔弾を退けた空亜はセラに接敵し、握った日本刀を左肩から斜めに斬り下ろす。セラはサイドステップで回避し、距離を取ると同時に文字通りの弾幕を空亜に浴びせる。だが、やはり彼には魔弾は届かない。全弾が墜落し、地面を削るだけに終わる。
「せやああああっ!」
反撃は即座に来た。魔力の壁を消し、投げた独楽のように身を回して空亜が放った斬撃は、セラが攻撃し終えた直後を狙ったものだった。セラは後方に飛んで回避するが、僅かに遅れ、右の脇腹付近の衣服が千切れた。
着地したセラと空亜が睨み合う。
「なかなか斬り合いをさせて貰えないで御座るな。もう少し正々堂々と勝負して頂きたいもので御座るが」
「馬鹿でありますか。相手の得物が見えていないでありますか? 銃使いが剣士相手に接近戦を挑む訳がないであります」
言いながらセラは右の脇腹をさする。今のは危なかった。ほんの少しでも回避が遅れていたら腹を裂かれていただろう。それを避けられたのは、偏にこれまで積み重ねて来た戦闘経験から来る察知能力があったからだ。
動揺を悟らさせまいと脇腹から手を離したセラは改めて敵を観察する。
「……山岳連邦と先程言ったでありますね。であらば、そちらはツァトゥグァの信者でありますか?」
邪神ツァトゥグァ。
地底の領域――暗黒世界ンカイに棲まう神であり、蝙蝠に似た頭部にナマケモノに似た胴体、蟇蛙に似たシルエットを持つ。性格は極めて怠惰で、満腹であれば生贄が目の前にいても見逃し、空腹であっても睡眠欲を優先するとされる。
司る属性は地。鉱石を加工したり重力を操作したりといった大地に関連した魔術を専門としている。昨今流通の主役となっている航空艦はこの神の加護によって浮いている。
「御明察。如何にも拙者はツァトゥグァ様の信者に御座る」
「ならば、自分の銃弾を落としたのは重力でありますか。――恐らくは、その左手にあるもの。それが起こしているでありますね?」
「ますます御明察。流石、朱無市自警団の隊長は目が届くで御座るな」
空亜の左腕は盾を一つ装着していた。和鎧を纏った彼には不似合いの西洋盾だ。
「見ればすぐ分かるであります。その鎧にその盾はあまりに目立ち過ぎるであります故。わざわざ装備しているのなら理由がある筈と思うのは自然でありましょう」
「おお、そうで御座ったか。拙者、その発想には至らなかったで御座るな」
「…………」
冗談か、それとも本気でその程度の発想がなかったのか。
相手の発言に判別が付かずセラが何とも言えない表情をした。
「魔神盾『暗夜行路』――重力率操作の究極で御座る。よしなに」
「魔神盾……?」
どこかで聞き覚えのある名前だ。全く同じではなく、似た何かだったと思うのだが……どこだったか。
それよりも、やはり魔弾の落下は重力によるものだったか。先程空亜が展開していた魔力の壁、あの壁に触れたものは重力が加算されるのだろう。恐らくは何倍……いや、何十倍だろうか。一気に重さを増した魔弾は推進力を保てなくなり、地面に落下したのだ。炎も風も重力に捕らわれ、地面に磔にされた。
となれば、相手に迂闊に接近するのも厳禁だ。あの魔力の壁に触れたら最後、倍加した重力に捕らえられ、身動きが取れなくなる。そうなったら、後はいいように攻撃されるだけだ。
しかし、重力率操作の魔術道具はまだ小型化には成功していない筈だ。航空艦のような巨大なものでなければ搭載出来ない程、重力率操作の術式機械は嵩張るのが現状だ。それが盾一枚で済むとは、一体あの盾は何なのか。
「せいっやぁ――――!」
空亜がセラに突きを繰り出す。セラは魔弾でそれを押し返そうとするが、やはり当たらない。魔弾が空亜に到達するよりも前に重力に叩き落とされる。
刀がセラに貫く寸前、セラが地を――否、風を思い切り踏み付ける。魔風は強烈な力でセラの身体を高く飛ばした。相手に逃げられた刀は虚空を貫く。
「重力は上から下へと働くもの……ならば、真上からの攻撃ならどうでありますか……!?」
空亜の直上からセラが弾丸の雨を降らす。重力というものは本来、大地に向かって働く力だ。元より下向きに進む攻撃に重力を加えてもその動きを加速させるだけで意味はない、むしろ不利になるだけと考えての事だった。だが、
「反重力――――!」
