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剣と魔法のクトゥルフ神話で現代譚  作者: ナイカナ・S・ガシャンナ
第一章 THE CALL OF CTHULHU
27/65

セッション25 THE CALL OF CTHULHU8

「ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ、はぁっ……ううっ、クソ……!」

「レディがクソとか言っちゃ駄目だよ、頼姫ちゃん」

 刀矢の腕の中、頼姫が離れようと抵抗するが、限界寸前の体力では叶わない。『赤鬼』も解除され、普段の彼女の姿に戻っている。受けたダメージの蓄積はもはや自力で立つ事すら難しい状態にまで彼女を追い詰めていた。

「どうして……邪神の瘴気が効かないんですか……? POWがゼロになっているなら自律を保てる筈がないのに……!」

「いいや、きちんと効いてるさ。僕が自律して動いているように見えるのは、それとは別の理由があるからさ」

「…………?」

 などと言われても頼姫には何故刀矢が無事でいられるのか理解出来ない。が、刀矢の方はこれ以上説明する気もないらしく、話を進めた。

「いいかい、頼姫ちゃん。――――僕は、絶対に君を許さない」

「――――っ!」

 ビクン、と刀矢の言葉に頼姫の肩が震える。

「だから、簡単に殺しはしない。君が奪ったもの、君が傷つけたもの……その全てを返して貰うまで君を死なせはしない。いいかい、頼姫ちゃん。君は――僕はいいと言うまで死ぬ事すらも許さない」

 楽になんかしてやらない、と彼は言う。

「まずは……そうだね、服従を誓ってもらおうか。魚鱗の軍勢ごと僕達朱無市自警団の傘下に加われ。君がリーダーとなって君が奪った自警団の軍事力を補填しろ。次は、君には自警団に戻ってきて貰って、SAN値回復ドリンク剤を始めとした様々な回復薬を作って貰う。当然、隊長としてはクビだし、監視は付けるけどね。それから後は……」

 一息、

「房総半島の領土を貰おうか」

 刹那、場の空気が停止した。房総半島――旧千葉県を頂くという刀矢の言葉の意味を、真意を理解するのに時間が掛かった為だ。

「僕はね、ダーグアオン帝国の脅威に怯えて毎夜を過ごすのはもう御免なんだよ。僕達が安心して眠る為には、この列島から奴らを追い出さなくてはならない」

 しかし、帝国は既に関西を支配している。西日本全域を支配するのも時間の問題だろう。彼らを追い出す為には――彼らに対抗する為には、大国クラスの軍事力が必要だと刀矢は言う。

「つまりはこの列島を纏め上げる統治機関が必要になる訳だ。では、その統治機関は誰が担うべきか。狂信者は危険すぎる。聖騎士は潔癖すぎる。だから、魔導士がやらなくてはいけない。僕達魔導士が魔導士の国を作らなくてはならないんだ」

 ならば、僕達朱無市の人間が作るべきだと刀矢は言う。他の魔導士勢力が動き出すのを待っていては遅すぎる。事態の変化を望むなら自らが率先して動かなくてはならないのだと刀矢は言う。

「まずは関東を制圧する。関東が終わったら次は中部だ。その次は東北。そして、そこまで戦力を整えたら西との大戦争だ。膠着と癒着で動かなくなったこの国の歴史を僕達が動かすんだ」

 それは、あまりにも途方もない話だった。

 しかし、誰もが一度は考えた事のある話だった。

 占領状態にて割拠状態にあるこの国を、人類の手に取り戻す事。一つの国として纏まって外海に名乗りを上げる事。それはこの国に住む人間ならば誰もが一度は夢見た事がある話だ。だが、実現するにはあまりに道のりが遠すぎる故に、誰もが明確には言葉にしなかった野心――野望だ。

 それを、この男は言葉にした。しかも、これだけ大勢の前で。

「君に拒否権はない。問答無用で従って貰う。いいね?」

「は……はい……っ!」

 その発言が、どれほど荒唐無稽であるかを理解している。発言者である刀矢自身でさえ理解しているだろう。それほどまでに実現困難な話だ。

 それでも、彼がこれまで為して来た行いを皆は知っている。

 それでも、彼が今日まで護って来た憩いを皆は知っている。

 だから、信じたくなる。彼の言葉についていきたくなる。彼が、自身の言葉をただの夢物語で終わらせない男である事を皆、知っている。

「――そういう事でいいかな、自警団の皆?」

 だから、刀矢が顔を上げて、同胞を見た時、否定する者はいなかった。彼の言葉に懐疑的な者も当然いたが、彼らはあえて顔には出さなかった。彼を否定したい理屈よりも彼を信じたい気持ちの方が勝っていたからだ。

「我が主がそう言うのでしたら、仕方ないであります」

「ああ、全くしょーがねえよなあ。おい、頼姫! コレ一個貸しだかんな!」

 セラとアリエッタが刀矢に賛同し、他の自警団メンバーもこれに続く。ただ一人、政治や世界情勢に精通している人間として亜理紗は素直に頷かず、苦言を呈した。

『無茶苦茶言いますわね……。そんな無謀な戦争挑んで、仮に実現出来たとしても、そこに至るまでどれだけの犠牲が出るか……分かっているんですの?』

「このまま帝国をのさばらせておいて、将来、この国を支配されてしまった時の犠牲者の方が数が大きい。そうは考えられないかい?」

『……まあ、その辺は後でじっくり話し合いますわ。もう戦いも終わりましたし』

 亜理紗の言う通り、線状に目を向ければ朱無市自警団と食屍鬼との戦いは既に止まっていた。自分達を率いる者同士が戦っている光景に目を奪われ、いつの間にか武器を握る手が下がってしまっていたのだ。

 食屍鬼は互いの顔を見合わせると、次々と武器を手放して両腕を頭の上に掲げた。主君が敗北を受け入れた以上、戦う理由はない。そう判断しての降伏のポーズだった。

 食屍鬼が武器を手放した事で自警団員も緊張を解き、武器を下げる。そんな落ち着きかけてきた戦場に、

「はいはーい、皆さん! 注目ー!」

 鈴の音のような、しかし悍ましい声が響いた。



 声は崩れ果てた校舎の屋上から聞こえてきた。目を向けると、そこには壇上に登る舞台女優さながらの優雅さで、今屯灰夜が立っていた。

「灰夜、貴女、今までどこに……!」

「どこでもいいだろう? ボクは所詮外部顧問。キミ達に協力する義務はあっても、義理はない。持ちつ持たれつ、互いに利用し合うだけの関係。キミ達がピンチだからって助けてあげる理由はボクにはない。そういう契約だった筈だ」

「ぐっ……!」

 頼姫が悔しげに下唇を噛む。だが、灰夜の言い分は彼女としても認めざるを得ないものであった為、それ以上は何も言えなかった。

 頼姫から視点を外し、灰夜はその場にいる全員に語り掛ける。

「頼姫クンを攻略して安心したかい? でも、まだ気を抜くのは早いよ。このステージのボスキャラは、これから出てくるのだからね」

「ボスキャラ……? 君が戦うのか?」

「いや、それは違うよ」

 灰夜が頭を横に振る。

「ニャルラトホテプは場を引っ掻き回し、後は傍観するだけ。直接手を下すのはボクのやり方ではないのだよ。――ここはもっと相応しい方に御登場願おう」

 灰夜が視点を下ろす。皆が彼女の足元を見た時、誰かが「あっ!」と声を上げた。

 灰夜は魔法陣の上に立っていた。頼姫が描いた邪神クトゥルフの魂を召喚する魔法陣だ。魂の容器となる流譜を刀矢達が奪還した以上、魂だけ呼び寄せてもここに留めておけない為、もはや無用の長物となっていた筈だが……。

 灰夜は膝を曲げると、その手に下げたバケツから赤い液体を手で掬った。鉄の臭いが充満するそれで魔法陣に不可解な記号の列を描き足していく。

「ちょちょいと手を加えまして――はい、完成。これでクトゥルフがいる空間とこことを繋ぐ、空間を接続する魔法陣の出来上がりだよ」

「…………っ!?」

 告げられた内容に、悪寒が校庭を疾駆した。

 この場にいる者全員が直感した。まずい事になると。あの魔法陣が発動したらまずい事になると。アレを成功させてはならないと理屈も理由もなく本能が訴えていた。

『止めてくださいっ!』

 自警団総司令官・亜理紗の言葉にセラが灰夜へと飛んだ。

 來霧も刀矢も朱無市自警団員も、飯綱家の食屍鬼までもが機械人形へと急ぎ行く。

 アリエッタは弓より矢を放つ。砲弾並の威力を持つ彼女の矢だ。当たれば屋上ごと魔法陣を破壊出来る。

「――一同、控えよ。大邪神クトゥルフ様がお会いになる――」

 だが、間に合わない。

 高らかに告げた灰夜は両手を魔法陣に接着した。彼女の両掌から莫大な魔力が迸る。今屯灰夜の肉体――機体を動かす魔力のバッテリーから流れ出たものだ。魔力は魔法陣のラインに従って流れ、陣内を満たす。エネルギーを得た魔法陣が不気味な赤光を放ち、定められた機能を発揮した。