空亜を頭上に魔力の傘が出現する。下に向かっていた弾丸が傘に触れた途端、上へと跳ね上がった。上空にいたセラの肢体を弾丸が掠め、血の花を咲かす。
反重力――本来の向きとは反転した重力。傘に触れた弾丸は逆向きの重力に導かれ、弾丸の推進力をも上回って空へと落下したのだ。
血の糸を引きながら着地するセラ。それよりも早く、
「減重力――――!」
空亜が先程までとは段違いの速度でセラに接敵した。自身に掛かる重力を減らし、身軽になった事で機動力を増したのだ。着地の直前を狙われたセラは碌に回避も出来ず、鋭い斬撃が胸部に吸い込まれる。
「ぐっ……!」
「――――!」
だが、そのまま斬撃を貰う程セラも甘くない。斬られる寸前、刀を右手の銃口で受け止め、発砲した。風の魔弾が炸裂し、刀を弾き返す。手放しこそはしなかったが、刀に釣られて空亜は姿勢を崩した。その隙にセラは風を足場に跳躍し、距離を作った。
「今のは仕留めたと思ったで御座ったが……流石は音に聞こえた自警団隊長殿、見事で御座るな」
「…………どうも」
空亜に誉められたが、敵に誉められた所でセラは嬉しくない。彼女の頭の中は、目の前の彼をどうやって撃破するかでいっぱいだった。
加重力、減重力、反重力。三つの重力操作を使いこなすこの男は、間違いなく強敵だ。
だが、一方で隙がない訳ではない。先程、減重力で彼に近付かれた時、セラの身体が重くなる事はなかった。つまり、彼は減重力と加重力を同時に発動する事は出来ない。思えば、先程脇腹を斬られた時も空亜は加重力を解除していた。移動中も発動出来ないと考えていいだろう。ならば、そこを突けば勝機が見える。
勝機があるなら躊躇なく突っ込む。それがセラ・シュリュズベリィの戦い方だ。
「征くであります――!」
「…………!」
セラがコートの裏から、先刻購入した手榴弾を取り出す。ピンを外したそれを空亜に向かって投げると、左の拳銃で撃ち抜いた。衝撃と熱で手榴弾が爆発し、爆風と爆音が広がる。
しかし、手榴弾でさえも空亜を傷付ける事は出来ない。爆発による炎熱も破片も加重力によって地面に押さえ付けられる。空亜に触れる事はない。その一方で、爆発で視界が遮られる事までは防げなかった。おかげでセラの姿を見失ってしまった。彼女が何を仕掛けてくるかが読めない。
ふと、空亜は頭上に影が落ちている事に気付いた。影はぐんぐん大きくなっていく。見上げると、そこには、
「ビヤーキー!?」
そこには、蜂に似たシルエットの巨大なクリーチャーが迫っていた。鋭い牙が並んだ口を大きく開けて、空亜へと急降下してくる。空亜を攻撃してくるという事は、このクリーチャーはセラの下僕か。
「反重りょ――――ッ!?」
反重力でビヤーキーを弾き返そうとした空亜は、そこで気付く。晴れていく煙の中、己の背後でセラが右手の拳銃をこちらに向けて構えているのを。
このまま反重力でビヤーキーを迎撃したら、その隙を突かれてセラに銃撃される。反重力と加重力の同時展開は出来ないのだ。加重力がなければセラの銃撃は防げない。かといって、加重力で銃撃に備えれば、今度はビヤーキーに噛み付かれる。
ならば、どうする。悩むのを許される時間は一瞬。その一瞬の間に空亜は答えを出して、実行した。
「減重力――――!」
空亜は自身の重量を減少させ、加速する道を選択した。
加速した身のこなしでビヤーキーの顎を空亜は寸での所で躱す。ガチンッ、と牙が合わさる音が空亜の耳元で聞こえたが、彼はそれを無視してセラへと突撃する。その時、セラは既に引き金を引いた後だった。
放たれた風の魔弾を空亜はどう対処するつもりなのか。既にビヤーキーの攻撃を回避した直後だ、連続しての回避は出来ない。よもやその刀で斬り落とす気か。いずれにせよ、油断はならない。次弾を狙うセラの指に力がこもる。
視線と視線、魔弾と刀が交錯する。そして――――
「そこまでだ、馬鹿共――――!」
二人の間に何者かが割って入った。その者は左手から魔力を放出すると、なんとそのまま魔弾を素手で受け止めた。魔弾は膨大な魔力量に完全に殺され、掌の中に納まった。続いて、右手に持った剣で空亜の刀を防ぐ。
突然の乱入者に空亜は驚くが、セラはこの乱入者が誰なのか知っていた。
「流譜殿……!」
そこにいたのはセラの上官――朱無市自警団長・九頭竜流譜だった。