 矢が屋上に突き刺さる。放射線状にヒビが走り、衝撃波を散らしながら中央から順に破砕していく。灰夜の身体が衝撃波に弾かれ、電池の切れた玩具のように転がり落ちる。

 空間が割れた。

 魔法陣があった上の空間に亀裂が入ったかと思うと、亀裂が縦に走った。高層ビルよりも高い亀裂はひびを増やしながら左右に開いていく。

 魔導士であるセラはそれを誰よりも早く直感した。あれは、『門』であると。

 軋む『門』の向こう――闇よりも黒く、死よりも冷たい空間から何かが覗いてきた。濁った白色の半球体だ。直径が五〇メートルはあるだろうそれの中央には黒の楕円形が描かれている。ぐじゅる、ぐじゅりといやらしい水音を立てて蠢く半球体の回りには魚鱗に覆われた肉が固められていた。

 あまりに巨大すぎる。だから、気付くのに数秒を要した。

 あの半球体が――――巨大な生物の眼球であるという事に。

「はあ!? おいおいおいおい、ちょっと待てよ! あれが目ん玉だと!? ふっざけんなよ、あれが目ん玉だっていうんなら本体はどんだけでけえっていうんだよ!?」

「単純に計算して――全長は軽く一キロメートルを超えているな……!」

「あれが、邪神クトゥルフ……!」

「あんなものが十年前、解放されていたというのか!?」

「マジかよ……つうか十年前はどうやってあんなん封印したんだよ!?」

 その場にいる全員が戦慄する。

 幸い、『門』は小さい。縦に五〇メートル以上あるといっても、巨大な邪神にとっては覗き穴程度の隙間でしかない。こちらの空間に出現する事はおろか、手を伸ばす事すら不可能な筈だ。

 だが、それでも脅威である事に変わりはなく――

 邪神の瞳が地を這う人々を睥睨した。

「ひっ……あ……っ!」

 瞬間、自警団員達や飯綱家の配下達が次々と膝を崩す。邪神の禍々しい迫力に圧され、正気度を削られたのだ。目の前の現実が受け入れられず、狂気の世界に逃げ込む。即座に発狂しなかった者も一時的にだが心が折れてしまった。すぐには動けない。

 そして、悲劇はこれで終わりではなかった。

「うぐっ、おぇえ……!」

「あ、が、ぐぐぐ……ぐふっ!」

「ひひ、いひひひひひ……っ!」

 嘔吐する者、震えが止まらない者、突如笑い出す者――精神に異常を来たす者が次々と現れた。それは時間が経つ程に増えていく。

「まさか、こいつの視界にいる限り、SAN値が減り続けるのか……!?」

 アリエッタの予想は当たっていた。

 邪神の魔力は人類とは比較にならないほど強大で、悍ましい。コールタールのように粘着質で濃密な魔力の塊だ。直接魔術で何かされている訳でもないのに、近くにいるだけで精神が削られる。相手の威圧感に身が竦むのと同じ事だが、邪神が放つと物理攻撃よりも遥かに凶悪だ。精神攻撃というよりもはや洗脳の領域にある。

 ただそこにいるというだけで相手を壊滅させる。

 これが邪神か。

 これがクトゥルフか。


 ――其は永久に横たわる死者にあらねど、計り知れざる永劫の下に死を超える者――


 誰も彼もが戦慄するが、しかしどうしようもない。

 現状を解決する方法はある。見る者が見れば分かるが、『門』は安定していない。空間接続の魔法陣は元々別の目的で描かれた魔法陣を転用したものだ。故に不完全だったのだろう、今にも『門』は閉じそうだった。閉じないのは、邪神が垂れ流す魔力に抑えられているからだ。ならば、邪神を少しでも退けさせれば『門』は閉じる。邪神もいなくなる。

 だが、そこまでの道のりが遠い。

 誰も動けない。邪神の眼下にいては体が思うように動かせない。

 絶望が見えざる圧力としてその場に重く広がる。異形である頼姫ですら意識を保っているのが難しくなり、上から押し潰されるかのように地面に四つん這いになる。そんな彼女の前で、動く影が一つだけあった。

「刀矢、さん……!?」

 刀矢だ。周りの人間が次々に狂気に陥り、行動不能になっている中で、刀矢だけが普段と変わらない様子で立っていた。

 それはありえない光景だった。この状況下で――一ラウンド毎にSAN値が減っていく狂気の濁流の中で、魔女の釜の底の如き地獄の中にいて、精神が崩壊しない者などありえない。人間だろうと異形だろうと例外はないのだ。あるとすれば、それは異形よりも異形であるか、あるいは――

「刀矢さん、まさかあなた……SAN値が既にゼロ……!?」

 ――あるいは、永久的狂気に陥っているかだ。正気を失い、既にゼロになっているのであればそれ以上下がりようがない。だから彼はこの状況下で無事だというのか。

 目を丸くする頼姫の後方から、人が近付く気配がした。

 流譜だ。邪神の瘴気を浴びて意識を失っていた筈だが、復活したようだ。亜理紗達がどうにかしたのだろうと頼姫は察する。

「る、流譜……さん……!」

「頼姫か。話は後でな。今はアレをどうにかするのが先だ」

 流譜は頼姫を追い越し、その先にいる刀矢に近寄る。

「やあ、流譜。元気で何よりだ」

「うむ、刀矢。ちょっとこっち顔を貸せ」

「ん? どうしたん――」

 自分の近くに刀矢を呼び寄せた流譜は無造作に手を伸ばすと、


 刀矢の顎を掴み、自身に引き寄せ、唇と唇を重ねた。


「……は?」

 刀矢が硬直し、頼姫の目が点になる。ふたりを見ていた自警団員達や喰屍鬼達も呆然となる。その間にも流譜は唇を押し続け、舌を蠢かす。刀矢は流譜を剥がそうと必死に押し退けるが、筋力が足りない。刀矢の顎を固定する流譜の力は万力のように強く、結局流譜が満足するまでキスは終わらなかった。

 唇が離れ、唾液が名残惜しそうに糸を引く。唾液を袖で拭うと流譜は口端を吊り上げた。

「景気付けだ」

「…………っ!」

 何か言いたそうな刀矢を置き去りにし、流譜は邪神がいる方角へと跳躍する。遠ざかるその背を見送りながら、刀矢は耳まで真っ赤にし、口端からこぼれる唾液と血液(・・)を拭った。

 流譜の胃の中で刀矢の唇から舐め取った血――『魔人血』が滾る。腹の底から高熱の固まりが這ったまま猛り狂っているような感覚だ。魔力が自身を強化していくのを感じながら流譜は瓦礫の道を跳ねて進んでいく。

『流譜!』

 進む先にあった瓦礫に曲刀が突き刺さった。後方から飛んで来たものだ。耳元の通信機から曲刀を射た張本人――アリエッタの声が聞こえた。

『そいつを――「バルザイの偃月刀」を使え! いくらお前でも直接邪神を殴り付けるのは無茶だ! そいつをあいつに突き立ててやれ!』

「うむ。感謝するぞ、アリエッタ」

 頬も裂けんばかりに獰猛に笑う流譜。走りながら曲刀を掴み取り、瓦礫から乱暴に引き抜いて、また走る。

 邪神まで残り数メートルまで距離を詰めた時点で流譜が大きく跳躍した。腰を捻り、右腕を引き絞り、全身をたわませる。それは、まさしく自らの筋肉を使った一個の弓だ。

「貴様の出番はまだ先だ。星辰が揃うまで寝ていろ、邪神――――!」

 全魔力を筋力に上乗せして流譜が矢を放つ。矢の勢いは周囲の大気を根こそぎから吹き飛ばし、校庭に大質量の突風を生む。矢の威力はもはや小型ミサイルの直撃と相違なく、目に矢を突き立てられた邪神が大きく仰け反った。

 瞬間、邪神の魔力に抑え付けられていた『門』が待っていたとばかりに閉じていく。閉じる空間の割れ目の向こう、地響きのような連続的な低音が聞こえた。ややあって、それが邪神の笑い声だと気づいた。まるで、面白いテレビ番組でも見たかのような歓喜の声だった。

 空間の割れ目が完全に消え、邪神の魔力も笑い声もなくなった。残されたのは最初から何事もなかったかのような、静かな宵闇の空だった。

「終わった……のか……?」

 誰かがそう呟いた。その言葉に込められた不安と期待は、しかし、

「伝令、伝令ーっ!」

 校庭に駆け込んで来た必死な声に否定された。

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